山口県の部落at RIGHTS
山口県の部落 - 暇つぶし2ch900:名無しさん@お腹いっぱい。
14/09/19 22:23:14.44 4hpZ0qUS0
山口県の部落問題について
URLリンク(y-kaihou.jp)

22年3月の京都における全国水平社の創立大会には小郡町の柳井伝一・下枝主税・森岡数雄の3人が出席し帰郷の後、山口県水平社の結成をめざす活動を開始した。

戦後の部落解放運動の再建は、1949(昭和24)年7月17日、吉敷郡小郡町で結成された部落解放全国委員会山口県連(委員長・柳井政雄)に始まる。
50年に防府市向島漁業組合長の差別発言、52年には県立高校長の結婚差別事件が起こり、解放委県連はただちに県と交渉をもち、
県教委に<教育目標や教育方針を成文化>することを約束させる。同年10月、初めて県の<同和教育基本方針>が示された。

これらの差別事件の糾弾中、委員長の柳井らは組織にはからず、裏で行政や当事者と話し合い<円満解決>を画策したため、金本謙次や山本利平との間に確執が生まれた。
53年7月17日、第6回部落代表者会議を柳井派は柳井の自宅で、金本派は山口市の万徳寺で開催。
金本・山本派は柳井を除名するとともに中央へ報告。同年8月には10日、12日と続いて宇部警察署巡査の差別事件が発生。
9月22日、金本委員長を先頭に部落住民と宇部興産宇部窒素工場や宇部曹達労働組合の応援を得て市行政と交渉を展開。
<宇部警察署の徹底的民主化と責任の追及>ほか5項目の要求書を提出して闘う。

10月の衆議院選挙で、柳井らは中央の指令に反し自由党候補を応援したため、中央本部より除名処分。このため柳井は12月に<山口県部落解放連合会>を結成。
以降、柳井と金本・山本の両派はことごとく対立。これを憂慮した県民生部長のあっせんにより54年10月、<山口県部落連盟>を結成。
両派から1人ずつ、中立から1人代表委員を出すとともに、対立する両派の代表者である柳井、金本、山本を顧問に据えることで決着した。
その後、両派は思想的に相反し、再びたもとを分かつ。55年中央の名称改称と同時に、部落解放全国委員会山口県連合会を<部落解放同盟山口県連合会>と改称。
60年柳井は自由党の友好団体である<全日本同和会山口県連合会>を結成し会長となる。

901:名無しさん@お腹いっぱい。
14/09/19 22:24:51.68 4hpZ0qUS0
今回もユニクロ柳井正氏の「地元嫌い」を親族の出自と絡めてルポしているが、柳井氏を知る上でこうした情報がどれだけ役に立つのか、
私には読み終わってもよくわからなかった。柳井家の親族の1人がこう話す。

「土地から離れようとしているだけでなく、一族からも距離を置こうとしているのは寂しい」

正氏の父・等さんがユニクロの前身となった「小郡商事」を作ったが、実は、もう一つの親族が作った「小郡商事」があったというのである。
もう一つの「小郡商事」は、等さんの兄で正の伯父・柳井政雄氏が作ったものだという。
この政雄氏は1908年、現在の山口市で牛馬商を営む父柳井周吉氏の4男として生まれた。
「政雄氏の著書『同和運動の歩み』によれば、尋常高等小学校中退後、
炭鉱産業が隆盛だった宇部市の炭鉱で働くなどして青年期を過ごす内に、極道の世界に足を踏み入れたという」(現代)

政雄氏の息子、澤田正之氏はこう言う。

「46年に山口市議に当選してから政界にも人脈が広がった。やくざにも警察にも顔が利くので、重宝がられる。
だから周囲からいろいろ頼まれごとをするのですが、断らない人だね。
(中略)そうこうするうちに様々な事業に関わるようになっていった。
地域で困っているような人を自身が経営する会社で引き受けて面倒も見ていました」

親分肌で面倒見がいい、東映任侠映画に出てくるような人物だったのだろう。
伯父の政雄氏や父親の等氏は地域に根差した家族的経営を貫いていった。

しかし柳井正氏は、等氏らが行ってきた家族的経営を批判することから実業家の歩みを始めたという。
正氏は著書『一勝九敗』(新潮社)の中で「義理人情に厚く、生業家業といった観点で仕事をし、企業家とか経営者といった観点はなかった」と彼らのやり方を評している。
しかし、そうした正氏の経営姿勢が功を奏し、広島県でユニクロ1号店を誕生させてから今年で30年、
当時年商1億円ほどだった「小郡商事」は、今や1兆円を売り上げる世界のユニクロへと成長したのだ。
ユニクロの前身となった紳士服開業の地は今は空き家で、かつてそこに本社が置かれていたことを示す痕跡はないという。
どういう理由で正氏が「故郷を捨て」たのかはわからない。それを彼自身の口から聞いてみたいものである。

902:名無しさん@お腹いっぱい。
14/09/19 22:26:54.95 4hpZ0qUS0
第143回 『週刊現代』8/30号「ユニクロ・柳井が封印した『一族』の物語」の差別性を問う
URLリンク(rensai.ningenshuppan.com)

確かに、柳井氏の親族が山口県の水平社運動や戦後の部落解放運動に関わっていたことは事実だし、
それを積極的に評価する姿勢を筆者が見せていることも確かだろう。

この記事の当事者は、柳井氏であり、彼が、自己の「一族」の「出自」について、どう考え、どう思っているかがすべてであり、
親族があれこれいう筋のことでもないし、ましてや運動団体の幹部の言葉を引用して、
伯父で解放運動の活動家であった柳井政雄氏を評価するのは、その意図とは別に、取材目的の差別性を感じざるをえない。


URLリンク(ja.yourpedia.org)

柳井 政雄(やない まさお)は全日本同和会初代会長。全日本同和会山口県連合会会長。総理府同和対策協議会委員。

部落解放同盟から除名され、全日本同和会に参加。
1977年3月、みずからも名を連ねた山口商業企業組合を通じて同和高度化資金から土地代として2億円の融資を受け、
山口市内に高級ホテル「山口ホテル」の建設を計画。
しかし山口商業企業組合の理事長の八木重樹は同和高度化資金融資制度の対象となる人物ではなく、
またこの事業そのものが同和事業と無関係であったため、この融資は不正であった。
このため、県民の批判で計画は中止となった。

柳井はこのほか、山口観光ショッピングセンターの建設計画を立て、1978年12月には同和高度化資金から土地代として2億2000万円の融資を受けたが、
この土地は1976年に柳井が同和高度化資金から融資を受けて買った土地であり、これも不正融資であった。

1979年7月、全日本同和会第20会大会でこれらの同和高度化資金をめぐる不正融資の責任を追及され、会長を辞任した。
後任が松尾正信(北九州土地転がし事件の当事者)である。


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