【新説?】部落学序説 吉田向学【珍説?】at RIGHTS
【新説?】部落学序説 吉田向学【珍説?】 - 暇つぶし2ch73:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/13 05:07:31 QAk6iWRF0
えた
江戸時代の身分制度において賤民身分として位置づけられた人々に対する身分呼称の一種であり,幕府の身分統制策の強化によって17世紀後半から18世紀にかけて全国にわたり統一的に普及した蔑称である。
1871年(明治4)8月28日,明治新政府は〈太政官布告〉を発して,〈非人(ひにん)〉の呼称とともにこの呼称も廃止した。
しかし,被差別部落への根強い偏見,きびしい差別は残存しつづけたために,現代にいたるもなお被差別部落の出身者に対する蔑称として脈々たる生命を保ち,差別の温存・助長に重要な役割をになっている。
漢字では〈穢多〉と表記されるが,これは江戸幕府・諸藩が公式に適用したために普及したものである。ただ,〈えた〉の語,ならびに〈穢多〉の表記の例は江戸時代以前,中世をつうじて各種の文献にすでにみうけられた。
〈えた〉の語の初見資料としては,鎌倉時代中期の文永~弘安年間(1264‐88)に成立したとみられる辞書《塵袋(ちりぶくろ)》の記事が名高い。
それによると〈一,キヨメヲエタト云フハ何ナル詞バ(ことば)ゾ 穢多〉とあり,おもに清掃を任務・生業とした人々である〈キヨメ〉が〈エタ〉と称されていたことがわかる。
また,ここでは〈エタ=穢多〉とするのが当時の社会通念であったかのような表現になっていたので,特別の疑問ももたれなかったが,末尾の〈穢多〉の2字は後世の筆による補記かとみられるふしもあるので,
この点についてはなお慎重な検討がのぞましい。〈えた〉が明確に〈穢多〉と表記された初見資料は,鎌倉時代末期の永仁年間(1293‐99)の成立とみられる絵巻物《天狗草紙》の伝三井寺巻第5段の詞書(ことばがき)と
図中の書込み文であり,〈穢多〉〈穢多童〉の表記がみえている。これ以降,中世をつうじて〈えた〉〈えんた〉〈えった〉等の語が各種の文献にしきりにあらわれ,これに〈穢多〉の漢字が充当されるのが一般的になった。


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch