08/09/23 21:49:40 MugUCF2v0
1節 部落学固有の研究対象
水平社宣言は二重構造で、「特殊部落民」としての宣言と、「穢多」としての宣言。
「穢多」概念も二重(多重)定義であり、その都度、都合良く解釈されてきた。
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3:第1章 部落学固有の研究対象
08/09/24 20:43:52 w/xmIRwT0
2節 穢多村の原風景
「水田・塩田」から、「皮田(近世穢多村の原風景)」を推察する。
「皮田」には、①豊富な川の水、②良質の塩、③上等の菜種油、が必要不可欠。
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3節 穢多の実像
「穢多」は本来別の漢語表現であり、それは「衛手(えた)」と推察する。
「衛手」は司法・警察職として、古代より時代を超えてその職務を担っていった。
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4:第1章 部落学固有の研究対象
08/09/24 20:51:54 w/xmIRwT0
4節 穢多の在所
1.「地域概念としての部落」の崩壊-野口説への批判
「穢多村」・「穢多」を定義せず、「部落」・「部落民」という概念で拡大解釈した結果、
問題が複雑化し混乱して収拾がつかなくなっている。
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2.「周防国図」・「長門国図」に見る穢多の在所
中世・近世の「穢多村」は地理的な要衝にあり、その警備を担当していた。
「穢多村は自然災害に弱い場所」と言うのは、近隣の村を含めた拡大解釈によるもの。
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3.「高佐郷の歌」に見る穢多の在所
長州藩時代、「高佐郷」は街道の要衝で、村の一部に穢多の在所があった。
高佐郷の歌には「自分たちが穢多であること(要衝を守る警察)」を誇っている。
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5:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/24 20:57:44 pXX1fGdVO
>>2
清原一隆
阪本清一郎
水平社宣言
6:1
08/09/25 20:36:07 3cC/J8xd0
>>6
水平社宣言は、2種類の資料から構成されていると、吉田氏は主張しています。
西光万吉(本名清原一隆)と栃木重吉の2者による執筆。
7:第1章 部落学固有の研究対象
08/09/25 20:39:57 3cC/J8xd0
5節 非常の民としての穢多
1.「非常の民」としての穢多
筆者と「賤民史観」の学者の共通点。それは、「穢多」は古代~近世警察の末裔。
そして、近代警察・現代警察に継承されていること。
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2.御用の節は御忠勤尽くし奉る身分・・・
既存の「渋染一揆」の考察は、「賤民史観」によるもの。
近世警察の「穢多」は、普通の百姓一揆の仕方では無い方法で訴えた。
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3.命題「穢多は非常民である」
「穢多(非常民)」と「農・工・商(常民)」は、差別・被差別の関係では無い。
むしろ、穢多は「非常民(警察)」として「常民(農・工・商)」を支配する側であった。
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8:第1章 部落学固有の研究対象
08/09/25 20:43:14 3cC/J8xd0
6節 賎民概念を破棄する理由
「賤民」=「いやしい身分の人」だと、歴史学者は誤って定義してきた。
その結果、関係概念に過ぎなかった「尊卑・貴賤」を、本質概念・実体概念で解釈した。
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9:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/25 21:55:00 n49q3rG7O
なっなんだよこのスレ、バカデミックすぎる。
10:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/26 08:52:02 U8xU+3Q00
吉田向学のオナニースレ
ブログみたけどどーでもいいエッセィ風のものばかり
文化人をきどってるが凡庸、というか退屈杉
部落問題だけに絞ってもっと簡潔にまとめられないのか?
この脳内オナニーバカは(嘲笑)
11:第1章 部落学固有の研究対象
08/09/26 21:37:11 BVsD93Q30
7節 士農工商穢多非人図式を破棄する理由
1.賤民史観と士農工商穢多非人
歴史学者や教育者は、「賤民史観」によって「江戸時代の身分制度」を作った。
更に、「穢多役・非人役」を「役務」とせず、「最下層の身分」と定義した。
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2.明治に始まる「穢多非人」の賎民化
「士・農・工・商・穢多・非人」という図式は、近代日本の国家が創出した。
近世警察・司法の解体の実効のしるしとして、明治政府は「穢多・非人」を排除した。
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3.「士農工商穢多非人」不要論
歴史学者等は、権力や政治の要請に応えて、歴史の真実を歪曲し捏造する危険がある。
「部落史」の分野においては、「賤民史観」は暗黙の前提として、精神的に拘束している。
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12:第2章 部落学固有の研究方法
08/09/26 21:39:56 BVsD93Q30
1節 部落学固有の研究方法
1.部落学の定義
「民俗学」は「常民」に対する学。「部落学」はその対極にある「非常民」に対する学であり、
歴史学、社会学・地理学、宗教学、民俗学の個別科学研究を総合して、構築する必要がある。
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2.部落学と歴史学
今までの「部落学」は「歴史学」を過剰に評価するあまり、「賤民史観」を受容してきた。
「賤民史観」は差別的な歴史思想である為、歴史資料の持っている意味を洗い流す必要がある。
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3.部落学と宗教学
「穢多」と神道・仏教・キリスト教の関係について、再考察が必要である。
特に、「穢多」は幕府と諸藩のキリシタン禁圧政策に従い、「宗教警察」でもあったと仮定する。
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13:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/26 22:39:29 9mjUBacTO
常民?
非常民?
14:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/27 09:16:27 rUZWn01J0
154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 22:29:16 ID:X1WLGfz6O
モンブランと白山神社って同じなの?
白山神社ってどんなの。おせーて。
155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 22:38:49 ID:Pk/H5gK20
>>154
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 22:56:15 ID:X1WLGfz6O
>>155
ありがとう。これ読んだら分かる。携帯でも見れるから嬉しいぞ。
158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 09:13:51 ID:rUZWn01J0
>>154
スレ立てしたもののレスのつかない吉田向学のまぬけな自作自演w
ここみてーな過疎スレで30分弱で3レスもつくわけ、ねーだろ
死んで前世のエタヒニン時代からやり直せバカwwwwww(嘲笑)
15:1
08/09/27 10:57:59 0W3rrX1o0
>>13
簡単に言うと
常民=一般人(支配される側)
非常民=役人(支配する側)
16:第2章 部落学固有の研究方法
08/09/27 21:39:01 0W3rrX1o0
2節 村のシステム
1.村と百姓と穢多
「穢多(警察)」のいない村は「庄屋・村役人」が治安維持を図っていた。「穢多」のいる村でも、
「百姓」と「穢多」が接する機会は殆ど無い。犯罪が起きた時、「非常時」のみ接する。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
2.村境と芝境、気枯れと穢れ
「武士・穢多」の管轄区分は芝境であり、「百姓」の日常生活に直結していたのは村境。
民俗学でいう「気枯れ」と歴史学でいう「穢れ」は、同じ「ケガレ」の常・非常の区分に過ぎない。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
17:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/28 01:52:34 RUNlVnQc0
158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 09:13:51 ID:rUZWn01J0
>>154
スレ立てしたもののレスのつかない吉田向学のまぬけな自作自演w
ここみてーな過疎スレで30分弱で3レスもつくわけ、ねーだろ
死んで前世のエタヒニン時代からやり直せバカwwwwww(嘲笑)
160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 12:22:02 ID:geqjNHCdO
>>158
>>154が自演かどうかは知らないけど、このスレだって
30分弱で3レスつくことぐらいはある
162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 14:22:50 ID:EUFE3ZQ/O
まちがった
>>158
クウキヨメ
18:第2章 部落学固有の研究方法
08/09/28 12:44:06 dFlEa5Tb0
3節 新けがれ論
1.「穢れ」をめぐる歴史学と民俗学の相克
歴史学者の「賤民史観」・「賤民思想」によって、民俗学の「気枯れ」の意味は無視され、
歴史学の「ケガレ=穢れ=不浄」が強調されてきた。
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2.「穢れ」の語源論・意味論の限界
「賤民史観」が、実体がないのにさもあるかのように部落問題を「観念」しているのは、
「差別(真)」と「被差別(真)」の関係ではなく、「差別(真)」と「被差別(偽)」の関係である。
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3.新「けがれ」論
「日常」の世界は、「ケ」→「ケガレ(気枯れ)」→「ハレ(祭祀等)」→「ケ」・・・という循環。
「非日常(法的逸脱)」の世界は、「ケ」→「ケガレ(穢れ)」→「キヨメ(お仕置き)」→「ケ」・・・という循環。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
19:油掛地蔵@岩井川郷 ◆OGX1Dip9qw
08/09/28 23:32:54 +EUWixRv0
新たな視点からの考察として、読み応えがあった。
「非人」を「人に非ず」と漢文読みするなら、「穢多」は「多くを穢す」だよなぁ。
20:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/29 06:31:53 mQPUCs300
エタの吉田向学によると
エタは支配階級だった! wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
脳内妄想観念論を糞ブログでまきちらすだけでなく、
こんな糞スレまで立ち上げるなんざ、
吉田向学って馬鹿を通り越して奇痴害だろ(嘲笑)
とっとと死ねよ、クズ
21:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/29 06:47:29 mQPUCs300
___ 見えませ~ん
∥ | ∨
∥現実 ∧_∧ .ヘ∧
∥ \ ( ・∀・) <゚A●>
|| ̄ ̄⊂ ) ( と)
凵 し`J U U
___ 読めませ~ん
∥ | ∨
∥空気 ∧_∧ .ヘ∧
∥ \ ( ・∀・) <゚A●>
|| ̄ ̄⊂ ) ( と)
凵 し`J U U
___ 知りませ~ん
∥ | ∨
∥常識 ∧_∧ .ヘ∧
∥ \ ( ・∀・) <゚A●>
|| ̄ ̄⊂ ) ( と)
凵 し`J U U
___ ありませ~ん
∥ | ∨
∥未来 ∧_∧ .ヘ∧
∥ \ ( ・∀・) <゚A●>
|| ̄ ̄⊂ ) ( と)
凵 し`J U U
22:1
08/09/29 21:09:08 quq1k/2J0
>>19
実は、私の住んでいる地方はB地区問題が無いんですよ。非常に淋しいですwww
文献等を調べると、一応それらしい記述があるんですが、「部落学序説」は参考になりました。
番人役と関係がありますので、K察史を調べたり、地元の強酸党の地方議会質問も調べていますw
23:第2章 部落学固有の研究方法
08/09/29 21:12:16 quq1k/2J0
4節 長州藩青田伝説にみる賎民史観と穢れ
1.百姓の目から見た長州藩青田伝説
百姓は藩の独占品(皮革等)の動向をみることで、その年の米の収穫を予想する事が出来た。
また、丸尾崎の竜神伝説(迷信)も合わせたものが青田伝説である。
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2.布引敏雄(歴史学者)と長州藩青田伝説
歴史学者によって、天保一揆と青田伝説についての文章は、「賤民史観」構築の材料として、
著しく改竄・恣意的解釈がされてきた。
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3.丸岡忠雄とふるさと
皇国史観「右」と唯物史観「左」のイデオロギー的な史観によって、
旧穢多についての実証主義的研究が大きく疎外されてしまった。
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24:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/29 22:06:25 KUgUfI6z0
>>22
相変わらず自作自演が好きだな吉田エタ(爆)
病気だろ
てか奇痴害だろ
25:第2章 部落学固有の研究方法
08/09/30 21:34:53 rmIvZ8QG0
4節 長州藩青田伝説にみる賎民史観と穢れ(続き)
4.村崎義正(運動家)と長州藩青田伝説
村崎(被差別部落出身)の部落史の記述は、「賤民史観」に色濃く染め抜かれている。
これでもかこれでもかと、卑賎感をふりまく手法で書かれた文章である。
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5.西田秀秋(教育者)と長州藩青田伝説
西田は、同和教育に熱心になる余り、「穢多」を持ち上げると同時に、「百姓」を持ち下げている。
幕藩体制下の「穢多」と明治以降の「部落民」をごちゃ混ぜにして、その小説を展開しいる。
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26:第3章 穢多の定義
08/10/01 20:13:23 m/+noSRm0
1節 穢多の定義
1項 本当の挨拶
『部落学序説』は従来の「直線方式」ではなく、情報処理の新しい教育方法である「スパイラル方式」。
部落差別の完全解消のためには、研究者を容易に近づけない権力の秘密を明らかにする以外に方法はない。
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2項 近世幕藩体制下の身分とは何か
桃山学院大学の寺木伸明の、穢多の「身分」を「役負担」と「職業」に分けて考察する事は正しい。
明治政府は、不平等条約を撤廃するため「穢多は野に放った宗教警察である」というイメージを強くしていった。
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3項 穢多という身分
穢多・茶筅・宮番等が手に持っている「六尺棒」と「槍」は共に、近世幕藩体制下にある非常民必須のアイテム。
近世警察官たる「穢多」の象徴であり、職務を執行するために、他者と自分とを守る道具であった。
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4項 伝承に見る穢多の身分
「穢多」は、司法・警察に関わる「非常民」。第二次長州征伐に際しては、穢多を構成要員とする「維新団」、
茶筅を構成要員とする「山代茶筅隊」があり、敵の兵を生きたまま捕獲する「警察」であった。
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27:第3章 穢多の定義
08/10/02 20:22:39 BYq/gKJs0
1節 穢多の定義(続き)
5項 垣の内に関する考察
1.垣の内に関する布引説への批判
垣の内は、「部落の囲りを垣根で囲うことは、即、差別を意味したのである」と言う。
しかし、布引説の推定や推測の指導理念は、歴史学上の差別思想である「賤民史観」である。
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2.新井白石と垣の内
白石の『折りたく柴の記』には、武士の居所を垣根で囲う記述(垣の内)がある。
布引が指摘するような、「部落の囲りを垣根で囲うことは、即、差別を意味した」というような断定は出来ない。
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3.山口県部落史研究の良心
ネット上の情報で、沖縄に穢多・非人と同じ役務があった事を知った。しかし、論文を書くための史料や、
資料は提供してくれない。「研究」と名前がつくものを執筆する人は、論文や書籍を丁寧に読破していく必要がある。
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28:第3章 穢多の定義
08/10/03 20:52:49 RRqC0/Ru0
1節 穢多の定義(続き)
5項 垣の内に関する考察(続き)
4.喜田川守貞の見た垣の内
『近世風俗志』によると、穢多の在所は、布引が指摘しているような差別された場所ではない。
また、穢多の役務も警察そのものであり、職務を遂行する上での様々な厳しい「法」があった。
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5.穢多の在所は穢多が何であるかを規定できない
明治以降「旧穢多村」「特殊部落」「被差別部落」と、三次に渡って「部落民」の居住地が再定義された。
またその都度、「部落民」の外延も再定義され、現在では第4次の再定義の段階に入ろうとしている。
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29:名無しさん@お腹いっぱい。
08/10/03 23:10:57 2rjfTtb70
あ!
30:第3章 穢多の定義
08/10/04 21:47:31 Sxr0RWJH0
2節 穢多の役務
1項 白山神社と穢多
「屠」の字義は、「子を生む場合の生子門の裂傷」「母親が傷を負い、命を生み出す様」を伝えている言葉である。
検断・穢多・非人は犯罪者を「屠する」役務がある為、東日本では安産(屠)の神である白山神社を信仰した。
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2項 死刑執行人の今と昔
穢多は警察官であり、刑務官でもあった。死刑執行を命じられた下級武士等には、逃亡した者もいた。
歴史学者や教育者は、刑務官と言う職務を「人の嫌がる仕事を強制された」というイメージで振りまいた。
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31:名無しさん@お腹いっぱい。
08/10/05 08:15:29 H+ADdiZR0
トンデモサイトの宣伝にスレ立てて
自作自演でバカみたいに書き込んでいて惨めにならないの?
吉田って真性の奇痴害でしょwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
32:名無しさん@お腹いっぱい。
08/10/06 00:10:47 aHNHZiBYO
この説の真偽はさておき、とにかく文章がわかりにくい、つまならい。至極、残念無念チン。
33:吉田無学
08/10/06 21:18:56 iaAv5fWF0
>>32
>この説の真偽はさておき、
私の県では、部落問題が全くありませんので、非常に参考になってます。
今までの御用学者を批判しているので、なかなか面白い説です。
>とにかく文章がわかりにくい、つまならい。
簡潔明瞭に直線的に論じるのでは無く、渦巻き状にまわりくど~く語っていますからね・・・
エピソードも挿入するので、更に拍車が掛かる文章ですね・・・
34:第3章 穢多の定義
08/10/06 21:22:13 iaAv5fWF0
2節 穢多の役務(続き)
3項 幕末を生き抜いた穢多の群像
1.『河田佳蔵獄中日記』に記録された穢多群像
今までどの歴史研究家も、『河田佳蔵獄中日記』の中に記されている徳山藩の穢多に関する記述には触れない。
武士の身分から書かれた文章であり、この史料の「穢多」に関する記述は、信憑性が非常に高い。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
2.徳山藩浜崎獄舎の穢多(屠者)
徳山藩の穢多は、「穢多役」だけでなく「非人役」をも兼ねていた為、河田は「屠人」と呼んでいる。
河田は「穢多」から様々な差し入れを受け、また配慮があった為、『河田佳蔵獄中日記』は後世に残った。
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3.徳山藩穢多による死刑執行
「俗論派」は、苦しめながら「正義派」を処刑する事を命令したが、「穢多」は拒み、なるべく苦しめずに執行した。
後に「俗論派」は「正義派」によって、犯罪として糾弾を受けが、「穢多」については言及が無かった。
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35:名無しさん@お腹いっぱい。
08/10/06 21:33:14 MNMf07/30
読み飛ばしてる奴が大半だろうが俺は勉強させてもらっている
これからもこのスレ頑張ってほしい
36:吉田無学
08/10/07 21:07:09 uR4VdzOg0
>>35
ありがとうございます。やっと序説の15%位です・・・
御意見や御指摘がありましたら、宜しく御願い致します。
37:第3章 穢多の定義
08/10/07 21:09:16 uR4VdzOg0
2節 穢多の役務(続き)
3項 幕末を生き抜いた穢多の群像(続き)
4.穢多に関する6つの命題
①穢多は非常民である。
②「部落学」についての定義(長文のため省略)。
③「けがれ」は、二重定義された概念である。
④穢多の身分は、役務と家職によって構成される。
⑤穢多の在所によって、穢多を規定することはできない。
⑥穢多の役務の目的は、法の執行である。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
5.維新団と上関茶筅隊
高杉晋作は、「穢多(茶筅・宮番)」を徴兵し、「維新団」「山代茶筅隊」「一心隊」を結成させた。
しかし、歴史学者は「賤民史観と愚民論」により、事実に著しく反した「部落民軍隊の歴史」を作り上げた。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
38:第3章 穢多の定義
08/10/08 21:03:21 KvRm434n0
2節 穢多の役務(続き)
4項 穢多の役務と家職
1.筆者・吉田向学と部落差別
筆者は、キリスト系団体の同和問題担当委員を2期8年務めたが、様々なしがらみがあった。
『部落学序説』は決して、「有閑階級」である宗教者の戯言ではない。
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2.武士と穢多の同質性
幕藩体制下の武士階級は、「穢多・非人」に対する規制と勝るとも劣らない規制がかけられていた。
また、殆どは下級武士であり、生活も「穢多」と同じ位で、内職をしなければならなかった。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
3.穢多の役務と家職
役務は、近世幕藩体制下の司法・警察の職務遂行。家職は、皮革(死牛馬処理)の権利。
その役務に対応する「家業(給付)」が無ければ、それを拒絶しても、罪にはならなかった。
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39:名無しさん@お腹いっぱい。
08/10/09 00:23:42 INVzI/phO
>>33
いや…エピソードあった方がまだわかりやすいですよ…
40:吉田無学
08/10/09 20:57:15 beBJOBmE0
>>39
結論を簡潔明瞭かつ簡単に知りたい方や、私みたいに「二行でまとめる作業」にはキツイですw
「部落学序説を一回だけ読んで、部落問題を理解する」と言う意味では、非常に良い文章だと思います。
41:第3章 穢多の定義
08/10/09 22:03:23 beBJOBmE0
3節 穢多の外延
1項 ある差別事件・・・
行政・政党・運動団体・教育機関等は、真の部落差別解消に役立っていない。
むしろ差別を助長し、「同和対策事業」「同和教育」等の名目で、巨額な税金を浪費しただけである。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
2項 穢多とは誰か
1.「穢多」・「茶筅」・「宮番」・「猿引」・「非人」
穢多・茶筅・宮番等の表現は、「アドホック(間に合わせの言葉)」として使用されていると思われる。
言葉の語源論的解釈を放棄して、近世幕藩体制下の様々なシステムを考慮する必要がある。
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2.「穏亡」・・・殺人事件を捜査する近世の私服刑事
柳瀬勁介は、加賀・備中・能登では「えた」を「おんぼ」というと指摘している。「穏亡」が登場するのは、
不審な死体が発見された場合で、「穏亡」は「隠れ捕亡(殺人事件専門)」ではないかと推定出来る。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
42:第3章 穢多の定義
08/10/09 22:05:43 beBJOBmE0
3節 穢多の外延(続き)
2項 穢多とは誰か(続き)
3.「庄屋」の目から見た「穢多」
明治4年に、「非常・民」の役を解かれたのは「穢多」の他、与力・同心や「村役人(庄屋等)」もそうであった。
新政府に再雇用されなかった者の多くは没落し、穢多村は住民構成の変化があったと推測せざるを得ない。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
4.「かわた」と「穢多」は同一概念
長州藩の「穢多」と広島藩の「かわた」は、幕末期において、極めて類似した所作をしている。
両方とも語源的な意味合いは無く、「非常・民(司法・警察)」を指す単なる記号であると断定出来る。
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5.「はちや」に関する考察
島根県・鳥取県には「鉢屋」と言う言葉があるが、「穢多」・「皮田」と同じ「非常・民(司法・警察)」である。
「鉢屋」も漢字の持っている「意味」を恣意的に解釈せず、アドホック(間に合わせの言葉)と解釈するべきである。
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43:第3章 穢多の定義
08/10/10 21:15:50 xqOH9cnf0
4節 穢多と宗教
1.「部落学」構築途上における障碍
筆者の「部落学研究」は「独白(ひとりごと)」でしかないが、歴史の真実を伝えなけらばならない。
水平運動に「穢多等」の末裔では無い方もいたが、真の「部落民」の姿を語らなければならない。
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2.宗教者と部落問題
殆どの宗教者はアリバイ作りの為に、「現場研修会」等に参加しているが、筆者は一宗教者として取り組む。
幕藩体制下の「穢多寺」は、浄土真宗の付録的存在ではなく必須の重要な機関であり、再定義が必要である。
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3.浄土真宗と穢多
浄土真宗には、「邪宗門」に対する抑圧・排除のシステム(宗教警察)があり、徳川幕府から信任された。
幕府は、全国津々浦々に「穢多(宗教警察)」を配置し、幕府が禁教したキリスト教の取締りを行った。
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5節 穢多と習俗
「鯉のぼり」の習慣の元は、「士」の身分が端午の節供に「幟(のぼり)」を立てた事が始まりであった。
「農・工・商」は「鯉のぼり」であり、「穢多」は「士」の身分と同じ様式の「無紋の幟」であった。
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44:第3章 穢多の定義
08/10/10 21:20:05 xqOH9cnf0
6節 穢多とキリシタン
1.歴史的な差別は恐れからくる(阿部謹也)
「常民(一般市民)」の「非常民(軍事・警察)」に対する視点には、「恐怖」と「敬う気持ち」が絡み合っている。
その「恐怖」とは、「治安維持法」や、それよりも過酷で残虐であった徳川幕府の「キリシタン弾圧」である。
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2.部落史研究とキリシタン弾圧
「穢多」制度確立の時期は、キリシタン弾圧の頂点たる島原の乱の前後で、既存の研究者の共通見解である。
しかし、キリシタンとその類族が「身分外身分」であり、取り締る側の「穢多」では無い事を指摘していない。
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3.穢多とキリシタン
真宗が広まった地域ではキリスト教の布教が進まず、それを確認した幕府は真宗と密約を結んだ。
多くの部落史研究者は何故か、「穢多(宗教警察)」が「キリシタン」を厳しく糾弾した歴史を無視している。
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45:第3章 穢多の定義
08/10/11 21:21:14 PZ4dyimh0
6節 穢多とキリシタン(続き)
4.近世宗教警察としての「穢多」
将軍直属の「奉行」は、「寺社奉行」ただひとつであり、その職務の主要な内容に、「キリスト教対策」があった。
また幕藩体制の社会病理現象として、浪人・キリシタン問題があり、「取締り」は、すべての「穢多」に課せられた。
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5.幕府とキリシタン弾圧
「穢多」の宗教警察を含む司法・警察機能がより強化されるのが、「元禄・享保年間」(18世紀前半)である。
歴史学者は、その間の「正徳」年間を意図的に外し、「穢多」に対する「管理強化」を「差別強化」とした。
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6.『西洋紀聞』・長助とはるの物語
幕府はキリシタンの糾弾・処刑を、非公開にする様になった。しかし、「正徳」年間に、宣教師シロウテ事件が起こる。
幕府は、キリシタン弾圧の必要性を再確認し、キリシタン糾弾の機関として「穢多(宗教警察)」制度を、再整備していった。
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46:第3章 穢多の定義
08/10/11 21:27:47 PZ4dyimh0
7節 穢多と遊女
1.周防国・室積の遊女の碑
光市室積には遊廓があった。地元のおばあさんの話では、他の遊廓と違って、室積の遊廓は、遊女に子供を産ませて、
その子供にも遊女をさせていた。また遊廓跡の近くは、「穢多」の在所であったと言う。
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2.近世幕藩体制下の遊女
「遊女」の社会的な身分は「百姓」であり、「穢多」は当時の風俗(遊女)を取締まる立場にあった。
しかし、部落史研究者は、この「穢多」と「遊女」を「賤民」という同一概念で把握しようとする。
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3.賎民史観から見た遊女
上杉聡の「賤民史観」によると、明治以降は部落の女性が、娼妓等に売られる事がよくあった。
しかし、それ以前は「遊女」の方が「穢多」よりも身分が上の為、それはありえないと言う。
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47:第3章 穢多の定義
08/10/11 21:29:41 PZ4dyimh0
7節 穢多と遊女(続き)
4.上杉聡の遊女観
上杉聡は、「娼妓解放令」に関心を持ち、明治4年8月の太政官布告を「賤民解放令」と名付けた。
上杉の主張は、精神的似非同和行為であるが、多くの歴史学者や研究者に受け入れられていった。
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5.穢多(非常民)と遊女(常民)
徳山藩では、遊女にするための人身売買が禁止されていた。穢多の娘を遊女にする事を禁止したのは、
「穢多」は遊郭を取締る立場であったからであり、決して「賤民史観」的な身分上の問題では無かった。
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48:第3章 穢多の定義
08/10/11 21:32:45 PZ4dyimh0
8節 穢多と法的逸脱
1.木綿強制は差別にあらず
「穢多・非人」に「木綿」を強制することは、「服装等に対する厳しい差別」では決してない。
徳山藩の「家中諸法度定」の、「諸士は平素綿服を着用すること・・・」と同じ規律である。
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2.近世法と穢多
今日、通説という「歪んだ形」で、古き時代の政治・文化の美風は、否定・歪曲・萎縮されてきた。
司法・警察であった同心・目明し・穢多・非人も、部落史の「通説」で、事実とは異なるものになった。
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3.穢多と法的逸脱
「穢多・非人」に対する御仕置きは、「刑罰」であって決して「差別」ではない。「御仕置き」事例が少ないのは、
「穢多(司法・警察)」が犯罪を犯して入牢された場合、牢名主(犯罪者)による残酷な処遇が待っていたからである。
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4.法の番人としての穢多
最近の部落研究はどちらかいうと、「政治起源説(役務)」から「文化起源説(家職)」に移行していくような傾向がある。
「穢多・非人」が「穢多・非人」であるのは、その「家職(皮革)」というより、その「役務(司法・警察)」にある。
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49:第3章 穢多の定義
08/10/11 21:35:39 PZ4dyimh0
9節 誤解された渋染一揆
1.「素人考え」による批判
「賤民史観」による百姓一揆にまつわるその姿は、愚民が突発的に発生させた無計画なものばかりである。
しかし、民衆運動の研究家によると、「組織性」と「規律性」の下で実施され、計画的なものであった。
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2.渋染一揆の指導者の実像
柴田一著『渋染一揆論』によると、一揆を指導した弥一と友吉は、学問を教授出来る知識人であった。
しかし、既存の研究家からは、「全く非常識で、部落史というものが全くわかっていないと」酷評された。
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3.渋染一揆の時代的背景
既存の研究家は、「渋染・藍染」の「色」の問題を強調する。「荊冠旗」の「色」にも意味があり、その意味は、
キリシタン弾圧に貢献してきた「穢多」が、明治政府に身分外身分、社会外社会に落とされた事だと推測する。
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4.渋染一揆(穢多が穢多であるための闘い)
「渋染一揆」は、決して「部落差別に対する抵抗運動」ではない。「渋染・藍染」は、警察官だと一目で解る為、
「穢多」の職務、犯人の探索・捕亡・糾弾に際して、職務遂行の妨げになるので、撤回してほしいと訴えたに過ぎない。
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50:第3章 穢多の定義
08/10/11 22:10:35 PZ4dyimh0
9節 誤解された渋染一揆(続き)
5.真の人生、真の学問を求めて、部落学序説第1~3章結び
「真の学問と偽りの学問との相違を、あなたはご存知でしょうか? 真の学問は自らの歴史を認めて受け入いれる・・・」
by ミシェル・フーコー
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※次レスから「第4章太政官布告批判」になります。
第4章の公開は、かなり批判を浴び、紆余曲折があったそうです。
51:名無しさん@お腹いっぱい。
08/10/14 00:05:05 qC8aZtbDO
筆者はかなり偏った思想の持ち主のようで。
信憑性に欠けますな。
52:名無しさん@お腹いっぱい。
08/10/14 00:29:36 P9JHN9jBO
もっこすの妄想より論理的なんじゃないかい。
53:吉田無学
08/10/15 21:12:38 d2AtHQGG0
>>51-52
キリスト教徒としての視点ですので、かなり異色ですね。
「宗教警察」と言う発想も、既存の歴史家では思いつかないと思います。
54:第4章太政官布告批判
08/10/15 21:13:59 d2AtHQGG0
1節 部落とは何か
1項 「村」と「部落」
「部落」という言葉が「村の一部」等の意味よりも、「被差別部落」の意味だと強調されてきた。
それは「賤民史観」によって色付けされたものであり、汚された色を洗い落とさなければならない。
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2項 「村」と「部落」と古老
既存の歴史学者は、「古老」の語る伝承に耳を傾けるが、「作り話(虚構)」として切り捨てている場合が多々ある。
「賤民史観」と「愚民論」で、根拠を提示することなく、「推測」を読者に押しつけている。
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55:第4章太政官布告批判
08/10/16 21:07:47 SxdIxVdD0
3項 「村」、近世から近代へ
1.村境の変貌
近世幕藩体制下の「村境」は、二重定義の概念で、「点」でもあり、「線」でもあった。
「村境」を守る「穢多」は、新政府によって排除されたが、「心意的な村境」として残った。
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2.近世の「村」から近代の「部落」へ
近代日本は、古い「むら」を破壊しつつ、明治政府による神道中心の「むら」を構築していった。その中で、
浄土真宗中心の「むら」は、特殊な、例外的な一面をもった「部落」とみなされるようになったと推測する。
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56:第4章太政官布告批判
08/10/17 21:08:02 GoPo1Esb0
4項 翻訳語「部落」-法制用語
1.「部落」概念の普及は明治20年以降
法制用語、行政用語、学術用語としての「部落」概念の登場は、明治20年以降の事である。明治4年に「部落解放令」
と言うような概念は、存在する可能性すらなく、新しい理念として、明治政府によってつくられたものである。
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2.部落史研究上の禁忌(タブー)
近世幕藩体制下で、「切支丹」や「日蓮宗不受不施派」は、宗教警察である「穢多」に「差別(糾弾)」されてきた。
しかし、既存の御用学者はこの事実を完全に隠蔽し、明治4年の通称「解放令」から筆を起こしている。
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3.「部落」概念の賎民史観的用法
「部落」という言葉・概念の起源を、著名な部落史研究家から調べるが、明治以降における歴史的な変遷を避けて通ろうとしている。
しかも、歴史学者や教育者が、恣意的に解釈して、「部落」概念に対して限りなく拡大解釈をして、焦点をぼかしていく。
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57:第4章太政官布告批判
08/10/20 20:45:36 Bd8MOU860
4項 翻訳語「部落」-法制用語(続き)
4.独語「ゲマインデ」の訳語としての「部落」概念
「ゲマインデ」の訳語「部落」はアドホックである。明治政府の近代化政策によって、「移転が自由」になり、
近世幕藩体制下の「●(点)」としての村境も、「-(線)」としての村境も、すべて破棄されていった。
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5.明治天皇制下の基本的共同体としての「部落」
ドイツ語の「ゲマインデ」=市町村+キリスト教会。日本語の「部落」=市町村+神社。明治政府は、
ドイツの地方自治制度に擬し、神道国教化の方針を徹底的に貫こうとしたのではないかと推測する。
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58:第4章太政官布告批判
08/10/22 20:47:15 OjaglWzN0
2節 穢多談議
1.「穢多非人」再考
江戸時代の「番人」である「衞手」を、和語としてではなく漢語として発音すると「エタ」になる。
また、近世幕藩体制下の「穢多」の関係した「屠」には、「殺」の意味は含まれていない。
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2.明治2年公議所と「国辱」談議
『明治維新と部落解放令(石尾芳久)』に興味深い記述がある。坂本龍馬は、近世幕藩体制下の「賤民」として、「穢多・非人」ではなく、
「キリシタン」をあげている。「公議所」で談議された、「穢多」に関する議題は、岩倉具視の「皇国ノ大恥辱」に関係している。
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3.現代人が失った明治の「国辱」感覚
ある人々の利権を擁護するために、ある人々の利権を剥奪する。現代では「日米地位協定」で、在日米軍の治外法権は「国辱」である。
不平等条約の治外法権よりも更に大きな「国辱」。加藤弘蔵は、それを「非人穢多」であると言い、「穢多非人」とは言っていない。
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59:第4章太政官布告批判
08/10/23 21:15:31 ozzMG7020
2節 穢多談議(続き)
4.加藤弘蔵「非人穢多御廃止ノ議」
明治2年公議所の議案、「非人穢多御廃止ノ議」の文章中の字句にも、「賤民」ないし「賤民」を想定させる表現は無い。
「賤民」概念の無い時代に、「賤民解放論」とすることは困難であり、あくまでも「非人穢多ノ称被廃止」のみを強調している。
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5.雑想
「被差別部落出身者にしか部落差別問題はわからない・・・」というのは、被差別部落の側の抱く、単なる幻想に過ぎない。
被差別部落出身者だからこそ、見えなくなっている、理解することができなくなっている現実も存在する。
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6.明治2年公議所の体質
公議所は、議論する場所であって、裁決する場所ではない。加藤弘蔵が「非人穢多」という表現を使用したのは、「拷問制度」と
「宗教弾圧」に直接か関わりがあったのは、「非人役穢多」であり、不平等条約撤廃の一番の障害であった為である。
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60:第4章太政官布告批判
08/10/24 21:03:31 tEuBOG0L0
3節 拷問制度とキリシタン弾圧
1項 明治新政府に対する外圧
欧米諸国は、前近代的な「拷問制度」の廃止を求めたが、明治新政府は要求を否定する形での施策を展開した。
諸外国が優秀であると認めた、近世幕藩体制下の「警察」組織を解体し、「拷問制度」は維持・継承を画策した。
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2項 拷問
不平等条約である「治外法権」は、欧米の諸外国が自国民を、日本の「拷問制度」からその身を守るためのもの。
明治新政府は、前近代的な「拷問制度」を破棄しなかった為、「治外法権撤廃」は挫折し、失敗に帰した。
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3項 草莽と穢多
「草莽」による外国人暗殺は、日本の固有の「法」に基づく処置ではなく、「法」を逸脱した犯罪の様相を呈していた。
「拷問」・「草莽」に対して明治政府は、旧警察制度の解体とその責任の追究・処罰・対策をはじめた。
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61:第4章太政官布告批判
08/10/27 21:15:50 vzLM5UGa0
3節 拷問制度とキリシタン弾圧(続き)
4項 見落とされた史料
1.『京都府下人民告諭大意』の中の番人
この文書は、「明治初年、天皇支配の正統性を説く告諭書」である。この文章に出てくる「番人」とは「穢多・非人」である。
明治新政府は当初、穢多・非人を「非常民」としてそのまま継承させようとし、その政治的な意図を反映しているように思われる。
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2.被差別部落と天皇制
被差別部落の人々の天皇制に対する「追慕」の念は、太政官布告では無く、『京都府下人民告諭大意』に由来すると思われる。
しかし、明治新政府は、近世幕藩体制下の司法・警察である「番人」を、継承から廃棄へと流れを大きく変えていった。
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3.『京都府下人民告諭大意(第2編)』-王政復古から欧化政策へ
明治新政府は、「武士」を寛大に処遇し、体制の中に取り込んだが、「同心・目明し・穢多・非人」「村役人」に対しては、
太政官布告第61号によって、スケープゴート(身代わりの犠牲)として、「草莽」の名を押しつけ排除していった。
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62:第4章太政官布告批判
08/10/28 21:00:41 Wl9MFXVM0
3節 拷問制度とキリシタン弾圧(続き)
5項 明治新政府による穢多排除の背景
「公議所」書記・大岡玄蔵によって、近世幕藩体制下の司法・警察であった「穢多」制度の解体に向けた議案が提出された。
それは、藩士身分であった「草莽」を限りなく救済し、「穢多」にその責任を転嫁する政策の走りだったと思われる。
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6項 殺生与奪の権
「穢多」に「殺生与奪の権(裁判権)」は無く、「穢多頭から裁判権を奪うべきとする議案」は、明治政府による「捏造」と思われる。
明治政府は、キリシタン弾圧問題を「穢多」に責任転嫁したが、この策略はほころび始め、治外法権の撤廃には至らなかった。
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63:第4章太政官布告批判
08/10/29 21:04:39 1EBzYP260
3節 拷問制度とキリシタン弾圧(続き)
7項 キリシタン弾圧問題
1.明治初期の司法制度とキリシタン弾圧
明治新政府の国辱としての「治外法権」の早期撤廃の足枷になった要因は、①拷問制度、②キリシタン弾圧、であった。
キリシタン弾圧問題は、国内問題ではなく外交問題でもあり、その解明には諸外国の外交文書等の検証が必要である。
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2.キリシタン弾圧、真宗の関与、外交問題へ発展
諸外国からのキリシタン弾圧の批判を、明治新政府は詭弁で切り抜けようとするが失敗し、キリスト教と真宗の軋轢を生む。
明治新政府は役人としての「穢多」をリストラし、スケープゴートにする事によって、部落差別のるつぼに追いやっていった。
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8項 キリシタン弾圧問題をめぐる外交の一断面
キリスト教を事実上弾圧する明治新政府が、キリスト教国の欧米列強に対して、不平等条約の改正をさせる事は不可能であった。
明治4年の「太政官布告第61号」は、「穢多」の「賤民身分解放」ではなく、「平民」としての「身分格下げ」であった。
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64:第4章太政官布告批判
08/10/30 20:55:01 O9silzhE0
4節 明治4年太政官布告第61号
1項 太政官布告の研究方法
既存の御用学者は、「明治4年太政官布告第61号」という表現は間違いで、「賤民解放令」等が正しい表現と喧伝する。
しかし、臼井壽光の指摘の様に、「地方文書」の批判・検証に基づく、「地方文書」そのものの正当な解釈も必要となる。
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2項 太政官布告の釈義
1.太政官布告(第488号と第489号)
第488号・489号と、二つの条文を出したのには、それなりの理由があったと想定される。しかし、既存の御用学者は、
なぜ二つにしたのか?と言う疑問を持たずに、一つのものと解釈をしたため、諸説入り乱れた混乱状態の説ばかりである。
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2.「穢多非人等」
第488号・第489号と、第61号の三つは、総合的に解釈をする必要がある。「穢多非人等」の解釈もあいまいであり、
被差別の対象を拡大してきた。通説・一般説を覆す可能性もあるが、明治政府の官僚の残した記録も検証する必要がある。
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3.「等」の意味
明治4年3月に出された「斃牛馬等勝手処置の布達」が、実質上の「穢多・非人」身分廃止の布告であり、「身分解放令」である。
同8月の布告は、その確認のための二次的法令で、「穢多非人等ノ称被廃候条」は、「斃牛馬等勝手処置の布達」の事である。
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65::第4章太政官布告批判
08/11/04 20:54:11 466ttuim0
4節 明治4年太政官布告第61号(続き)
2項 太政官布告の釈義(続き)
4.「穢多非人等ノ称被廃候条」
明治政府による、身分制度からの「解放」や「統廃合」は全ての身分に対して行われた。その中で「穢多・非人」は非常に数が多く、
『明治天皇紀』によると、「全国に穢多280,311人・非人23,480人・皮作等の雑種7,997人にして、総計382,888人」と記されている。
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5.「身分職業共平民同様」
太政官布告の「身分・職業」は「役務・家業」の事であるが、現在でも、教育者が間違った歴史認識のもとに、起源説の見直し、
教材内容の見直しを図ろうとしている。それは、「役務(司法・警察)」を黙殺し、「家業(皮革等)」のみに重点を置く事である。
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6.「身分・・・平民同様」
近代天皇制国家は、「新」身分制度を新たに構築することで、「旧」身分制度に劣らないより強固な身分制社会を作りあげていった。
しかし実際は、「拷問」・「法制度」温存させるため、司法・警察の本体である「穢多・非人」制度を、影で温存させていった。
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66::第4章太政官布告批判
08/11/05 21:03:17 /ZfVM/sR0
4節 明治4年太政官布告第61号(続き)
2項 太政官布告の釈義(続き)
7.「職業・・・平民同様」
「穢多」が監視していた「廿八職」の職人すべてが、「穢多・穢多の類」ではない。東京府の史料によると、「一般の廿八職」と、
「弾直樹支配の廿八職」を別様に扱っている。「検校・勾当」も特権を廃止されたが、御用学者は関心を全く持っていない。
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8.「一般民籍ニ編入・・・」
明治政府は戸籍作成を急いだが、人民から税を徴集するためだけでなく、治安維持の極めて有効な手段として編纂された。
治安維持のため「旧穢多」も、「奸兇」となった「兵士」・「浮浪」・「奸民」の探索・捕亡・糾弾に動員されていった。
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9.「地租其外除蠲ノ仕来・・・」
「士族」身分のほとんどは、「リストラ」に伴う零落と貧困に苛まれていったが、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」と自制した。
明治の「士族」対「新平民」は、近世の「浪人」対「穢多非人」の図式で受け止められていた可能性がある。
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67:第4章太政官布告批判
08/11/06 20:59:32 47WjhHCY0
4節 明治4年太政官布告第61号(続き)
5節 戸籍と国家神道
1項 宗教としての神道
「神道の祈り」は「仏教の念仏」より、「キリスト教の祈り」に近い。しかし、キリスト教と神道では「罪」の許し方が異なり、
キリスト教は「贖罪」を説くが、神道は「贖罪」はともなわず、「罪の忘却」という形で実現される。
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2項 「壬申戸籍」に関する一考察
1.壬申戸籍の目的
既存の学者は、「戸籍と宗教」・「戸籍と寺社」の関係を明確にしてこなかった。「壬申戸籍」施行の目的は、①治安対策、
②租税賦課の徹底、③近世のキリスト教禁圧政策の継承、を目的にしたもので、近世と近代の両時代の政治意図が反映されている。
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2.壬申戸籍の記載事項
「族称欄」の身分記載は、必要不可欠であり、刑法典である「新律綱領」と「改定律令」が、身分に応じた刑罰を課した為である。
「司法・警察(穢多)」が一般人の刑罰より重いのは、差別ではなく、職権の乱用があった場合は、厳しく罰すると言う事である。
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68:第4章太政官布告批判
08/11/10 20:36:30 kVCY0W/00
5節 戸籍と国家神道(続き)
2項 「壬申戸籍」に関する一考察(続き)
3.壬申戸籍による「穢多非人」の識別
「壬申戸籍」は、近世幕藩体制下の「宗門改帳」の近代における継承でもある。「新平民」記載や記号による識別は、
極めて例外的で、「宗門改帳」の記載事項が転記された箇所(先祖が所属していた寺院名・神社名)を見れば分かる。
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4.壬申戸籍と神社
宗教記載欄を見ると、身分を示唆する「寺」と、明治になってから新たに組み込まれた「神社」の両方を確認することができる。
明治新政府は、「宗門改め」に代えて、「氏子改め」を採用したが、欧米諸外国から批判され、あまり時を経ないで撤回した。
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3項 『部落学序説』今後の展望
部落史研究家のいう「解放令反対一揆」は、「元穢多非人」に向けられたものではなく、「明治新政府」に向けられていた。
「太政官布告」が地方行政でどのように受け止められ、「元百姓」による「解放令反対一揆」に発展していったかを明らかにする。
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69:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/12 23:57:25 3gN9A+pH0
弾左衛門
(だんざえもん)
江戸に本拠をおいた〈穢多頭(えたがしら)(長吏頭(ちようりがしら))〉で,関八州と伊豆の全域,および甲斐,駿河,陸奥の一部の被差別部落を統轄するとともに,
触頭(ふれがしら)として全国の被差別部落に号令する権限を幕府からゆだねられていた。歴代この名を襲名し,幕末・維新期の第13代弾左衛門(弾内記(ないき),直樹(なおき))にいたって旧来の地位・権益を失った。
弾左衛門家の,江戸時代以前における沿革については,ほとんどわかっていない。
《弾左衛門由緒書(ゆいしよがき)》は,遠く治承4年(1180)9月に〈鎌倉長吏藤原弾左衛門〉という者が源頼朝から朱印状を受け,
長吏や非人をはじめとする28種の諸職の上に弾左衛門が立って彼らを統轄する権限を認められたのが始まりであると伝えており,
また足利家から〈関八州長吏頭〉に任命されたとも称するが,いずれも確証がなく,その取扱いには慎重を要する。
弾左衛門の住所は,当初は江戸城に近い日本橋かいわいに定められたが,やがて浅草に移されて,新町(しんまち)を〈囲い内(かこいうち)〉とし,大規模な屋敷構えを許されて〈弾左衛門役所〉と呼ばれた。
将軍家の威光を背にしながら,江戸はもとよりのこと関東諸地域の被差別部落の掌握に努め,1722年(享保7)には江戸で非人統轄の任に当たっていた〈非人頭〉を配下に組み入れるのに成功。
これにより,弾左衛門の支配圏は大幅に拡張されたとみられる。
以降,主として行刑・皮剥(かわはぎ)(皮革生産)を生業とする人々を中核とした被差別部落の上に屹立(きつりつ)して,
その強大な実権と確固たる管理統制機構とにより幕府の人民支配を根底から支える任務を負い続けた末に,幕末の激動期を迎えた。
70:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/12 23:59:27 3gN9A+pH0
幕末・維新期に,一族・配下の命運を双肩にになった第13代弾左衛門は,遠縁で摂津住吉郡の長吏であった利左衛門(りざえもん)の長男として生まれ,小太郎といったが,
若くして病臥の身となっていた第12代(名は譲・周司)の養嗣子に迎えとられて同家を継いだ。その後は歴代と同様に幕府に忠節を尽くし,第2次長州征伐(1866)に際しては,
幕命を奉じて500余名の配下を軍夫として大坂に急派したのみならず,みずからも独断で摂津の被差別部落におもむいて〈鉄砲組百人〉の編成と幕府軍への提供を勧めたりもしたほどであった。
しかしながら,過酷な身分的差別に対する被差別部落住民の不満は,すでに集中的に高まってきており,幕府・諸藩の意に反する行動に出る人々も目だっていたし,
そのうえ,〈えた・非人〉の人数や実力に着眼して特別の軍隊を編成する藩(長州藩)や,江戸市中の攪乱工作に利用しようとして弾左衛門に誘いをかける藩(薩摩藩)など,倒幕をめざす諸藩の動きもみられたから,
幕府としても弾左衛門の志向に神経を立てざるをえなくなった。弾左衛門はみずからの身分呼称の〈えた〉を〈醜名〉とみて深く恥じており,その除去,すなわち身分の格上げを願ってやまなかったから,
将軍家侍医松本良順をつうじて〈醜名除去〉を請願するにいたった。この件は政情多端のなかで一時紛れはしたが,大政奉還・王政復古(1867)のあとに起こった鳥羽・伏見の戦(1868年1月)の直後,
第15代将軍徳川慶喜の命により,長州征伐での功績を理由にしてようやく実現し,〈えた〉身分から〈平人(へいじん)(平民)〉身分に転じ,
あわせて弾内記(のち直樹)と改名することも許されて〈海陸軍付病院御用〉を申し付けられ,医学所頭取の松本良順の配下に入れられた。内記はすぐに〈譜代手下(ふだいてか)〉65名についても格上げを請願し,認可された。
71:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/13 00:00:36 QAk6iWRF0
また彼はこの件に関連して幕府に建白書を上呈,そのなかで,積年の差別を〈数百年の流弊(因習による弊害)である〉と断じ,〈天地の間に生をうけた人種(人間)にかわりないにもかかわらず,
人倫の交わりも成り立たぬとは,まことに*かわしい極(きわ)みである〉と述べて,配下にあったすべての〈賤〉,および直接管轄外にあった西日本各地の天領(幕府直轄領)・譜代大名領内の〈賤〉の身分格上げを強く要望した。
だが,これの実現は,維新政府による1871年(明治4)の〈解放令〉をまたねばならなかったのである。
明治に入ってからは名を直樹とし,文明開化の風潮のなかで皮革・洋靴製造工場の設立・経営に一族とともに取り組んで苦闘したが,資本家の積極的な進出に圧倒され,大日本帝国憲法公布の89年に没した。 横井 清
72:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/13 00:11:53 QAk6iWRF0
餌取
えとり
奈良時代から戦国時代にかけて、鷹狩(たかがり)に使う鷹や猟犬、屯倉(みやけ)の番犬などの餌(えさ)にするため牛馬をほふって肉を採取して上納したり、皮革、肉を商ったりした人々をいう。
律令(りつりょう)制では兵部省主鷹司(ひょうぶしょうしゅようし)の末端に属して任務に従事したが、律令制の解体につれて官を離れ、賤視(せんし)を受けつつも広く民間で活動して、その技術を後世に伝えた。
「恵止利(えとり)」「穢取(えとり)」とも表記されたが、正しくは「餌取」である。なお、江戸時代の被差別民の呼称であった「えた」の語源を、「えとり」に求める説が有力である。〈横井 清〉
73:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/13 05:07:31 QAk6iWRF0
えた
江戸時代の身分制度において賤民身分として位置づけられた人々に対する身分呼称の一種であり,幕府の身分統制策の強化によって17世紀後半から18世紀にかけて全国にわたり統一的に普及した蔑称である。
1871年(明治4)8月28日,明治新政府は〈太政官布告〉を発して,〈非人(ひにん)〉の呼称とともにこの呼称も廃止した。
しかし,被差別部落への根強い偏見,きびしい差別は残存しつづけたために,現代にいたるもなお被差別部落の出身者に対する蔑称として脈々たる生命を保ち,差別の温存・助長に重要な役割をになっている。
漢字では〈穢多〉と表記されるが,これは江戸幕府・諸藩が公式に適用したために普及したものである。ただ,〈えた〉の語,ならびに〈穢多〉の表記の例は江戸時代以前,中世をつうじて各種の文献にすでにみうけられた。
〈えた〉の語の初見資料としては,鎌倉時代中期の文永~弘安年間(1264‐88)に成立したとみられる辞書《塵袋(ちりぶくろ)》の記事が名高い。
それによると〈一,キヨメヲエタト云フハ何ナル詞バ(ことば)ゾ 穢多〉とあり,おもに清掃を任務・生業とした人々である〈キヨメ〉が〈エタ〉と称されていたことがわかる。
また,ここでは〈エタ=穢多〉とするのが当時の社会通念であったかのような表現になっていたので,特別の疑問ももたれなかったが,末尾の〈穢多〉の2字は後世の筆による補記かとみられるふしもあるので,
この点についてはなお慎重な検討がのぞましい。〈えた〉が明確に〈穢多〉と表記された初見資料は,鎌倉時代末期の永仁年間(1293‐99)の成立とみられる絵巻物《天狗草紙》の伝三井寺巻第5段の詞書(ことばがき)と
図中の書込み文であり,〈穢多〉〈穢多童〉の表記がみえている。これ以降,中世をつうじて〈えた〉〈えんた〉〈えった〉等の語が各種の文献にしきりにあらわれ,これに〈穢多〉の漢字が充当されるのが一般的になった。
74:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/13 05:08:32 QAk6iWRF0
この〈えた〉の語そのものは,ごく初期には都とその周辺地域において流布していたと推察され,また〈穢多〉の表記も都の公家や僧侶の社会で考案されたのではないかと思われるが,
両者がしだいに世間に広まっていった歴史的事情をふまえて江戸幕府は新たな賤民身分の確立のために両者を公式に採択・適用し,各種賤民身分の中心部分にすえた人々の呼称としたのであろう。〈えた〉の語源は明確ではない。
前出の《塵袋》では,鷹や猟犬の餌肉の採取・確保に従事した〈餌取(えとり)〉の称が転訛し略称されたと説いているので,これがほぼ定説となってきたが,民俗学・国語学からの異見・批判もあり,なお検討の余地をのこしている。
文献上はじめてその存在が確認される鎌倉時代中・末期に,〈えた〉がすでに屠殺を主たる生業としたために仏教的な不浄の観念でみられていたのはきわめて重要である。
しかし,ずっと以前から一貫して同様にみられていたと断ずるのは早計であり,日本における生業(職業)観の歴史的変遷をたどりなおすなかで客観的に確認さるべき問題である。
ただし,〈えた〉の語に〈穢多〉の漢字が充当されたこと,その表記がしだいに流布していったことは,〈えた〉が従事した仕事の内容・性質を賤視する見方をきわだたせたのみならず,
〈えた〉自身を穢れ多きものとする深刻な偏見を助長し,差別の固定化に少なからず働いたと考えられる。⇒被差別部落 横井 清
75:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/13 07:38:12 QAk6iWRF0
URLリンク(209.85.175.104)
ここに、弾左衛門に関する、松本良順の日記がありますね。
しかし、不思議ですねw
何で、エタという位を作ったんでしょーね?w
76:吉田無学
08/11/17 20:44:06 mqUB0IB70
>あっくん ◆f8mGMyyZGI氏
レスありがとうございます。吉田向学氏は、検非違使制度の名残りと言っております。
日本の為政者は、全てのものを破壊し、新しくする様な「革命」はしませんでした。
利用出来るものは利用し、利用したくないものは新しく構築しています。
吉田向学氏の説を全て肯定しておりませんが、今までの御用学者の説はおかしいと思います。
77:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/18 08:45:23 s5Ai1kfY0
>日本の為政者は、全てのものを破壊し、新しくする様な「革命」はしませんでした。
>利用出来るものは利用し、利用したくないものは新しく構築しています。
これは僕も同意です。
・日本は狭い島国だから、昔の価値観が簡単に共有出来た。
・為政者は、物的な頂点に立ちたくて、新しい権力者、暴力頂点者になるのだから、社会的序列などはどうでもいい。新しい価値観を作るよりなるだけ古い価値観を利用した方が便利でリーズナブル。
・で、天皇さまは高貴な人、エタは下劣な人間、という社会的序列を継承して明治まできちゃった
と、そんな風に思います。
78:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/18 08:57:25 s5Ai1kfY0
つまり、天皇さまもエタも百姓も実はみな同じ人間と。
そんなのは誰も知ってるとw
でも、前権力者時代に存在してた『天皇>武士>百姓>エタ』というヒエラルキーを崩す理由はないとw
そんなつまらん事をするより自分は穏便に日本を武力統治したいと、いう気持なのでしょう。
これはマッカーサーもそうだったと思いますw
アメリカが、日本人という土人を統治するのに天皇は利用価値があると、つまらん事で波風を立たせない方が得策と。
そんな理由で天皇制を存続させたのだと思います。
79:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/19 01:26:31 xaWfln1I0
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
>筆者が所属している教団の同和担当部門のトップは、筆者に、「天皇制問題に触れないなら、運動に参加することを許してもいい。
これ、面白いですね。
現在の日本で天皇制に批判的な態度をとると、自分たちの教団の存続があやうくなる、と考えているのでしょうか?
80:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/19 08:56:08 sSjeebqbO
よく目にする「エトリ→エタ」説なんだが、どうしたらエトリがエタに変化するのか説明してよ。
81:吉田無学
08/11/19 22:22:47 t1ZX+LoJ0
やべ!要訳をサボり杉www
>>あっくん ◆f8mGMyyZGI氏
>これはマッカーサーもそうだったと思いますw
でしょうね。日本は千五百年以上も、日本式立憲君主制で保っていた国ですからね。
織田信長ですら、天皇家を排除せず、寧ろ征夷大将軍任命の準備をしていましたw
マッカーサーは優れた軍人であり、政治的なセンスもあった事の証明になります。
>現在の日本で天皇制に批判的な態度をとると、自分たちの教団の存続があやうくなる、と考えているのでしょうか?
その通りだと思います。
実は、私の死んだ親父がクリスチャンでw普通の方よりはキリスト教の御都合主義を知っていますwww
キリスト教では、「死者は必ず蘇るので、死体は土葬!火葬は厳禁!」となっていますが、日本の風土・慣習に合わせ、
火葬がおkとなっていますwww
>>80
>よく目にする「エトリ→エタ」説なんだが、どうしたらエトリがエタに変化するのか説明してよ。
私は吉田向学氏の説、「検非違使制度の名残り→衛り手(まもりて)→衛手(えた)→穢多」に納得しています。
猿を「エテ公」と言うのは、「去る」では縁起が悪いため「得る」からで、イカの「スルメ→あたりめ」と同じ。
と言われていますが、私のトンデモ説はw
「猿引き」は「穢多(衛手)」でしたので、「エテ公」になったのかな?と推理していますwww
82:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/20 09:39:19 ib53llZ00
俺の推理、妄想は、
・端末の権力者はエタ。 なぜ、トップの権力者が端末の権力者をエタなどと侮蔑的な言葉で呼んだかはナゾ
・権力者=暴力者、に農民は管理、搾取、されていた
・権力者は選挙で選ばれたのではないw
・管理され、搾取される農民が権力者に反感を持つのは当然のこと
・しかし、農民にとって目に見える権力者はエタ
・エタが農民を管理、監視していた
・だから江戸期の農民の憎しみの矛先はエタに向かった
・しかし、エタは権力者側の人間なので農民にはどうすることも出来ない、されるがまま
ところが、
★明治期になり、エタは権力者ではなくなった
★そこで今までの農民の怨みが過激なエタ差別へと爆発した
83:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/22 01:14:48 Y7OVTFOn0
つーか、
部落解放同盟系の学者はなぜ明治より前のエタ研究をしないんだっ!
と、吉田向学さんは吠えてるけど、
江戸期のエタは農民をイジメてた末端の役人だったから、その事実を掘り返すと具合が悪いんじゃないの?w
84:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/22 03:39:19 QRMTszB30
餌取 → 穢取(権利) → 穢多
は考えられないだろうか?
85:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/22 03:44:13 QRMTszB30
>>84はもちろん幕府側からの目線で
特定の家職の者達に役を与えたという視点からも自然かと思いますが
86:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/22 05:17:28 Y7OVTFOn0
>>84
言葉の成り立ちなんて、難しくて、我々シロウトでは水掛け論でしかないと思う。
で、権利ってのは動物をさばく権利でしょ。 本当は百姓だって動物をさばく権利を欲しいわけですよ。
でも、権力者はそれを百姓から取り上げ、端末の役人のエタに与えた。
と俺は妄想してる。
>>85
> 特定の家職の者達に役を与えたという視点からも自然かと思いますが
はい、わかります。
ただ、俺がわからないのは、その役に何故『穢多』という侮蔑的な名前を付けたか?です。
一番下っ端とはいえ、自分達の為に働いてくれる役人じゃないですか。
その人達を侮蔑的な言葉で呼ぶのは、単純に損だと思うんですよね。
87:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/22 11:26:30 E8KS8DV1O
>>86
皮革利権欲しさに、百姓からエタに転職する場合もあった模様
ソースはググッてみて
「エタ」は 初めから侮蔑の言葉だった訳でもないし「穢多」は当て字だし
88:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/22 12:54:36 Y7OVTFOn0
>>87
> 皮革利権欲しさに、百姓からエタに転職する場合もあった模様
学校では職業選択の自由はなかった、と教えられた記憶があるのですが、落ちる分には可能だったのでしょうか?
> 「エタ」は 初めから侮蔑の言葉だった訳でもないし「穢多」は当て字だし
↓は百科事典からの写しです。
>>73
> 漢字では〈穢多〉と表記されるが,これは江戸幕府・諸藩が公式に適用したために普及したものである。ただ,〈えた〉の語,ならびに〈穢多〉の表記の例は江戸時代以前,中世をつうじて各種の文献にすでにみうけられた。
89:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/22 14:37:05 QRMTszB30
>>88
>職業選択の自由はなかった
簡単に認められるものでなく、かような申し出に対して新町役所から奉行所
に伺いをたてたということもある、その後の顛末はよくわからず
中世の文献にみられる穢多という呼称と近世以降の穢多という呼称の意味合いが
必ずしも同質だとは限らないとも考えられる
幕府は彼等の素性を大まかにしか把握しておらず、素性を尋ねることもしばしば
もちろん契約更新という意味合いの方が大きいのは言うまでもないことですが
90:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/22 16:31:30 E8KS8DV1O
>>88
> 学校では職業選択の自由はなかった、と教えられた記憶があるのですが、
義務教育?
士農工商エタ非人?
ぼーくらはみんな知っている
知っているから黙るんだ
ぼーくらはみんな知っている
知っているから語れない
茨冠期を日本史に照らしてみれば
透けて見えるよチ○○の陰謀
オ○○だってア○○だって人権叫び
みんなみんな貰っているんだ人権○○~♪
利権の壁
91:吉田無学
08/11/22 21:39:56 UjDZTyTp0
>>あっくん ◆f8mGMyyZGI氏&名無しの方
>>82の意見に私も殆ど同意です。
下級警察・街道守・牢番・山番・水番等での年貢免除は、相当農民にとって羨ましかったと思います。
穢多は農民から表向きは区別され(裏では差別)、穢多に管理されていた河原者が、強烈な差別を受けていたかと。
>>83
>江戸期のエタは農民をイジメてた末端の役人だったから、その事実を掘り返すと具合が悪いんじゃないの?w
具合が悪いどころか、自業自得、同和行政の金返せ!ですよw
>>84-88
言葉は変化しまくりで、難しいですよ。KY→朝日の珊瑚事件→空気読めない→漢字読めないwww
>>88-89
>職業選択の自由
農業が基本でしたから、それ以外の職業の重要が、殆ど無かったと思います。
逆に、戦国時代は足軽や僧兵の重要がありましたw
>>89
>幕府は彼等の素性を大まかにしか把握しておらず、素性を尋ねることもしばしば
>もちろん契約更新という意味合いの方が大きいのは言うまでもないことですが
私の地元の古文書に、穢多の複数の代表が徳川家に対し、皮田の権利を継続する様にお願いした物が残っています。
同対法成立時、その地域は晴れて同和地区指定を受けていますwww
92:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 06:38:14 wEja4EWD0
>>89
> >職業選択の自由はなかった
> 簡単に認められるものでなく、かような申し出に対して新町役所から奉行所
> に伺いをたてたということもある、その後の顛末はよくわからず
どうもです。
> 中世の文献にみられる穢多という呼称と近世以降の穢多という呼称の意味合いが
> 必ずしも同質だとは限らないとも考えられる
そうなんだろーけど、『穢』というのはいつの時代も否定的な漢字でしょ。
> 幕府は彼等の素性を大まかにしか把握しておらず、素性を尋ねることもしばしば
> もちろん契約更新という意味合いの方が大きいのは言うまでもないことですが
今でいえば、警官にバイトを雇う、ゴミ収集に派遣を雇う、みたいな感覚なんですかね?
93:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 06:59:56 wEja4EWD0
>>91
> >江戸期のエタは農民をイジメてた末端の役人だったから、その事実を掘り返すと具合が悪いんじゃないの?w
> 具合が悪いどころか、自業自得、同和行政の金返せ!ですよw
いや、>>82の妄想が正しいなら、
江戸期のエタは役人でもあった。
明治期のエタは役人の部分がなくなってしまった。
江戸期の農民の本来なら将軍さまにぶつけるべき権力者への怨みが、
明治期のエタに集中し、それが極度な差別につながった。
であり、
それに対し、行政がなんらかの介入をするのは正しいと思う。
94:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 07:31:07 wEja4EWD0
少数の権力者が、多数の百姓をヒツジのごとく、管理、搾取していた。
そんなシステムは百姓に理不尽、暴力的にならざるおえない。
具体的に百姓に理不尽、暴力的に振る舞ったのはエタだった。
しかし、それはエタのお仕事であり、エタに非はない。
悪いのは搾取のシステムを構築し、その上にあぐらをかいてた将軍さま。
ところが、
農民には、将軍さまは見えず、実際に自分達に理不尽、暴力的にふるまったのはエタ。
そのうらみつらみが、明治期に、役人でなくなったエタに集中、過酷な差別になった。
というのが俺の妄想。
95:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/23 08:02:42 mSLtfFka0
少しイメージが違うかな?
年貢を搾取という意味で使うのならばここにあまりエタは関係してこない
逆に田畑を持つエタは年貢を収めるという意味では百姓村の村役人に従う
のがすじである。
現代風に言えば百姓村役人は市町村職員でエタは警察署警察官かな?
日常で何事もなければ百姓もエタも接することなく生活することができこれが普通
何か事件性があるトラブルがあれば両者が接するという程度でしかない、
あとは屍牛馬処理の契約の為に年に一度何らかの契約料を支払う、これが地方によっては
牛年貢とよばれこの契約の為に屍牛馬がでた場合や牛馬に問題が起きた場合にエタは
迅速に対処する必要があり、あとは清めが接点かな。
あとは両者互いにあまり干渉せずに生活していたと思う、理不尽、暴力的に振る舞ったなら
百姓が村役人経由で代官に訴えることができる、事が大事なら代官を通して勘定奉行に訴え
勘定奉行と町奉行での評定と相成る
究極は武家の支配のであり、百姓もエタも勝手に理不尽に振舞うことなどできない。
96:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 08:41:08 wEja4EWD0
>>95
エタの仕事として、百姓の監視、一揆を未然に防ぐ役目、つまり、今のスパイみたいな役割もあったのでは?
つーか、あなたの想像は
・百姓もエタもそれぞれの仕事をこなし、江戸期の農村で仲良く暮らしていた
なわけですか?
だとすると、明治期のエタ差別の根拠がみつからないんだけどw
97:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 08:47:24 wEja4EWD0
そもそも、野菜にウンコをかけて、育ててた日本の百姓が、
牛や馬を殺し、皮を剥ぐ行為を下劣だとは認識してなかったと、思うんですよねw
98:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/23 12:03:27 LqHvs+Oi0
>仲良く暮らしていた
どこをどう読めばそうなるのか? ???
必要以上に関わらなかったと読んでほしいのですが無理ですか?
幕府は分断統治をしていた訳です、治安維持として役を与えた者とそうでない者が
多方面にわたり緊密であるのは幕府(大名でもいい)が望むところではない訳です
となると身分という括りで付き合いや通婚に制限が加わる(どちらが上下というわけでなく)
さらに百姓からするとエタの素性が分からないわけですわ、我々とあまり付き合いがなく
通婚もない、その辺から色々な推測をするわけですわ「違う種類の人間じゃなかんべか?」
て具合にね、知りえる所に存在しながらも見えない壁が代々続いたらどうなるだろうか?
しかも百姓は大勢エタは少数、電波ならぬ噂が飛び交うのは必然でしょうw
それが200年以上も続けば「違う種類の人間じゃなかんべか?」の根拠の一つも考えたりも
するでしょうね、それが穢れであったりとか何でもいいでしょうねw
99:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/23 12:05:15 gLCxkyhR0
注目URLリンク(jbbs.livedoor.jp)
100:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/23 12:19:49 LqHvs+Oi0
江戸時代の差別の具合は地域によってまちまちですわ
それを解放令によって国家が線引きしたのがいかんのですわ
それほど差別されてない者達までが一本の線により差別される側に
位置づけられるということがおこった
文書化して差別を認めたようなものだわな
こんなことは江戸時代にも公にされたことはなかったのにねw
101:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 12:29:49 wEja4EWD0
>>95
>現代風に言えば百姓村役人は市町村職員でエタは警察署警察官かな?
僕もこれに賛成。
民主主義社会の今でもお回りさんは我々を監視している、風があるじゃないですか。
自転車に乗ってると職務質問をして積極的に介入してくる。
封建社会のお回りさんなら、↓こういうきれい事ではすまないと思うわけです。
百姓に一揆なんておこされたらマジでエタの首が飛ぶんだろーしw
>日常で何事もなければ百姓もエタも接することなく生活することができこれが普通
>何か事件性があるトラブルがあれば両者が接するという程度でしかない、
102:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 12:33:56 wEja4EWD0
>>100
>江戸時代の差別の具合は地域によってまちまちですわ
じゃあ、もっとも差別が激しかった地域では、
百姓が末端役人さまのエタをどういう風に差別したのですか?
103:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/23 12:43:44 LqHvs+Oi0
>>102
98をもう少しよく読んでくだされ できれば差別と同義なのは何であるかを
じっくり吟味して頂ければ幸いであります
100は差別が希薄だった場所と平均的な場所の対比の方向で考えて下され
文書は流れの中で真意が伝わるものであります
私の表現力がまずいのか理解できない者が拙いのかは一対一では計りかねますので
104:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/23 12:52:22 GKJPvhnlO
あっくん読解力なさ過ぎだろw
まあ自分の頭の中で話が出来あがっているんだろう。
105:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 13:02:54 wEja4EWD0
一揆を起こされればエタの首が飛ぶ、百姓に村抜けをされればエタの首が飛ぶ。
そんな状況下でエタは激しく百姓の生活に介入せざるをえない、かつ、百姓に怨まれたわけです。
そういう江戸期の背景があったから、明治期に入り百姓の激しいエタ差別が始まる。
と妄想するわけですw
106:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 13:07:32 wEja4EWD0
>>104
>あっくん読解力なさ過ぎだろw
じゃあ、もっとも差別が激しかった地域では、
百姓が末端役人さまのエタをどういう風に差別したのか、教えて下さい。
>まあ自分の頭の中で話が出来あがっているんだろう。
そうだよ。 封建社会で搾取する側、される側の関係はそんなヤワなもんじゃないと思う。
で、その激しい接点にエタが立たされてたんだと想像してる。
107:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/23 13:20:15 GKJPvhnlO
>>106
その前に>>98の質問に答えたら?
「>仲良く暮らしていた
どこをどう読めばそうなるのか?」
という部分ね。
どこをどう読めば「仲良く暮らしていた」という解釈になるの?
108:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 13:31:25 wEja4EWD0
>>107
>一揆を起こされればエタの首が飛ぶ、百姓に村抜けをされればエタの首が飛ぶ。
>そんな状況下でエタは激しく百姓の生活に介入せざるをえない、かつ、百姓に怨まれたわけです。
↑が事実だとするなら、↓を
・百姓もエタもそれぞれの仕事をこなし、江戸期の農村で仲良く暮らしていた
と表現してもおかしくないでしょう。
>>95
>日常で何事もなければ百姓もエタも接することなく生活することができこれが普通
>何か事件性があるトラブルがあれば両者が接するという程度でしかない、
109:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 13:35:55 wEja4EWD0
『山の中で、サルの集団とリスの集団は接することもなく、仲良く暮らしていましたとさ。』
風な言い方をするなら、↓の言い方はまったくおかしくないでしょう。
・百姓もエタもそれぞれの仕事をこなし、江戸期の農村で仲良く暮らしていた
110:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 13:40:39 wEja4EWD0
つまり、搾取する側、される側の接点は↓こんなお目出度い状況ではなかったろうと、想像、妄想するわけです。
>>95
>日常で何事もなければ百姓もエタも接することなく生活することができこれが普通
>何か事件性があるトラブルがあれば両者が接するという程度でしかない、
111:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 14:01:41 wEja4EWD0
例えば、一揆を起こすにあたり百姓は、
日常で何事もないようなそぶりをしてて、一気に一揆を起こすわけだから、
↓みたいな状況だったらエタ失格じゃないの?w
>>95
>日常で何事もなければ百姓もエタも接することなく生活することができこれが普通
>何か事件性があるトラブルがあれば両者が接するという程度でしかない、
112:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/23 15:11:25 GKJPvhnlO
>>108
「事実とするなら」なんて,何で他人の意見を読むとき
そこに自分の意見を当たり前のように組み込むわけ?
それじゃ相手の言わんとするところを曲解して当然だろう。
国語のテストは0点ねw
113:吉田無学
08/11/23 18:35:31 39HK3oJj0
皆様乙です!
>>93
>明治期のエタに集中し、それが極度な差別につながった。
私もそう思います。
>それに対し、行政がなんらかの介入をするのは正しいと思う。
ある程度は仕方がないですが、最近の事件はちょっとね・・・
>>94-95
私は両方の中間のイメージです。
私の地域では年貢は免除でしたが、番・役務等の扶持米が殆ど出ない状況でしたので。
>>98
>しかも百姓は大勢エタは少数、電波ならぬ噂が飛び交うのは必然でしょうw
だから差別が根強いかと思います。関わりがないので、特大電波だったと思います。
>>108-111
その状況が、大雑把に言うと西と東の温度差と思われ。
強いて言えば、藩政よって緊張度がかなり違ったと思います。
114:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/24 02:58:38 6EINVFVK0
つーか、吉田無学さんは古文書を読めるのなら、明治の初めの文章で、
「なぜ、エタは差別されるのか?」について言及した古文書を探して下さいよ。
つーか、今までの学者の研究でそんなのはまったくないんですかね?
115:吉田無学
08/11/24 16:34:22 ZuQyiS4v0
>>114あっくん氏
>古文書を読めるのなら
墨で書いた、ぐちゃぐちゃの古文書は読めませんw
私の住んでる県の歴史書の、活字にしたものを読みました。
>今までの学者の研究でそんなのはまったくないんですかね?
客観的に論じているものはないでしょうね。糾弾会に呼ばれてしまうw
116:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/25 01:04:11 PbGKj3PU0
>客観的に論じているものはないでしょうね。糾弾会に呼ばれてしまうw
この場合、
1、解放同盟は部落の歴史をひもとく事自体を禁止して糾弾する
2、解放同盟は独自の部落の歴史認識があり、それに反することを書くと糾弾される
どっちでしょうか? 仮に2なら、解放同盟の独自の部落の歴史認識は公開してるのでしょうか?
117:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/25 01:22:05 okTl15q90
>>115
ちょっと伺っても良いですか?
「毛利輝元井上衆罪状」(大日本古文書毛利家文書)や「陰徳記」井上一党誅戮之事(三卿伝写本)は
活字になってますがもう読まれていますか?
読んでどう思いましたか?
私は十年程前に初めて読みまして驚きました。
ちなみに私の所蔵する「山口県地方史研究」はなぜか大阪府桜塚高等学校社会科研究室の印が押されています。
118:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/25 01:29:12 okTl15q90
>>115
間違ってしまいました。毛利元就井上衆罪状でしたね。
吉田氏に私は二度ほどお目にかかったことがあると思うのですが思い当たりませんか?
119:吉田無学
08/11/25 19:26:41 LhvOhjgO0
>>116あっくん氏
>1、解放同盟は部落の歴史をひもとく事自体を禁止して糾弾する
これは無いと思いますが、御用学者でしたら金銭的な応援者を追及する事になります。
それによって、研究費や講演料を頂けなくなりますので・・・
>2、解放同盟は独自の部落の歴史認識があり、それに反することを書くと糾弾される
街道の歴史観の証明作業が、御用学者の仕事です。その事を吉田氏は、皮肉を込めて批判しています。
先々週の「たかじん委員会」での灘本昌久氏の、言葉を慎重に選んでの発言は、非常に面白かった。
>解放同盟の独自の部落の歴史認識は公開してるのでしょうか?
街道のHPにありますねw兎に角「我々は差別されてきた!」と謳っています・・・
>>117-118氏
あの。。。私は本物ではないのです。。。申し訳ありません。。。
現在私の住んでいる県は、部落問題が殆ど無い県です。街道の支部もありませんw
ネットで色々調べたら、吉田向学氏のブログを発見し、人権板での御意見を聞きたく、スレ立てしました。
ちなみに、本物の吉田氏は2ちゃんを見ているみたいですw
●2ちゃんねるからのアクセス件数・・・
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
120:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 05:41:09 87mhcTcZ0
>>119
> >解放同盟の独自の部落の歴史認識は公開してるのでしょうか?
> 街道のHPにありますねw兎に角「我々は差別されてきた!」と謳っています・・・
レス有り難うございます。 それはここですか? URLリンク(www.bll.gr.jp)
121:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 06:52:18 87mhcTcZ0
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
>近世幕藩体制下の司法・警察である「穢多」が、百姓一揆・農民一揆弾圧のため、首謀者の探索・捕亡・糾弾のために「百姓」(民衆)に接するときは、百姓から怒号が飛んだことは十分考えられます。
>それは、近世幕藩体制下の司法・警察である「穢多」だけでなく、今日の警察・機動隊に対して時として投げかけられる言葉と同じです。「犬・畜生・人でなし・・・」。
吉田向学さんもエタの一揆への対応を仕事のうち、としてるけど、
これは資料的に根拠はあるんですかね?w 俺は想像、妄想でそう書いただけなんだけどw
122:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 07:01:56 87mhcTcZ0
吉田向学さんの、落としどころ、落としたいところは、
・エタは明治時代たしかに貧しく差別された
・しかし、江戸時代は役人、今で言う警察官で、りっぱな誇り高き仕事をしていたんだ、
・だから、部落の君たちは、補助金なんかに依存せず、誇りを持って働くんだ、このコジキ野郎がっ!!
ってことなのかな?w
123:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 11:51:46 87mhcTcZ0
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
>「君たちの担任になるとき、おれは約束をした。このクラスの中で一人でも大学進学できない生徒がいたら、おれは責任をとって教師を辞めると。事情はどうであれ、お前は大学進学できなかった。だから、約束どおり、おれは責任をとって教師を辞める」
この辺は無茶苦茶なんだよなw
俺は部落差別云々より、
この学校のウエット感、家族性、単なる教育システムである学校でしかないのに、みんなが色んな思い入れを突っ込んでいく感じ。
これが、今のイジメ、天皇問題にも通じることで、重要なことだと思うんですよ。
124:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 12:14:32 87mhcTcZ0
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
>明治政府が作り出したもの、そのひとつに「学歴差別」があります。明治政府だけではありません。民間側も「学歴差別」を作り出していきました。
これは僕も思うんですよね。
これの解決法は、「学校=知識を伝達する場」この価値観だけに限定するシステムにすればいい思うわけです。
で、
・ある条件をクリアした人は誰でも希望する教授の授業を安易に受けることが出来る
というシステムにすれば、本来の「学校=知識を伝達する場」になるだろーし、
奇妙なブランドが無くなるだろーし、無意味な受験競争もなくなると思うわけです。
また、学校内での仮想の家族関係のような集団性もなくなりイジメもなくなると。
125:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 12:41:15 87mhcTcZ0
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
>明治政府が作り出したもの、そのひとつに「学歴差別」があります。明治政府だけではありません。民間側も「学歴差別」を作り出していきました。
ただ、明治政府を弁護するなら、「学歴差別」を作ろうとしたのではく、
富国強兵政策の一環で受験競争が起きる下地を作ったんでしょーね。
で、それはそれなりにうまく行ったと。
でも、俺みたいに、勉強したくもない、学歴も欲しくない、という人間まで無理矢理、偏差値競争に参加させるのは勘弁して欲しいと思うわけですw
126:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 13:01:27 87mhcTcZ0
吉田向学さんには失礼な話かも知れないけど、
吉田向学さんは自分自身をネットでさらけ出す勇気も表現力もあるのだから、
歴史の研究をするより、
吉田向学さんの人生を事細かに記述し、後世に残す方が歴史資料になり価値が生まれて来ると思う。
吉田向学さんの教師への思い入れなんかはその時代のバイアスが感じられてすごく面白いです。
127:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/26 13:21:12 r27plt980
部落差別 ← 生まれながらの差別
学歴差別 ← ある程度努力に比例する差別
種類が違う、社会が下を向く方向の差別か上を向く方向の差別か区別しようね
下を向く方向の差別は停滞をもたらす、上を向く方向の差別は社会の進歩をもたらす
無学は恥じるもの
128:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 13:36:42 87mhcTcZ0
つーか、僕は小中高校あたりの教師の情熱をバカにするタイプの人間なんだけど、こういう風に考えてます。
・彼らは生徒の幸せを(恐れ多くもw)考える
・で、生徒の幸せは高偏差値の上位校に進学することだ、と考える
・或いは彼らの社会的立場は自らの情熱をそこに持って行くしかない
・で、偏差値バカの教師になってしまうと。
で、↓の教師も吉田向学さんが否定する明治政府が作った「学歴差別」の支援者なわけですw
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
>「君たちの担任になるとき、おれは約束をした。このクラスの中で一人でも大学進学できない生徒がいたら、おれは責任をとって教師を辞めると。事情はどうであれ、お前は大学進学できなかった。だから、約束どおり、おれは責任をとって教師を辞める」
129:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 13:47:34 87mhcTcZ0
>>127
> 種類が違う
まあ、そうですね。
> 無学は恥じるもの
そうですね。
ただ、偏差値競争へ生徒を投げ込むことは明治政府がセッティングした暴力だと思うわけです。
偏差値競争と学問違うでしょ。
130:吉田無学
08/11/26 21:55:05 hUKPqvJ70
>あっくん氏
>>120
他にも街道系のHPに非常に多いですよ。
「部落」「差別」「穢多」等でググればそんなのばっかです・・・
>>121
妄想かもしれないし、貴重な文献が焚書扱いされ、事実関係が不明かもしれません。
壬申戸籍の厳重な封印が一番の例です。
>>122
とある寒村の古老の話に愕然とし、徹底的に調べる様になったと言っています。
しかし、部落を自らの足で調べる事によって人情が働き、段々と・・・
>>123
イジメ問題は、子供にとって理不尽な価値観を強制したからだと思います。
価値観が解らないから「子供」なのにねw
金持ちも、貧乏人も、勉強が出来る人も、スポーツが出来る人も、笑いを取る人気者も、
かゎぃぃコも、ブサイクも、犯罪者も、被害者も、みーんな平等!なワケないwww
>>124
今現在の日本の「学歴差別」の解消方法は、アメリカ式!
高校は遊びながら学ぶ場所で、思い出を作る事に専念するw
大学への入学はちょー簡単で、卒業を非常に厳しくすればイイだけですwww
こうなると、大学中退者が差別対象になりますがw
お金持ちのバカな御子息が留学するのは、箔を付ける為ですw
131:吉田無学
08/11/26 21:57:08 hUKPqvJ70
>>125
>富国強兵政策の一環で
帝大は、将来優秀な官僚になり得る者を育てる為に、作ったのです。
師範学校は、日本国民に基本的な学力を付ける為に、作りました。
>>126
吉田氏は大学コンプレックスの塊ですwww
今からでも入学は簡単に出来るのに、それをしない・・・
その負のエネルギーがとても良い方向に向かっていますw
>>127氏
現在の日本の一番の差別は!
年齢差別 ← どうにも解決出来ない差別
私の今現在の悩みです・・・
好きな女の子がいるのですが、10才以上年下ですwww
札束で叩ければ、解決出来るのですが・・・お金が・・・
>>128
>小中高校あたりの教師の情熱をバカにする
平均的な発言をしないとね、批難がwww
132:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/27 21:59:26 rhlvV4gWO
コテハン名乗る奴ほど明確な目的を持って被差別部落問題から少しずつ話しを逸らしているとはどういうことか?
もちろん吉田向学氏のサイトは地名を実名で書かない点において読むに値しないからマトモに読んではいないが。
133:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/30 08:43:52 B4N23pwi0
難しそうすぎる。
134:吉田無学
08/12/01 22:32:53 M+XtgIP60
部落差別は「事実」としてはあったが、「演出・脚色」があり過ぎて、
「ノンフィクション系の物語」になってしまったのでは?
最近、「私は貝になりたい」の喧伝を見るたびに、そう思います。
135:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/02 10:43:52 vXRM/Odo0
>>53
宗教警察の側面については、キリスト信者は知っていたようですね。
URLリンク(www.seibonokishi-sha.or.jp)
136:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/02 12:01:32 vXRM/Odo0
珍説ついでに俺も珍説ひとつ
役所には「所」と「署」があるが、なぜだろうと疑問に思った。
そこでざっと調べたところ、署というのは逮捕権があるというのに行き着いた。
次に署についてみてみると、部首は、「あみがしら」に分類されるらしい。
どうやら網のことのようだ。網で捕縛することから逮捕につながるのかな。
「あみがしら」は、「よんがしら」「よつがしら」「よこめ」などとも呼ばれるらしい。
なにか気がつかない。
言葉は、さまざまに変化するため語源が分からなくなっていることはよくあるよね。
現在も、警察に対する隠語俗語の類は沢山ある。
暴走族全盛時代には、「まっぽ」と呼ばれてた。
なにやら明治時代の警察官は薩摩出身が多かったそうな。
薩摩出身のひとを「さつまっぽ」、これが転じて「まっぽ」だって。
しかし、昔の日本人は漢字をよく知ってたんだね。
わかってもらえた?
137:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/12/02 14:41:50 2trMSCkH0
>>136
おお、これは面白い。 こういう書き込みが増えるとこのスレも面白くなる。
前に、どこかに、明治維新に明治政府が薩摩からエタを連れてきて警官に仕立てた、と書いてあったから、マッポは本当でしょう。
あと、よつがしらでググってみたら↓がありました。
ってことは差別用語のヨツはここから来てるのでしょうか?
更に言えば、漢字の本場、当時の文化の中心、中国でもエタに相当するいたのでしょうか?
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E6%BC%A2%E5%AD%97)
あみがしら/よつがしら/よこめ(罔頭/四つ頭/横目):「置」「罪」「署」など。網の意味を表し、派生して刑罰を司る意味を表す。
常用漢字: 罪 署 置 罰 罷 羅
主な表外字: 罠 罫 罵 罹 羆 羈 など
138:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/12/02 14:47:08 2trMSCkH0
だれか、白川静の本を持ってる人は調べて欲しいですねw
139:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/12/02 14:53:02 2trMSCkH0
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>偏旁の意符としては猟具や漁具、かかることや捕まること、法の網にかかることなどに関することを示す。
こんなのもありました。
140:吉田無学
08/12/02 20:33:57 fEmyXEN+0
>>135氏
リンク先を読みました。ありがとうございます。
日本は宗教問題の歴史については、あまり熱心ではない様な気がします。
宗教問題も非常にデリケートな問題なんですが・・・
>>136氏
非常に参考になります!珍説とは言えないレベルですよ!
和製漢語を中国は多用してますよねw「共産主義」は和製漢語ですwww
「まっぽ」の語源は脱帽です!
>>137あっくん氏
地元の警察史を読みましたが、政府(薩摩系)の警察官僚が配置された記述はあり
しかし、それ以前の番人制度の記述は無く、同心・五人組の記述しかありませんでした。
警察史の発刊が、同対法後ですので・・・
県の歴史には、県令(知事)が非人の役務についての命令の記述があるんですがwww
141:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/04 22:58:35 Hq246oWg0
言葉狩り華やかなりし頃、「猫も杓子も」というのは「女子(めご)も弱子(じゃくし)も」
のことである、と言う人がいた。差別語ではないかと。はたしてそうか。
猫も杓子もは、諸説紛々で定説がない。が、私は司馬遼太郎の「菜の花の沖」を読んでひらめいた。
主人公の高田屋嘉兵衛は、村人の散々な仕打ちに懲りて村を出ることを決意した。
その村を出るときの出で立ちは、帯に杓子を差すというものだった。
江戸時代は簡単に村を出ることはできなかったようだが、やんごとなき理由で
村抜けするときの作法がこれだったようだ。
ところで江戸時代には、周期的に熱病のようなお陰参り(伊勢参り)が流行った。
突然、家も仕事も放り出してお陰参りを始めるわけだが、この時やはり腰に杓子を差していたようだ。
こうしているとお陰参りとして理解され、街道もスムーズに通れたらしい。
そこで、「猫も杓子も」は、お陰参りの様を表現した言葉ではなかったかと推察する。
伊勢に向かう人波は、みな腰に杓子の出で立ちで、付け加えて、普段は犬と違って人にはつかない
猫までもがお陰参りのため移動する人についた。それほど凄い光景だったと。
賤民史観、皇国史観、唯物史観、市場原理主義、たった一つの尺度で、
すべてを推し量ろうとするのは間違いではないのか。
人間は万能を求めるが、それは未だ見つかっていない。
142:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/25 22:01:32 LYph6wzkO
非常に勉強になります、更に、狭い日本でその土地がらや時代でも多少違いが有るのも確かです。
143:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/19 19:10:15 BY3j/McD0
すぐ逮捕される地域が被差別か
ばかたれ 牛肉等級偽装元社長逮捕で他は
◆赤福のとき 「老舗なのに賞味期限を偽装しまくり! 許せないよ! 廃業しろ!」
◆不二家のとき 「腐った牛乳でお菓子を作る! 体調不良を訴えてる人もいる! 廃業しろ!」
◆吉兆のとき 「出した料理をほかの客に使いまわし! 客をなんだと思ってるんだ! 廃業しろ!」
◆マンナンのとき 「子どもが死んでんねんで! 今すぐ生産停止しろ!」
◆イオン死体汁 「水質には問題ないし」
みんな逮捕されず 官庁なんてこんなもん
なんじゃこりゃ
144:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/20 15:05:45 ClnnkTIr0
禰子も釈子も
145:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/22 10:13:35 lGFvXY1Y0
URLリンク(gogen-allguide.com)
146:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/26 19:29:44 PL6OikmB0
四民平等は、士農工商を平等だとうたったもので、身分社会を否定したものではなかった。
だから、天皇家もこの平等の中に入っていません。
学校教育で明治時代を封建国家とするかしないか、わかりません。
でも、生徒が明治時代、四民平等は四民以外あったんですか?人間みな平等なのになぜ四つに絞ったんですかと質問したら、先生はどう答えるのでしょうか。
このレスで歴史や社会の先生がいたら教えてください