08/11/26 06:52:18 87mhcTcZ0
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
>近世幕藩体制下の司法・警察である「穢多」が、百姓一揆・農民一揆弾圧のため、首謀者の探索・捕亡・糾弾のために「百姓」(民衆)に接するときは、百姓から怒号が飛んだことは十分考えられます。
>それは、近世幕藩体制下の司法・警察である「穢多」だけでなく、今日の警察・機動隊に対して時として投げかけられる言葉と同じです。「犬・畜生・人でなし・・・」。
吉田向学さんもエタの一揆への対応を仕事のうち、としてるけど、
これは資料的に根拠はあるんですかね?w 俺は想像、妄想でそう書いただけなんだけどw
122:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 07:01:56 87mhcTcZ0
吉田向学さんの、落としどころ、落としたいところは、
・エタは明治時代たしかに貧しく差別された
・しかし、江戸時代は役人、今で言う警察官で、りっぱな誇り高き仕事をしていたんだ、
・だから、部落の君たちは、補助金なんかに依存せず、誇りを持って働くんだ、このコジキ野郎がっ!!
ってことなのかな?w
123:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 11:51:46 87mhcTcZ0
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
>「君たちの担任になるとき、おれは約束をした。このクラスの中で一人でも大学進学できない生徒がいたら、おれは責任をとって教師を辞めると。事情はどうであれ、お前は大学進学できなかった。だから、約束どおり、おれは責任をとって教師を辞める」
この辺は無茶苦茶なんだよなw
俺は部落差別云々より、
この学校のウエット感、家族性、単なる教育システムである学校でしかないのに、みんなが色んな思い入れを突っ込んでいく感じ。
これが、今のイジメ、天皇問題にも通じることで、重要なことだと思うんですよ。
124:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 12:14:32 87mhcTcZ0
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
>明治政府が作り出したもの、そのひとつに「学歴差別」があります。明治政府だけではありません。民間側も「学歴差別」を作り出していきました。
これは僕も思うんですよね。
これの解決法は、「学校=知識を伝達する場」この価値観だけに限定するシステムにすればいい思うわけです。
で、
・ある条件をクリアした人は誰でも希望する教授の授業を安易に受けることが出来る
というシステムにすれば、本来の「学校=知識を伝達する場」になるだろーし、
奇妙なブランドが無くなるだろーし、無意味な受験競争もなくなると思うわけです。
また、学校内での仮想の家族関係のような集団性もなくなりイジメもなくなると。
125:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 12:41:15 87mhcTcZ0
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
>明治政府が作り出したもの、そのひとつに「学歴差別」があります。明治政府だけではありません。民間側も「学歴差別」を作り出していきました。
ただ、明治政府を弁護するなら、「学歴差別」を作ろうとしたのではく、
富国強兵政策の一環で受験競争が起きる下地を作ったんでしょーね。
で、それはそれなりにうまく行ったと。
でも、俺みたいに、勉強したくもない、学歴も欲しくない、という人間まで無理矢理、偏差値競争に参加させるのは勘弁して欲しいと思うわけですw
126:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 13:01:27 87mhcTcZ0
吉田向学さんには失礼な話かも知れないけど、
吉田向学さんは自分自身をネットでさらけ出す勇気も表現力もあるのだから、
歴史の研究をするより、
吉田向学さんの人生を事細かに記述し、後世に残す方が歴史資料になり価値が生まれて来ると思う。
吉田向学さんの教師への思い入れなんかはその時代のバイアスが感じられてすごく面白いです。
127:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/26 13:21:12 r27plt980
部落差別 ← 生まれながらの差別
学歴差別 ← ある程度努力に比例する差別
種類が違う、社会が下を向く方向の差別か上を向く方向の差別か区別しようね
下を向く方向の差別は停滞をもたらす、上を向く方向の差別は社会の進歩をもたらす
無学は恥じるもの
128:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 13:36:42 87mhcTcZ0
つーか、僕は小中高校あたりの教師の情熱をバカにするタイプの人間なんだけど、こういう風に考えてます。
・彼らは生徒の幸せを(恐れ多くもw)考える
・で、生徒の幸せは高偏差値の上位校に進学することだ、と考える
・或いは彼らの社会的立場は自らの情熱をそこに持って行くしかない
・で、偏差値バカの教師になってしまうと。
で、↓の教師も吉田向学さんが否定する明治政府が作った「学歴差別」の支援者なわけですw
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
>「君たちの担任になるとき、おれは約束をした。このクラスの中で一人でも大学進学できない生徒がいたら、おれは責任をとって教師を辞めると。事情はどうであれ、お前は大学進学できなかった。だから、約束どおり、おれは責任をとって教師を辞める」
129:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 13:47:34 87mhcTcZ0
>>127
> 種類が違う
まあ、そうですね。
> 無学は恥じるもの
そうですね。
ただ、偏差値競争へ生徒を投げ込むことは明治政府がセッティングした暴力だと思うわけです。
偏差値競争と学問違うでしょ。
130:吉田無学
08/11/26 21:55:05 hUKPqvJ70
>あっくん氏
>>120
他にも街道系のHPに非常に多いですよ。
「部落」「差別」「穢多」等でググればそんなのばっかです・・・
>>121
妄想かもしれないし、貴重な文献が焚書扱いされ、事実関係が不明かもしれません。
壬申戸籍の厳重な封印が一番の例です。
>>122
とある寒村の古老の話に愕然とし、徹底的に調べる様になったと言っています。
しかし、部落を自らの足で調べる事によって人情が働き、段々と・・・
>>123
イジメ問題は、子供にとって理不尽な価値観を強制したからだと思います。
価値観が解らないから「子供」なのにねw
金持ちも、貧乏人も、勉強が出来る人も、スポーツが出来る人も、笑いを取る人気者も、
かゎぃぃコも、ブサイクも、犯罪者も、被害者も、みーんな平等!なワケないwww
>>124
今現在の日本の「学歴差別」の解消方法は、アメリカ式!
高校は遊びながら学ぶ場所で、思い出を作る事に専念するw
大学への入学はちょー簡単で、卒業を非常に厳しくすればイイだけですwww
こうなると、大学中退者が差別対象になりますがw
お金持ちのバカな御子息が留学するのは、箔を付ける為ですw
131:吉田無学
08/11/26 21:57:08 hUKPqvJ70
>>125
>富国強兵政策の一環で
帝大は、将来優秀な官僚になり得る者を育てる為に、作ったのです。
師範学校は、日本国民に基本的な学力を付ける為に、作りました。
>>126
吉田氏は大学コンプレックスの塊ですwww
今からでも入学は簡単に出来るのに、それをしない・・・
その負のエネルギーがとても良い方向に向かっていますw
>>127氏
現在の日本の一番の差別は!
年齢差別 ← どうにも解決出来ない差別
私の今現在の悩みです・・・
好きな女の子がいるのですが、10才以上年下ですwww
札束で叩ければ、解決出来るのですが・・・お金が・・・
>>128
>小中高校あたりの教師の情熱をバカにする
平均的な発言をしないとね、批難がwww
132:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/27 21:59:26 rhlvV4gWO
コテハン名乗る奴ほど明確な目的を持って被差別部落問題から少しずつ話しを逸らしているとはどういうことか?
もちろん吉田向学氏のサイトは地名を実名で書かない点において読むに値しないからマトモに読んではいないが。
133:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/30 08:43:52 B4N23pwi0
難しそうすぎる。
134:吉田無学
08/12/01 22:32:53 M+XtgIP60
部落差別は「事実」としてはあったが、「演出・脚色」があり過ぎて、
「ノンフィクション系の物語」になってしまったのでは?
最近、「私は貝になりたい」の喧伝を見るたびに、そう思います。
135:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/02 10:43:52 vXRM/Odo0
>>53
宗教警察の側面については、キリスト信者は知っていたようですね。
URLリンク(www.seibonokishi-sha.or.jp)
136:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/02 12:01:32 vXRM/Odo0
珍説ついでに俺も珍説ひとつ
役所には「所」と「署」があるが、なぜだろうと疑問に思った。
そこでざっと調べたところ、署というのは逮捕権があるというのに行き着いた。
次に署についてみてみると、部首は、「あみがしら」に分類されるらしい。
どうやら網のことのようだ。網で捕縛することから逮捕につながるのかな。
「あみがしら」は、「よんがしら」「よつがしら」「よこめ」などとも呼ばれるらしい。
なにか気がつかない。
言葉は、さまざまに変化するため語源が分からなくなっていることはよくあるよね。
現在も、警察に対する隠語俗語の類は沢山ある。
暴走族全盛時代には、「まっぽ」と呼ばれてた。
なにやら明治時代の警察官は薩摩出身が多かったそうな。
薩摩出身のひとを「さつまっぽ」、これが転じて「まっぽ」だって。
しかし、昔の日本人は漢字をよく知ってたんだね。
わかってもらえた?
137:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/12/02 14:41:50 2trMSCkH0
>>136
おお、これは面白い。 こういう書き込みが増えるとこのスレも面白くなる。
前に、どこかに、明治維新に明治政府が薩摩からエタを連れてきて警官に仕立てた、と書いてあったから、マッポは本当でしょう。
あと、よつがしらでググってみたら↓がありました。
ってことは差別用語のヨツはここから来てるのでしょうか?
更に言えば、漢字の本場、当時の文化の中心、中国でもエタに相当するいたのでしょうか?
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E6%BC%A2%E5%AD%97)
あみがしら/よつがしら/よこめ(罔頭/四つ頭/横目):「置」「罪」「署」など。網の意味を表し、派生して刑罰を司る意味を表す。
常用漢字: 罪 署 置 罰 罷 羅
主な表外字: 罠 罫 罵 罹 羆 羈 など
138:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/12/02 14:47:08 2trMSCkH0
だれか、白川静の本を持ってる人は調べて欲しいですねw
139:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/12/02 14:53:02 2trMSCkH0
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>偏旁の意符としては猟具や漁具、かかることや捕まること、法の網にかかることなどに関することを示す。
こんなのもありました。
140:吉田無学
08/12/02 20:33:57 fEmyXEN+0
>>135氏
リンク先を読みました。ありがとうございます。
日本は宗教問題の歴史については、あまり熱心ではない様な気がします。
宗教問題も非常にデリケートな問題なんですが・・・
>>136氏
非常に参考になります!珍説とは言えないレベルですよ!
和製漢語を中国は多用してますよねw「共産主義」は和製漢語ですwww
「まっぽ」の語源は脱帽です!
>>137あっくん氏
地元の警察史を読みましたが、政府(薩摩系)の警察官僚が配置された記述はあり
しかし、それ以前の番人制度の記述は無く、同心・五人組の記述しかありませんでした。
警察史の発刊が、同対法後ですので・・・
県の歴史には、県令(知事)が非人の役務についての命令の記述があるんですがwww
141:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/04 22:58:35 Hq246oWg0
言葉狩り華やかなりし頃、「猫も杓子も」というのは「女子(めご)も弱子(じゃくし)も」
のことである、と言う人がいた。差別語ではないかと。はたしてそうか。
猫も杓子もは、諸説紛々で定説がない。が、私は司馬遼太郎の「菜の花の沖」を読んでひらめいた。
主人公の高田屋嘉兵衛は、村人の散々な仕打ちに懲りて村を出ることを決意した。
その村を出るときの出で立ちは、帯に杓子を差すというものだった。
江戸時代は簡単に村を出ることはできなかったようだが、やんごとなき理由で
村抜けするときの作法がこれだったようだ。
ところで江戸時代には、周期的に熱病のようなお陰参り(伊勢参り)が流行った。
突然、家も仕事も放り出してお陰参りを始めるわけだが、この時やはり腰に杓子を差していたようだ。
こうしているとお陰参りとして理解され、街道もスムーズに通れたらしい。
そこで、「猫も杓子も」は、お陰参りの様を表現した言葉ではなかったかと推察する。
伊勢に向かう人波は、みな腰に杓子の出で立ちで、付け加えて、普段は犬と違って人にはつかない
猫までもがお陰参りのため移動する人についた。それほど凄い光景だったと。
賤民史観、皇国史観、唯物史観、市場原理主義、たった一つの尺度で、
すべてを推し量ろうとするのは間違いではないのか。
人間は万能を求めるが、それは未だ見つかっていない。
142:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/25 22:01:32 LYph6wzkO
非常に勉強になります、更に、狭い日本でその土地がらや時代でも多少違いが有るのも確かです。
143:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/19 19:10:15 BY3j/McD0
すぐ逮捕される地域が被差別か
ばかたれ 牛肉等級偽装元社長逮捕で他は
◆赤福のとき 「老舗なのに賞味期限を偽装しまくり! 許せないよ! 廃業しろ!」
◆不二家のとき 「腐った牛乳でお菓子を作る! 体調不良を訴えてる人もいる! 廃業しろ!」
◆吉兆のとき 「出した料理をほかの客に使いまわし! 客をなんだと思ってるんだ! 廃業しろ!」
◆マンナンのとき 「子どもが死んでんねんで! 今すぐ生産停止しろ!」
◆イオン死体汁 「水質には問題ないし」
みんな逮捕されず 官庁なんてこんなもん
なんじゃこりゃ
144:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/20 15:05:45 ClnnkTIr0
禰子も釈子も
145:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/22 10:13:35 lGFvXY1Y0
URLリンク(gogen-allguide.com)
146:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/26 19:29:44 PL6OikmB0
四民平等は、士農工商を平等だとうたったもので、身分社会を否定したものではなかった。
だから、天皇家もこの平等の中に入っていません。
学校教育で明治時代を封建国家とするかしないか、わかりません。
でも、生徒が明治時代、四民平等は四民以外あったんですか?人間みな平等なのになぜ四つに絞ったんですかと質問したら、先生はどう答えるのでしょうか。
このレスで歴史や社会の先生がいたら教えてください
147:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/27 11:11:30 UpxJGloN0
>人間みな平等なのになぜ四つに絞ったんですかと質問したら、先生はどう答えるのでしょうか。
笑って誤魔化すんでしょw
福沢諭吉は、天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず、と言ってるのにおかしな話だわなw
148:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/27 11:20:11 yasJpzdE0
外国人の私が見るB
この人々の顔は濃くて太平洋民族の特徴が見える.
だから日本の原住民の子孫なのが間違いない.
149:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/29 17:58:33 hwk/W/BU0
治維新の立役者は、薩摩・長州を中心とした倒幕派と江戸幕府との武士階級の争いごとであったのは
史実のとうりである。
ここで、大政奉還・明治維新で、何とかしなければ封建制度の頂点であった武士階級に民衆の反撃が始まる。それは士農工商という身分制度であり、
このままで行くと、民衆をコントールし、百姓から過酷な年貢取り立ててた武士は、不利な立場となる。
そこで、百姓らを苦行の目にあわせてたのは、エタとの図式が完成する。そして、武士は華族としてまんまと生き残る。
(一説には、庄屋も同罪で、この図式を完成させ、大多数を占める小作人対策をしともいえる)
そして、片方では武士も下野し平等の社会が来たと、自らの身の保身を図ったといえる
天皇家も四民にいれない、神とする。でも皇女、和宮が嫁ぐように当然みな天皇は人間って知った上での、掟つくりが正解かも。
150:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/13 16:40:45 kq5VZMii0
Bにもいい人ばっかりだからね
151:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/13 17:14:14 P9Oif6950
>>150
偏見 虫、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
152:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/23 20:58:03 QH1z5wNG0
ん
153:あぼーん
09/02/24 03:17:54 BTcXB7sV0
あぼーん
154:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/12 16:49:04 gVy7oisN0
差別きらい
155:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/12 18:02:48 1maxyzob0
吉宗の時代の勘定奉行曰く
「胡麻と百姓は絞れば絞るほど出てくるものなり」
そんな 百姓での今人は、先祖が武士の人をホーと敬う。おかしいだろ。
そこに部落差別介入するんだよ。
革命前のフランスですら支配者と被支配者の人口比率は1:100。
江戸時代の日本のそれはわずか1:10、
つまり武士の百姓に対する搾取の度合いは、フランスのそれの10倍。
革命を起こす気力もないほどに徹底的に絞られていた。
もっとも、10人の百姓で武士1人の豪遊を支えきることなどできないから、
江戸後期には武士にも困窮にあえぐ者が続出した。
土地を開墾し人口を増やせば良かったんだろうけど、
そこで、下級武士エタが憎まれ役として農民管理と過酷な年貢の取り立てにあたる。当然俸禄なし、そのかわり皮(武具)や草履つくり等の特権を与える構図。
明治維新、その構図がくずれ武士や庄屋の非難の矛先を下級武士=エタに向けさせた。
武士は四民平等の中に隠れ、庄屋(大地主)は戦後の農地解放まで小作民から搾取し続けた。
156:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/14 17:16:09 zvP9sE+V0
差別きらい
157:清野之計
09/03/17 22:07:49 EnOARjhbP
吉田無学 様は、序説要約の書込を再開されないのでしょうか。
されないのなら、たいへん惜しいことです。
158:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/25 09:35:41 Tlk9IXJ60
>>155
武士が10%いた、というのは間違いだと思う。
江戸後期から明治にかけて、武士を自称する連中
(郷士・徒士・足軽・中間・様々な世襲非世襲の武家奉公人)
が急増した、というのが実際。
本来の武士に限れば、人口比1%がせいぜい。
159:清野之計
09/04/01 06:38:47 UYoQANZXP
1 名前: ◆KIHA55jUA2 @キハ55φ ★[] 投稿日:2009/04/01(水) 06:06:11 ID:???0
フリーの大型掲示版サイト「2ちゃんねる」が30日付けで朝日新聞社
(asahi-np.co.jp)からの記事の書き込みに規制をかけたことが明らかとなった。
朝日新聞社内のパソコンからインターネットの掲示板に不適切な内容の書き込みがさ
れていたことが分かった。本社は31日、この文章を書いた社員を特定し、事情を聴い
たところ、投稿を認めた。
社員は東京本社編集局の校閲センター員(49)で、掲示板サイト「2ちゃんねる」
に断続的に投稿していた。部落差別や精神疾患への差別を助長する内容が含まれてい
た。3月30日夜、外部から指摘があり本社が調査を開始した。
このセンター員は「他の投稿者と応酬するうちにエスカレートしてしまった。悪いこ
とをしました。釈明の余地はありません」と話している。
◆本社「厳正に処分」
朝日新聞社広報部の話 弊社社員が2ちゃんねるの掲示板にきわめて不適切な書き込
みをし、多くの皆さまに不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことをおわびします。
事実関係をさらに確認した上で、厳正な処分をいたします。
URLリンク(www.asahi.com)
160:清野之計
09/04/01 06:40:36 UYoQANZXP
21 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/04/01(水) 06:07:13 ID:QECq3CNS0
改変・修正ヨロ
広告主電凸向け 論点まとめ
① 本来なら、それを 「チェックする立場である校閲センター」 の人間が、
差別を助長する表現を、相手を中傷するためだけに使用していたこと。
ex.出身地域による差別や精神疾患に対する差別など
ぶっちゃけると>失語症躁鬱ニート部落民はとっとと首つって氏ねよ。
② しかもそれは朝日新聞社内からの書き込みであったこと。
朝日新聞校閲センターでは、新聞記事の校閲と並行して、
インターネット上での差別発言等を行っていたという事実が明らかになった。
③ 差別的な思想を持つ人間を、朝日新聞は校閲センターに配属していること。
④ 一方で朝日新聞社はネットでの「匿名の中傷」とやらを社説等で強く非難していること。
さらにこの差別発言問題発覚後、同様の記事を閲覧できないように削除していること。
161:清野之計
09/04/01 06:53:04 UYoQANZXP
291 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/01(水) 06:24:21 ID:DjerX0c3O
規制は差別用語を書いたからでなく、あぼーんアラシをしたから。
マスメディアの人間がネットという新興のメディアの一掲示板のルールが守れなかった事が大問題。
ネットには差別用語が多いとマスメディアが印象操作でつくったところに落とし込む為に
「言葉狩り」の筆頭である朝日は謝罪記事に引用した。読者もなっとくする。
しかし
あぼーんあぼーんて紙面に載せるのは恥ずかしいし、一般読者がひくのが容易に想像できる
はずかしいなあ
162:清野之計
09/04/01 19:57:16 UYoQANZXP
58 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/01(水) 19:45:18 ID:Pf3PwJ6y0
162 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 18:07:09 ID:95bZ80OZ0
どうした、押し黙って。鬱病でも発症したのか、頑張れよw
163 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 18:23:25 ID:95bZ80OZ0
…ただいま、ルルは泣きながら鬱病の薬を飲んでいます…
165 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 20:17:12 ID:95bZ80OZ0
「本×部落」は足立区民が気の毒だ。
本物のあぼーんになるぞ。
どうせならルルの故郷・箕面の部落を晒してくれ。
170 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 21:20:20 ID:95bZ80OZ0
何だ、お前もニート部落民か?
174 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 21:42:31 ID:95bZ80OZ0
わかった。お前もルルと同様に殲滅するから覚悟しておけ。
176 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 22:09:08 ID:95bZ80OZ0
どうしたルル?
鬱病の薬が切れて二重人格が元に戻ったのか?
ニート精神病部落民のやることは分からんな。
163:清野之計
09/04/01 19:58:22 UYoQANZXP
77 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/01(水) 19:45:44 ID:hWCRCzYM0
263 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 16:01:28 ID:QyTVu3+i0
失語症躁鬱ニート部落民はとっとと首つって氏ねよ。
338 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 14:06:17 ID:xCZ4mYua0
何もしゃべれない失語症躁鬱ニート部落民のくせに、
何が(勝利笑)だ。人生の敗北者が(真の勝利笑)
340 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 14:33:28 ID:xCZ4mYua0
またダンマリか。ちょっとおとなしくしているとつけあがるゴギブリ(激笑)
374 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 22:41:17 ID:53/Kvvqc0
失語症が治ったのか?
それとも鬱病から躁病になったのか?
東急的指導? 持ち家もない貧民のくせに。
386 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 14:39:19 ID:hm/fghjb0
失語症躁鬱ニートゴキブリ部落民はとっとと首つって氏ねよ。
376 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 00:36:33 ID:S7K9VbdE0
躁病であることは否定しないんだな田舎者はw
391 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 20:17:51 ID:S7K9VbdE0
お前のような基地外のカキコをいちいち他のスレまで見に行く物好きがいるわけなかろう。
だからお前は躁病だというのだ。
164:清野之計
09/04/01 20:43:31 UYoQANZXP
●今回の事件で朝日新聞社社員に誹謗中傷された面々&人権団体等 問合せ先
■IMADR 反差別国際運動 URLリンク(www.imadr.org)
■部落解放同盟東京都連合会 mg5s-hsgw@asahi-net.or.jp
■(株)解放出版社 master@kaihou-s.com
165:清野之計
09/04/03 06:25:49 HHxtEq6pP
424 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/02(木) 19:39:55 ID:70l+2w82O
『失語症』『躁鬱』『ニート』
『首吊って氏ねよ』
あたりは百歩譲って我慢できる。
でも…
『部落民』
って発言は本当に許せんな。
差別的うんぬんてよりも、人間としてヒドいと思うわ。
ジャーナリスト宣言(笑)
166:清野之計
09/04/03 06:32:01 HHxtEq6pP
179 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/03(金) 06:17:13 ID:tiEr4mlS0
154: 2009/02/13 16:16:12 95bZ80OZ0 [sage]
まだいたのか部落民。お前の好きな東急線にでもとっとと飛び込め。
158: 2009/02/13 17:58:07 95bZ80OZ0 [sage]
東京都民に寄生して生活保護受けてんじゃねえぞニート部落民。
石原都知事も言っている。「この世でもっとも有害なのはババア」
174: 2009/02/13 21:42:31 95bZ80OZ0 [sage]
わかった。お前もルルと同様に殲滅するから覚悟しておけ。
186: 2009/02/14 15:20:10 3kTT4Qt40 [sage]
部落民が毎日出しゃばってんじゃねえよ。睡眠薬でも飲み過ぎて永眠しとけヴォケ
167:清野之計
09/04/03 20:03:48 HHxtEq6pP
24 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/03(金) 20:00:05 ID:rwhzGOQZ0
みんな、朝日新聞の工作員様たちが、スレを伸ばして記録を作っても意味がない、とおっしゃっているぞ。
そのありがたい助言に従おうぜ!
2chのありとあらゆる板に、この問題を宣伝しまくろう!!
例)
★朝日新聞が工作活動を行っていた!?
【ネット】 朝日新聞社員(49)、2ちゃんねるで荒らし行為
…「失語症躁鬱ニート部落民は首つって氏ねよ」と差別表現も★176
スレリンク(newsplus板)
☆ ここまでの流れ ☆
1)鉄道板で差別擁護連発で粘着が荒す
2)規制したら朝日新聞社からのアクセスだった(ローカルIPなので社内確定)
3)上記規制した途端、ニュー速の反日書き込みが激減(運営も唖然)
4)2009/04/02(木) 23:16:05 規制解除 (規制期間約二日)
5)規制解除と同時に、従来どおりのスレの流れに(全員唖然)
朝日新聞社 鉄道板荒らし問題まとめwiki
URLリンク(www23.atwiki.jp)
朝日新聞社員 2ちゃんねるで悪質荒らし行為
URLリンク(www.takbose.net)
168:清野之計
09/04/03 20:10:13 HHxtEq6pP
403 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/04/03(金) 20:06:21 ID:R4R2+Wfu0
614 名前: ◆migiC//7P. [] 投稿日:2009/04/02(木) 22:35:12 ID:K9bmqzKX0
朝日新聞様より、以下の件についてご連絡をいただきました。
◆ co.jp 規制
スレリンク(sec2ch板:13-14番)
\.asahi-np.co.jp (全サーバ規制)
以下、返答内容です。
2009年4月2日
2ちゃんねる掲示板規制報告ご担当
×× ×× 様
朝日新聞社広報部
冠省
3月30日付メールで、弊社社員による迷惑行為についてご指摘を
いただきました。調べました結果、弊紙4月1日付朝刊社会面掲載の
記事「本社編集局員 差別表現、ネットに投稿」のような状況が判明
しました。
この度は大変ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありませんでした。この
ような事が再び起こらぬよう、全社員に改めて注意を喚起するとともに、
対策を講じました。
以上、報告させていただきます。
169:清野之計
09/04/04 05:01:25 dXNt/0ejP
1 名前:春デブリφ ★[sage] 投稿日:2009/04/04(土) 04:44:46 ID:???0
URLリンク(backnumber.dailynews.yahoo.co.jp)
フリーの大型掲示版サイト「2ちゃんねる」が30日付けで朝日新聞社
(asahi-np.co.jp)からの記事の書き込みに規制をかけたことが明らかとなった。
◆本社「厳正に処分」
朝日新聞社広報部の話 弊社社員が2ちゃんねるの掲示板にきわめて不適切な書き込
みをし、多くの皆さまに不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことをおわびします。
事実関係をさらに確認した上で、厳正な処分をいたします。
URLリンク(www.asahi.com)
170:清野之計
09/04/04 05:11:05 dXNt/0ejP
309 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/04/04(土) 04:55:24 ID:7kzPUFutP
15 名前:名無し野電車区[sage] 2009/02/09(月) 14:44:57 ID:faX4BoSi0
出て行け部落民。
20 名前:名無し野電車区[sage] 2009/02/09(月) 16:02:27 ID:faX4BoSi0
つまりルルってエタヒニンだから、関西から夜逃げして来たんだね。
だから、2ちゃんでは虚飾で飾っていながら、
実際には家賃にすら窮する貧乏フリーターなわけだ。
エタヒニンが足立区や舎人ライナーを馬鹿にするのは理解できなくもない。
やっと、そんな環境から逃げて来たんだものね。
147 名前:名無し野電車区[sage] 2009/02/13(金) 04:50:12 ID:95bZ80OZ0
馬鹿ルルは、部落民であることは否定しないのな。
貧乏で何の取りえもない基地外ルル。
とっとと箕面の部落で死ねばいいのに。
176 名前:名無し野電車区[sage] 2009/02/13(金) 22:09:08 ID:95bZ80OZ0
どうしたルル?
鬱病の薬が切れて二重人格が元に戻ったのか?
ニート精神病部落民のやることは分からんな。
186 名前:名無し野電車区[sage] 2009/02/14(土) 15:20:10 ID:3kTT4Qt40
部落民が毎日出しゃばってんじゃねえよ。睡眠薬でも飲み過ぎて永眠しとけヴォケ
171:清野之計
09/04/04 05:59:38 dXNt/0ejP
33 :名無しさん@九周年:2009/04/03(金) 10:49:36 ID:SGdmgBv00
部落解放同盟、中央本部に電凸した。
TEL:03-3586-7007~8
正直怖かったが、NGキーワードと思われる言葉に注意しながらしゃべったので特にトラブルはなかった。
俺:朝日新聞社内のPCから「失語症躁鬱ニート部落民は首つって氏ね」という書き込みが
校閲センターの49歳社員からなされたという報道があるが知っているか。
B:知っている。
俺:部落解放同盟(以下解同)としたらこの問題にどう対処していく方針なのか聞かせていただきたい。
B:まだ方針は決まっていない。
俺:今までの解同の方針からするとそれはおかしいのではないか、新聞発表から4日も経っている
のに未だ行動を起こさないのは理解できない。
B:会議で方針が決まってからになると思う。
俺:では今も会議中なのか?実際に会議をしているのか?
B:内部のことなので話せない。
俺:それはおかしいのではないか。今まで解同はメディアに露出して差別解消を訴えてきたではないか。
社会的責任もあるだろう。私も一国民として朝日新聞に問いただしてみたが、
厳正な処分をする、あとは紙面を見て下さいというばかりでそれ以降は何の音沙汰もないという体たらくなのだが。
B:この件については何も行動を起こさないというのはありえないと思う。
俺:ならスピード感を持って対処するべきではないか、でないと私としても普段メディアを利用している立場だから
何らかの手心を加えているのではないかと疑わざるをえない。
B:そう言われるのは心外だ。
俺:ならばいつものように素早く行動で示して欲しい。ダブルスタンダードに見えないように。
B:わかりましたが、とりたてて対応が遅いというわけではない。
解同に疑念を抱いてる香具師は恐れずに電凸にチャレンジしよう。
172:清野之計
09/04/04 06:45:18 dXNt/0ejP
244 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/04/04(土) 06:44:31 ID:7YgVlC+/0
失語症でも躁鬱ニートでもないが
部落民の俺を怒らせたようだな
今まで何かにつけて朝日を世話して来たが
飼い犬に手を噛まれるとはこの事か
首を吊るのはどちらか後生の歴史家の筆に任せるとしようか
173:吉田無学の2
09/05/01 06:41:13 Lb6jT3/E0
このスレをDAT落ちさせるのは惜しい。
今はなき吉田無学氏の志を継いで要約の書継をします。御本家様の言われる序破急の3段式です。
第4章第 6節 太政官布告と地方行政
第1項 「太政官布告と地方行政」を論じるための資料について
明治4年太政官布告第488・489号は、「穢多非人等ノ称」廃止をめぐる一連の施策の基本方針のようなもの、
地方行政でこれを具体化した基本方策を各府県民に公布。
地方行政での基本方策の比較元として、三重県の『平民籍編入についての触書』に焦点をあてる。
資料は沖浦和光編『水平人の世に光あれ』。
さらに、差別思想「賎民史観」から見た『平民籍編入についての触書』の研究論文として
黒川みどり著『地域史のなかの部落問題 近代三重の場合』をとりあげ、筆者の「非常民の学としての部落学」の立場から批判検証していく。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
174:第4章太政官布告批判
09/05/07 06:31:46 VUfrmlIO0
6節 太政官布告と地方行政(続き)
2項 黒川の部落問題の認識
黒川は、「社会の病理」を取り除き差別のない「社会の生理」状態に回復することを
、「解放の展望を切り開いていくこと」と解釈。黒川の「処方箋」は、差別的な「愚民」である「民衆」に同化することなく、
「部落民」が「部落民」として生きていくことができる「多元」的社会の創設。
しかし、日本歴史学に内在する差別思想である「賎民史観」を無意識に生きている黒川の属する中産階級・知識階級こそ、
その差別性が明らかにされなければならない。
175:>>174 補足
09/05/07 06:35:39 VUfrmlIO0
補足
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
176:第4章 太政官布告批判
09/05/08 06:41:57 lElv+4RY0
6節 太政官布告と地方行政(続き)
3項 黒川の「触書」理解
黒川は、「明治4年の太政官布告第489号」を解放令として評価するが、
その布告に伴う三重県の「平民籍編入についての触書」の前書部分は、
被差別部落の人々」にとって差別的判断し、それ以上の探求を中止・封印して沈黙を守る。
筆者は、三重県の触書は太政官布告第489号の立法趣旨を十分に反映していると思う。
学問のしろうとである筆者は、三重県触書の前書の「屈辱的」・「差別的」と
黒川が判断する部分についても様々な知識と方法を駆使して解明する。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
177:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/08 21:19:50 kd6DMf+y0
吉田さんの説だと東日本と西日本で違いがでたのは牛の疫病だかだったと思ったが
豚インフル騒動みてると差別とか起こりそうだわな
178:第4章 太政官布告批判
09/05/11 22:51:05 xV5jB3ZI0
6節 太政官布告と地方行政(続き)
4項 黒川の「触書」解釈に対する筆者の批判
1.黒川の「触書」の解釈方法
黒川論文において、三重県触書の引用から意図的に排除されている部分がある。
黒川は、その理由を明らかにしない。
筆者は、黒川がとりあげなかった触書の部分を考察するとともに、
差別思想である「賎民史観」を無比判的に受け入れている研究者・教育者の学的限界を明らかにする。
2.部落解放運動への奉仕の学としての黒川学
黒川の部落史研究は、部落解放運動からの要請と影響に応える結論を
抽出・主張する「強弁」になってしまっている。
黒川が避けて通る文言こそ「触書」の重要な本質を語り伝える。黒川の触書解釈では、
近代部落差別成立の明治政府による権力側の関与の側面が
著しく削ぎ落とされてしまい「賤民史観」的見解以外の何ものでもなくなってしまう。
部落差別の本当の原因を追究せず、そこから逃亡する学究から、
部落差別完全解消につながる新しい理論がどのようにして生まれるのか。
179:>>178 補足
09/05/11 22:57:21 xV5jB3ZI0
1 URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
2 URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
180:第4章 太政官布告批判
09/05/14 06:48:54 VvREpWKh0
6節 太政官布告と地方行政(続き)
4項 黒川の「触書」解釈に対する筆者の批判
3.別火・別婚論と宗門改め
黒川は、三重県触書の前文を部落研究の一般説・通説である民衆の差別意識から解釈し、
政治学・宗教学・民俗学的背景についての追究は一切しない。
三重県触書を今日の部落研究で言われる「差別意識」・「けがれ意識」からのみ解釈することは、その本質を見失うことである。
日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」は、解釈を通じて近世・近代・現代の歴史を改竄・捏造していく。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
4.別火・別婚論
明治4年の三重県触書前文の「銘々火を改め申すべきこと」という文言は、
穢多の「各家々」が「非常・民」から「常・民」として「平民同様」の社会的地位に落とされる政策であった。
元来、「別火」・「別婚」は、「取り締まる側」と「取り締まられる側」の両者を区別するための重要なしるしであった。
明治という近代に入ってから、この「別火」思想は、差別的色彩を持って解釈されるようになっていった。
「別火」・「別婚」から派生する「別座」は、「旧穢多」を明治天皇制国家の中で「棄民」として差別する徴表として
意味合いが付加・強化され、社会的排除が累積された。
黒川は、「別火」の政治学的・社会学的・民俗学的背景を一切検証することなく、明治政府の近代部落差別構築に関する責任を免罪していく。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
181:第4章 太政官布告批判
09/05/14 06:49:58 VvREpWKh0
6節 太政官布告と地方行政(続き)
4項 黒川の「触書」解釈に対する筆者の批判
5.歴史学者の質を決める「前理解」
すべての学問(科学)は、常に学者・研究者・教育者が学問(科学)に従事する以前に、
潜在的に持たされている「前理解」を自覚し、それを意図的に払拭しないと、一般説・通説・俗説の踏襲に終わる。
黒川の『地域史のなかの部落問題』の基礎・土台となる近世の「穢多」理解は、一般説・通説・俗説の踏襲として余りに安直である。
また黒川は、内在する「賤民思想」から三重県触書の解釈に際して、いたずらに、「けがれ意識」を「読み込む」。
筆者は、その基礎と土台を堅固足らしめることで、黒川みどり著『地域史のなかの部落問題 近代三重の場合』は、
日本社会の中に存在する「社会病理」としての部落差別の完全解消につながる貴重な論考になると思う。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
182:第4章 太政官布告批判
09/05/26 06:54:25 ZunLn8Ng0
6節 太政官布告と地方行政(続き)
5項 地方行政の「穢多非人ノ称廃止」解釈(1)
明治4年の「賤称廃止」太政官布告第489号によって、
「旧穢多非人等」は、「非常民」としての「役務」から解放された。
しかし、太政官布告を具体化した諸府県の対応は、
極めてあいまいで「旧穢多非人等」の一部のみを「司法・警察」職に再雇用した。
「旧穢多非人等」は、「司法・警察」職を継承することができた人々と、
「司法・警察」から排除された人々の2種類に分化され、
近現代の「部落差別」が生まれる大きな要因になった。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
183:第4章 太政官布告批判
09/05/29 03:22:42 njAno9VbP
6節 太政官布告と地方行政(続き)
5項 地方行政の「穢多非人ノ称廃止」解釈(2)
明治4年太政官布告によって、府県は、、「穢多・非人」が「身分」とともに「役務」から解放・解雇されたとして、
「役務」に見合う報酬を停止したが、、「穢多・非人」をその職務から完全に解放しなかった。
また、明治4年太政官布告には、「これまでの職業は即ち平民の職業につき、相改むるに及ばず」として、
「穢多・非人」の「家職」については、当時の国民の92%を占める「平民同様」の施策がとられた。
しかし、「旧穢多」は、近世司法・警察たる「非常民」の「栄光」を忘れることができず「常民」化に緩慢であった。
このため、「旧穢多」はその「一新」を遅らせ、近代中央集権国家により内政問題・外交問題の捨て石と
されることによって、自ら近代化することに失敗させられていった。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
184:第4章 太政官布告批判
09/06/02 03:25:30 nbisjnbgP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」
1項 民衆の視角
筆者は、誰でも入手可能な一般書を組み合わせ「非常民の学」として再構築する、
無学歴・無資格の「職人」の営みを続けている。
たかが素人学、されど素人学・・・。
学者・研究者・教育者が持つことができない「民衆」の目から、
また「旧百姓」の目から見た明治4年太政官布告を検証していく。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
185:第4章 太政官布告批判
09/06/02 06:45:14 nbisjnbgP
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」
2項「旧百姓」の視角
「旧百姓」と「平民」、両概念の間には、相当大きな隔たりがあり
必ずしも同じ人々を指しているわけではない。
近世幕藩体制下において、「百姓」として、その自覚と責任を持って生き抜いてきた人々は、
明治新政府によって打ち出される「旧百姓」の解体、続く「平民」化に敏感に反応した。
筆者は、近世幕藩体制下の「百姓」≠近代中央集権国家の「平民」という命題のもとに、
一般的に言われる「部落解放令反対一揆」の本質に、
「平民」ではなく「旧百姓」の立場から迫っていく。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
186:第4章 太政官布告批判
09/06/04 03:02:11 k46RznbQP
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
3項「旧百姓」概念と「平民」概念
「刀狩令」以来、民衆は、「軍事・警察」に関与する「非常・民」と関与しない「常・民」に区分され、
近世幕藩体制下の「常・民」=「百姓」は、軍事・警察に関わることがなく社会生活に勤しむことができた。
しかし、明治4年太政官布告は、「旧百姓」(常・民)と「旧穢多」(非常・民)を同じ「平民」にし、
「常・民」をも軍事・警察に関与させるものであった。
「解放令反対一揆」は、「穢多(非常・民)」が「平民(常・民)」になることへの反対にとどまらず、
「平民(常・民)」が「穢多(非常・民)」にされていくことへの激しい反発でもあった。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
187:第4章 太政官布告批判
09/06/05 06:55:09 v5uaDR54P
7節】「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
4項】「旧百姓」の一揆要求
明治4年太政官布告第488号・第489号を契機に発生した「解放令反対一揆」は、
「新政府反対一揆」と呼んだ方がより的確である。
「旧百姓」が「権力」に突きつけた要求の中で、突出しているものは、「徴兵廃止」(軍事)と「穢多従前通」(警察)で、
「旧百姓」は、近代中央集権国家の軍国主義化(国民皆兵)に否を突きつけていったのではないか。
しかし、太平洋戦争終結まで、日本の民衆は、「平民」という名の「非常民」として生きることを余儀なくされた。
「解放令反対一揆」は、「愚民」のなせるわざではなく「賢民」のなせるわざであった。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
188:第4章 太政官布告批判
09/06/06 18:03:29 YTEFxBu1P
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
5項 部落史研究者のみた「解放令反対一揆」
歴史家は、明治4年太政官布告について、「被差別民」を「賎民」から解放し
「平民同様」の取扱いをする恩恵を与えたと解釈する。
戦後の学者・研究者・教育者は、日本の歴史学が培養してきた差別思想「賎民史観」に乗って、
「解放令反対一揆」を明治新政府の政治理念を理解できない「愚民」の所業とみなす。
しかし、学者・研究者・教育者が取り上げないテーマが、明治政府の外交問題を絡めた「行政改革」で
「官」から「民」へ「非常民」から「常民」へリストラされ旧体制のスケープゴートとして
在野に追いやられた「旧穢多」の姿である。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
189:第4章 太政官布告批判
09/06/07 12:42:34 QIWLdLOdP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 1.序
岡山県に統合された2県における穢多襲撃・殺害事件である、
明治5年(深津県)「新古平民騒動」・(北条県)「明治6年美作一揆」は、
学者・研究者・教育者による諸説が入り乱れ定説が確立していない。
これらの事件も、「渋染一揆」同様、史料や論文を見直し
『部落学序説』の研究方法を適用することで新しい解釈を提示することができる。
これらの穢多襲撃・殺害事件は、日本歴史学の差別思想『賎民史観』によって
歪曲・解釈され歴史の真実からほど遠いところへ追いやられている。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
190:第4章 太政官布告批判
09/06/07 20:15:26 QIWLdLOdP
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 2.「新古平民騒動」の発端
明治5年1月深津県における穢多襲撃・殺害事件では、参加の「旧百姓」は約千人に上り、
「旧穢多」3人が殺害され中田村の「旧穢多村」24軒が焼き討ちにより焼失した。
この事件について、《「新古平民騒動」の研究》の著者・明山修は、
「この『騒動』は地域社会における新古平民間の身分対立であり、
古平民の新平民に対する不安からくる衝撃的・付和雷同的先制攻撃(襲撃)で、
対新政府闘争型『解放令』反対騒擾ではない」とする。
明山は、「新平民は、村共同体に対し『かわた』役の拒否を宣言した。
これに対して古平民は『村掟』をつくり新平民に経済的制裁をもって『かわた』役継続を強制も、
新平民が村掟に抵抗したため、古平民は竹槍・小銃を携え蜂起したのが『騒動』発端」とする。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
191:第4章 太政官布告批判
09/06/10 07:01:09 Y8GZj3fNP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 3.「新古平民騒動」の真意
明治4年太政官布告が出されるまで、「平民」と「元穢多」との間には「騒動」・「一揆」に至る要因はなかった。
ところが、明治4年太政官布告によって、深津県に編入された元亀山藩の「穢多」は、
「穢多非人等」の身分が廃止され「役務」と「家職」から解放と見なす結果、
従来から勤めてきた「死牛馬取捨」(道路警察・衛生警察)を含む「役務」に関与することを辞退する「申出」を出した。
「旧平民」は、「眼前差し支えに相成り候」と困惑し、「元穢多」の反対給付として
「旧穢多」に対してなしてきた便宜を一切廃止するという報復にでた。
明治4年太政官布告の内容のあいまいさ、筆者がいう「半解半縛」が災いして、「騒動」・「一揆」が発生した。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
192:第4章 太政官布告批判
09/06/11 21:14:49 51DA+dkpP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 4.「新古平民騒動」の真意(続)
明治5、6年の2年間で全国5、6万頭の牛が、牛の間に伝染する最初の牛疫で倒れた。
明治5年1月「新古平民騒動」当時、家畜産地・中継市場であった
旧亀山県(旧亀山藩の現岡山県の飛び地)阿賀・上房郡内13ヶ村で「牛疫」が流行し、
「旧百姓」は感染死した牛の処分、感染牛の屠殺に追われていた。
しかし、明治4年に出された太政官布告により、「旧穢多」中に交通警察・衛生警察の職務を辞退する者が出たため、
「旧百姓」=「旧平民」は「旧穢多」に対し「かわた」であることを強制する雰囲気を醸しだし、
抵抗する「旧穢多」は「旧平民」から「仮想権力」として攻撃を受け「新古平民騒動」となった。
続く明治6年5月、家畜市場であった美作の事件では「旧穢多」18名が殺害・11名が負傷させられ314世帯が家を焼却、破壊された。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
193:第4章 太政官布告批判
09/06/13 02:05:58 d7qfRrL30
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 5.「美作血税一揆」の真意
「美作血税一揆」については、津山藩の「穢多」の末裔である部落史研究者
川元祥一が『部落差別を克服する思想』で述べている。
川元は、祖母から明治6年、川元家を襲った不幸についての話を聞かされた。
「美作国一揆は全部で2万人…が蜂起し…、一つの被差別部落を2000人も3000人もの人が取り囲む…。
当時約20戸の村…、抵抗なく一揆の要求を承諾。…、やがて私の家と、当時村の頭をやっていた家だけは打ち壊しにあった。
…結果的に(屠畜場を)廃業に追い込まれた…。」
川元は、「当時の農民など一揆勢の意識・観念は部落差別としていまも生きている」と主張する。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
194:第4章 太政官布告批判
09/06/13 18:09:49 +sMEWd8pP
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 6.「美作血税一揆」の真意(続)
川元は、「キヨメ」(浄メ)という「役」(職業)を担った人々として「穢多・非人」を見直し、
「ケガレ」は「穢多・非人」の「役」(職業)からでてくる言葉であるという。
川元の先祖は、明治4年太政官布告がだされ「斃牛馬処理」の権利が「穢多」の特権でなくなったたあとも
「斃牛馬処理」の営みを続けていたが、川元の先祖を「浄め役」から解放したのは特権廃止や「賤民解放令」ではなく、
「美作国血税一揆」に参加した「百姓」たちの打ち壊しであった。
川元は、「何が農民をそこまで動かしたのか、・・本当の意味で日本の近代を語るのは
このような農民の動きの解明から始めなくてはならない」という。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
195:第4章 太政官布告批判
09/06/14 18:39:27 /jGktvpOP
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 7.「美作血税一揆」の新解釈
明治政府は、西シベリアに牛疫の流行ありとの情報をもとに、
明治4年6月「悪性伝染病予防に関する布告」(太政官布告第276号)をだした。
布告には、(牛疫は)「牛」・…だけでなく「人」にすら感染する恐れのある恐ろしい伝染病であると説明があった。
明治5、6年の牛疫流行当時、部落史の学者などのいう「解放令反対一揆」を引き起こした「旧百姓」が直面していた
「けがれ」のもっとも大きなものは、太政官布告第276号が喚起した日本国外から持ち込まれる新しい「けがれ(穢れ)」であった。
川元がいう「屠畜場経営」に関しては、「美作国血税一揆」に参加した「旧百姓」は「穢多村」に押し入り、
「牛疫」の感染源ではないか査定をした。川元の先祖や穢多頭の家は、新しい外来の「けがれ(穢れ)」に
直面した「旧百姓」の「新政府反対一揆」の犠牲にされた。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
196:第4章 太政官布告批判
09/06/14 19:04:16 /jGktvpOP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 8.「美作血税一揆」研究の課題
明治政府に対する美作「旧百姓」たちの様々な訴えはことごとく無視され、
追い詰められた「旧百姓」は、政府と「同腹」なる「村ノ役人」(「非常・民」)に対し、
「一同竹槍或ハ鉄砲其外有合ノ得物ヲ携・・・立向フ」ことを決意し、明治6年5月26日蜂起した。
「旧百姓」は、蜂起理由として、徴兵・断髪・学制の3「布告」(西洋化)への不服をとりあげ、
「穢多非人等ノ称廃」に関する明治4年8月28日の太政官布告は不服に含まなかった。
「美作国血税一揆」は、明治政府に対する反対一揆であって「解放令反対一揆」ではない。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
197:第4章 太政官布告批判
09/06/15 04:55:10 bvlI/rvvP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
7項 網野善彦説の限界
網野善彦がいう「平民」と「職人」という言葉は、網野史学の学術用語として再定義された言葉である。
網野は、彼の理想とするところに違って、「平民」を農民とし農民以外のひとびとを「職人」に数えているに過ぎない。
民俗学の「常民」・「非常民」概念を遠ざけつつ、その外延と内包を安易に流用しているに過ぎない。
網野善彦の「平民-職人」、「東日本人・西日本人」説、「琉球とアイヌには被差別部落は存在しない」説、
その概念定義のあまさ(不十分さ)は、容易に崩すことができる類のものに過ぎず、
日本歴史学の通説から離脱したいと願いながら、日本歴史学に足をすくわれている網野の姿がそこにある。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
198:第4章 太政官布告批判
09/06/15 06:58:24 bvlI/rvvP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
7項 網野善彦説の限界(続)
網野善彦が、「東日本」と「西日本」の社会的差異を示すメルクマールとして
「部落差別」の存在の有無をとりあげるのはいかがなものか。
網野がそうするように、「被差別部落」を「西日本」にのみ固有のものとすることは大きな誤りである。
「東日本」・「西日本」に渡って北海道・沖縄を含む全国に存在していた「穢多」が、
「特殊部落民」として「西日本」に限定さるようになったきっかけは、
明治5、6年にかけて全国で流行し5、6万頭の牛が死んでしまった「牛疫」問題に端を発する。
「東日本」は、牛の存在は希薄であり北海道と沖縄にはほとんどいない。
その予防と感染後の処置をめぐるさまざまな葛藤が、明治4年の太政官布告「穢多非人ノ称廃止」に見られる
明治政府の意図とは別に、むしろその意図を否定するような形で、
「旧穢多」に対し「牛疫」にともなう「死牛馬処理」との関わりを強制させるようになっていった。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
199:第4章 太政官布告批判
09/06/16 05:38:55 P2un2spuP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」
1項 こどもの目・・・
近世幕藩体制から近代中央集権国家へ大きく変わる中、当時「旧穢多」のこどもであった人々も、
太政官布告第448・449号公布、新政府反対一揆にともなう「旧百姓」による「旧穢多村」襲撃により、
大人と同じようにいろいろなことを経験させられ命すら奪われた者も存在した。
この第4章第8節は、そのような「こども」の視点・視角・視座に立って、
太政官布告「穢多非人等ノ称廃止」と、それにともなう政治的混乱に注目する。
その時代の「旧穢多」の「こども」たちの遭遇した時代を明らかにする(方法としては)、
かすかに残された史料をもとに、「想像力」を働かせ、これまでの「部落学」の研究成果を踏まえて再構成する。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
200:第4章 太政官布告批判
09/06/17 06:44:08 BMLyHGaFP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
2項 小学校炎上・・・
明治6年5月に岡山(北条県)、明治6年6月に福岡(福岡県)、香川(名東県)における
「旧百姓」の小学校「放火」「焼毀」のあった3一揆は、「部落解放反対」というよりは、
「明治新政府反対」の文脈の中で生じたできごとである。
讃岐の豊田ほか7郡の「旧百姓」は、「徴兵告諭」が公布されたことによって、
自分たちが「平民」とされた本当の意味を知ることになった。
近世幕藩体制下の「旧百姓」は、軍事・警察に関与することのない
「常の民」・「常・民」・「常民」として生き続けてきた。
ところが、明治新政府は、「国民皆兵」の制を実施し、すべての成人男性を「非常民」に、
「旧百姓」が「旧武士」(軍人)や「旧穢多」(警察)のように「非常・民」とさせられることへの
激しい抵抗が、「讃岐の徴兵反対一揆」に発展した。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
201:第4章 太政官布告批判
09/06/18 22:52:14 zmwpR8onP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
3項 明治5年学制頒布当時の『被仰出書』
『被仰出書』とは、学校制度に関する最初の総合的な規定「学制」の「序文」である。
『被仰出書』では「学制」は、日本人民の自立のための国の支援である・・
『被仰出書』の中核は「学制ヲ定メ、追々教則ヲモ改正シ布告ニ及ブベキニツキ、
自今一般ノ人民(華士族農工商及婦女子)、必ズ邑ニ不学ノ戸ナク家ニ不学ノ人ナカラシメン事ヲ期ス」。
「讃岐の徴兵反対一揆」で讃岐の「旧百姓」が、自分たちの費用で一旦、小学校を建設したあと、
襲撃・放火・破毀したのは、小学校建設自体に反対行動をとったのではないか。
筆者は、『被仰出書』の表向きの意図とは別に、明治政府の隠された意図が、
讃岐の「旧百姓」にしられるところとなったことが、小学校48校の襲撃・放火・破毀に「旧百姓」を走らせたと想う。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
202:名無しさん@お腹いっぱい。
09/06/19 19:57:22 J1G+ro4r0
敷居は高いけれど内容のある名スレを久々にageておきます。
時間がある人はこのスレで土日に同和問題の勉強しよう。
203:第4章 太政官布告批判
09/06/20 22:03:44 HQh3Jm1FP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
4項 明治5年学制の隠された意図 その1
明治新政府反対一揆は、明治政府が朝令暮改よろしく王政復古を破棄し、
返って近代日本国家の政治・社会・文化を近代化・欧米化しようとしたところに端を発する。
当時の「旧平民」は、明治新政府の学制『被仰出書』に基づいて、
自分たちの町や村に、自分たちのために自分たちの手で、小学校を喜々として作ったにもかかわらず、
作ってまもない小学校を、自分たちの手で襲撃、放火、棄毀しなければならなかったのか。
筆者は、小学校教育の実態をみた「旧平民」が、その教育の隠された意図に激怒し、
血税反対一揆の当然の帰結として、小学校の襲撃、放火、棄毀に走ったと思う。
問題になった教科は「国語」であった。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
204:第4章 太政官布告批判
09/06/20 22:23:51 HQh3Jm1FP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
4項 明治5年学制の隠された意図 その2
明治新政府にとって、「兵制」確立のために、「学制」の確立は避けて通ることのできないことであった。
3府41県それぞれのくにの言葉が共存している状態では、
近代中央集権国家にふさわしい行政組織や軍事・警察組織をつくりあげることは不可能なため、
全府県に渡って通用する「通語」の導入が必要であった。
「学制」は、小学校教育によって日本全国に「通語」を普遍化させ、
「国民皆兵」による軍人養成の重要な機関とする背後の意図があった。
「讃岐の徴兵反対一揆」が、建設されたばかりの48小学校を襲撃、放火、棄毀に及んだのは、
讃岐の「旧百姓」が、「学制」の背後に、「国民皆兵」教育装置としての小学校の存在に気づいたからに他ならない。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
205:第4章 太政官布告批判
09/06/21 09:14:10 2uIipnEyP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
4項 明治5年学制の隠された意図 その3
当時、文部省の要職者、西潟訥の《巡視巧程説諭》には、陸奥・出羽の人々と薩摩・大隅の人々の使う言葉は、
同じ日本語とはいえ「全く相通ぜざる」異国のことばのようであるとし、
小学校でなされる国語の授業は「其不便」を取り除くために実施されているという。
筆者は、明治政府が、「正韻通語」(日本の東西で通用する標準語)を学習させることにより、
徴兵制で召集された「兵士」に対する日本全国一律の命令・軍事情報の一元的管理が可能になる、
と考えたと想定する。
讃岐の「旧平民」(旧百姓)が、「血税反対闘争」の枠組みの中で
新設小学校48校を襲撃、放火、棄毀の暴挙に出たのは、
小学校教育等の「学制」と「軍制」との密接な結びつきを見抜いた「旧平民」の新政府への批判・抗議である。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com))
206:第4章 太政官布告批判
09/06/21 12:08:44 2uIipnEyP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
5項 教育・言語・差別 その1
明治4年「穢多非人等ノ称廃止」太政官布告のあとも、
「穢多・非人」の一部は近世に引き続き「非常・民」として従前の警察業務に関与し、
「旧平民」の間からは、「旧穢多」を「非常・民」として引き続き警戒する雰囲気があった。
明治20年代までは、「穢多・非人」に対し、
近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての見方がなされていた。
しかし、明治30年代に入ってから、「旧穢多」・「新平民」に対する「人種起源説」的見解が芽生えだした。
「人種起源説」の発生場所になったのが、当時の小学校に於ける教育現場であった。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
207:第4章 太政官布告批判
09/06/23 05:16:53 EKedWpcBP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
5項 教育・言語・差別 その2
明治22年2月、中江兆民は、『東雲新聞』に「新民世界」と題する文章を投書し、
台頭しつつあった「新平民」を異民族の末裔とみなす「人種起源説」を全面否定した。
これに対し、?村漁客は「人種起源説」を擁護し、
「新平民」が社会より排斥される主な理由として、言語の転訛その他を「列挙」した。
その最初の証拠として、京都宇治郡山科「旧穢多の小部落」設置の小学校教師の、
「旧穢多」のこどもが話す「言語の矯正」に最も「困難」を覚えた、という証言を取り上げた。
漁客は、「旧穢多村」のこどもたちの標準語習得の難しさを前に、
その「無気力、無智力」は「支那・朝鮮にて智恵もなく、身代もなく、生計を成すにあたわざる者が・・波濤を越えて、日本にきた」
末裔であると断じ、「風土」・「習俗」の違いから生ずる「方言」を「人種」・「民俗」の違いにまで普遍化した。
漁客が中江兆民に「旧穢多」の社会的排斥の理由として提示した
「転訛」と「異類視」(「新平民」を異民族の末裔とみなす説)は、まったくの虚妄・虚説であるが、
日本全国の「旧穢多村」が同じような「異類視」に曝されていった。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
208:第4章 太政官布告批判
09/06/24 06:36:42 ULJs7ROYP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
6項 穢多と言語と誇りと・・・
水平社宣言の1節「誇りうる人間の血は、涸れずにあった」については、
福島県「旧穢多」の末裔・栃木重吉が、生きる試行錯誤、苦悩を乗り越え、
<存在>肯定の理論を「水平社宣言」の文言の中に組み込んだのではないか。
「旧穢多」の末裔をして、その<存在>の「誇り」を感じさせてきたものは何か。
筆者のなぞに答えを与えたのは、部落解放同盟新南陽支部の元書記提供の
『隠語について』という表題で長州藩萩城下穢多町の「穢多」の「末裔」の古老執筆の資料であった。
古老は、「人間としての誇り」を失うことから免れさせたのは、被差別部落固有のことば・言語で、
これが近世幕藩体制下の「穢多」であったことの誇りを忘れさせなかったという。
「旧穢多村」の住人にとっては、「よそもの」でしかなかった京都府宇治郡山科の小学校教師は、
「通語」をおしえるのみに汲々とし、「転訛」の陰に隠れた「穢多」の「人間としての誇り」につながる
「隠語」(警察用語)の存在に気がつかなかったのかもしれない。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
209:第4章 太政官布告批判
09/06/24 17:44:35 ULJs7ROYP
8節 こどもの目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)
7項 十手と少年
筆者の部落史にとって唯一の師である北川 健 先生(山口県立文書館の元研究員)は、
「被差別部落」の人々に対し「本当に、先祖が語り伝えてきた地名、伝承、歴史を捨てていいのか、
『被差別部落』の人々にとって、マイナスだけでなくプラスの面も含んでいる。」と詰め寄った話を耳にする。
筆者は、長州藩の「旧穢多町」・「旧穢多村」の末裔によって、その伝承が語り継がれ、
時がきたとき、それが明るみに持ち出され、部落差別の完全解消に貢献する・・、と確信する。
筆者は、小学生のころ、いじめの対象になったが、同じようにいじめられても泣かない同級生がいた。
彼は、いじめられたときに「十手を持ってきてぶってやる!」といい、ある日、十手をもってきて悪ガキたちを威嚇した。
そこへ彼の父が入ってきて十手をとりあげ、彼のあたまをボカスカ殴った。
彼の在所は、「被差別部落」(同和地区)のひとつであった。
そんな彼も今は60才。あの十手と、十手にまつわる近世幕藩体制下の司法・警察である
「非常・民」としての物語・歴史を子や孫にどのように語り継いでいるのか・・・。
今も十手は、「家宝」として磨きをかけられ、彼のレーゾン・デートル(存在理由)になっているのではないか。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
210:名無しさん@お腹いっぱい。
09/06/24 17:48:07 4GwQ+CjYO
地名を書かないのだから学問としては致命的だw
211:吉田無学の2
09/06/24 19:15:09 ULJs7ROYP
>>210
ご本家様の見解を紹介します。
これ以上は、何もこの点については書きません。
【部落学序説】(別稿)の冒頭部分
※「部落解放同盟」の方から、被差別部落の人名・地名の実名記載をしないのは、
被差別部落の地名・人名をタブー視することで返って部落差別を助長するとの指摘を受け、
執筆を中断した『部落学序説』旧第4章の文章群です。
筆者は、検証の結果、33年間15兆円を費やして実施された同和対策事業・同和教育事業終了後も、
部落差別が現存している状況に鑑み、今後も、被差別部落の地名・人名は実名記載しないのが妥当
と判断しましたので、一端削除した文書群を再掲することにしました。
『部落学序説』が被差別部落の地名・人名の実名記載に踏み切るためには、
まず「部落解放同盟」の方が地区・人名の一覧表を公開されることが必須です。
筆者は、その一覧表に則して、合致する地名・人名がある場合には地名・人名の実名記載を敢行します。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
212:名無しさん@お腹いっぱい。
09/06/24 19:20:49 4GwQ+CjYO
>>211
地名表記しないならば差別以前に学問にならないからなw
213:名無しさん@お腹いっぱい。
09/06/25 02:35:16 +t0QTiOd0
>>209
へー
銭形平次が穢多非人なんて初めて聞いた
バカッペの妄想ってすごいな(´・ω・` )
214:第4章 太政官布告批判
09/06/25 06:35:59 SxZatwk0P
9節 警察と遊女と部落と
1項 はじめに
第1節の主題は、「警察と遊女」である。『部落学序説』は「非常民の学としての部落学」であるため,
「常・民」より「非常・民」を優先させ、主題を「警察と遊女」の順とした。
筆者には「警察」も「遊女」も無縁の世界で、聞き取り調査をしたわけではなく、
筆者の手元には「警察」と「遊女」に関する史料、伝承、研究論文はほとんどなく、
ごくわずかな史料を用いて大胆な結論を出すことにためらいがある。
しかし、この主題を取り上げることなく『部落学序説』を先に進めることはできそうにないので主題に挑戦する。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
215:訂正
09/06/25 06:38:00 SxZatwk0P
>>214
●第9節
×第1節
216:第4章 太政官布告批判
09/06/26 00:11:29 rXOD205lP
9節 警察と遊女と部落と 《重要論文》(続き)
2項 日本の通史に見られる「警察」と「遊女」
網野善彦は、中世・近世の「非人」と「遊女」は、権力が付与した特権を有する「職能民」という
共通項(内包・属性)を持つゆえに、同等の存在とみなす。
しかし、網野は論理的に過ちを犯し、「検非違使」(地方においては「非人」)と「遊女」の関係が、
「検非違使」の「風俗警察」として「取り締まる」側、「遊女」の「取り締まられる」側という相反する関係にあることを見逃す。
「非人」と「遊女」の悪しき同一視は、中世・近世においては網野によって、近世・近代においては上杉聡によって、
それぞれ主張されてきたが、筆者はその良心にかけて、網野と上杉の見解は事実誤認であると断定する。
近代における「警察」と「遊女」の関係については、「取り締まる」側と「取り締まられる」側に区分される
ことはいうまでないが、両者の関係を複雑にしているのは、網野が指摘する検非違使等の「公事徴収権」
(警察職務遂行の報酬として税徴収)の近代・現代版の存在であった。
「娼妓・・には・・税金が課せられ・・地方税として県財政をうるおし・・その一部は警察探偵費にあてられた。・・」
「警察と遊女」というときの「警察」は、「国家による女性の性的収奪」の補助機関であった。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
217:第4章 太政官布告批判
09/06/27 02:29:21 bHMvgTQfP
9節 警察と遊女と部落と 《重要論文》(続き)
3項 日本の近代警察
序説の「非常民」は、時代を超えて使用できる司法・警察従事者を指す一般用語として採用した。
社会の治安をあずかる司法・警察である「非常民」は、古代から中世、近世、近代、現代へ時代が変遷しようと、
その職務が継承され、大きくその組織・内容が改変されない「非政治的」存在であった。
しかし、「明治維新」だけは、司法・警察制度にとって例外的状況が待ち受け、
明治初年代の相次ぐ「政変」によって(司法・警察制度が)政争の道具と化していった。
「部落学」の創設者・川元祥一は、その著『部落差別を克服する思想』の
「【補稿】近代初期の警察と差別の構造-部落が切り捨てられた過程」で、
「明治5年には内務省警保寮が管轄し・・・」と表現するが、内務省設置は「明治6年11月10日」
(『山口県警察史』)で、「司法」を「権力」によって封殺した大久保利通による「明治6年政変」の直後のことである。
川元は、年代と名称を誤認している。
川元は、「司法」と「権力」の闘争の中で、近代警察が「司法省」から「内務省」に移管されていくことに
ともなう警察の政治上の役割・機能の変更と、更には近世幕藩体制下の司法・警察に従事した「非常民」
(「穢多」・「非人」)の処遇をめぐる明治政府の「司法」と「権力」の確執を見逃している。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
218:第4章 太政官布告批判
09/06/28 06:49:14 JxcM7+KuP
9節 警察と遊女と部落と(続き)
4項 その1 明治維新と部落差別(旧:近代警察における「番人」概念の変遷その1)
「部落学」の創始者で『部落差別を克服する思想』の著者・川元祥一は、
明治維新が「1回限りの政変」であるという前提に立つ。
しかし、筆者は、明治維新が「版籍奉還」・「廃藩置県」・「明治6年の政変」の
3回の「政変」によって遂行されたと確信する。
しかも、この3回の「政変」の相互関係は、
「廃藩置県」は「版籍奉還」を否定し、「明治6年の政変」は「廃藩置県」の否定に上に遂行されていった側面を含み、
明治4年太政官布告第488号・第489号(通称「解放令」)は、
明治新政府の国政・外交の全動向を視野に入れて解釈する必要がある。
明治新政府は、「第1の中央警察機関」、「第2の中央警察機関」、「第3の中央警察機関」
(この表現のみ『山口県警察史』に登場)を構築していく中で、
「第2の中央警察機関」、「第3の中央警察機関」を「第1の中央警察機関」に統合し、
「明治6年の政変」によって「第1の中央警察機関」を否定して新たな「第4の中央警察機関」として改変していく。
その中で、川元が指摘する「旧番人」と「新番人」の確執と去就が問題になる。
明治政府の中にあった、ある方針が採用されていたら、
近代・現代の「部落差別」が作りだされる可能性は極端に少なかったのではないかと推測する。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
219:名無しさん@お腹いっぱい。
09/06/28 07:01:40 5EaAwuUyO
>>218
ネットウォッチ板に行けよw
220:吉田無学の2
09/06/28 07:12:46 JxcM7+KuP
ネットウォッチ板に行けよw、というならスレが立った段階で書くべき。
ここまで書き継いだ。ご本家様が完結した第4章の終わりまで要約を続けます。
221:名無しさん@お腹いっぱい。
09/06/28 08:10:52 5EaAwuUyO
>>220
お前馬鹿やろ?w
リンク貼るから1000まで容量オーバーで行かんぞw
222:名無しさん@お腹いっぱい。
09/06/28 08:18:26 jni/hYgvO
>213
バカは貴様だな。
小学生か?
223:吉田無学の2
09/06/28 08:19:46 JxcM7+KuP
>>221
リンクはるのは、あと69です。
224:【第4章】太政官布告批判
09/06/28 09:05:37 JxcM7+KuP
9節 警察と遊女と部落と(続き)
4項 その2 軍事警察から民政警察へ(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その2)
明治初年代の「警察」が、「戦時」(幕末から明治初頭の時代)の「軍政警察」から
「平時」下の「民政警察」へどのように移行したのか。
移行の様態と、その中で「受容」と「排除」を繰り返される近世幕藩体制下の司法・警察である
「穢多・非人」の姿について言及する。
「警察制度の確立」は、不満を抱く士族の乱や農民一揆鎮圧などの「内政問題」だけではなく、
「外交問題」からの強い要請、即ち外国軍隊の日本駐留・警察権行使を容認した
不平等条約による治外法権の早期撤廃等も大きく起因していた。
明治新政府は、明治元年1月、「三職七科」の中央官制を成立させた。
このとき、「治安警察」は「海陸軍事務科」が担当し、
「監察・糾弾・捕亡・断獄・諸刑律の監督」等、従前は「非常民」が従事した
「司法警察」は、「刑法事務科」が担当することになった。「刑法事務科」は「中央における警察機関の初め」であった。
翌2月、「三職七科制」は官制改革で「三職八局の制」に改編され、
海陸軍事務科は軍防事務局、刑法事務科は刑法事務局になった。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
225:【第4章】太政官布告批判
09/06/28 14:23:56 JxcM7+KuP
9節 警察と遊女と部落と(続き)
4項 その3 警察の近代化と旧穢多(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その3)
明治元年3月『五カ条の御誓文』宣布、
閏4月にはこれを制度的に具体化し「中央集権権力創出」するため『政体書』の公布がなされ、
「警察」機構においては「軍防事務局」が「軍務官」に、「刑法事務局」が「刑法官」に改組された。
明治2年7月の第三次の官制大改革では2官6省となり、「軍務官」は「兵部省」に、「刑法官」は「刑部省」に改組された。
「刑部省」は「犯罪の捜査、犯人の検察」等の「司法警察」を担当した。
(近世幕藩体制下の司法・警察の継承として「第1の中央警察機関」)
「兵部省」は東京府下、地方の警備や凶徒の鎮圧など「治安警察」を担当した。(「第2の中央警察機関」)
同年5月、さらに、政府に不満を抱く不平士族による全国的な政治的陰謀の摘発を主任務とする、
いわゆる政治警察(「宗教警察」を含む)である「弾正台」が設置され、「反政府活動」をする者に対し探索・糾弾・監察を行った。
(「第3の中央警察機関」)
当時の地方「警察」は、近世幕藩体制下そのままで、全国の「穢多非人等」は従来の司法警察職務の他に
「政治警察」の職務を押しつけられ、明治新政府のキリシタン弾圧政策においては、
かっての残虐・悲惨・恐怖なイメージを人民に想起させるようなキリシタンの探索・探偵・糾弾を職務として強要された。
明治4年7月、明治新政府は「第1の中央警察機関」の継承者として「司法省」を設置して
「第2の中央警察機関」・「第3の中央警察機関」を廃止したが、
第2・第3の中央警察機関の「治安警察」・「政治警察」の機能は「司法省」に統一され、
「司法省」は司法警察・治安警察・政治警察(宗教警察)の全警察機能を具備した。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
226:第4章 太政官布告批判
09/06/28 18:00:43 JxcM7+KuP
9節 警察と遊女と部落と(続き)
4項 その4 警察の近代化の闇…(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その4)
明治4年7月、廃藩置県の断行後、地方行政の統廃合・再編成が繰り返され、
明治21年3府43県に確定したが、地方警察も相前後して「統廃合」「再編成」を余儀なくされたと想定する。
明治5年4月、江藤新平が初代司法卿に就任し、「近代国家にふさわしい司法権を確立すること」に集中した。
同年8月「司法省警保寮」が設置されたが、「警察権」をめぐる地方の「地方官」(大蔵省管轄下)と
「裁判所」(司法省管轄下)との対立、中央における「大蔵省と司法省の対立」が存在し続けた。
「明治6年政変」で江藤を含む閣僚の半数は野に下り、江藤は、「警察権」をめぐる抗争の相手であった
大蔵省関係の官僚によって捕縛・糾弾(拷問)、「除族」(身分剥奪)の上「斬首梟首という極刑」に処せられた。
大久保利通は、政変後の明治6年11月内務卿に就任し、翌年1月設置の「内務省警保寮」に
「司法省警保寮」(廃止)の警察権を移管させた。
「司法省警保寮」から「内務省警保寮」への移管は、「近代警察」が「司法警察」から「行政警察」へ移行して、
行政から独立した司法に属する機関から、行政と密接に結びついた権力機関となったものである。
明治6年政変後の明治政府は、薩摩・長州の旧藩閥による利権の拡張を求め、
その政敵の排除を「内務省警保寮」という警察機関を通じて実現していく。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
227:第4章 太政官布告批判
09/06/28 19:19:24 JxcM7+KuP
9節 警察と遊女と部落と(続き)
4項 その5 江藤新平と大久保利通の政治的対立(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その5)
最初の司法卿・江藤新平は、新政府の「官僚」に対しても、「法」のもとで公明正大な職務の遂行をもとめ、
「法」に違反する者は、たとえ、新政府の「官僚」であろうと厳罰をもって処する旨宣言した。
「立法・行政・司法」3権の「司法」を担当する司法省の下部機関「司法警察」は、
「長州派閥」の中から利権をあさり私腹をこやす「官僚」の「疑獄事件」などを明らかにした。
大久保利通は、「司法権」と「行政権」の「分裂」により「長州汚職閥」が明るみに出され、
新政府の内部対立が白日のもとにさらされたため、新政府の「権力」弱体化を懸念し、
政治的策略を弄して政敵・江藤を失墜させ、「警察権」を「司法省」から「内務省」に移し、
「行政権」と対立する「警察権」ではなく「行政権」に追従する「警察権」の確立を図った。
江藤は、日本の伝統的な司法・警察制度を「法」と「制度」の形式を継承しつつ、
「近代警察」に相応しい質と内容(の「警察権」)を構築しようとした。
それに反し、大久保(の「警察権」)は、「法」と「制度」の形式の「強引な欧米模倣」(川元)に徹し、
その質と内容は日本の伝統的な「司法・警察」であった。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
228:【第4章】太政官布告批判
09/06/29 05:13:10 FUjJvGPvP
9節 警察と遊女と部落と(続き)
4項 その6 人権の父・江藤新平、政敵・大久保利通に敗れる(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その6)
明治新政府内部の「権力闘争」、「江藤新平」(司法権)と「大久保利通」(行政権)との
対立(と以後の経過)は、新政府内部の「政変」(クーデター)であった。
「権力闘争」の一方の当事者である「江藤新平」は、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての
「旧穢多・非人」を、専門的知識と技術を持つ「現場の警察の仕事」として再評価し、
近代日本の「警察システム」の中に組み込もうとしていた。
法的合理性を説く「江藤新平」に対し、「大久保利通」は、「計画的」に「江藤新平」を「抹殺」した。
毛利敏彦は、このとき、「人権の父」である「江藤新平」だけでなく「近代日本における
法治主義(それに対応する「警察システム」)・・・の非命の最後であった」という
「江藤新平」がもし政権を握っていたとしたら、少なくとも、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての
「旧穢多・非人」が、近代警察システムの中で、その専門的知識と技術に相応しい処遇をされていたとしたら、
今日のような「部落差別」は発生しなかったのではないか。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
229:【第4章】太政官布告批判
09/06/29 06:37:48 FUjJvGPvP
9節 警察と遊女と部落と(続き)
4項 その7 部落史上から無視される江藤新平とその政策
(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その7)
明治政府の「権力」側・「大久保利通」の勝者の側に立脚する歴史学者や歴史研究者は、
「江藤新平」を無視、過少評価する傾向がある。
部落史の代表的な研究として部落解放研究所編『部落解放史』があるが、
「江藤新平」については「明治6年政変」で下野した人々の人名表の末尾に出てくるのみで、
江藤新平とその業績は黙殺されているに等しい。
『部落解放史』は、近世幕藩体制下の「穢多」とその末裔「旧穢多」を、
「学術用語」としての「賤民」概念で把握し、筆者が指摘する「賤民史観」の典型である。
「明治6年政変」当時、権力闘争の当事者であった「江藤新平」にしても、「大久保利通」にしても、
「旧穢多」に対しては、『部落解放史』がいう「賤民」とは、とらえていなかった。
明治政府は、明治4年7月廃藩置県によって、旧体制(近世幕藩体制)を身分制度を含め全面的に廃止し、
一端廃止にしたうえで「旧穢多・非人」の再編成に取り組んだが、
その作業に積極的に関与したのは、司法卿・江藤新平であった。
しかし、今日に、歴史学者・歴史研究者は、近代「被差別部落」の歴史を解明するのに貴重な、
この時期の資料を墨で抹消したうえで、切り取ってしまう。
なぜ、『部落解放史』は、江藤新平とその業績を排除するのか、歴史の真実を隠蔽するのか。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)続)
230:第4章 太政官布告批判
09/07/01 14:06:35 5Qn4UKvyP
9節 警察と遊女と部落と(続き)
4項 その8 旧穢多を近代警察に組み込む江藤新平の政策
(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その8)
江藤新平は、明治5年4月、司法卿就任後、近代中央集権国家に相応しい
法治主義に基づく「司法権を確立」しようとした。
同年8月「司法職務定制」制定により、大蔵省管轄下の地方官(府県)支配にあった
「邏卒・捕亡吏を・・・検事局に所属させ、司法警察の管轄下に置」こうとし、「司法省が全国警察権を掌握する」。
同月28日、司法省警保寮が設置され、それまでの東京府の邏卒は、同寮へ移管、
同寮は「国家の治安組織」(『山口県警察史』)となり、同年10月「警保寮職制及警保寮章程」により
「…全国の警察は司法省のもとに統一…警保寮が直接これを管掌…、警察は軍政警察から司法警察へと脱皮…」。
江藤は優秀な政治手腕の持ち主で、司法卿就任4ヶ月にして近代中央集権国家に相応しい近代警察の枠組みを作った。
『部落解放史』が言及することのない司法卿・江藤とその司法・警察制度創設の動きの中で、
首都・東京はもちろん地方各府県に至るまで、近世幕藩体制下の司法・警察としての「非常・民」である「旧穢多・非人」が、
明治5年司法省下の近代警察機構に司法省の方針により積極的に組み込まれた。
新政府の動きの中で、旧幕藩体制下の司法・警察に従事した「非常・民」である「旧穢多・非人」を、
近代中央集権国家の警察機構に組み込む動きがあった。
そして、それが現実に実施されたことは、部落史の、これまでの常識と著しく反することである。
部落解放運動の「御用学者」と化した部落解放研究所の学者・研究者たちは、
これまでの通説に反するこれらの資料を、部落解放運動にとってプラスにならないとして
「差別文書」扱いにして無視してしまった。
問題解決の源泉を破棄して恣意的に部落史を捏造するところからは、
部落差別完全解消のてがかりを発見することはできない。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
231:名無しさん@お腹いっぱい。
09/07/01 19:15:49 /6NajsUsO
自分の意見を書けよ
232:吉田無学の2
09/07/01 19:27:49 5Qn4UKvyP
>>231
吉田向学さん(本職:日本キリスト教団牧師)の部落学序説は、
私にとっては、驚天動地の魅力ある仮説。目から鱗が落ちる思い。
詳しくは、第4章の要約が終わってから書ければ、書きます。
233:名無しさん@お腹いっぱい。
09/07/02 15:28:54 DDyuXO250
歴史学者に一向に相手にされないトンデモをせっせとコピペする馬鹿( 嘲笑 )
234:第4章 太政官布告批判[
09/07/03 06:43:48 vdtaOcbTP
9節 警察と遊女と部落と(続き)
4項 その9 まぼろしに終わった警察制度(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その9)
明治5年2月、司法省は、外国人法学教師、フランス人ジュ・ブスケを雇用して
「警察概念・警察制度」の情報を入手し、「穢多非人等ノ称廃止」太政官布告から1年10ヶ月後の
明治6年6月、「警察規則案」を作成し太政官あて提出した。
しかし、「明治6年政変」により同年12月、この案は消滅したが、これは「外国の模倣」(川元)ではなく、
近世幕藩体制下の司法・警察である「非常・民」としての「旧穢多」・「旧非人」が行ってきた
「現場の警察の仕事、・・歴史を徹底的に研究し」、それを再評価の上、近代国家に相応しい
警察制度を創設しようとするこころみであった。
「警察規則案」第11条においては「行政警察官」の定義が、第19条には「司法警察官」の定義があり、
法文上「警察官」という概念の外延(誰が警察官に任命されるべきか)と内包(警察官は何を職務となすべきか)の
定義が明確になされていた。
第11条・第19条では、警察官の外延として「捕亡吏、番人小頭・番人・・」が規定され、
これは近世幕藩体制下の司法・警察である「非常・民」の外延(同心、目明し・穢多・非人、庄屋・畔頭)を意味し、
その内容においては、日本の近世幕藩体制下の司法・警察である「非常・民」制度をそのまま踏襲していた。
部落解放研究所は、『部落解放史』から、司法卿・江藤新平の指導で構築されていった
近代警察制度の構想を「無視」する。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
235:第4章 太政官布告批判[
09/07/04 15:11:51 08Cr3MnSP
9節 警察と遊女と部落と(続き)
4項 その10 もし、江藤新平の警察制度が実施されていたとしたら・・・
(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その10)
明治新政府は、明治5年に期日を迎える「不平等条約」(治外法権受容と関税自主権放棄)の
早期撤廃を目的として、その「要職」から多くの人員を外交使節団として欧米各国に送り出した。
明治4年11月岩倉使節団は日本をはなれたが、条約改正交渉は途中で打ち切られ、明治7年9月帰国した。
その間、「留守政府」を担った実務派・大隈重信と理論派・江藤新平は、主な長州・薩摩派閥「要職」不在中、
近代中央集権国家建設のため、日本の法制度・法制史の精神・伝統を保持しつつ、
取捨選択して諸外国の制度を導入する「予想以上に成績をあげた」「留守政府の施策」を実施した。
・・・・明治5年02月 近代的所有権の法認・・・明治5年04月 東京大阪間電信開通・・・
明治5年08月 近代教育制度創設・裁判所体系整備・・・明治5年09月 新橋・横浜間鉄道開通・・・
明治5年11月 徴兵告諭布告・太陽暦採用・国立銀行条例制定・・・明治6年06月 キリシタン禁制高札撤去
・・・他に、「国憲編纂と国会開設の計画、法典整備、・・・全国郵便制度実施 めまぐるしいばかりの新政策・・・」
大隈・江藤による「留守政府」(真正の明治政府)は、条約改正交渉のために放浪する
岩倉使節団のできなかったことを現実化して諸外国からその政策を支持された。
その肯定的評価を背景に、形の上で切り捨てた近世幕藩体制下の司法・警察であった
「非常・民」・「旧穢多・非人」を、あらためて近代中央集権国家の警察として再組織しようとした。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
236:第4章 太政官布告批判[
09/07/04 16:35:52 08Cr3MnSP
9節 警察と遊女と部落と(続き)
4項 その11 旧穢多を近代警察から排除する大久保利通の政策
(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その11)
(明治6年5月、岩倉使節団離脱・単身帰国の)大久保利通は、「明治6年政変」(クーデター)により、
政敵・西郷隆盛・板垣退助・江藤新平・後藤象二郎・副島種臣等を排除し、
同年11月、自らが設置を提案の内務省・内務卿に就任、明治7年1月「内務省職制及事務章程」を制定、
江藤が司法省(「司法権」)に設置した「警保寮」を内務省(「行政権」)に移管・帰属させた。
「警保寮」内務省移管は、近代日本の警察制度を決定的に方向づけ、
それ以降の近代日本の警察システムは「行政権」に帰属し、国内政治を担当する内務省に集中され、
権力の番人(「権力の走狗」)としての警察が成立した。
このことが後代に影響し、戦前の特別高等警察(政治警察)に至る民衆の弾圧機関になってしまった。
また、司法卿・江藤のもとで、窮地と失脚の淵にたたされた「山城屋和助事件・三谷三九郎事件の山県有朋・・
汚職・不祥事を続出させていた長州藩は・・・罪責をうやむやに」された。
内務省は、明治7年4月、司法省設定の警察官「番人」呼称の全国強制を撤回し、
司法省の近代警察機構構築に(組み込まれた)近世幕藩体制下の司法・警察である
「非常・民」としての「旧穢多・非人」をも、再び排除した。
明治8年3月、内務省「行政警察規則」制定により、「旧穢多・非人」の近代警察システムへの組込は表向きは
中止されたが、近世幕藩体制下300年間に渡って培われ継承されてきた
「旧穢多・非人」の専門的知識と技術なしでは、近代警察システムを充分運用することができないため、
新政府は極めて「いびつな形」(「半解半縛」)で彼らを近代警察システムの中に組み込んだ。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
237:第4章 太政官布告批判
09/07/04 19:23:57 08Cr3MnSP
9節 警察と遊女と部落と(続き)
4項その12 川路利良の指摘する「卑弱の傭夫」は旧穢多にあらず
(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その12)
「日本警察の父」といわれる川路利良は、司法卿・江藤新平の命を受けて、西欧の警察制度の調査に渡欧し、
帰国後、江藤の政敵となった大久保利通に加担、後、内務省下の「大警視」(東京警視庁のトップ)として活躍した。
川路は、帰国後の明治6年10月「警察制度につき建議」を提出し、
司法卿・江藤のもとで設置された「番人制度」を全面的に批判し、「番人制度」の廃止、
即ち「卑弱の傭夫」(「番人」)を廃止し「邏卒」を採用することを提言した。
「番人」とは、東京府下に配置された1200人の、司法省警保寮の監督下にある「番人」のことで、
その大半は近世幕藩体制下で司法・警察に従事していた「穢多・非人」の類(自身番・番太等も含む)ではないかと思われる。
筆者は、ほんとうに、「番人」は「卑弱の傭夫」か疑う。
日本に駐留している外国人兵士が窃盗・殺人等の犯罪を犯しているのを、「番人」が現行犯逮捕して連行しようとしたとき、
その駐屯地から銃剣で装備した外国の軍隊(兵士)が出てきて、犯罪を犯した兵士だけでなく、
それを逮捕しようとした「番人」までその駐屯地に連行された。
その理由は、日本人が外国人に対して危害を与えた場合、多額な賠償金を請求されることを恐れた
明治新政府が、「番人」に剣・銃を持たせず、ただ「棒きれ」を持たせたに過ぎないからであった。
「卑弱の傭夫」とは、不平等条約改正に失敗した大久保や、その官僚の川路利良に他ならなかった。
やがて大久保独裁政権は、切り捨てた「旧穢多・非人」の「非常・民」としての
専門的知識と技術・経験に頼らざるを得ない事態に遭遇することになり、
政敵・江藤の政策のただしかったことを事実として認めざるを得なくなる。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
238:第4章 太政官布告批判
09/07/04 19:30:41 08Cr3MnSP
9節 警察と遊女と部落と(続き)
4項 その13 「エタ」(旧警察)と「ネス」(新警察)
(旧:近代警察における「番人」概念の変遷 その13)
筆者が、「ネス」ということばに遭遇したのは、元徳山藩「北穢多村」の系譜をひく被差別部落の中で開かれていた
部落解放同盟新南陽支部の解放学級参加時であった。
その解放学級で、「部落と警察」、「部落と犯罪」というテーマが取り上げられ、
当時の支部長はこれらのテーマで話をされるとき、「警察」に対する親しみと懐かしさを持って語った。
支部長の話に「エタ」と「ネス」という一対のことばがあり、支部長によると、
「エタ」ということばを投げつけられて差別されたとき、相手に「ネス」ということばを投げかけていたという。
「エタ」は玄人(プロフェッショナル)、「ネス」は素人(アマチュア)の意味であるが、
「エタ」と言われて被差別部落のひとは、その差別語のために傷つくものの、
その応酬として差別する一般のひとに「ネス」と投げ返すとき、一般のひとはそのことばにどれだけ傷つけられるのか、
つゆも傷つけられるということはないのではないか。
この言葉のやりとりは、「差別」対「被差別」の言葉のやりとりではないのではないか。
「エタ」(=近世幕藩体制下の司法・警察である非常民としての穢多で、
明治4年の太政官布告以降非常民の職を解かれたひとのこと、「旧番人」)
「ネス」(=明治4年以降、警察官になった元常民及び元武士の一部、「新番人」)
「やあーい、首になった警察官!」、「素人警察官が何をぬかすか!」
又は、「旧番人!」と揶揄されて、「新番人!」と切り返す、意味ではないか。
筆者がそう考えたとき、当時の支部長が、楽しそうに懐かしそうに、
「部落と警察」、「部落と犯罪」の話をされる「生活の座」(Sitz in Leben)にたどりついたような気がした。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
239:第4章 太政官布告批判[
09/07/05 14:01:31 Lu4jr15OP
9節 警察と遊女と部落と
5項 「旧穢多」の受容と排除 その1(宮本常一のことば)
筆者の『部落学序説』開始後、これといった反論・批判もなく今日にいたる。
その中で、「穢多」という「差別語」を繰り返し使用しているにもかかわらず、「差別発言」であると指摘する者はなかった。
『部落学序説』は、「筆者の差別性を曝しながら、賤民史観を撃つ・・」、筆者の「差別性」を明確に自覚して
執筆するスタイルゆえに、部落差別の差別者・被差別者を問わず、
第三者的(ひとごと・たにんごと・えそらごと的)に関与してきた者にとっては、違和感の多いものになったのであろう。
この10日間、筆者が目を通した書籍の中で、宮本常一著『民俗学の旅』の次のことばが、こころの中に沈んできた。
宮本の父の「・・・あとからゆっくりついていけ、それでも人の見のこしたことは多く、・・」
「・・自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。」、宮本の師、渋沢敬三からの
「大事なことは主流にならぬことだ。・・・その見落とされたものの中に大事なものがある。それを見つけてゆくことだ。・・」
「常民の学」としての民俗学を構築してきた宮本と、「非常民の学」としての部落学構築を標榜する筆者との
共通点をあえて抽出すれば、それは宮本の「私は長いあいだ歩き続けてきた。・・・」のことば、
即ち、自分の足で歩き続けることにある。
筆者は、「常民の学」としての宮本が「見失った・・・」、「非常民の学」としての部落学構築の旅を続ける。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
240:第4章 太政官布告批判[
09/07/05 23:07:49 Lu4jr15OP
9節 警察と遊女と部落と(続き)
5項 「旧穢多」の受容と排除 その2(川元「部落学」と吉田「部落学」の比較一覧)
川元祥一著『部落学』と、吉田向学著『部落学序説』の「部落学」を比較した。
・・・(比較)36 部落問題のイメージ
川元:まだまだ暗くて重いイメージの中にある
吉田:学校同和教育における「部落民像」は「虚像」。被差別部落の青少年は、「虚像」を捨てて、「実像」に
基づいて生きるべき・・・。「過去」の歴史を直視するもののみ「未来」の歴史を栄光あるものにすることができる。・・・
比較・検証しながら、筆者は、ある仮説を想定した。
それは、「部落民であることは、部落民が何であるかを知ることができる絶対的要因ではない」・・・、
「部落民」であるがゆえに、かえって「部落民」が何であるかという認識に失敗している場合も少なくない。
学力・学歴補償により「大学」へ進学した「被差別部落」出身の青年は、
歴史の真実からほど遠い「賤民史観」を植えつけられ、「被差別部落」のひとは、
近世身分制度の中で最下層の「みじめで、あわれで、気の毒な存在・・・」というイメージを共有することを要求された。
無学歴・無資格の筆者の目からみると、「他者」・「第三者」・「世間」の「部落民」を見るまなざしを受け入れ、
その範囲で、「部落民」であることの負の遺産を克服しようとするいとなみは、極めていびつなものにしか見えない。
川元も、そのようなタイプの存在である。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
241:第4章 太政官布告批判[
09/07/07 06:47:21 VdkasDf3P
9節 警察と遊女と部落と(続き)
5項 「旧穢多」の受容と排除 その3(筆者がであった本当の教育者)
「「旧穢多」の受容と排除 その2」を書いてから約3週間、『部落学序説』の資料整理中、
林竹二著『田中正造の生涯』を読み、政治家・田中正造と教育者・林竹二の思想・生き方に深く打たれた。
もっと早く両者のことを知っていたら、『部落学序説』はより早く完成、その内容も充実できたのに・・、
林のような教育者がいたことに驚きの思いを持ちつつ、そのような教育者に出会わなかったことにさびしさを感じた。
しかし、筆者は、下関書店のMさんのことに気がついた。
それは、筆者が、今の小さな教会に赴任してまもなく、下関書店のMさんという人が尋ねてこられ、
以後、Mさんは、部落差別問題・三里塚問題・天皇制問題について、
読書指導を通じて筆者に対し「学問」の世界に目を開いてくれたからである。
そして、『部落学序説』執筆の基本的な資料が整うまでになり、
筆者の蔵書がある意味充実しているのは、Mさんによる。
筆者は、彼から真正の教育を受けることができた。その期間は8年間・・・。
『部落学序説』の方法論は、山口の地で、いろいろな人との出会いの中で構築されてきたものである。
筆者は、山口の地に「同化」することはできないが、山口の歴史と文化の本質を「被写体」として見続け、
記録していきたい。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
242:名無しさん@お腹いっぱい。
09/07/07 13:32:22 GDn+TtDBO
部落という日本語を特殊部落専用にするとは何たる横暴だ?
243:第4章 太政官布告批判[
09/07/08 05:19:36 dpJrmMVa0
9節 警察と遊女と部落と(続き)
5項 「旧穢多」の受容と排除 その4(図解)
「図1」「賤民史観」、部落研究・部落問題研究・部落史研究の一般説で、『部落学序説』の批判の対象である。
「図2」『部落学序説』は、近世幕藩体制下の身分制度は、「武士」(士・穢多・非人)身分と
「百姓」(農・工・商)身分から構成され、「穢多・非人」は、「武士」身分階層の末端に位置づけられた人々である。
「図3」は、維新後の明治4年廃藩置県までである。
「図4」は、廃藩置県後の、近世幕藩体制下の身分制度廃止と近代中央集権国家・明治天皇制下の
身分制度変遷、近世幕藩体制下の「非常・民」(藩士・士雇・穢多・非人・庄屋・名主)と
「常・民」(百姓・町人・その他)が、どのように近代的身分に組み換えられていったかを示す。
「図5」「明治6年政変」前のいわゆる「留守政府」は、、幕藩体制下の司法・警察である
「非常・民」(士雇・穢多・非人・庄屋・名主)を近代警察の中に再度取り込もうとしたが、
世襲制度を廃棄し「新非常民」(近代警察)になるためには採用試験合格が必要となった。
また、「新非常民」(軍人)になることができない人、女性・こども・障害者・病人・・・などは、
「新常民」として差別の対象に貶められていった。
「図6」は、「明治6年政変」後の「大久保利通の明治政府」では、「新平民」が「新非常民(警察)」になる道が急速に狭まれ、
「新非常民(警察)」から排除されることになった「旧非常民(穢多・非人)」も、女性・こども・障害者・病人などと同じく、
「差別的なまなざし」がむけられるようになった。
明治4年から昭和20年の敗戦まで、戦前の日本社会は、「非常・民」(軍人)としての生き方が尊ばれ、
「常民」としての生き方が「女々しい」として軽んじられた世界である。
敗戦後、「非常・民」(軍人)であることを強制されることがなくなった社会は、
近世幕藩体制下の日本の社会に酷似している。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
244:第4章 太政官布告批判[
09/07/09 06:49:44 QS3KyY3LP
9節 警察と遊女と部落と(続き)
5項「旧穢多」の受容と排除 その5
近世幕藩体制下の司法・警察である「非常・民」としてその職務にあたってきた「穢多非人等」は、
明治維新以降もその職務に従事していた。
これに関し、大日向純夫は、『日本近代警察の確立過程とその思想』
(岩波近代思想大系『官僚制・警察』の末尾添付論文)において、
明治4年の「廃藩置県」・「穢多非人等ノ称廃止」両太政官布告以降における
旧「穢多非人等」の受容と排除の両側面について言及している。
大日向は、旧「穢多非人等」の受容面について、次の「具体例を列挙」する。
【浦和県】「非常・民」としての「番非人」の旧「名称」は廃止しても、「非常・民」としての職務は継続。
【山梨県】「元非人」に対して、「非人」の呼称を廃止して、かわりに「番人と称して従来通りの役目を負わせる」。
【鳥取県】明治4年10月「鉢屋・非人の称を廃止」し、制度・組織そのものを解体する措置をとったと思われるが、
「穢多非人等」を「平民」同等とした上で、「新平民」のみを「捕手」という名目の下に新制度に組み込んだ。
【三重県】明治5年8月、「従来の番人ないし非人番からなる捕亡手先200人余りを管内各村に配置」。
「穢多非人ノ称」を廃止し、「捕亡手先」として「非常・民」を再配置した。
大日向がとりあげる、東日本、西日本各2例の具体例は代表的なものに過ぎず、明治4年の両太政官布告以降、
東日本においても西日本においても、旧「穢多非人等」の処遇には大きな変化はない。
「穢多非人等」の「非常・民」は、キリシタン禁教政策の宗教警察であったため、
北海道から沖縄まで、その本質において大きな違いがなかったものと思われる。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
245:名無しさん@お腹いっぱい。
09/07/09 20:15:44 +VxfH07uO
田布施
246:第4章 太政官布告批判[
09/07/10 19:58:56 IxbBe1zAP
9節 警察と遊女と部落と(続き)
5項 「旧穢多」の受容と排除 その6
大日向は、明治4年の両太政官布告以降における「旧穢多非人等」の「排除」の例として、
西日本の「兵庫県」・「鳥取県」・「島根県」をとりあげる。
【鳥取県】鳥取県においても、近世幕藩体制下では「鉢屋」が近世警察の一翼を担っていたが、
大日方は、明治5年、「鳥取県では、『捕亡取締』の設置を発表した際、往々『不正ノ弊』があるとして、
従来の鉢屋(被差別身分)を一切廃止した」という。
【島根県】明治5年8月、「士族からなる24人の邏卒を編成して松江市街を巡邏させることとしたが、
その際、各区レベルでは旧鉢屋が「取締下勤」などの名目で使用されていた」。
【兵庫県】「兵庫県」の「穢多非人等」は、近世幕藩体制下の「旧弊」・「弊風」を忘れることができず、
町や村の「祝儀」・「不祝儀」に際して「米銭」を要求したり、「祭礼」に際して「店から品物または金銭を取り上げたりする」
ので「不都合」であるとの理由で「非人番の廃止」が決定された。
明治4年の両太政官布告以降における「旧穢多非人等」の「受容」と「排除」は、
「兵庫県」の例をみても、近世幕藩体制下の司法・警察であった「非常・民」としての
「旧穢多」(包括概念としての「穢多」)に対する「差別」ではない。
「旧穢多」が既得権としての「旧弊」・「弊風」にこだわり、近代警察官たりえなかったこと、
即ち、「旧穢多」の近代警察システムへの「不適合」により、
近代中央集権国家の警察システムから「旧穢多」が「排除」されていったとするのが妥当な解釈である。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)