【新説?】部落学序説 吉田向学【珍説?】at RIGHTS
【新説?】部落学序説 吉田向学【珍説?】 - 暇つぶし2ch50:第3章 穢多の定義
08/10/11 22:10:35 PZ4dyimh0
9節 誤解された渋染一揆(続き)

5.真の人生、真の学問を求めて、部落学序説第1~3章結び
「真の学問と偽りの学問との相違を、あなたはご存知でしょうか? 真の学問は自らの歴史を認めて受け入いれる・・・」
by ミシェル・フーコー

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※次レスから「第4章太政官布告批判」になります。
第4章の公開は、かなり批判を浴び、紆余曲折があったそうです。

51:名無しさん@お腹いっぱい。
08/10/14 00:05:05 qC8aZtbDO
筆者はかなり偏った思想の持ち主のようで。
信憑性に欠けますな。

52:名無しさん@お腹いっぱい。
08/10/14 00:29:36 P9JHN9jBO
もっこすの妄想より論理的なんじゃないかい。

53:吉田無学
08/10/15 21:12:38 d2AtHQGG0
>>51-52
キリスト教徒としての視点ですので、かなり異色ですね。
「宗教警察」と言う発想も、既存の歴史家では思いつかないと思います。

54:第4章太政官布告批判
08/10/15 21:13:59 d2AtHQGG0
1節 部落とは何か

1項 「村」と「部落」
「部落」という言葉が「村の一部」等の意味よりも、「被差別部落」の意味だと強調されてきた。
それは「賤民史観」によって色付けされたものであり、汚された色を洗い落とさなければならない。

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2項 「村」と「部落」と古老
既存の歴史学者は、「古老」の語る伝承に耳を傾けるが、「作り話(虚構)」として切り捨てている場合が多々ある。
「賤民史観」と「愚民論」で、根拠を提示することなく、「推測」を読者に押しつけている。

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55:第4章太政官布告批判
08/10/16 21:07:47 SxdIxVdD0
3項 「村」、近世から近代へ

1.村境の変貌
近世幕藩体制下の「村境」は、二重定義の概念で、「点」でもあり、「線」でもあった。
「村境」を守る「穢多」は、新政府によって排除されたが、「心意的な村境」として残った。

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2.近世の「村」から近代の「部落」へ
近代日本は、古い「むら」を破壊しつつ、明治政府による神道中心の「むら」を構築していった。その中で、
浄土真宗中心の「むら」は、特殊な、例外的な一面をもった「部落」とみなされるようになったと推測する。

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56:第4章太政官布告批判
08/10/17 21:08:02 GoPo1Esb0
4項 翻訳語「部落」-法制用語

1.「部落」概念の普及は明治20年以降
法制用語、行政用語、学術用語としての「部落」概念の登場は、明治20年以降の事である。明治4年に「部落解放令」
と言うような概念は、存在する可能性すらなく、新しい理念として、明治政府によってつくられたものである。

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2.部落史研究上の禁忌(タブー)
近世幕藩体制下で、「切支丹」や「日蓮宗不受不施派」は、宗教警察である「穢多」に「差別(糾弾)」されてきた。
しかし、既存の御用学者はこの事実を完全に隠蔽し、明治4年の通称「解放令」から筆を起こしている。

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3.「部落」概念の賎民史観的用法
「部落」という言葉・概念の起源を、著名な部落史研究家から調べるが、明治以降における歴史的な変遷を避けて通ろうとしている。
しかも、歴史学者や教育者が、恣意的に解釈して、「部落」概念に対して限りなく拡大解釈をして、焦点をぼかしていく。

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57:第4章太政官布告批判
08/10/20 20:45:36 Bd8MOU860
4項 翻訳語「部落」-法制用語(続き)

4.独語「ゲマインデ」の訳語としての「部落」概念
「ゲマインデ」の訳語「部落」はアドホックである。明治政府の近代化政策によって、「移転が自由」になり、
近世幕藩体制下の「●(点)」としての村境も、「-(線)」としての村境も、すべて破棄されていった。

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5.明治天皇制下の基本的共同体としての「部落」
ドイツ語の「ゲマインデ」=市町村+キリスト教会。日本語の「部落」=市町村+神社。明治政府は、
ドイツの地方自治制度に擬し、神道国教化の方針を徹底的に貫こうとしたのではないかと推測する。

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58:第4章太政官布告批判
08/10/22 20:47:15 OjaglWzN0
2節 穢多談議

1.「穢多非人」再考
江戸時代の「番人」である「衞手」を、和語としてではなく漢語として発音すると「エタ」になる。
また、近世幕藩体制下の「穢多」の関係した「屠」には、「殺」の意味は含まれていない。

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2.明治2年公議所と「国辱」談議
『明治維新と部落解放令(石尾芳久)』に興味深い記述がある。坂本龍馬は、近世幕藩体制下の「賤民」として、「穢多・非人」ではなく、
「キリシタン」をあげている。「公議所」で談議された、「穢多」に関する議題は、岩倉具視の「皇国ノ大恥辱」に関係している。

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3.現代人が失った明治の「国辱」感覚
ある人々の利権を擁護するために、ある人々の利権を剥奪する。現代では「日米地位協定」で、在日米軍の治外法権は「国辱」である。
不平等条約の治外法権よりも更に大きな「国辱」。加藤弘蔵は、それを「非人穢多」であると言い、「穢多非人」とは言っていない。

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59:第4章太政官布告批判
08/10/23 21:15:31 ozzMG7020
2節 穢多談議(続き)

4.加藤弘蔵「非人穢多御廃止ノ議」
明治2年公議所の議案、「非人穢多御廃止ノ議」の文章中の字句にも、「賤民」ないし「賤民」を想定させる表現は無い。
「賤民」概念の無い時代に、「賤民解放論」とすることは困難であり、あくまでも「非人穢多ノ称被廃止」のみを強調している。

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5.雑想
「被差別部落出身者にしか部落差別問題はわからない・・・」というのは、被差別部落の側の抱く、単なる幻想に過ぎない。
被差別部落出身者だからこそ、見えなくなっている、理解することができなくなっている現実も存在する。

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6.明治2年公議所の体質
公議所は、議論する場所であって、裁決する場所ではない。加藤弘蔵が「非人穢多」という表現を使用したのは、「拷問制度」と
「宗教弾圧」に直接か関わりがあったのは、「非人役穢多」であり、不平等条約撤廃の一番の障害であった為である。

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60:第4章太政官布告批判
08/10/24 21:03:31 tEuBOG0L0
3節 拷問制度とキリシタン弾圧

1項 明治新政府に対する外圧
欧米諸国は、前近代的な「拷問制度」の廃止を求めたが、明治新政府は要求を否定する形での施策を展開した。
諸外国が優秀であると認めた、近世幕藩体制下の「警察」組織を解体し、「拷問制度」は維持・継承を画策した。

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2項 拷問
不平等条約である「治外法権」は、欧米の諸外国が自国民を、日本の「拷問制度」からその身を守るためのもの。
明治新政府は、前近代的な「拷問制度」を破棄しなかった為、「治外法権撤廃」は挫折し、失敗に帰した。

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3項 草莽と穢多
「草莽」による外国人暗殺は、日本の固有の「法」に基づく処置ではなく、「法」を逸脱した犯罪の様相を呈していた。
「拷問」・「草莽」に対して明治政府は、旧警察制度の解体とその責任の追究・処罰・対策をはじめた。

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61:第4章太政官布告批判
08/10/27 21:15:50 vzLM5UGa0
3節 拷問制度とキリシタン弾圧(続き)

4項 見落とされた史料

1.『京都府下人民告諭大意』の中の番人
この文書は、「明治初年、天皇支配の正統性を説く告諭書」である。この文章に出てくる「番人」とは「穢多・非人」である。
明治新政府は当初、穢多・非人を「非常民」としてそのまま継承させようとし、その政治的な意図を反映しているように思われる。

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2.被差別部落と天皇制
被差別部落の人々の天皇制に対する「追慕」の念は、太政官布告では無く、『京都府下人民告諭大意』に由来すると思われる。
しかし、明治新政府は、近世幕藩体制下の司法・警察である「番人」を、継承から廃棄へと流れを大きく変えていった。

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3.『京都府下人民告諭大意(第2編)』-王政復古から欧化政策へ
明治新政府は、「武士」を寛大に処遇し、体制の中に取り込んだが、「同心・目明し・穢多・非人」「村役人」に対しては、
太政官布告第61号によって、スケープゴート(身代わりの犠牲)として、「草莽」の名を押しつけ排除していった。

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62:第4章太政官布告批判
08/10/28 21:00:41 Wl9MFXVM0
3節 拷問制度とキリシタン弾圧(続き)

5項 明治新政府による穢多排除の背景
「公議所」書記・大岡玄蔵によって、近世幕藩体制下の司法・警察であった「穢多」制度の解体に向けた議案が提出された。
それは、藩士身分であった「草莽」を限りなく救済し、「穢多」にその責任を転嫁する政策の走りだったと思われる。

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6項 殺生与奪の権
「穢多」に「殺生与奪の権(裁判権)」は無く、「穢多頭から裁判権を奪うべきとする議案」は、明治政府による「捏造」と思われる。
明治政府は、キリシタン弾圧問題を「穢多」に責任転嫁したが、この策略はほころび始め、治外法権の撤廃には至らなかった。

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63:第4章太政官布告批判
08/10/29 21:04:39 1EBzYP260
3節 拷問制度とキリシタン弾圧(続き)

7項 キリシタン弾圧問題

1.明治初期の司法制度とキリシタン弾圧
明治新政府の国辱としての「治外法権」の早期撤廃の足枷になった要因は、①拷問制度、②キリシタン弾圧、であった。
キリシタン弾圧問題は、国内問題ではなく外交問題でもあり、その解明には諸外国の外交文書等の検証が必要である。

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2.キリシタン弾圧、真宗の関与、外交問題へ発展
諸外国からのキリシタン弾圧の批判を、明治新政府は詭弁で切り抜けようとするが失敗し、キリスト教と真宗の軋轢を生む。
明治新政府は役人としての「穢多」をリストラし、スケープゴートにする事によって、部落差別のるつぼに追いやっていった。

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8項 キリシタン弾圧問題をめぐる外交の一断面
キリスト教を事実上弾圧する明治新政府が、キリスト教国の欧米列強に対して、不平等条約の改正をさせる事は不可能であった。
明治4年の「太政官布告第61号」は、「穢多」の「賤民身分解放」ではなく、「平民」としての「身分格下げ」であった。

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64:第4章太政官布告批判
08/10/30 20:55:01 O9silzhE0
4節 明治4年太政官布告第61号

1項 太政官布告の研究方法
既存の御用学者は、「明治4年太政官布告第61号」という表現は間違いで、「賤民解放令」等が正しい表現と喧伝する。
しかし、臼井壽光の指摘の様に、「地方文書」の批判・検証に基づく、「地方文書」そのものの正当な解釈も必要となる。

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2項 太政官布告の釈義

1.太政官布告(第488号と第489号)
第488号・489号と、二つの条文を出したのには、それなりの理由があったと想定される。しかし、既存の御用学者は、
なぜ二つにしたのか?と言う疑問を持たずに、一つのものと解釈をしたため、諸説入り乱れた混乱状態の説ばかりである。

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2.「穢多非人等」
第488号・第489号と、第61号の三つは、総合的に解釈をする必要がある。「穢多非人等」の解釈もあいまいであり、
被差別の対象を拡大してきた。通説・一般説を覆す可能性もあるが、明治政府の官僚の残した記録も検証する必要がある。

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3.「等」の意味
明治4年3月に出された「斃牛馬等勝手処置の布達」が、実質上の「穢多・非人」身分廃止の布告であり、「身分解放令」である。
同8月の布告は、その確認のための二次的法令で、「穢多非人等ノ称被廃候条」は、「斃牛馬等勝手処置の布達」の事である。

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65::第4章太政官布告批判
08/11/04 20:54:11 466ttuim0
4節 明治4年太政官布告第61号(続き)

2項 太政官布告の釈義(続き)

4.「穢多非人等ノ称被廃候条」
明治政府による、身分制度からの「解放」や「統廃合」は全ての身分に対して行われた。その中で「穢多・非人」は非常に数が多く、
『明治天皇紀』によると、「全国に穢多280,311人・非人23,480人・皮作等の雑種7,997人にして、総計382,888人」と記されている。

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5.「身分職業共平民同様」
太政官布告の「身分・職業」は「役務・家業」の事であるが、現在でも、教育者が間違った歴史認識のもとに、起源説の見直し、
教材内容の見直しを図ろうとしている。それは、「役務(司法・警察)」を黙殺し、「家業(皮革等)」のみに重点を置く事である。

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6.「身分・・・平民同様」
近代天皇制国家は、「新」身分制度を新たに構築することで、「旧」身分制度に劣らないより強固な身分制社会を作りあげていった。
しかし実際は、「拷問」・「法制度」温存させるため、司法・警察の本体である「穢多・非人」制度を、影で温存させていった。

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66::第4章太政官布告批判
08/11/05 21:03:17 /ZfVM/sR0
4節 明治4年太政官布告第61号(続き)

2項 太政官布告の釈義(続き)

7.「職業・・・平民同様」
「穢多」が監視していた「廿八職」の職人すべてが、「穢多・穢多の類」ではない。東京府の史料によると、「一般の廿八職」と、
「弾直樹支配の廿八職」を別様に扱っている。「検校・勾当」も特権を廃止されたが、御用学者は関心を全く持っていない。

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8.「一般民籍ニ編入・・・」
明治政府は戸籍作成を急いだが、人民から税を徴集するためだけでなく、治安維持の極めて有効な手段として編纂された。
治安維持のため「旧穢多」も、「奸兇」となった「兵士」・「浮浪」・「奸民」の探索・捕亡・糾弾に動員されていった。

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9.「地租其外除蠲ノ仕来・・・」
「士族」身分のほとんどは、「リストラ」に伴う零落と貧困に苛まれていったが、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」と自制した。
明治の「士族」対「新平民」は、近世の「浪人」対「穢多非人」の図式で受け止められていた可能性がある。

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67:第4章太政官布告批判
08/11/06 20:59:32 47WjhHCY0
4節 明治4年太政官布告第61号(続き)

5節 戸籍と国家神道

1項 宗教としての神道
「神道の祈り」は「仏教の念仏」より、「キリスト教の祈り」に近い。しかし、キリスト教と神道では「罪」の許し方が異なり、
キリスト教は「贖罪」を説くが、神道は「贖罪」はともなわず、「罪の忘却」という形で実現される。

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2項 「壬申戸籍」に関する一考察

1.壬申戸籍の目的
既存の学者は、「戸籍と宗教」・「戸籍と寺社」の関係を明確にしてこなかった。「壬申戸籍」施行の目的は、①治安対策、
②租税賦課の徹底、③近世のキリスト教禁圧政策の継承、を目的にしたもので、近世と近代の両時代の政治意図が反映されている。

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2.壬申戸籍の記載事項
「族称欄」の身分記載は、必要不可欠であり、刑法典である「新律綱領」と「改定律令」が、身分に応じた刑罰を課した為である。
「司法・警察(穢多)」が一般人の刑罰より重いのは、差別ではなく、職権の乱用があった場合は、厳しく罰すると言う事である。

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68:第4章太政官布告批判
08/11/10 20:36:30 kVCY0W/00
5節 戸籍と国家神道(続き)

2項 「壬申戸籍」に関する一考察(続き)

3.壬申戸籍による「穢多非人」の識別
「壬申戸籍」は、近世幕藩体制下の「宗門改帳」の近代における継承でもある。「新平民」記載や記号による識別は、
極めて例外的で、「宗門改帳」の記載事項が転記された箇所(先祖が所属していた寺院名・神社名)を見れば分かる。

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4.壬申戸籍と神社
宗教記載欄を見ると、身分を示唆する「寺」と、明治になってから新たに組み込まれた「神社」の両方を確認することができる。
明治新政府は、「宗門改め」に代えて、「氏子改め」を採用したが、欧米諸外国から批判され、あまり時を経ないで撤回した。

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3項 『部落学序説』今後の展望
部落史研究家のいう「解放令反対一揆」は、「元穢多非人」に向けられたものではなく、「明治新政府」に向けられていた。
「太政官布告」が地方行政でどのように受け止められ、「元百姓」による「解放令反対一揆」に発展していったかを明らかにする。

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69:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/12 23:57:25 3gN9A+pH0
弾左衛門
(だんざえもん)
江戸に本拠をおいた〈穢多頭(えたがしら)(長吏頭(ちようりがしら))〉で,関八州と伊豆の全域,および甲斐,駿河,陸奥の一部の被差別部落を統轄するとともに,
触頭(ふれがしら)として全国の被差別部落に号令する権限を幕府からゆだねられていた。歴代この名を襲名し,幕末・維新期の第13代弾左衛門(弾内記(ないき),直樹(なおき))にいたって旧来の地位・権益を失った。
 弾左衛門家の,江戸時代以前における沿革については,ほとんどわかっていない。
《弾左衛門由緒書(ゆいしよがき)》は,遠く治承4年(1180)9月に〈鎌倉長吏藤原弾左衛門〉という者が源頼朝から朱印状を受け,
長吏や非人をはじめとする28種の諸職の上に弾左衛門が立って彼らを統轄する権限を認められたのが始まりであると伝えており,
また足利家から〈関八州長吏頭〉に任命されたとも称するが,いずれも確証がなく,その取扱いには慎重を要する。
 弾左衛門の住所は,当初は江戸城に近い日本橋かいわいに定められたが,やがて浅草に移されて,新町(しんまち)を〈囲い内(かこいうち)〉とし,大規模な屋敷構えを許されて〈弾左衛門役所〉と呼ばれた。
将軍家の威光を背にしながら,江戸はもとよりのこと関東諸地域の被差別部落の掌握に努め,1722年(享保7)には江戸で非人統轄の任に当たっていた〈非人頭〉を配下に組み入れるのに成功。
これにより,弾左衛門の支配圏は大幅に拡張されたとみられる。
以降,主として行刑・皮剥(かわはぎ)(皮革生産)を生業とする人々を中核とした被差別部落の上に屹立(きつりつ)して,
その強大な実権と確固たる管理統制機構とにより幕府の人民支配を根底から支える任務を負い続けた末に,幕末の激動期を迎えた。

70:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/12 23:59:27 3gN9A+pH0
 幕末・維新期に,一族・配下の命運を双肩にになった第13代弾左衛門は,遠縁で摂津住吉郡の長吏であった利左衛門(りざえもん)の長男として生まれ,小太郎といったが,
若くして病臥の身となっていた第12代(名は譲・周司)の養嗣子に迎えとられて同家を継いだ。その後は歴代と同様に幕府に忠節を尽くし,第2次長州征伐(1866)に際しては,
幕命を奉じて500余名の配下を軍夫として大坂に急派したのみならず,みずからも独断で摂津の被差別部落におもむいて〈鉄砲組百人〉の編成と幕府軍への提供を勧めたりもしたほどであった。
 しかしながら,過酷な身分的差別に対する被差別部落住民の不満は,すでに集中的に高まってきており,幕府・諸藩の意に反する行動に出る人々も目だっていたし,
そのうえ,〈えた・非人〉の人数や実力に着眼して特別の軍隊を編成する藩(長州藩)や,江戸市中の攪乱工作に利用しようとして弾左衛門に誘いをかける藩(薩摩藩)など,倒幕をめざす諸藩の動きもみられたから,
幕府としても弾左衛門の志向に神経を立てざるをえなくなった。弾左衛門はみずからの身分呼称の〈えた〉を〈醜名〉とみて深く恥じており,その除去,すなわち身分の格上げを願ってやまなかったから,
将軍家侍医松本良順をつうじて〈醜名除去〉を請願するにいたった。この件は政情多端のなかで一時紛れはしたが,大政奉還・王政復古(1867)のあとに起こった鳥羽・伏見の戦(1868年1月)の直後,
第15代将軍徳川慶喜の命により,長州征伐での功績を理由にしてようやく実現し,〈えた〉身分から〈平人(へいじん)(平民)〉身分に転じ,
あわせて弾内記(のち直樹)と改名することも許されて〈海陸軍付病院御用〉を申し付けられ,医学所頭取の松本良順の配下に入れられた。内記はすぐに〈譜代手下(ふだいてか)〉65名についても格上げを請願し,認可された。

71:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/13 00:00:36 QAk6iWRF0
また彼はこの件に関連して幕府に建白書を上呈,そのなかで,積年の差別を〈数百年の流弊(因習による弊害)である〉と断じ,〈天地の間に生をうけた人種(人間)にかわりないにもかかわらず,
人倫の交わりも成り立たぬとは,まことに*かわしい極(きわ)みである〉と述べて,配下にあったすべての〈賤〉,および直接管轄外にあった西日本各地の天領(幕府直轄領)・譜代大名領内の〈賤〉の身分格上げを強く要望した。
だが,これの実現は,維新政府による1871年(明治4)の〈解放令〉をまたねばならなかったのである。
明治に入ってからは名を直樹とし,文明開化の風潮のなかで皮革・洋靴製造工場の設立・経営に一族とともに取り組んで苦闘したが,資本家の積極的な進出に圧倒され,大日本帝国憲法公布の89年に没した。 横井 清

72:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/13 00:11:53 QAk6iWRF0
餌取
えとり
奈良時代から戦国時代にかけて、鷹狩(たかがり)に使う鷹や猟犬、屯倉(みやけ)の番犬などの餌(えさ)にするため牛馬をほふって肉を採取して上納したり、皮革、肉を商ったりした人々をいう。
律令(りつりょう)制では兵部省主鷹司(ひょうぶしょうしゅようし)の末端に属して任務に従事したが、律令制の解体につれて官を離れ、賤視(せんし)を受けつつも広く民間で活動して、その技術を後世に伝えた。
「恵止利(えとり)」「穢取(えとり)」とも表記されたが、正しくは「餌取」である。なお、江戸時代の被差別民の呼称であった「えた」の語源を、「えとり」に求める説が有力である。〈横井 清〉

73:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/13 05:07:31 QAk6iWRF0
えた
江戸時代の身分制度において賤民身分として位置づけられた人々に対する身分呼称の一種であり,幕府の身分統制策の強化によって17世紀後半から18世紀にかけて全国にわたり統一的に普及した蔑称である。
1871年(明治4)8月28日,明治新政府は〈太政官布告〉を発して,〈非人(ひにん)〉の呼称とともにこの呼称も廃止した。
しかし,被差別部落への根強い偏見,きびしい差別は残存しつづけたために,現代にいたるもなお被差別部落の出身者に対する蔑称として脈々たる生命を保ち,差別の温存・助長に重要な役割をになっている。
漢字では〈穢多〉と表記されるが,これは江戸幕府・諸藩が公式に適用したために普及したものである。ただ,〈えた〉の語,ならびに〈穢多〉の表記の例は江戸時代以前,中世をつうじて各種の文献にすでにみうけられた。
〈えた〉の語の初見資料としては,鎌倉時代中期の文永~弘安年間(1264‐88)に成立したとみられる辞書《塵袋(ちりぶくろ)》の記事が名高い。
それによると〈一,キヨメヲエタト云フハ何ナル詞バ(ことば)ゾ 穢多〉とあり,おもに清掃を任務・生業とした人々である〈キヨメ〉が〈エタ〉と称されていたことがわかる。
また,ここでは〈エタ=穢多〉とするのが当時の社会通念であったかのような表現になっていたので,特別の疑問ももたれなかったが,末尾の〈穢多〉の2字は後世の筆による補記かとみられるふしもあるので,
この点についてはなお慎重な検討がのぞましい。〈えた〉が明確に〈穢多〉と表記された初見資料は,鎌倉時代末期の永仁年間(1293‐99)の成立とみられる絵巻物《天狗草紙》の伝三井寺巻第5段の詞書(ことばがき)と
図中の書込み文であり,〈穢多〉〈穢多童〉の表記がみえている。これ以降,中世をつうじて〈えた〉〈えんた〉〈えった〉等の語が各種の文献にしきりにあらわれ,これに〈穢多〉の漢字が充当されるのが一般的になった。

74:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/13 05:08:32 QAk6iWRF0
この〈えた〉の語そのものは,ごく初期には都とその周辺地域において流布していたと推察され,また〈穢多〉の表記も都の公家や僧侶の社会で考案されたのではないかと思われるが,
両者がしだいに世間に広まっていった歴史的事情をふまえて江戸幕府は新たな賤民身分の確立のために両者を公式に採択・適用し,各種賤民身分の中心部分にすえた人々の呼称としたのであろう。〈えた〉の語源は明確ではない。
前出の《塵袋》では,鷹や猟犬の餌肉の採取・確保に従事した〈餌取(えとり)〉の称が転訛し略称されたと説いているので,これがほぼ定説となってきたが,民俗学・国語学からの異見・批判もあり,なお検討の余地をのこしている。
文献上はじめてその存在が確認される鎌倉時代中・末期に,〈えた〉がすでに屠殺を主たる生業としたために仏教的な不浄の観念でみられていたのはきわめて重要である。
しかし,ずっと以前から一貫して同様にみられていたと断ずるのは早計であり,日本における生業(職業)観の歴史的変遷をたどりなおすなかで客観的に確認さるべき問題である。
ただし,〈えた〉の語に〈穢多〉の漢字が充当されたこと,その表記がしだいに流布していったことは,〈えた〉が従事した仕事の内容・性質を賤視する見方をきわだたせたのみならず,
〈えた〉自身を穢れ多きものとする深刻な偏見を助長し,差別の固定化に少なからず働いたと考えられる。⇒被差別部落                     横井 清

75:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/13 07:38:12 QAk6iWRF0
URLリンク(209.85.175.104)

ここに、弾左衛門に関する、松本良順の日記がありますね。
しかし、不思議ですねw
何で、エタという位を作ったんでしょーね?w

76:吉田無学
08/11/17 20:44:06 mqUB0IB70
>あっくん ◆f8mGMyyZGI氏

レスありがとうございます。吉田向学氏は、検非違使制度の名残りと言っております。
日本の為政者は、全てのものを破壊し、新しくする様な「革命」はしませんでした。
利用出来るものは利用し、利用したくないものは新しく構築しています。

吉田向学氏の説を全て肯定しておりませんが、今までの御用学者の説はおかしいと思います。

77:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/18 08:45:23 s5Ai1kfY0
>日本の為政者は、全てのものを破壊し、新しくする様な「革命」はしませんでした。
>利用出来るものは利用し、利用したくないものは新しく構築しています。

これは僕も同意です。
・日本は狭い島国だから、昔の価値観が簡単に共有出来た。
・為政者は、物的な頂点に立ちたくて、新しい権力者、暴力頂点者になるのだから、社会的序列などはどうでもいい。新しい価値観を作るよりなるだけ古い価値観を利用した方が便利でリーズナブル。
・で、天皇さまは高貴な人、エタは下劣な人間、という社会的序列を継承して明治まできちゃった
と、そんな風に思います。

78:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/18 08:57:25 s5Ai1kfY0
つまり、天皇さまもエタも百姓も実はみな同じ人間と。
そんなのは誰も知ってるとw
でも、前権力者時代に存在してた『天皇>武士>百姓>エタ』というヒエラルキーを崩す理由はないとw
そんなつまらん事をするより自分は穏便に日本を武力統治したいと、いう気持なのでしょう。

これはマッカーサーもそうだったと思いますw
アメリカが、日本人という土人を統治するのに天皇は利用価値があると、つまらん事で波風を立たせない方が得策と。
そんな理由で天皇制を存続させたのだと思います。

79:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/19 01:26:31 xaWfln1I0
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
>筆者が所属している教団の同和担当部門のトップは、筆者に、「天皇制問題に触れないなら、運動に参加することを許してもいい。

これ、面白いですね。
現在の日本で天皇制に批判的な態度をとると、自分たちの教団の存続があやうくなる、と考えているのでしょうか?

80:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/19 08:56:08 sSjeebqbO
よく目にする「エトリ→エタ」説なんだが、どうしたらエトリがエタに変化するのか説明してよ。

81:吉田無学
08/11/19 22:22:47 t1ZX+LoJ0
やべ!要訳をサボり杉www

>>あっくん ◆f8mGMyyZGI氏
>これはマッカーサーもそうだったと思いますw
でしょうね。日本は千五百年以上も、日本式立憲君主制で保っていた国ですからね。
織田信長ですら、天皇家を排除せず、寧ろ征夷大将軍任命の準備をしていましたw
マッカーサーは優れた軍人であり、政治的なセンスもあった事の証明になります。

>現在の日本で天皇制に批判的な態度をとると、自分たちの教団の存続があやうくなる、と考えているのでしょうか?
その通りだと思います。
実は、私の死んだ親父がクリスチャンでw普通の方よりはキリスト教の御都合主義を知っていますwww
キリスト教では、「死者は必ず蘇るので、死体は土葬!火葬は厳禁!」となっていますが、日本の風土・慣習に合わせ、
火葬がおkとなっていますwww


>>80
>よく目にする「エトリ→エタ」説なんだが、どうしたらエトリがエタに変化するのか説明してよ。
私は吉田向学氏の説、「検非違使制度の名残り→衛り手(まもりて)→衛手(えた)→穢多」に納得しています。

猿を「エテ公」と言うのは、「去る」では縁起が悪いため「得る」からで、イカの「スルメ→あたりめ」と同じ。
と言われていますが、私のトンデモ説はw
「猿引き」は「穢多(衛手)」でしたので、「エテ公」になったのかな?と推理していますwww

82:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/20 09:39:19 ib53llZ00
俺の推理、妄想は、
・端末の権力者はエタ。 なぜ、トップの権力者が端末の権力者をエタなどと侮蔑的な言葉で呼んだかはナゾ
・権力者=暴力者、に農民は管理、搾取、されていた
・権力者は選挙で選ばれたのではないw
・管理され、搾取される農民が権力者に反感を持つのは当然のこと
・しかし、農民にとって目に見える権力者はエタ
・エタが農民を管理、監視していた
・だから江戸期の農民の憎しみの矛先はエタに向かった
・しかし、エタは権力者側の人間なので農民にはどうすることも出来ない、されるがまま
ところが、
★明治期になり、エタは権力者ではなくなった
★そこで今までの農民の怨みが過激なエタ差別へと爆発した

83:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/22 01:14:48 Y7OVTFOn0
つーか、
部落解放同盟系の学者はなぜ明治より前のエタ研究をしないんだっ!
と、吉田向学さんは吠えてるけど、
江戸期のエタは農民をイジメてた末端の役人だったから、その事実を掘り返すと具合が悪いんじゃないの?w

84:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/22 03:39:19 QRMTszB30
餌取 → 穢取(権利) → 穢多 

は考えられないだろうか?

85:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/22 03:44:13 QRMTszB30
>>84はもちろん幕府側からの目線で

特定の家職の者達に役を与えたという視点からも自然かと思いますが

86:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/22 05:17:28 Y7OVTFOn0
>>84
言葉の成り立ちなんて、難しくて、我々シロウトでは水掛け論でしかないと思う。
で、権利ってのは動物をさばく権利でしょ。 本当は百姓だって動物をさばく権利を欲しいわけですよ。
でも、権力者はそれを百姓から取り上げ、端末の役人のエタに与えた。
と俺は妄想してる。

>>85
> 特定の家職の者達に役を与えたという視点からも自然かと思いますが
はい、わかります。
ただ、俺がわからないのは、その役に何故『穢多』という侮蔑的な名前を付けたか?です。
一番下っ端とはいえ、自分達の為に働いてくれる役人じゃないですか。
その人達を侮蔑的な言葉で呼ぶのは、単純に損だと思うんですよね。

87:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/22 11:26:30 E8KS8DV1O
>>86
皮革利権欲しさに、百姓からエタに転職する場合もあった模様
ソースはググッてみて

「エタ」は 初めから侮蔑の言葉だった訳でもないし「穢多」は当て字だし

88:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/22 12:54:36 Y7OVTFOn0
>>87
> 皮革利権欲しさに、百姓からエタに転職する場合もあった模様
学校では職業選択の自由はなかった、と教えられた記憶があるのですが、落ちる分には可能だったのでしょうか?

> 「エタ」は 初めから侮蔑の言葉だった訳でもないし「穢多」は当て字だし
↓は百科事典からの写しです。

>>73
> 漢字では〈穢多〉と表記されるが,これは江戸幕府・諸藩が公式に適用したために普及したものである。ただ,〈えた〉の語,ならびに〈穢多〉の表記の例は江戸時代以前,中世をつうじて各種の文献にすでにみうけられた。

89:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/22 14:37:05 QRMTszB30
>>88

>職業選択の自由はなかった

簡単に認められるものでなく、かような申し出に対して新町役所から奉行所
に伺いをたてたということもある、その後の顛末はよくわからず

中世の文献にみられる穢多という呼称と近世以降の穢多という呼称の意味合いが
必ずしも同質だとは限らないとも考えられる

幕府は彼等の素性を大まかにしか把握しておらず、素性を尋ねることもしばしば
もちろん契約更新という意味合いの方が大きいのは言うまでもないことですが


90:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/22 16:31:30 E8KS8DV1O
>>88
> 学校では職業選択の自由はなかった、と教えられた記憶があるのですが、
義務教育?

士農工商エタ非人?

ぼーくらはみんな知っている
知っているから黙るんだ
ぼーくらはみんな知っている
知っているから語れない
茨冠期を日本史に照らしてみれば
透けて見えるよチ○○の陰謀
オ○○だってア○○だって人権叫び
みんなみんな貰っているんだ人権○○~♪


利権の壁

91:吉田無学
08/11/22 21:39:56 UjDZTyTp0
>>あっくん ◆f8mGMyyZGI氏&名無しの方

>>82の意見に私も殆ど同意です。
下級警察・街道守・牢番・山番・水番等での年貢免除は、相当農民にとって羨ましかったと思います。
穢多は農民から表向きは区別され(裏では差別)、穢多に管理されていた河原者が、強烈な差別を受けていたかと。

>>83
>江戸期のエタは農民をイジメてた末端の役人だったから、その事実を掘り返すと具合が悪いんじゃないの?w
具合が悪いどころか、自業自得、同和行政の金返せ!ですよw

>>84-88
言葉は変化しまくりで、難しいですよ。KY→朝日の珊瑚事件→空気読めない→漢字読めないwww

>>88-89
>職業選択の自由
農業が基本でしたから、それ以外の職業の重要が、殆ど無かったと思います。
逆に、戦国時代は足軽や僧兵の重要がありましたw

>>89
>幕府は彼等の素性を大まかにしか把握しておらず、素性を尋ねることもしばしば
>もちろん契約更新という意味合いの方が大きいのは言うまでもないことですが
私の地元の古文書に、穢多の複数の代表が徳川家に対し、皮田の権利を継続する様にお願いした物が残っています。
同対法成立時、その地域は晴れて同和地区指定を受けていますwww

92:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 06:38:14 wEja4EWD0
>>89
> >職業選択の自由はなかった
> 簡単に認められるものでなく、かような申し出に対して新町役所から奉行所
> に伺いをたてたということもある、その後の顛末はよくわからず
どうもです。

> 中世の文献にみられる穢多という呼称と近世以降の穢多という呼称の意味合いが
> 必ずしも同質だとは限らないとも考えられる
そうなんだろーけど、『穢』というのはいつの時代も否定的な漢字でしょ。

> 幕府は彼等の素性を大まかにしか把握しておらず、素性を尋ねることもしばしば
> もちろん契約更新という意味合いの方が大きいのは言うまでもないことですが
今でいえば、警官にバイトを雇う、ゴミ収集に派遣を雇う、みたいな感覚なんですかね?

93:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 06:59:56 wEja4EWD0
>>91
> >江戸期のエタは農民をイジメてた末端の役人だったから、その事実を掘り返すと具合が悪いんじゃないの?w
> 具合が悪いどころか、自業自得、同和行政の金返せ!ですよw

いや、>>82の妄想が正しいなら、
江戸期のエタは役人でもあった。
明治期のエタは役人の部分がなくなってしまった。
江戸期の農民の本来なら将軍さまにぶつけるべき権力者への怨みが、
明治期のエタに集中し、それが極度な差別につながった。
であり、
それに対し、行政がなんらかの介入をするのは正しいと思う。

94:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 07:31:07 wEja4EWD0
少数の権力者が、多数の百姓をヒツジのごとく、管理、搾取していた。
そんなシステムは百姓に理不尽、暴力的にならざるおえない。
具体的に百姓に理不尽、暴力的に振る舞ったのはエタだった。
しかし、それはエタのお仕事であり、エタに非はない。
悪いのは搾取のシステムを構築し、その上にあぐらをかいてた将軍さま。
ところが、
農民には、将軍さまは見えず、実際に自分達に理不尽、暴力的にふるまったのはエタ。
そのうらみつらみが、明治期に、役人でなくなったエタに集中、過酷な差別になった。
というのが俺の妄想。

95:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/23 08:02:42 mSLtfFka0
少しイメージが違うかな?

年貢を搾取という意味で使うのならばここにあまりエタは関係してこない
逆に田畑を持つエタは年貢を収めるという意味では百姓村の村役人に従う
のがすじである。
現代風に言えば百姓村役人は市町村職員でエタは警察署警察官かな?

日常で何事もなければ百姓もエタも接することなく生活することができこれが普通
何か事件性があるトラブルがあれば両者が接するという程度でしかない、
あとは屍牛馬処理の契約の為に年に一度何らかの契約料を支払う、これが地方によっては
牛年貢とよばれこの契約の為に屍牛馬がでた場合や牛馬に問題が起きた場合にエタは
迅速に対処する必要があり、あとは清めが接点かな。

あとは両者互いにあまり干渉せずに生活していたと思う、理不尽、暴力的に振る舞ったなら
百姓が村役人経由で代官に訴えることができる、事が大事なら代官を通して勘定奉行に訴え
勘定奉行と町奉行での評定と相成る

究極は武家の支配のであり、百姓もエタも勝手に理不尽に振舞うことなどできない。



96:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 08:41:08 wEja4EWD0
>>95
エタの仕事として、百姓の監視、一揆を未然に防ぐ役目、つまり、今のスパイみたいな役割もあったのでは?

つーか、あなたの想像は
・百姓もエタもそれぞれの仕事をこなし、江戸期の農村で仲良く暮らしていた
なわけですか?
だとすると、明治期のエタ差別の根拠がみつからないんだけどw

97:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 08:47:24 wEja4EWD0
そもそも、野菜にウンコをかけて、育ててた日本の百姓が、
牛や馬を殺し、皮を剥ぐ行為を下劣だとは認識してなかったと、思うんですよねw

98:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/23 12:03:27 LqHvs+Oi0
>仲良く暮らしていた

どこをどう読めばそうなるのか?   ???

必要以上に関わらなかったと読んでほしいのですが無理ですか?


幕府は分断統治をしていた訳です、治安維持として役を与えた者とそうでない者が
多方面にわたり緊密であるのは幕府(大名でもいい)が望むところではない訳です
となると身分という括りで付き合いや通婚に制限が加わる(どちらが上下というわけでなく)
さらに百姓からするとエタの素性が分からないわけですわ、我々とあまり付き合いがなく
通婚もない、その辺から色々な推測をするわけですわ「違う種類の人間じゃなかんべか?」
て具合にね、知りえる所に存在しながらも見えない壁が代々続いたらどうなるだろうか?
しかも百姓は大勢エタは少数、電波ならぬ噂が飛び交うのは必然でしょうw
それが200年以上も続けば「違う種類の人間じゃなかんべか?」の根拠の一つも考えたりも
するでしょうね、それが穢れであったりとか何でもいいでしょうねw

99:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/23 12:05:15 gLCxkyhR0
注目URLリンク(jbbs.livedoor.jp)

100:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/23 12:19:49 LqHvs+Oi0
江戸時代の差別の具合は地域によってまちまちですわ

それを解放令によって国家が線引きしたのがいかんのですわ
それほど差別されてない者達までが一本の線により差別される側に
位置づけられるということがおこった

文書化して差別を認めたようなものだわな 

こんなことは江戸時代にも公にされたことはなかったのにねw

101:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 12:29:49 wEja4EWD0
>>95
>現代風に言えば百姓村役人は市町村職員でエタは警察署警察官かな?

僕もこれに賛成。
民主主義社会の今でもお回りさんは我々を監視している、風があるじゃないですか。
自転車に乗ってると職務質問をして積極的に介入してくる。
封建社会のお回りさんなら、↓こういうきれい事ではすまないと思うわけです。
百姓に一揆なんておこされたらマジでエタの首が飛ぶんだろーしw

>日常で何事もなければ百姓もエタも接することなく生活することができこれが普通
>何か事件性があるトラブルがあれば両者が接するという程度でしかない、

102:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 12:33:56 wEja4EWD0
>>100
>江戸時代の差別の具合は地域によってまちまちですわ
じゃあ、もっとも差別が激しかった地域では、
百姓が末端役人さまのエタをどういう風に差別したのですか?

103:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/23 12:43:44 LqHvs+Oi0
>>102

98をもう少しよく読んでくだされ できれば差別と同義なのは何であるかを
じっくり吟味して頂ければ幸いであります

100は差別が希薄だった場所と平均的な場所の対比の方向で考えて下され

文書は流れの中で真意が伝わるものであります


私の表現力がまずいのか理解できない者が拙いのかは一対一では計りかねますので



104:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/23 12:52:22 GKJPvhnlO
あっくん読解力なさ過ぎだろw
まあ自分の頭の中で話が出来あがっているんだろう。

105:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 13:02:54 wEja4EWD0
一揆を起こされればエタの首が飛ぶ、百姓に村抜けをされればエタの首が飛ぶ。
そんな状況下でエタは激しく百姓の生活に介入せざるをえない、かつ、百姓に怨まれたわけです。
そういう江戸期の背景があったから、明治期に入り百姓の激しいエタ差別が始まる。
と妄想するわけですw

106:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 13:07:32 wEja4EWD0
>>104
>あっくん読解力なさ過ぎだろw
じゃあ、もっとも差別が激しかった地域では、
百姓が末端役人さまのエタをどういう風に差別したのか、教えて下さい。

>まあ自分の頭の中で話が出来あがっているんだろう。
そうだよ。 封建社会で搾取する側、される側の関係はそんなヤワなもんじゃないと思う。
で、その激しい接点にエタが立たされてたんだと想像してる。

107:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/23 13:20:15 GKJPvhnlO
>>106
その前に>>98の質問に答えたら?
「>仲良く暮らしていた

どこをどう読めばそうなるのか?」 
という部分ね。

どこをどう読めば「仲良く暮らしていた」という解釈になるの?



108:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 13:31:25 wEja4EWD0
>>107
>一揆を起こされればエタの首が飛ぶ、百姓に村抜けをされればエタの首が飛ぶ。
>そんな状況下でエタは激しく百姓の生活に介入せざるをえない、かつ、百姓に怨まれたわけです。

↑が事実だとするなら、↓を
・百姓もエタもそれぞれの仕事をこなし、江戸期の農村で仲良く暮らしていた
と表現してもおかしくないでしょう。

>>95
>日常で何事もなければ百姓もエタも接することなく生活することができこれが普通
>何か事件性があるトラブルがあれば両者が接するという程度でしかない、

109:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 13:35:55 wEja4EWD0
『山の中で、サルの集団とリスの集団は接することもなく、仲良く暮らしていましたとさ。』
風な言い方をするなら、↓の言い方はまったくおかしくないでしょう。

・百姓もエタもそれぞれの仕事をこなし、江戸期の農村で仲良く暮らしていた

110:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 13:40:39 wEja4EWD0
つまり、搾取する側、される側の接点は↓こんなお目出度い状況ではなかったろうと、想像、妄想するわけです。

>>95
>日常で何事もなければ百姓もエタも接することなく生活することができこれが普通
>何か事件性があるトラブルがあれば両者が接するという程度でしかない、

111:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/23 14:01:41 wEja4EWD0
例えば、一揆を起こすにあたり百姓は、
日常で何事もないようなそぶりをしてて、一気に一揆を起こすわけだから、
↓みたいな状況だったらエタ失格じゃないの?w

>>95
>日常で何事もなければ百姓もエタも接することなく生活することができこれが普通
>何か事件性があるトラブルがあれば両者が接するという程度でしかない、

112:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/23 15:11:25 GKJPvhnlO
>>108
「事実とするなら」なんて,何で他人の意見を読むとき
そこに自分の意見を当たり前のように組み込むわけ?
それじゃ相手の言わんとするところを曲解して当然だろう。
国語のテストは0点ねw

113:吉田無学
08/11/23 18:35:31 39HK3oJj0
皆様乙です!

>>93
>明治期のエタに集中し、それが極度な差別につながった。
私もそう思います。
>それに対し、行政がなんらかの介入をするのは正しいと思う。
ある程度は仕方がないですが、最近の事件はちょっとね・・・

>>94-95
私は両方の中間のイメージです。
私の地域では年貢は免除でしたが、番・役務等の扶持米が殆ど出ない状況でしたので。

>>98
>しかも百姓は大勢エタは少数、電波ならぬ噂が飛び交うのは必然でしょうw
だから差別が根強いかと思います。関わりがないので、特大電波だったと思います。

>>108-111
その状況が、大雑把に言うと西と東の温度差と思われ。
強いて言えば、藩政よって緊張度がかなり違ったと思います。

114:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/24 02:58:38 6EINVFVK0
つーか、吉田無学さんは古文書を読めるのなら、明治の初めの文章で、
「なぜ、エタは差別されるのか?」について言及した古文書を探して下さいよ。
つーか、今までの学者の研究でそんなのはまったくないんですかね?

115:吉田無学
08/11/24 16:34:22 ZuQyiS4v0
>>114あっくん氏
>古文書を読めるのなら
墨で書いた、ぐちゃぐちゃの古文書は読めませんw
私の住んでる県の歴史書の、活字にしたものを読みました。

>今までの学者の研究でそんなのはまったくないんですかね?
客観的に論じているものはないでしょうね。糾弾会に呼ばれてしまうw

116:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/25 01:04:11 PbGKj3PU0
>客観的に論じているものはないでしょうね。糾弾会に呼ばれてしまうw
この場合、
1、解放同盟は部落の歴史をひもとく事自体を禁止して糾弾する
2、解放同盟は独自の部落の歴史認識があり、それに反することを書くと糾弾される
どっちでしょうか? 仮に2なら、解放同盟の独自の部落の歴史認識は公開してるのでしょうか?


117:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/25 01:22:05 okTl15q90
>>115
ちょっと伺っても良いですか?
「毛利輝元井上衆罪状」(大日本古文書毛利家文書)や「陰徳記」井上一党誅戮之事(三卿伝写本)は
活字になってますがもう読まれていますか?
読んでどう思いましたか?
私は十年程前に初めて読みまして驚きました。
ちなみに私の所蔵する「山口県地方史研究」はなぜか大阪府桜塚高等学校社会科研究室の印が押されています。


118:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/25 01:29:12 okTl15q90
>>115
間違ってしまいました。毛利元就井上衆罪状でしたね。
吉田氏に私は二度ほどお目にかかったことがあると思うのですが思い当たりませんか?

119:吉田無学
08/11/25 19:26:41 LhvOhjgO0
>>116あっくん氏
>1、解放同盟は部落の歴史をひもとく事自体を禁止して糾弾する
これは無いと思いますが、御用学者でしたら金銭的な応援者を追及する事になります。
それによって、研究費や講演料を頂けなくなりますので・・・

>2、解放同盟は独自の部落の歴史認識があり、それに反することを書くと糾弾される
街道の歴史観の証明作業が、御用学者の仕事です。その事を吉田氏は、皮肉を込めて批判しています。
先々週の「たかじん委員会」での灘本昌久氏の、言葉を慎重に選んでの発言は、非常に面白かった。

>解放同盟の独自の部落の歴史認識は公開してるのでしょうか?
街道のHPにありますねw兎に角「我々は差別されてきた!」と謳っています・・・


>>117-118氏
あの。。。私は本物ではないのです。。。申し訳ありません。。。
現在私の住んでいる県は、部落問題が殆ど無い県です。街道の支部もありませんw
ネットで色々調べたら、吉田向学氏のブログを発見し、人権板での御意見を聞きたく、スレ立てしました。
ちなみに、本物の吉田氏は2ちゃんを見ているみたいですw

●2ちゃんねるからのアクセス件数・・・
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)

120:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 05:41:09 87mhcTcZ0
>>119
> >解放同盟の独自の部落の歴史認識は公開してるのでしょうか?
> 街道のHPにありますねw兎に角「我々は差別されてきた!」と謳っています・・・

レス有り難うございます。 それはここですか? URLリンク(www.bll.gr.jp)

121:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 06:52:18 87mhcTcZ0
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
>近世幕藩体制下の司法・警察である「穢多」が、百姓一揆・農民一揆弾圧のため、首謀者の探索・捕亡・糾弾のために「百姓」(民衆)に接するときは、百姓から怒号が飛んだことは十分考えられます。
>それは、近世幕藩体制下の司法・警察である「穢多」だけでなく、今日の警察・機動隊に対して時として投げかけられる言葉と同じです。「犬・畜生・人でなし・・・」。

吉田向学さんもエタの一揆への対応を仕事のうち、としてるけど、
これは資料的に根拠はあるんですかね?w 俺は想像、妄想でそう書いただけなんだけどw

122:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 07:01:56 87mhcTcZ0
吉田向学さんの、落としどころ、落としたいところは、
・エタは明治時代たしかに貧しく差別された
・しかし、江戸時代は役人、今で言う警察官で、りっぱな誇り高き仕事をしていたんだ、
・だから、部落の君たちは、補助金なんかに依存せず、誇りを持って働くんだ、このコジキ野郎がっ!!
ってことなのかな?w

123:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 11:51:46 87mhcTcZ0
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
>「君たちの担任になるとき、おれは約束をした。このクラスの中で一人でも大学進学できない生徒がいたら、おれは責任をとって教師を辞めると。事情はどうであれ、お前は大学進学できなかった。だから、約束どおり、おれは責任をとって教師を辞める」

この辺は無茶苦茶なんだよなw
俺は部落差別云々より、
この学校のウエット感、家族性、単なる教育システムである学校でしかないのに、みんなが色んな思い入れを突っ込んでいく感じ。
これが、今のイジメ、天皇問題にも通じることで、重要なことだと思うんですよ。

124:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 12:14:32 87mhcTcZ0
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
>明治政府が作り出したもの、そのひとつに「学歴差別」があります。明治政府だけではありません。民間側も「学歴差別」を作り出していきました。

これは僕も思うんですよね。
これの解決法は、「学校=知識を伝達する場」この価値観だけに限定するシステムにすればいい思うわけです。
で、
・ある条件をクリアした人は誰でも希望する教授の授業を安易に受けることが出来る
というシステムにすれば、本来の「学校=知識を伝達する場」になるだろーし、
奇妙なブランドが無くなるだろーし、無意味な受験競争もなくなると思うわけです。
また、学校内での仮想の家族関係のような集団性もなくなりイジメもなくなると。

125:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 12:41:15 87mhcTcZ0
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
>明治政府が作り出したもの、そのひとつに「学歴差別」があります。明治政府だけではありません。民間側も「学歴差別」を作り出していきました。

ただ、明治政府を弁護するなら、「学歴差別」を作ろうとしたのではく、
富国強兵政策の一環で受験競争が起きる下地を作ったんでしょーね。
で、それはそれなりにうまく行ったと。
でも、俺みたいに、勉強したくもない、学歴も欲しくない、という人間まで無理矢理、偏差値競争に参加させるのは勘弁して欲しいと思うわけですw

126:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 13:01:27 87mhcTcZ0
吉田向学さんには失礼な話かも知れないけど、
吉田向学さんは自分自身をネットでさらけ出す勇気も表現力もあるのだから、
歴史の研究をするより、
吉田向学さんの人生を事細かに記述し、後世に残す方が歴史資料になり価値が生まれて来ると思う。
吉田向学さんの教師への思い入れなんかはその時代のバイアスが感じられてすごく面白いです。

127:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/26 13:21:12 r27plt980
部落差別 ← 生まれながらの差別
学歴差別 ← ある程度努力に比例する差別

種類が違う、社会が下を向く方向の差別か上を向く方向の差別か区別しようね
下を向く方向の差別は停滞をもたらす、上を向く方向の差別は社会の進歩をもたらす

無学は恥じるもの

128:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 13:36:42 87mhcTcZ0
つーか、僕は小中高校あたりの教師の情熱をバカにするタイプの人間なんだけど、こういう風に考えてます。
・彼らは生徒の幸せを(恐れ多くもw)考える
・で、生徒の幸せは高偏差値の上位校に進学することだ、と考える
・或いは彼らの社会的立場は自らの情熱をそこに持って行くしかない
・で、偏差値バカの教師になってしまうと。
で、↓の教師も吉田向学さんが否定する明治政府が作った「学歴差別」の支援者なわけですw

URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
>「君たちの担任になるとき、おれは約束をした。このクラスの中で一人でも大学進学できない生徒がいたら、おれは責任をとって教師を辞めると。事情はどうであれ、お前は大学進学できなかった。だから、約束どおり、おれは責任をとって教師を辞める」

129:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/11/26 13:47:34 87mhcTcZ0
>>127
> 種類が違う
まあ、そうですね。

> 無学は恥じるもの
そうですね。
ただ、偏差値競争へ生徒を投げ込むことは明治政府がセッティングした暴力だと思うわけです。
偏差値競争と学問違うでしょ。

130:吉田無学
08/11/26 21:55:05 hUKPqvJ70
>あっくん氏
>>120
他にも街道系のHPに非常に多いですよ。
「部落」「差別」「穢多」等でググればそんなのばっかです・・・

>>121
妄想かもしれないし、貴重な文献が焚書扱いされ、事実関係が不明かもしれません。
壬申戸籍の厳重な封印が一番の例です。

>>122
とある寒村の古老の話に愕然とし、徹底的に調べる様になったと言っています。
しかし、部落を自らの足で調べる事によって人情が働き、段々と・・・

>>123
イジメ問題は、子供にとって理不尽な価値観を強制したからだと思います。
価値観が解らないから「子供」なのにねw
金持ちも、貧乏人も、勉強が出来る人も、スポーツが出来る人も、笑いを取る人気者も、
かゎぃぃコも、ブサイクも、犯罪者も、被害者も、みーんな平等!なワケないwww

>>124
今現在の日本の「学歴差別」の解消方法は、アメリカ式!
高校は遊びながら学ぶ場所で、思い出を作る事に専念するw
大学への入学はちょー簡単で、卒業を非常に厳しくすればイイだけですwww
こうなると、大学中退者が差別対象になりますがw
お金持ちのバカな御子息が留学するのは、箔を付ける為ですw

131:吉田無学
08/11/26 21:57:08 hUKPqvJ70
>>125
>富国強兵政策の一環で
帝大は、将来優秀な官僚になり得る者を育てる為に、作ったのです。
師範学校は、日本国民に基本的な学力を付ける為に、作りました。

>>126
吉田氏は大学コンプレックスの塊ですwww
今からでも入学は簡単に出来るのに、それをしない・・・
その負のエネルギーがとても良い方向に向かっていますw

>>127
現在の日本の一番の差別は!
年齢差別 ← どうにも解決出来ない差別
私の今現在の悩みです・・・
好きな女の子がいるのですが、10才以上年下ですwww
札束で叩ければ、解決出来るのですが・・・お金が・・・

>>128
>小中高校あたりの教師の情熱をバカにする
平均的な発言をしないとね、批難がwww

132:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/27 21:59:26 rhlvV4gWO
コテハン名乗る奴ほど明確な目的を持って被差別部落問題から少しずつ話しを逸らしているとはどういうことか?
もちろん吉田向学氏のサイトは地名を実名で書かない点において読むに値しないからマトモに読んではいないが。

133:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/30 08:43:52 B4N23pwi0
難しそうすぎる。

134:吉田無学
08/12/01 22:32:53 M+XtgIP60
部落差別は「事実」としてはあったが、「演出・脚色」があり過ぎて、
「ノンフィクション系の物語」になってしまったのでは?
最近、「私は貝になりたい」の喧伝を見るたびに、そう思います。

135:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/02 10:43:52 vXRM/Odo0
>>53
宗教警察の側面については、キリスト信者は知っていたようですね。

URLリンク(www.seibonokishi-sha.or.jp)


136:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/02 12:01:32 vXRM/Odo0
珍説ついでに俺も珍説ひとつ

役所には「所」と「署」があるが、なぜだろうと疑問に思った。
そこでざっと調べたところ、署というのは逮捕権があるというのに行き着いた。
次に署についてみてみると、部首は、「あみがしら」に分類されるらしい。
どうやら網のことのようだ。網で捕縛することから逮捕につながるのかな。
「あみがしら」は、「よんがしら」「よつがしら」「よこめ」などとも呼ばれるらしい。
なにか気がつかない。

言葉は、さまざまに変化するため語源が分からなくなっていることはよくあるよね。
現在も、警察に対する隠語俗語の類は沢山ある。
暴走族全盛時代には、「まっぽ」と呼ばれてた。
なにやら明治時代の警察官は薩摩出身が多かったそうな。
薩摩出身のひとを「さつまっぽ」、これが転じて「まっぽ」だって。

しかし、昔の日本人は漢字をよく知ってたんだね。
わかってもらえた?

137:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/12/02 14:41:50 2trMSCkH0
>>136
おお、これは面白い。 こういう書き込みが増えるとこのスレも面白くなる。
前に、どこかに、明治維新に明治政府が薩摩からエタを連れてきて警官に仕立てた、と書いてあったから、マッポは本当でしょう。

あと、よつがしらでググってみたら↓がありました。
ってことは差別用語のヨツはここから来てるのでしょうか?
更に言えば、漢字の本場、当時の文化の中心、中国でもエタに相当するいたのでしょうか?

URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E6%BC%A2%E5%AD%97)
あみがしら/よつがしら/よこめ(罔頭/四つ頭/横目):「置」「罪」「署」など。網の意味を表し、派生して刑罰を司る意味を表す。
常用漢字: 罪 署 置 罰 罷 羅
主な表外字: 罠 罫 罵 罹 羆 羈 など

138:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/12/02 14:47:08 2trMSCkH0
だれか、白川静の本を持ってる人は調べて欲しいですねw

139:あっくん ◆f8mGMyyZGI
08/12/02 14:53:02 2trMSCkH0
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>偏旁の意符としては猟具や漁具、かかることや捕まること、法の網にかかることなどに関することを示す。

こんなのもありました。

140:吉田無学
08/12/02 20:33:57 fEmyXEN+0
>>135
リンク先を読みました。ありがとうございます。
日本は宗教問題の歴史については、あまり熱心ではない様な気がします。
宗教問題も非常にデリケートな問題なんですが・・・


>>136
非常に参考になります!珍説とは言えないレベルですよ!
和製漢語を中国は多用してますよねw「共産主義」は和製漢語ですwww
「まっぽ」の語源は脱帽です!


>>137あっくん氏
地元の警察史を読みましたが、政府(薩摩系)の警察官僚が配置された記述はあり
しかし、それ以前の番人制度の記述は無く、同心・五人組の記述しかありませんでした。
警察史の発刊が、同対法後ですので・・・
県の歴史には、県令(知事)が非人の役務についての命令の記述があるんですがwww

141:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/04 22:58:35 Hq246oWg0
言葉狩り華やかなりし頃、「猫も杓子も」というのは「女子(めご)も弱子(じゃくし)も」
のことである、と言う人がいた。差別語ではないかと。はたしてそうか。
猫も杓子もは、諸説紛々で定説がない。が、私は司馬遼太郎の「菜の花の沖」を読んでひらめいた。
主人公の高田屋嘉兵衛は、村人の散々な仕打ちに懲りて村を出ることを決意した。
その村を出るときの出で立ちは、帯に杓子を差すというものだった。
江戸時代は簡単に村を出ることはできなかったようだが、やんごとなき理由で
村抜けするときの作法がこれだったようだ。
ところで江戸時代には、周期的に熱病のようなお陰参り(伊勢参り)が流行った。
突然、家も仕事も放り出してお陰参りを始めるわけだが、この時やはり腰に杓子を差していたようだ。
こうしているとお陰参りとして理解され、街道もスムーズに通れたらしい。
そこで、「猫も杓子も」は、お陰参りの様を表現した言葉ではなかったかと推察する。
伊勢に向かう人波は、みな腰に杓子の出で立ちで、付け加えて、普段は犬と違って人にはつかない
猫までもがお陰参りのため移動する人についた。それほど凄い光景だったと。
賤民史観、皇国史観、唯物史観、市場原理主義、たった一つの尺度で、
すべてを推し量ろうとするのは間違いではないのか。
人間は万能を求めるが、それは未だ見つかっていない。

142:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/25 22:01:32 LYph6wzkO
非常に勉強になります、更に、狭い日本でその土地がらや時代でも多少違いが有るのも確かです。

143:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/19 19:10:15 BY3j/McD0
すぐ逮捕される地域が被差別か

ばかたれ  牛肉等級偽装元社長逮捕で他は

◆赤福のとき  「老舗なのに賞味期限を偽装しまくり! 許せないよ! 廃業しろ!」
◆不二家のとき 「腐った牛乳でお菓子を作る! 体調不良を訴えてる人もいる! 廃業しろ!」
◆吉兆のとき  「出した料理をほかの客に使いまわし! 客をなんだと思ってるんだ! 廃業しろ!」
◆マンナンのとき 「子どもが死んでんねんで! 今すぐ生産停止しろ!」
◆イオン死体汁  「水質には問題ないし」 

みんな逮捕されず  官庁なんてこんなもん

なんじゃこりゃ




144:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/20 15:05:45 ClnnkTIr0
禰子も釈子も









145:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/22 10:13:35 lGFvXY1Y0
URLリンク(gogen-allguide.com)

146:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/26 19:29:44 PL6OikmB0
四民平等は、士農工商を平等だとうたったもので、身分社会を否定したものではなかった。
だから、天皇家もこの平等の中に入っていません。

学校教育で明治時代を封建国家とするかしないか、わかりません。
でも、生徒が明治時代、四民平等は四民以外あったんですか?人間みな平等なのになぜ四つに絞ったんですかと質問したら、先生はどう答えるのでしょうか。
このレスで歴史や社会の先生がいたら教えてください

147:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/27 11:11:30 UpxJGloN0
>人間みな平等なのになぜ四つに絞ったんですかと質問したら、先生はどう答えるのでしょうか。
笑って誤魔化すんでしょw

福沢諭吉は、天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず、と言ってるのにおかしな話だわなw

148:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/27 11:20:11 yasJpzdE0
外国人の私が見るB
この人々の顔は濃くて太平洋民族の特徴が見える.
だから日本の原住民の子孫なのが間違いない.


149:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/29 17:58:33 hwk/W/BU0
治維新の立役者は、薩摩・長州を中心とした倒幕派と江戸幕府との武士階級の争いごとであったのは
史実のとうりである。
ここで、大政奉還・明治維新で、何とかしなければ封建制度の頂点であった武士階級に民衆の反撃が始まる。それは士農工商という身分制度であり、
このままで行くと、民衆をコントールし、百姓から過酷な年貢取り立ててた武士は、不利な立場となる。
そこで、百姓らを苦行の目にあわせてたのは、エタとの図式が完成する。そして、武士は華族としてまんまと生き残る。
(一説には、庄屋も同罪で、この図式を完成させ、大多数を占める小作人対策をしともいえる)
そして、片方では武士も下野し平等の社会が来たと、自らの身の保身を図ったといえる
天皇家も四民にいれない、神とする。でも皇女、和宮が嫁ぐように当然みな天皇は人間って知った上での、掟つくりが正解かも。

150:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/13 16:40:45 kq5VZMii0
Bにもいい人ばっかりだからね

151:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/13 17:14:14 P9Oif6950
>>150
偏見       虫、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

152:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/23 20:58:03 QH1z5wNG0


153:あぼーん
09/02/24 03:17:54 BTcXB7sV0
あぼーん

154:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/12 16:49:04 gVy7oisN0
差別きらい

155:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/12 18:02:48 1maxyzob0
吉宗の時代の勘定奉行曰く
「胡麻と百姓は絞れば絞るほど出てくるものなり」
そんな 百姓での今人は、先祖が武士の人をホーと敬う。おかしいだろ。
そこに部落差別介入するんだよ。
革命前のフランスですら支配者と被支配者の人口比率は1:100。
江戸時代の日本のそれはわずか1:10、
つまり武士の百姓に対する搾取の度合いは、フランスのそれの10倍。
革命を起こす気力もないほどに徹底的に絞られていた。
もっとも、10人の百姓で武士1人の豪遊を支えきることなどできないから、
江戸後期には武士にも困窮にあえぐ者が続出した。
土地を開墾し人口を増やせば良かったんだろうけど、
そこで、下級武士エタが憎まれ役として農民管理と過酷な年貢の取り立てにあたる。当然俸禄なし、そのかわり皮(武具)や草履つくり等の特権を与える構図。
明治維新、その構図がくずれ武士や庄屋の非難の矛先を下級武士=エタに向けさせた。
武士は四民平等の中に隠れ、庄屋(大地主)は戦後の農地解放まで小作民から搾取し続けた。



156:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/14 17:16:09 zvP9sE+V0
差別きらい

157:清野之計
09/03/17 22:07:49 EnOARjhbP
吉田無学 様は、序説要約の書込を再開されないのでしょうか。
されないのなら、たいへん惜しいことです。

158:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/25 09:35:41 Tlk9IXJ60
>>155
武士が10%いた、というのは間違いだと思う。

江戸後期から明治にかけて、武士を自称する連中
(郷士・徒士・足軽・中間・様々な世襲非世襲の武家奉公人)
が急増した、というのが実際。

本来の武士に限れば、人口比1%がせいぜい。


159:清野之計
09/04/01 06:38:47 UYoQANZXP
1 名前: ◆KIHA55jUA2 @キハ55φ ★[] 投稿日:2009/04/01(水) 06:06:11 ID:???0
フリーの大型掲示版サイト「2ちゃんねる」が30日付けで朝日新聞社
(asahi-np.co.jp)からの記事の書き込みに規制をかけたことが明らかとなった。

 朝日新聞社内のパソコンからインターネットの掲示板に不適切な内容の書き込みがさ
れていたことが分かった。本社は31日、この文章を書いた社員を特定し、事情を聴い
たところ、投稿を認めた。
 社員は東京本社編集局の校閲センター員(49)で、掲示板サイト「2ちゃんねる」
に断続的に投稿していた。部落差別や精神疾患への差別を助長する内容が含まれてい
た。3月30日夜、外部から指摘があり本社が調査を開始した。

 このセンター員は「他の投稿者と応酬するうちにエスカレートしてしまった。悪いこ
とをしました。釈明の余地はありません」と話している。

◆本社「厳正に処分」

 朝日新聞社広報部の話 弊社社員が2ちゃんねるの掲示板にきわめて不適切な書き込
みをし、多くの皆さまに不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことをおわびします。
事実関係をさらに確認した上で、厳正な処分をいたします。
URLリンク(www.asahi.com)


160:清野之計
09/04/01 06:40:36 UYoQANZXP
21 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/04/01(水) 06:07:13 ID:QECq3CNS0
改変・修正ヨロ
広告主電凸向け 論点まとめ

① 本来なら、それを 「チェックする立場である校閲センター」 の人間が、
  差別を助長する表現を、相手を中傷するためだけに使用していたこと。
    ex.出身地域による差別や精神疾患に対する差別など

ぶっちゃけると>失語症躁鬱ニート部落民はとっとと首つって氏ねよ。
② しかもそれは朝日新聞社内からの書き込みであったこと。
  朝日新聞校閲センターでは、新聞記事の校閲と並行して、
  インターネット上での差別発言等を行っていたという事実が明らかになった。

③ 差別的な思想を持つ人間を、朝日新聞は校閲センターに配属していること。

④ 一方で朝日新聞社はネットでの「匿名の中傷」とやらを社説等で強く非難していること。
  さらにこの差別発言問題発覚後、同様の記事を閲覧できないように削除していること。 


161:清野之計
09/04/01 06:53:04 UYoQANZXP
291 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/01(水) 06:24:21 ID:DjerX0c3O
規制は差別用語を書いたからでなく、あぼーんアラシをしたから。
マスメディアの人間がネットという新興のメディアの一掲示板のルールが守れなかった事が大問題。

ネットには差別用語が多いとマスメディアが印象操作でつくったところに落とし込む為に
「言葉狩り」の筆頭である朝日は謝罪記事に引用した。読者もなっとくする。
しかし
あぼーんあぼーんて紙面に載せるのは恥ずかしいし、一般読者がひくのが容易に想像できる
はずかしいなあ


162:清野之計
09/04/01 19:57:16 UYoQANZXP
58 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/01(水) 19:45:18 ID:Pf3PwJ6y0

162 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 18:07:09 ID:95bZ80OZ0
どうした、押し黙って。鬱病でも発症したのか、頑張れよw
163 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 18:23:25 ID:95bZ80OZ0
…ただいま、ルルは泣きながら鬱病の薬を飲んでいます…
 165 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 20:17:12 ID:95bZ80OZ0
「本×部落」は足立区民が気の毒だ。
本物のあぼーんになるぞ。
どうせならルルの故郷・箕面の部落を晒してくれ。
 170 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 21:20:20 ID:95bZ80OZ0
何だ、お前もニート部落民か?
 174 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 21:42:31 ID:95bZ80OZ0
わかった。お前もルルと同様に殲滅するから覚悟しておけ。
 176 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 22:09:08 ID:95bZ80OZ0
どうしたルル?
鬱病の薬が切れて二重人格が元に戻ったのか?
ニート精神病部落民のやることは分からんな。 



163:清野之計
09/04/01 19:58:22 UYoQANZXP
77 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/01(水) 19:45:44 ID:hWCRCzYM0

 263 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 16:01:28 ID:QyTVu3+i0
失語症躁鬱ニート部落民はとっとと首つって氏ねよ。
 338 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 14:06:17 ID:xCZ4mYua0
何もしゃべれない失語症躁鬱ニート部落民のくせに、
何が(勝利笑)だ。人生の敗北者が(真の勝利笑)
 340 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/24(火) 14:33:28 ID:xCZ4mYua0
またダンマリか。ちょっとおとなしくしているとつけあがるゴギブリ(激笑)
 374 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 22:41:17 ID:53/Kvvqc0
失語症が治ったのか?
それとも鬱病から躁病になったのか?
東急的指導? 持ち家もない貧民のくせに。
 386 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 14:39:19 ID:hm/fghjb0
失語症躁鬱ニートゴキブリ部落民はとっとと首つって氏ねよ。
 376 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 00:36:33 ID:S7K9VbdE0
躁病であることは否定しないんだな田舎者はw
 391 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 20:17:51 ID:S7K9VbdE0
お前のような基地外のカキコをいちいち他のスレまで見に行く物好きがいるわけなかろう。
だからお前は躁病だというのだ。


164:清野之計
09/04/01 20:43:31 UYoQANZXP
●今回の事件で朝日新聞社社員に誹謗中傷された面々&人権団体等 問合せ先

■IMADR 反差別国際運動 URLリンク(www.imadr.org)
■部落解放同盟東京都連合会 mg5s-hsgw@asahi-net.or.jp
■(株)解放出版社 master@kaihou-s.com

165:清野之計
09/04/03 06:25:49 HHxtEq6pP
424 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/02(木) 19:39:55 ID:70l+2w82O
『失語症』『躁鬱』『ニート』
『首吊って氏ねよ』
あたりは百歩譲って我慢できる。
でも…
『部落民』
って発言は本当に許せんな。
差別的うんぬんてよりも、人間としてヒドいと思うわ。

ジャーナリスト宣言(笑)

166:清野之計
09/04/03 06:32:01 HHxtEq6pP
179 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/03(金) 06:17:13 ID:tiEr4mlS0
154: 2009/02/13 16:16:12 95bZ80OZ0 [sage]
まだいたのか部落民。お前の好きな東急線にでもとっとと飛び込め。

158: 2009/02/13 17:58:07 95bZ80OZ0 [sage]
東京都民に寄生して生活保護受けてんじゃねえぞニート部落民。
石原都知事も言っている。「この世でもっとも有害なのはババア」

174: 2009/02/13 21:42:31 95bZ80OZ0 [sage]
わかった。お前もルルと同様に殲滅するから覚悟しておけ。

186: 2009/02/14 15:20:10 3kTT4Qt40 [sage]
部落民が毎日出しゃばってんじゃねえよ。睡眠薬でも飲み過ぎて永眠しとけヴォケ



167:清野之計
09/04/03 20:03:48 HHxtEq6pP
24 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/04/03(金) 20:00:05 ID:rwhzGOQZ0
みんな、朝日新聞の工作員様たちが、スレを伸ばして記録を作っても意味がない、とおっしゃっているぞ。
そのありがたい助言に従おうぜ!
2chのありとあらゆる板に、この問題を宣伝しまくろう!!
例)
★朝日新聞が工作活動を行っていた!?
【ネット】 朝日新聞社員(49)、2ちゃんねるで荒らし行為
…「失語症躁鬱ニート部落民は首つって氏ねよ」と差別表現も★176
スレリンク(newsplus板)
☆ ここまでの流れ ☆
 1)鉄道板で差別擁護連発で粘着が荒す
 2)規制したら朝日新聞社からのアクセスだった(ローカルIPなので社内確定)
 3)上記規制した途端、ニュー速の反日書き込みが激減(運営も唖然)
 4)2009/04/02(木) 23:16:05 規制解除 (規制期間約二日)
 5)規制解除と同時に、従来どおりのスレの流れに(全員唖然)

朝日新聞社 鉄道板荒らし問題まとめwiki
URLリンク(www23.atwiki.jp)
朝日新聞社員 2ちゃんねるで悪質荒らし行為
URLリンク(www.takbose.net)

168:清野之計
09/04/03 20:10:13 HHxtEq6pP
403 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/04/03(金) 20:06:21 ID:R4R2+Wfu0
614 名前: ◆migiC//7P. [] 投稿日:2009/04/02(木) 22:35:12 ID:K9bmqzKX0
朝日新聞様より、以下の件についてご連絡をいただきました。
◆ co.jp 規制
スレリンク(sec2ch板:13-14番)
\.asahi-np.co.jp (全サーバ規制)
以下、返答内容です。
                             2009年4月2日
2ちゃんねる掲示板規制報告ご担当
×× ×× 様
                            朝日新聞社広報部

冠省
 3月30日付メールで、弊社社員による迷惑行為についてご指摘を
いただきました。調べました結果、弊紙4月1日付朝刊社会面掲載の
記事「本社編集局員 差別表現、ネットに投稿」のような状況が判明
しました。
 この度は大変ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありませんでした。この
ような事が再び起こらぬよう、全社員に改めて注意を喚起するとともに、
対策を講じました。

以上、報告させていただきます。


169:清野之計
09/04/04 05:01:25 dXNt/0ejP
1 名前:春デブリφ ★[sage] 投稿日:2009/04/04(土) 04:44:46 ID:???0
URLリンク(backnumber.dailynews.yahoo.co.jp)
 フリーの大型掲示版サイト「2ちゃんねる」が30日付けで朝日新聞社
(asahi-np.co.jp)からの記事の書き込みに規制をかけたことが明らかとなった。

◆本社「厳正に処分」

 朝日新聞社広報部の話 弊社社員が2ちゃんねるの掲示板にきわめて不適切な書き込
みをし、多くの皆さまに不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことをおわびします。
事実関係をさらに確認した上で、厳正な処分をいたします。
URLリンク(www.asahi.com)


170:清野之計
09/04/04 05:11:05 dXNt/0ejP
309 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/04/04(土) 04:55:24 ID:7kzPUFutP

15 名前:名無し野電車区[sage] 2009/02/09(月) 14:44:57 ID:faX4BoSi0
出て行け部落民。

20 名前:名無し野電車区[sage] 2009/02/09(月) 16:02:27 ID:faX4BoSi0
つまりルルってエタヒニンだから、関西から夜逃げして来たんだね。
だから、2ちゃんでは虚飾で飾っていながら、
実際には家賃にすら窮する貧乏フリーターなわけだ。
エタヒニンが足立区や舎人ライナーを馬鹿にするのは理解できなくもない。
やっと、そんな環境から逃げて来たんだものね。

147 名前:名無し野電車区[sage] 2009/02/13(金) 04:50:12 ID:95bZ80OZ0
馬鹿ルルは、部落民であることは否定しないのな。
貧乏で何の取りえもない基地外ルル。
とっとと箕面の部落で死ねばいいのに。

176 名前:名無し野電車区[sage] 2009/02/13(金) 22:09:08 ID:95bZ80OZ0
どうしたルル?
鬱病の薬が切れて二重人格が元に戻ったのか?
ニート精神病部落民のやることは分からんな。

186 名前:名無し野電車区[sage] 2009/02/14(土) 15:20:10 ID:3kTT4Qt40
部落民が毎日出しゃばってんじゃねえよ。睡眠薬でも飲み過ぎて永眠しとけヴォケ


171:清野之計
09/04/04 05:59:38 dXNt/0ejP
33 :名無しさん@九周年:2009/04/03(金) 10:49:36 ID:SGdmgBv00
部落解放同盟、中央本部に電凸した。
TEL:03-3586-7007~8

正直怖かったが、NGキーワードと思われる言葉に注意しながらしゃべったので特にトラブルはなかった。

俺:朝日新聞社内のPCから「失語症躁鬱ニート部落民は首つって氏ね」という書き込みが
  校閲センターの49歳社員からなされたという報道があるが知っているか。
B:知っている。
俺:部落解放同盟(以下解同)としたらこの問題にどう対処していく方針なのか聞かせていただきたい。
B:まだ方針は決まっていない。
俺:今までの解同の方針からするとそれはおかしいのではないか、新聞発表から4日も経っている
  のに未だ行動を起こさないのは理解できない。
B:会議で方針が決まってからになると思う。
俺:では今も会議中なのか?実際に会議をしているのか?
B:内部のことなので話せない。
俺:それはおかしいのではないか。今まで解同はメディアに露出して差別解消を訴えてきたではないか。
  社会的責任もあるだろう。私も一国民として朝日新聞に問いただしてみたが、
  厳正な処分をする、あとは紙面を見て下さいというばかりでそれ以降は何の音沙汰もないという体たらくなのだが。
B:この件については何も行動を起こさないというのはありえないと思う。
俺:ならスピード感を持って対処するべきではないか、でないと私としても普段メディアを利用している立場だから
  何らかの手心を加えているのではないかと疑わざるをえない。
B:そう言われるのは心外だ。
俺:ならばいつものように素早く行動で示して欲しい。ダブルスタンダードに見えないように。
B:わかりましたが、とりたてて対応が遅いというわけではない。

解同に疑念を抱いてる香具師は恐れずに電凸にチャレンジしよう。


172:清野之計
09/04/04 06:45:18 dXNt/0ejP
244 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/04/04(土) 06:44:31 ID:7YgVlC+/0
失語症でも躁鬱ニートでもないが
部落民の俺を怒らせたようだな
今まで何かにつけて朝日を世話して来たが
飼い犬に手を噛まれるとはこの事か
首を吊るのはどちらか後生の歴史家の筆に任せるとしようか


173:吉田無学の2
09/05/01 06:41:13 Lb6jT3/E0
このスレをDAT落ちさせるのは惜しい。
今はなき吉田無学氏の志を継いで要約の書継をします。御本家様の言われる序破急の3段式です。

第4章第 6節 太政官布告と地方行政
第1項 「太政官布告と地方行政」を論じるための資料について

明治4年太政官布告第488・489号は、「穢多非人等ノ称」廃止をめぐる一連の施策の基本方針のようなもの、
地方行政でこれを具体化した基本方策を各府県民に公布。
地方行政での基本方策の比較元として、三重県の『平民籍編入についての触書』に焦点をあてる。
資料は沖浦和光編『水平人の世に光あれ』。
さらに、差別思想「賎民史観」から見た『平民籍編入についての触書』の研究論文として
黒川みどり著『地域史のなかの部落問題 近代三重の場合』をとりあげ、筆者の「非常民の学としての部落学」の立場から批判検証していく。
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)

174:第4章太政官布告批判
09/05/07 06:31:46 VUfrmlIO0
6節 太政官布告と地方行政(続き)

2項 黒川の部落問題の認識

黒川は、「社会の病理」を取り除き差別のない「社会の生理」状態に回復することを
、「解放の展望を切り開いていくこと」と解釈。黒川の「処方箋」は、差別的な「愚民」である「民衆」に同化することなく、
「部落民」が「部落民」として生きていくことができる「多元」的社会の創設。
しかし、日本歴史学に内在する差別思想である「賎民史観」を無意識に生きている黒川の属する中産階級・知識階級こそ、
その差別性が明らかにされなければならない。

175:>>174 補足
09/05/07 06:35:39 VUfrmlIO0
補足
URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)

176:第4章 太政官布告批判
09/05/08 06:41:57 lElv+4RY0
6節 太政官布告と地方行政(続き)

3項 黒川の「触書」理解

黒川は、「明治4年の太政官布告第489号」を解放令として評価するが、
その布告に伴う三重県の「平民籍編入についての触書」の前書部分は、
被差別部落の人々」にとって差別的判断し、それ以上の探求を中止・封印して沈黙を守る。
筆者は、三重県の触書は太政官布告第489号の立法趣旨を十分に反映していると思う。
学問のしろうとである筆者は、三重県触書の前書の「屈辱的」・「差別的」と
黒川が判断する部分についても様々な知識と方法を駆使して解明する。

URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)

177:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/08 21:19:50 kd6DMf+y0
吉田さんの説だと東日本と西日本で違いがでたのは牛の疫病だかだったと思ったが
豚インフル騒動みてると差別とか起こりそうだわな

178:第4章 太政官布告批判
09/05/11 22:51:05 xV5jB3ZI0
6節 太政官布告と地方行政(続き)

4項 黒川の「触書」解釈に対する筆者の批判

1.黒川の「触書」の解釈方法

黒川論文において、三重県触書の引用から意図的に排除されている部分がある。
黒川は、その理由を明らかにしない。
筆者は、黒川がとりあげなかった触書の部分を考察するとともに、
差別思想である「賎民史観」を無比判的に受け入れている研究者・教育者の学的限界を明らかにする。


2.部落解放運動への奉仕の学としての黒川学

黒川の部落史研究は、部落解放運動からの要請と影響に応える結論を
抽出・主張する「強弁」になってしまっている。
黒川が避けて通る文言こそ「触書」の重要な本質を語り伝える。黒川の触書解釈では、
近代部落差別成立の明治政府による権力側の関与の側面が
著しく削ぎ落とされてしまい「賤民史観」的見解以外の何ものでもなくなってしまう。
部落差別の本当の原因を追究せず、そこから逃亡する学究から、
部落差別完全解消につながる新しい理論がどのようにして生まれるのか。

179:>>178 補足
09/05/11 22:57:21 xV5jB3ZI0
1 URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)

2 URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)

180:第4章 太政官布告批判
09/05/14 06:48:54 VvREpWKh0
6節 太政官布告と地方行政(続き)

4項 黒川の「触書」解釈に対する筆者の批判

3.別火・別婚論と宗門改め

黒川は、三重県触書の前文を部落研究の一般説・通説である民衆の差別意識から解釈し、
政治学・宗教学・民俗学的背景についての追究は一切しない。
三重県触書を今日の部落研究で言われる「差別意識」・「けがれ意識」からのみ解釈することは、その本質を見失うことである。
日本の歴史学に内在する差別思想である「賤民史観」は、解釈を通じて近世・近代・現代の歴史を改竄・捏造していく。

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4.別火・別婚論

明治4年の三重県触書前文の「銘々火を改め申すべきこと」という文言は、
穢多の「各家々」が「非常・民」から「常・民」として「平民同様」の社会的地位に落とされる政策であった。
元来、「別火」・「別婚」は、「取り締まる側」と「取り締まられる側」の両者を区別するための重要なしるしであった。
明治という近代に入ってから、この「別火」思想は、差別的色彩を持って解釈されるようになっていった。
「別火」・「別婚」から派生する「別座」は、「旧穢多」を明治天皇制国家の中で「棄民」として差別する徴表として
意味合いが付加・強化され、社会的排除が累積された。
黒川は、「別火」の政治学的・社会学的・民俗学的背景を一切検証することなく、明治政府の近代部落差別構築に関する責任を免罪していく。

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181:第4章 太政官布告批判
09/05/14 06:49:58 VvREpWKh0
6節 太政官布告と地方行政(続き)

4項 黒川の「触書」解釈に対する筆者の批判

5.歴史学者の質を決める「前理解」

すべての学問(科学)は、常に学者・研究者・教育者が学問(科学)に従事する以前に、
潜在的に持たされている「前理解」を自覚し、それを意図的に払拭しないと、一般説・通説・俗説の踏襲に終わる。
黒川の『地域史のなかの部落問題』の基礎・土台となる近世の「穢多」理解は、一般説・通説・俗説の踏襲として余りに安直である。
また黒川は、内在する「賤民思想」から三重県触書の解釈に際して、いたずらに、「けがれ意識」を「読み込む」。
筆者は、その基礎と土台を堅固足らしめることで、黒川みどり著『地域史のなかの部落問題 近代三重の場合』は、
日本社会の中に存在する「社会病理」としての部落差別の完全解消につながる貴重な論考になると思う。

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182:第4章 太政官布告批判
09/05/26 06:54:25 ZunLn8Ng0
6節 太政官布告と地方行政(続き)

5項 地方行政の「穢多非人ノ称廃止」解釈(1)

明治4年の「賤称廃止」太政官布告第489号によって、
「旧穢多非人等」は、「非常民」としての「役務」から解放された。
しかし、太政官布告を具体化した諸府県の対応は、
極めてあいまいで「旧穢多非人等」の一部のみを「司法・警察」職に再雇用した。
「旧穢多非人等」は、「司法・警察」職を継承することができた人々と、
「司法・警察」から排除された人々の2種類に分化され、
近現代の「部落差別」が生まれる大きな要因になった。

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183:第4章 太政官布告批判
09/05/29 03:22:42 njAno9VbP
6節 太政官布告と地方行政(続き)

5項 地方行政の「穢多非人ノ称廃止」解釈(2)

明治4年太政官布告によって、府県は、、「穢多・非人」が「身分」とともに「役務」から解放・解雇されたとして、
「役務」に見合う報酬を停止したが、、「穢多・非人」をその職務から完全に解放しなかった。
また、明治4年太政官布告には、「これまでの職業は即ち平民の職業につき、相改むるに及ばず」として、
「穢多・非人」の「家職」については、当時の国民の92%を占める「平民同様」の施策がとられた。
しかし、「旧穢多」は、近世司法・警察たる「非常民」の「栄光」を忘れることができず「常民」化に緩慢であった。
このため、「旧穢多」はその「一新」を遅らせ、近代中央集権国家により内政問題・外交問題の捨て石と
されることによって、自ら近代化することに失敗させられていった。

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184:第4章 太政官布告批判
09/06/02 03:25:30 nbisjnbgP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」

1項 民衆の視角

筆者は、誰でも入手可能な一般書を組み合わせ「非常民の学」として再構築する、
無学歴・無資格の「職人」の営みを続けている。
たかが素人学、されど素人学・・・。
学者・研究者・教育者が持つことができない「民衆」の目から、
また「旧百姓」の目から見た明治4年太政官布告を検証していく。 

URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)


185:第4章 太政官布告批判
09/06/02 06:45:14 nbisjnbgP
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」

2項「旧百姓」の視角

「旧百姓」と「平民」、両概念の間には、相当大きな隔たりがあり
必ずしも同じ人々を指しているわけではない。
近世幕藩体制下において、「百姓」として、その自覚と責任を持って生き抜いてきた人々は、
明治新政府によって打ち出される「旧百姓」の解体、続く「平民」化に敏感に反応した。
筆者は、近世幕藩体制下の「百姓」≠近代中央集権国家の「平民」という命題のもとに、
一般的に言われる「部落解放令反対一揆」の本質に、
「平民」ではなく「旧百姓」の立場から迫っていく。

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186:第4章 太政官布告批判
09/06/04 03:02:11 k46RznbQP
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

3項「旧百姓」概念と「平民」概念

「刀狩令」以来、民衆は、「軍事・警察」に関与する「非常・民」と関与しない「常・民」に区分され、
近世幕藩体制下の「常・民」=「百姓」は、軍事・警察に関わることがなく社会生活に勤しむことができた。
しかし、明治4年太政官布告は、「旧百姓」(常・民)と「旧穢多」(非常・民)を同じ「平民」にし、
「常・民」をも軍事・警察に関与させるものであった。
「解放令反対一揆」は、「穢多(非常・民)」が「平民(常・民)」になることへの反対にとどまらず、
「平民(常・民)」が「穢多(非常・民)」にされていくことへの激しい反発でもあった。

URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)


187:第4章 太政官布告批判
09/06/05 06:55:09 v5uaDR54P
7節】「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

4項】「旧百姓」の一揆要求

明治4年太政官布告第488号・第489号を契機に発生した「解放令反対一揆」は、
「新政府反対一揆」と呼んだ方がより的確である。
「旧百姓」が「権力」に突きつけた要求の中で、突出しているものは、「徴兵廃止」(軍事)と「穢多従前通」(警察)で、
「旧百姓」は、近代中央集権国家の軍国主義化(国民皆兵)に否を突きつけていったのではないか。
しかし、太平洋戦争終結まで、日本の民衆は、「平民」という名の「非常民」として生きることを余儀なくされた。
「解放令反対一揆」は、「愚民」のなせるわざではなく「賢民」のなせるわざであった。

URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)


188:第4章 太政官布告批判
09/06/06 18:03:29 YTEFxBu1P
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

5項 部落史研究者のみた「解放令反対一揆」

歴史家は、明治4年太政官布告について、「被差別民」を「賎民」から解放し
「平民同様」の取扱いをする恩恵を与えたと解釈する。
戦後の学者・研究者・教育者は、日本の歴史学が培養してきた差別思想「賎民史観」に乗って、
「解放令反対一揆」を明治新政府の政治理念を理解できない「愚民」の所業とみなす。
しかし、学者・研究者・教育者が取り上げないテーマが、明治政府の外交問題を絡めた「行政改革」で
「官」から「民」へ「非常民」から「常民」へリストラされ旧体制のスケープゴートとして
在野に追いやられた「旧穢多」の姿である。

URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)


189:第4章 太政官布告批判
09/06/07 12:42:34 QIWLdLOdP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 1.序

岡山県に統合された2県における穢多襲撃・殺害事件である、
明治5年(深津県)「新古平民騒動」・(北条県)「明治6年美作一揆」は、
学者・研究者・教育者による諸説が入り乱れ定説が確立していない。
これらの事件も、「渋染一揆」同様、史料や論文を見直し
『部落学序説』の研究方法を適用することで新しい解釈を提示することができる。
これらの穢多襲撃・殺害事件は、日本歴史学の差別思想『賎民史観』によって
歪曲・解釈され歴史の真実からほど遠いところへ追いやられている。

URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)

190:第4章 太政官布告批判
09/06/07 20:15:26 QIWLdLOdP
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 2.「新古平民騒動」の発端

明治5年1月深津県における穢多襲撃・殺害事件では、参加の「旧百姓」は約千人に上り、
「旧穢多」3人が殺害され中田村の「旧穢多村」24軒が焼き討ちにより焼失した。
この事件について、《「新古平民騒動」の研究》の著者・明山修は、
「この『騒動』は地域社会における新古平民間の身分対立であり、
古平民の新平民に対する不安からくる衝撃的・付和雷同的先制攻撃(襲撃)で、
対新政府闘争型『解放令』反対騒擾ではない」とする。
明山は、「新平民は、村共同体に対し『かわた』役の拒否を宣言した。
これに対して古平民は『村掟』をつくり新平民に経済的制裁をもって『かわた』役継続を強制も、
新平民が村掟に抵抗したため、古平民は竹槍・小銃を携え蜂起したのが『騒動』発端」とする。

URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)


191:第4章 太政官布告批判
09/06/10 07:01:09 Y8GZj3fNP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 3.「新古平民騒動」の真意

明治4年太政官布告が出されるまで、「平民」と「元穢多」との間には「騒動」・「一揆」に至る要因はなかった。
ところが、明治4年太政官布告によって、深津県に編入された元亀山藩の「穢多」は、
「穢多非人等」の身分が廃止され「役務」と「家職」から解放と見なす結果、
従来から勤めてきた「死牛馬取捨」(道路警察・衛生警察)を含む「役務」に関与することを辞退する「申出」を出した。
「旧平民」は、「眼前差し支えに相成り候」と困惑し、「元穢多」の反対給付として
「旧穢多」に対してなしてきた便宜を一切廃止するという報復にでた。
明治4年太政官布告の内容のあいまいさ、筆者がいう「半解半縛」が災いして、「騒動」・「一揆」が発生した。

URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)

192:第4章 太政官布告批判
09/06/11 21:14:49 51DA+dkpP
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 4.「新古平民騒動」の真意(続)

明治5、6年の2年間で全国5、6万頭の牛が、牛の間に伝染する最初の牛疫で倒れた。
明治5年1月「新古平民騒動」当時、家畜産地・中継市場であった
旧亀山県(旧亀山藩の現岡山県の飛び地)阿賀・上房郡内13ヶ村で「牛疫」が流行し、
「旧百姓」は感染死した牛の処分、感染牛の屠殺に追われていた。
しかし、明治4年に出された太政官布告により、「旧穢多」中に交通警察・衛生警察の職務を辞退する者が出たため、
「旧百姓」=「旧平民」は「旧穢多」に対し「かわた」であることを強制する雰囲気を醸しだし、
抵抗する「旧穢多」は「旧平民」から「仮想権力」として攻撃を受け「新古平民騒動」となった。
続く明治6年5月、家畜市場であった美作の事件では「旧穢多」18名が殺害・11名が負傷させられ314世帯が家を焼却、破壊された。

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193:第4章 太政官布告批判
09/06/13 02:05:58 d7qfRrL30
7節 「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 5.「美作血税一揆」の真意

「美作血税一揆」については、津山藩の「穢多」の末裔である部落史研究者
川元祥一が『部落差別を克服する思想』で述べている。
川元は、祖母から明治6年、川元家を襲った不幸についての話を聞かされた。
「美作国一揆は全部で2万人…が蜂起し…、一つの被差別部落を2000人も3000人もの人が取り囲む…。
当時約20戸の村…、抵抗なく一揆の要求を承諾。…、やがて私の家と、当時村の頭をやっていた家だけは打ち壊しにあった。
…結果的に(屠畜場を)廃業に追い込まれた…。」
川元は、「当時の農民など一揆勢の意識・観念は部落差別としていまも生きている」と主張する。

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194:第4章 太政官布告批判
09/06/13 18:09:49 +sMEWd8pP
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 6.「美作血税一揆」の真意(続)

川元は、「キヨメ」(浄メ)という「役」(職業)を担った人々として「穢多・非人」を見直し、
「ケガレ」は「穢多・非人」の「役」(職業)からでてくる言葉であるという。
川元の先祖は、明治4年太政官布告がだされ「斃牛馬処理」の権利が「穢多」の特権でなくなったたあとも
「斃牛馬処理」の営みを続けていたが、川元の先祖を「浄め役」から解放したのは特権廃止や「賤民解放令」ではなく、
「美作国血税一揆」に参加した「百姓」たちの打ち壊しであった。
川元は、「何が農民をそこまで動かしたのか、・・本当の意味で日本の近代を語るのは
このような農民の動きの解明から始めなくてはならない」という。

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195:第4章 太政官布告批判
09/06/14 18:39:27 /jGktvpOP
7節「旧百姓」の目から見た「穢多非人ノ称廃止」(続き)

6項 深津県・北条県における穢多襲撃・殺害事件 7.「美作血税一揆」の新解釈

明治政府は、西シベリアに牛疫の流行ありとの情報をもとに、
明治4年6月「悪性伝染病予防に関する布告」(太政官布告第276号)をだした。

布告には、(牛疫は)「牛」・…だけでなく「人」にすら感染する恐れのある恐ろしい伝染病であると説明があった。
明治5、6年の牛疫流行当時、部落史の学者などのいう「解放令反対一揆」を引き起こした「旧百姓」が直面していた
「けがれ」のもっとも大きなものは、太政官布告第276号が喚起した日本国外から持ち込まれる新しい「けがれ(穢れ)」であった。

川元がいう「屠畜場経営」に関しては、「美作国血税一揆」に参加した「旧百姓」は「穢多村」に押し入り、
「牛疫」の感染源ではないか査定をした。川元の先祖や穢多頭の家は、新しい外来の「けがれ(穢れ)」に
直面した「旧百姓」の「新政府反対一揆」の犠牲にされた。

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