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2014/12/26 7:00
URLリンク(www.nikkei.com)
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習近平国家主席は、毛沢東以来最も力のある中国の指導者になりつつある。ウラジーミル・プーチン大統領は
ロシアの隣国に侵攻した。エジプトでは、アブデル・ファタフ・アル・シシ氏が国軍総司令官の地位を捨て、
陸軍元帥になることを選んだ。トルコのレジェプ・タイップ・エルドアン氏は、ルイ14世を見劣り
させるような大統領宮殿の主だ。我々は剛腕政治家の年を生きてきた。
現在、地政学的な環境を形成しているタフガイ指導者のラインアップの中には、正真正銘の民主主義者が
権威主義者と肩を並べる。適切に選出されたにもかかわらず、エルドアン氏は多数派支配主義に傾いているが、
ナレンドラ・モディ首相と安倍晋三首相はインドと日本のリベラルな憲法秩序を壊す意思は示していない。
彼らを結びつける糸はむしろ、国家間関係に対するアプローチと、20世紀後半よりも19世紀に深く根ざす
国家主権への愛着だ。このようなリストにイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相を加える人もいるだろう。
多くの相違点にもかかわらず、ネタニヤフ氏は生気のない欧州のリベラル派よりはプーチン氏と一緒に
いた方がくつろいでいるように見える。
■中国とロシア、臆面もない修正主義者
ソビエト共産主義の崩壊は、リベラルな国際主義的秩序の到来を告げたはずだった。ロシアは西側諸国の
パートナーとして繁栄し、中国は責任あるステークホルダーとして台頭する。新興大国はルールが相互利益の
源であることを理解する―。最も楽観的な国際主義者たちは欧州のことを、多国間主義と共同主権の
ポストモダンの未来のひな形と見なした。
全般的に見て―こうした大雑把な判断には例外があるが―、剛腕政治家は自然な道理として協調より
競争を好む。彼らは国際主義者ではなく国家主義者だ。また、中国とロシアの場合、臆面もない修正主義者でもある。
大半の先進民主主義国では、国家主義(愛国主義とは別の意味)という言葉は政治的な侮辱語だ。習氏と
プーチン氏にとっては、国家主義は国内の支持を集める手段であると同時に、西側が普遍的価値と呼びたがる
ものに対する国益の優位性の表明でもある。リベラルな経済秩序に対する彼らのコミットメントも、同じように
限定されている。経済はまさに国家権力の道具と見なされているのだ。
欧州の大きな功績は、歴史を過去のものとしたことだ。剛腕政治家は過去について謝罪すべき理由を認めず、
教科書を書き換えることにいそしんでいる。過去の栄光をよみがえらせる手段、また、それと同じくらい古い
不満を呼び起こす手段として、歴史が違う形で語られる。ドイツは悔恨を通じて自国をつくり変えた。
安倍氏は、謝ることにうんざりしている。
習氏は、アヘン戦争までさかのぼる恨みを晴らしたいと思っている。プーチン氏はまだソ連崩壊の喪に
服している。これらのレンズを通して見ると、現在のルールに基づく秩序は西側の産物だ。軍事力と均衡を図る
同盟形成の方が国際関係の通貨として優れている。
これらは皆、19世紀の大国間競争を学んでいる人には馴染みのあることだ。中国政府高官が、
西太平洋に対する宗主権を目指す中国の今の取り組みの前例として、1823年のモンロー主義
(19世紀初め、モンロー米大統領が対欧外交で明らかにした相互不干渉主義)と20世紀初頭の
米国の海軍力増強を挙げるのは、決して偶然ではない。大国は自国の近隣地域を支配するのだと、
彼らは言う。そのように物事が行われている。だから、ロシアの近隣諸国(旧ソ連諸国)に対するプーチン氏の
権利の主張は、東シナ海および南シナ海での習氏の強引な態度とよく似ている。
続きます