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アメリカが、『アフガン米軍撤退するする詐欺』を働いたが、『タリバンの言い訳』が楽しみだwww
◆Malala and Nabila: worlds apart ‐Murtaza Hussain 01 Nov 2013‐④
『マララとナビーラ:天地の差』
URLリンク(www.aljazeera.com)
Unlike Malala Yousafzai, Nabila Rehman did not receive a welcoming greeting in Washington DC.
『ナビーラ・レーマン』は、マララ・ユスフザイとは違い、ワシントンDCで大歓迎されなかった。
イスラム世界におけるアメリカの軍事行動の“正当性の象徴”として彼女の名前や写真を取り上げる
連中の多くの者がこの話題に関する彼女自身の言葉に耳を傾けたり、“感じ方”を気にかけていない
ことが、その多くを物語っている。
☆ワシントン・ポストのマックス・フィッシャーの描写はこうだ。
「マララ」に対する欧米の称賛は“パキスタンの少女たちの状態を改善しよう”という彼女の努力や
パキスタンの何百万人もの少女たちの苦闘に関するものというよりも、有名人や耳触りの良い言葉で
暖かく穏やかな気分になりたいという、我々自身の欲求と化している。
これは、自らを許す一つの方法で、これは、善玉と悪玉という簡単な話で、我々は正義の側にあり、
すべて順調なのだ、と自分を納得させるものなのだ。
しかし、『ナビーラ』は、この構図のいったいどこに当てはまるだろうか?
もし裁判無しの殺害や、無人機攻撃や拷問が、すべて実際にパキスタンやアフガニスタンや他の国の
人々の解放にまつわる正当な理由の一環なのであれば、この戦争が彼女のような無数の幼い少女たち
にもたらした荒廃に対する同情や、せめてもの認知は、いったいどこにあるのだろうか…?