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◆Behind The Scenes Of The Iraq War By Harun Yahya 17 April 2003‐③
『イラク戦争の舞台裏 ‐ハールーン・ヤヒヤ』
URLリンク(www.harunyahya.com)
URLリンク(english.pravda.ru)
これは、単にイラクを含む中東を細分化するだけのイスラエルの計画の発表ではなかった。
中東の平和的解決への献身で知られる著名なイスラエルの学者イスラエル・シャハク氏は、オデット・
イノンがイスラエルのタカ派の見解を繰り返したに過ぎないと説明した:
全てのアラブ諸国がイスラエルによって小さな勢力へと破壊されるべきだという考えが、イスラエルの
戦略的思考に、何度も何度も登場している。例えばHaaretz 紙の軍事問題の特派員で、イスラエルでは
おそらくこのテーマに最も精通した Ze'ev・シッフ氏は、イスラエルの利益のために、イラクで発生し
得る『最高の』事象について書いている:
『シーア派とスンナ派の分割とクルド人地区の分離によるイラクの崩壊』(Haaretz紙 6/2/1982)。
実際、このような見地に立った計画は、かなり昔からあったのだ。↓
2- (ed.) Israel Shahak, The Zionist Plan for the Middle East;
イスラエル・シャハク‐『中東のシオン主義の計画』
この計画は真剣なものであり、それはアラブ諸国における非アラブ勢力や、非イスラムの少数派に
対する古くからのイスラエルの支援によっても確認されている。
イラク北部のクルド人の反体制勢力も、イスラエルのこうした戦略的な同盟のうちの1つだった。
1961~75年、バグダッド政権に対する反乱が続く間、彼らはイスラエルから経済的・軍事的に支援
されていた。それが、いかに血まみれで、破滅的な内戦になろうとも、イスラエルはイラク北部が
分裂するのを望んだのだ。しかしながら、その主要な後援者だったシャー(イラン)の支持を失い、
反乱は1975年に失敗した。
15年後、新たなチャンスは、イラクの独裁者サダム・フセインの野心から、イスラエルに再びその
チャンスが芽生えた。