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この大航海の記録は第4次航海と第7次航海に同行した馬歓の『瀛涯勝覧(えいがいしょうらん)』や費信『星槎勝覧』
・鞏珍『西洋番国志』などによって現在に残され、この時代の東南アジアの非常に貴重な資料となっている。
これらは民選の物で、鄭和の航海の公式記録は「鄭和出使水程」という記録に編纂され、宮中の資料庫に保管された。
これは船団の編成、名簿、航海日誌、会計などの記録を網羅した膨大なものだったといわれる。
しかし数十年後に成化帝が調査させたところそっくり紛失しており、理由は現在も謎となっている。
一説には航海の巨額の費用が民を苦しめ国家を衰退させることを憂慮した劉大夏という役人が、
同様の大航海の準備資料とされないようひそかに持ち出して焼却したともいう。