13/02/06 21:56:20.55 wzUr5waQ
>>84
エドワード4世の死亡、5世の廃位で、それまでぶいぶいいわせてた
ウッドヴィル一族は外戚の地位を失った。返り咲くために
エリザベスとランカスター派の旗頭たるリッチモンド伯の結婚を
画策した、には同意。
自分はリッチモンド伯の王位継承権の正統性は薄い、厳密にはないと
思っているが、他の候補がいないんだからランカスター派は
彼を担ぐしかなかった、そして彼を中心にまとまってた、だから
ヨーク家の王たち(エドワード4世、リチャード3世)も敵対者と認識してた、
と解釈してる。
それ以降ももう解釈の問題かな。リッチモンド伯がエリザベスと結婚する
意志があっても実現可能な状況だったかどうか。エドワード5世とヨーク公が
当時生きていたか死んでいたかは不明だ。
あと一つ確認。
ヘンリー6世は1471年5月21または22日死亡、その一人息子エドワード・オブ・
ウェストミンスターは1471年5月4日死亡。第2次薔薇戦争テュークスベリーの戦いの時。
マーガレット・ボーフォートがエドマンド・テューダーと結婚したのは1455年。
ヘンリー6世の結婚が1445年、エドワード誕生が1453年。
つまり、ヘンリー6世結婚>エドワード・オブ・ウェストミンスター誕生>マーガレット結婚>
ヘンリー・テューダー誕生>ヘンリー6世父子死亡>ヘンリーがランカスター派残党の
旗頭に、て流れだよね。
マーガレットの結婚はランカスター王家藩屏強化策の一環だと思う。
サマーセット公(マーガレットの叔父)あたりがいろいろ画策したんじゃねーかな。