12/02/18 19:40:13.38
「東のエデン」を見た
感想をひと言で言うなら「北斗の拳・文系男子版」。
北斗の拳は「もしオレがすっげー強かったら?んでもって、この世がまさに世紀末だったら?」という妄想。
エデンは「もしオレに100億と秘書がいれば?」 二つの妄想は驚くほど似ている
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「東のエデン」を見た2.
類似点
「どっちも世紀末救世主伝説」
「どっちも、最終的に勝つのは『より大きな哀しみを耐えた者』」
「どっちも、見覚えの薄い義兄弟みたいなのがケンカ売ってくる」
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テレビ版の最終回は「え?これで終わり?」と思った。滝沢が記憶消した動機が納得できない。
セリフでは説明あるんだけど、共感できないから「トラウマっぽい説明されてごまかされた感じ」がする。今度、劇場版見るけどw
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「東のエデン」を見た3.
「エデン」と「まどマギ」、どっちも登場人物の描写が薄く感じるのはなぜ?もちろん「六神合体ゴッドマーズ」に比べたら、遙かに遙かにマシなんだけど。
「キャラクターじゃなくてキャラ、という薄さ」を感じちゃう。「普遍性」を犠牲にして「イマドキ性」を優先描写したからかな?
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(続き)
それって北斗の拳に憧れる気持ちと似てる。「オレだってケンシロウみたいに強ければ、悪を許さないのに!」って、それはダメでしょ?
「強いから悪を許さない」というのは、単に「弱い者イジメ」。自分が強くても弱くても戦うのが「正義の味方」じゃないの?
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(さらに続き)
だから「100億あったら、万能秘書がいてくれたら」というのは、的外れ。だから「東のエデン」のテーマ性は僕には薄く感じる。
別に「選ばれた者」じゃなくても救世主にはなれる。だからスタッフに説教。そこんとこ、逃げるとビルドゥングスロマンたり得ないよ~
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