12/02/03 10:25:32.33
ハドソンの第3話を書きたいのだけど、決定的なところを誰も彼も覚えてない、って微妙な状況で、
状況証拠だけで煮詰めて書いていくのがイヤで、今、この人たちが覚えてなかったらアウツって人たちに
聞いてるところだったりする。
ちなみに自分が書いていることは、任天堂もしくはハドソン(現コナミ)が1983年ごろの覚書とか契約書を
公開するとか、そのレベルのことをやってくれない限りは、個人の記憶に頼るしかない代物なので全く大変だ。
そして、公開されても日付がわかるだけで、やっぱり個人の記憶に頼らないとどうしようもない部分があるので、
ますますまずいのだけどw
ところで、ゲーム史に関する本格的な研究や記録は日本ではほぼない。
これは世界のゲーム史から見たとき、恐ろしく不幸なことだ。
というのも、日本はアメリカと並んで間違いなく「世界のテレビゲーム」を作り出した国で、
歴史的に見ると恐ろしく重要な話が大量にあるはずなのに、これらが消え去っていこうとしているのは、
かなりまずいだろうと思う。
ハドソンのファミコンへの参入の歴史はたまたま調べたからよかったけれど(それもだいたいはツイッターで話をしたとき、
大雑把に聞いた話をしゃべったら、それが本当かに興味が出たってだけだ)、ほぼ同時に参入したナムコのことは全く
分からない。
それに今回のハドソンのことを調べてわかったのだけど、当時、何があったのかを知っている人達も30年経って
記憶がいい加減になって、忘れたことがたくさん出てきている。
例えば、今回のハドソンの件を調べたとき、最初にハドソンではX1用のBASICコンパイラを使ってゲームを
作っていたって
証言があって、作ったとされている本人に確認したら「ぜんぜん覚えてない、そんなことしてたかなあ」だ。
さらに当時は本当に口約束で決まったことなんかもあったはずで、そうなったら本人が忘れたらもう終わりだ。
30年以上前の記憶なんだから、しょうがないといえばしょうがないけれど、10年早く記録を始めていたら、
絶対に違ったはずで、あまりにもったいなかったなあと思ってしまう。
しかし、本当に初期のゲーム史をちゃんと歴史に残すなら、これから10年は最後のチャンスなんだけどなあ…
きっと日本はそんなものぜんぜん残さなくてガッカリな結果になるんだろうなあ…と思ってしまう。
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