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教育勅語を読み直そう 4月11日
平成13年のNHK大河ドラマ『北条時宗』は、小欄にかっこうのネタを提供してくれた。
なにしろ蒙古襲来を前にして、鎌倉幕府執権の時宗が、「この首をフビライに差し上げ
てもよい。それで日本が救われるのなら」などと、泣き言を吐くのだから。
▼それほどではないにしろ、昨年の『八重の桜』にも、違和感を覚える場面があった。
新島襄亡き後、同志社の臨時総長となった山本覚馬が、明治23(1890)年に発布さ
れた教育勅語についてこんなつぶやきをもらす。
▼「教育勅語か。教育の名の下に、人を縛るようなことがあってはなんねぇ」。いかに
も、戦後の進歩派文化人が口にしそうなセリフである。「ならぬことはならぬものです」。
覚馬が学んだ会津藩の藩校には、この言葉で結ばれる厳しい掟(おきて)があったはずだ。
▼勅語が昭和23年に国会決議によって排除されて以来、徳育の欠如した戦後教育が、
子供たちの心をむしばみ続けてきた。覚馬が知ったら、嘆きの深さはいかほどか。といっ
た観点から、NHKは歴史を見ないものらしい。確かに教育勅語は、「軍国主義教育の象
徴」の烙印(らくいん)を押され、内容の吟味もされないまま遠ざけられてきた。
▼その原本の所在が、半世紀ぶりに確認されたという。歴史的な資料として、修復のうえ
公開される見通しだ。全文が多くの人の目に触れる絶好の機会である。下村博文文科相の
言うとおり、「至極まっとうなことが書かれている」ことに、驚きの声が上がるかもしれない。
▼そもそも勅語が生まれた背景には、欧米文化の流入によって引き起こされた、明治
時代前期の道徳の混乱があった。グローバル社会を生きる現在の日本人があらたな国
民道徳を打ち立てる、きっかけになればいい。