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近年日本で売られている仏菓子といえば、複雑な味のムースや、フルーツが宝石のように飾られたケーキなど、計算され尽くした大人向けできらびやかなものが主流だった。
「実はそれは仏で一昔前にはやったスタイルなんです」
こう明かすのは、日本の老舗洋菓子店関係者だ。
日本のスイーツもパリの流行に左右されるといい、流行を“輸入”するまでには多少のタイムラグが生じる。このため、今の日本の仏菓子は、本国からみれば「時代遅れ」と映るそうだ。
この新古典菓子を仕掛けたのは、ラ・パティスリー・デ・レーヴのオーナー、ティエリー・テシエだった。きっかけはテシエがパリで知人の子供に「ケーキ屋で何か買ってあげようか」と尋ねたときに、
「ノン・メルシー(いらないよ)」と言われたことだったという。
当時のパリのスイーツは、新しさを追求しすぎた結果、味も形もあまりにも複雑になっていた。
テシエは「単純に子供が食べておいしいと思えないということに初めて気付き、愕然(がくぜん)とした」といい、
「大人が食べて懐かしい感動を覚えたり、子供もおいしいと喜べるお菓子をつくりたいと思った」という。
この「原点回帰」であり「ルネサンス」的な考えをテシエから聞かされたコンティチーニは「まさに自分がやりたかったことだ」と思い立ち、
味や見た目とともに「記憶」に重点を置いた新古典菓子という新しいスイーツの扉を開いた。
パリでオープンした2店舗は瞬く間に人気店となり、仏スイーツ界の流行は新古典菓子へと舵を切った。