12/04/25 18:43:09.47 z5Tt2G/B0
案外石原よりも先に虚塵ファンが朝日にお灸をすえるのでは・・・・・・
朝日も今のうちに警官雇っとけ、じゃないと危ないぞ!
895:文責・名無しさん
12/04/25 22:10:02.23 p3zhpy2L0
>>889
納得。
池田幸一でググればその悲惨さは解る
896:文責・名無しさん
12/04/26 22:15:54.75 gu/gB7aJ0
朝日新聞が捏造して世論を煽り、政治家を突き動かしたときは
必ず悪いことが起こる・・・ということが、
多くの日本人に知られるところとなった。
一応悪循環は断ち切られたが、過去の悪行をつぐなわせないでは、
おくものか。
国民の怒りの結集を望む。それまで首を洗ってまってろ。
やけくそな反日記事を散々と書き散らかしてやがって。
便所でクソしながら読む価値もない。
897:文責・名無しさん
12/04/28 11:36:11.95 tJJ1A28C0
良スレあげ
898:文責・名無しさん
12/04/28 19:59:39.56 vuOBY27W0
新潟の女子中学生である横田めぐみさん(当時13歳)は、
1977年11月15日に北朝鮮に拉致された。今年で35年になる。
以下は、めぐみさんが拉致された翌年の朝日新聞の記事。
なんと能天気で悪質な記事だろうか。
朝日新聞夕刊 1978年11月24日
一糸乱れず すべてに金日成主席
やはり、金日成主席のことから書かねばなるまい。
この国では、あらゆることが金日成主席と切り離しては語れないからだ。
私たちが会ったこの国の人びとは、みな左胸に金日成バッジをつけていた。
それに、いたるところに主席の肖像写真、像、主席の活躍を描いた絵がある。
一つには、この国では主席の存在と権威が圧倒的、ということもあるだろう。
「日本の植民地からの解放も、国の創建も、祖国解放戦争(朝鮮戦争)の勝利も、
今日の発展も、すべて偉大な主席の賢明な指導のたまものです」。
滞在中、何回となくそんな声を耳にした。「だから、人民が敬愛の念を寄せているのです」
政策的にも、主席への忠誠が組織されているようだ
この国独特の革命理論がある。「革命と建設を進める主人公は人民大衆だが、
それは賢明な指導者がいてこそ初めて可能だ」というものだ。
「金日成主席を頂点に一糸乱れず」。この国を歩きながら、そんな思いが、頭をかすめた。
899:文責・名無しさん
12/04/28 20:29:56.27 tJJ1A28C0
朝日新聞が日本でやってきた愚かな行為、負け犬根性が起因のガクブルノイローゼ症候群で判断力をなくし、
歴史を客観的にみることもできず、この片棒をかつがされた。日本がこうむった損害は計り知れない。
インド法学博士 ラダ・ビノード・パール
要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史に
とどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、
日本の一七年間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印
する事が目的であったにちがいない。・・・・
私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。
この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。
それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべき
アジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。
それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」
「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。満州事変から大東亜戦争
にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを
私は平然として見過ごすわけにはゆかない。あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を
払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。
900:文責・名無しさん
12/04/28 20:56:24.20 s69x5J3+0
>>898
お前、頭悪いんじゃないか。
明らかに北朝鮮に違和感を持ったことをぎりぎりの筆致で表現した記事じゃないか。
こういう奴らは何を読んでも「朝日が悪い」なんだろうな。
901:文責・名無しさん
12/04/29 12:30:54.63 TD1+bFle0
>>900
1950年代から1990年代までの長年続いた朝日新聞の北朝鮮おべんちゃら記事は、
それこそ「犯罪的」とすらいえます。
数多くの証拠をお見せしましょう。下記は特に興味深い記事の例。
*******************************
■朝日新聞夕刊 1971年11月20日
《チュチェの国 北朝鮮:3》
十月五日から十一日まで、平壌では朝鮮民主女性同盟の第四回大会が開かれていた。議題の中心は
「女性解放」。「女性解放」のテーマが示すように、この国ではいたるところで働く女性の姿を見た。
儒教思想から、朝鮮での男尊女卑は、日本以上にきびしかった。だが、いま共和国の女性たちは、
男と肩を並べた「革命と社会主義建設の闘士」といわれている。
婦人の労働者階級化、革命化がうたわれ、地区ごとの「母親学級」では衛生知識の普及と同時に、
朝鮮女性の模範とされるカン・バンソク女史(金日成首相の母親)の革命思想学習が行われている。
今年から始った新六カ年計画の重要課題の一つが、婦人の家事労働からの解放。そのために、冷蔵庫、
洗たく機、電気がまをはじめ台所用品の増産が叫ばれていた。朝鮮の女性は荷物を頭に載せて巧みに運ぶ。
体位向上を妨げる、として、できるだけやめるようにとの指導がなされていた。
ウーマン・リブは、流行でも、風俗でもなく、社会制度そのものだった。そして、素顔の美しさがあった。
八年前、日本から帰国したパク・ヨンジャさん(33)は、祖国へ帰って一番うれしかったことは、
と夫君の顔を盗み見ながら、いたずらっぽくいった。
「日本では、お金さえあれば、なんでも買えるでしょう。おメカケさんとか、女まで。だから、
主人の帰りがおそいと、気が気じゃなかったんです。いまは、そんな心配、まったくありませんから」
*******************************
北朝鮮をノルウェーなどと同等の先進国と勘違いさせようとするかのような
相当に悪質な洗脳記事です。ひるがえって日本に対しては過酷な反日。
下記の記事の前年1970年は安保闘争があり、政府を倒せと日本人を煽っていました。
902:文責・名無しさん
12/04/29 12:34:29.45 aknuKut00
同じく1971年の記事。
金日成を、まあ、褒めちぎる。ちなみに金日成の物語はまったくデタラメである
ことが現在はわかっています。
■朝日新聞朝刊 1971年9月27日
《金日成首相「友好」を語る -後藤本社編集局長と会見-》
金日成首相は、少年時代から抗日パルチザン運動に投じ、その指導者としての地位につき、
抗日-独立-朝鮮戦争と、共和国の運命を一身にになってきた。
来年六十歳の還暦を迎える首相は、パルチザン時代の若い、ハンサムなおもかげを残した、
きわめて壮健な円熟した政治指導者である。力強いバリトンで語りかけ、終始、笑みをたやさず、
ときにゼスチュアや機知もまじえ、熱意をもってどの問題にも答えていた。
903:文責・名無しさん
12/04/29 12:38:34.12 TD1+bFle0
下記は1959年です。詳しく知らないですが、このころから北朝鮮を美化する記事が
はじまったのでしょうか。
中学生程度の読解力があれば、記者の共産主義への憧れ・・が読み取れるのではないでしょうか。
■朝日新聞朝刊 1959/12/25
《「ばく進する馬」北朝鮮 よくはたらく人々》
北朝鮮の経済建設のテンポはものすごい。朝鮮戦争で徹底的に破壊を受けながら昭和二十九年からの
復興三力年計画で再建が始まり、続いて社会主義の第一次五カ年計画と取り組んだ。
三十六年までかかるはずの五カ年計画を二年も短縮して今年中に超過達成してしまおうという勢い。
数字を示されただけでは私たちにはわからないが、千里の馬がばく進する姿はありありと感じられる。
904:文責・名無しさん
12/04/29 12:41:54.33 aknuKut00
下記も。金日成へのゴマスリ記事。
(なんども書くが、金日成の経歴はまったくのデタラメ)
記者は、自分も北朝鮮の人民になって日本軍と戦っているかのような
空想にふけっているのでしょうか。
■朝日新聞朝刊 1971年9月27日
《金日成首相との会見記詳報》
(金日成首相は)一九一二年平壌市に生れる。五十九歳。社会主義国のなかではキューバの
カストロ首相らと並ぶ最も若い指導者の一人であり、その業績を記した伝記はそのまま
朝鮮民主主義人民共和国の建国の歴史であるといえよう。日峰著「金日成伝」によると、
反日地下組織「朝鮮国民会」の指導者、金亨稷氏の長男として生れた金日成氏は、
十四歳のときに祖国解放をめざして鴨緑江を渡り、二年後には中国東北の吉林で
共産主義青年同盟を組織、朝鮮革命のたたかいに加わる。
柳条溝事件(九・一八事変)のあと、パルチザンの総責任者となった将軍は中国国境に
そびえ立つ白頭山に根拠地を置いて日本軍を相手に徹底的な抗日遊撃戦を展開した。
・・・
905:文責・名無しさん
12/04/29 12:43:15.76 8L0GhV+D0
まあ、下記も読んでほしい。
エコな北朝鮮を紹介しています。
ばかばかしいながらも詐欺的な記事。
■朝日新聞夕刊 1971年11月18日
《チュチェの国 北朝鮮:2》
人民班の重要な活動の一つが、金日成首相の革命思想を定期的に学習すること。
そして、もう一つはゴミの回収。炊事の余りはブタの飼料に、紙クズ、空ビン、空カンも
それぞれ分けて、再利用へ回す。残るのは、集中暖房がまだ行きわたっていない家庭の、
無煙炭の灰ぐらい。これも集めて水田の肥料にする。
生活のすみずみに、自国の経済は自国の資源で、の“チュチェ”姿勢があった。
そして、節約は美徳だった。今年の十月三日は中秋の名月だった。朝鮮では「秋タ」という。
この日の平壌市内は、いつもより色彩が豊かだった。よそ行きに着飾り、ダリアや百日草、
野菊の花たばをかかえた家族連れが、墓参りに出かけていった。リ・グムリョルさんも、
昨年亡くなったおばの墓参りに行ったはずだ。その墓石には南にいるニ人の息子の名と
遺言が刻んであるという。
夜、平壌に浮んだ月は青白く、ウサギがよく見えた。ラジオできいた日本のニュースは、
こう報じていた。「東京のデパートでは、月見ダンゴつきススキが一組千円から千五百円
で飛ぶように売れていました」。
豊かな生活とは、なんだろうかと考えさせられた。
906:文責・名無しさん
12/04/29 12:48:22.96 TD1+bFle0
下記は北朝鮮の教育を賞賛する1978年の記事。
共産主義の恐ろしさがあまり知られてなかったころ、朝日新聞どもは共産主義の神格化にのめりこんだ。
こんなに共産主義が素晴らしいなら見習うべき、と考える日本人を数多く生み出した。
■朝日新聞夕刊 1978年11月25日
'78初冬・北朝鮮:2
大学生が多いことも、この国の教育熱を示す一例かもしれない。昼間の大学への進学率は四〇-五〇%。
働きながら学べる工場併設の工場大学もあるから、その学生を加えると、大学進学率はもっと上がるだろう。
義務教育のやり方がまた、日本とは著しく違う。人民学校も高等中学校も、授業が終わると児童・生徒は
いったん家に帰る。午後四時に再び登校して一、二時間、共産主義思想、芸術、科学技術、体育などの
課外活動に励む。そのための施設が各校にある。初冬の淡い光の下、野外での課外活動も盛んだった。
「いわば、授業の延長です」と、高等中学校の校長はいった。時間をフルに使って、少年少女に革命思想、
学力、技術、芸術的素養を身につけさせようと努めているように思われた。
とにかく、すべてに優先して教育を推進している感じ。
907:文責・名無しさん
12/04/29 12:52:47.46 8L0GhV+D0
下記も共産主義への無知を示すボンクラ記事。
特に「衣食住には心配なし」という見出しは、ろくに取材もせず犯罪的。
朝日新聞夕刊 1978年11月30日
'78初冬・北朝鮮:4
衣食住には心配なし
資本主義国の市民生活と社会主義国のそれを比較するのは大変むずかしい。
先進資本主義国の日本では、豪華できらびやかな消費物資がまことに豊富だが、
住宅、子弟の教育費、医療費、といった問題になると、なんとも心細い。
老後の保障も心配のタネだ。社会主義国の生活は、さしずめこれを裏返したようなものだ、
と考えればいいだろう。
この国では、まず税金制度がない。教育と医療はすべて無料だ。水道、電気、暖房代を
含む住宅使用料はほとんどタダに等しい。主食の米も安い。定年は男六十歳、女五十五歳だが、
定年後は退職時の賃金の六〇%にあたる年金が出る。その代わりテレビ(もちろん白黒)はよく
普及しているものの、カメラ、腕時計、電気洗たく機、冷蔵庫といったものはまだ大衆消費物資とはいえず、
いわば貴重品だ。一般でマイカーを持っている人などはいない。
だから、消費物資の量と質で先進資本主義国にとても及ばないが、衣食住の問題が基本的に解決され、
社会保障が行き届いているから、生活に落ち着きと安定が感じられる。
908:文責・名無しさん
12/04/29 13:07:05.31 aknuKut00
次の記事も要注目。
さんざん北朝鮮をもちあげてきたが、80年代後半になると
さすがにおべんちゃらを言うのもきつくなってきた。
そこで自虐史観への切り替えを除々に行っていく。
こういう「地ならし」の記事が何年も続いたあとに、
悪夢のような従軍慰安婦騒動の記事につながっていく
朝日新聞朝刊 1985/06/05
'85春・北朝鮮から:17
切られた桜
私たちが平壌の中心部にある丘、牡丹峰に登った時のことである。
道のわきに桜並木があり、今を盛りと花をつけていた。
「ああ、桜だ」。私たちは思わず声をあげた。それまでこの街で桜を
見ることがなかったからである。「日本と気候が似ているのに、なぜ桜が少ないのか」
との私たちの問いに、案内の対外文化連絡協会の幹部はしばらく間をおいた後で、こう言った。
「平壌にも、解放前にはかなりありました。が、解放直後に市民の手で切り倒されてしまったのです。
桜の花は日帝を象徴するものでしたから」
その時、私は一瞬、まるで40年前に引き戻されたような衝撃に襲われた。
そして、国を、土地を、ひいては言葉も姓名さえも奪われた朝鮮民族の憤怒
を改めて見た思いだった。解放から40年たって、「日帝」時代を知らぬ人々が
増えているものの、民族としての体験は今もなお消えてはいまい、と私には
思われた。
それからというものは、この国の人々の日本に対する好意的な態度に触れれば
触れるほど、日本が、この国の人々に対して過去の植民地支配に対する謝罪も
償いもしていないな、という思いにかられた。
909:文責・名無しさん
12/04/29 13:27:56.40 TD1+bFle0
1988年になって北朝鮮のスパイ金賢姫(真由美)が韓国の航空機を
爆破したことを会見で告白。さすがにバカ朝日も北朝鮮はかばいきれない。
しかし、以下の記事
1988/01/16 朝日新聞朝刊
天声人語
この発言が本気なら、彼女は、欺かれて115人の命を奪ったことの
おろかさを、命を奪った後に悟ったことになる。恐ろしい話だ。
金賢姫がうつむき続けたのは、彼女がとりえた唯一の拒否の姿勢であったのか
もしれないし、罪の意識のためであったのかもしれない
会見の最後に、今度の事件は「無意味でむなしいこと」だったと彼女はいった。
無意味でむなしい事件の筋書きを書き続けるのはなにものか。
**************
最後の他人事みたいな書き方は、頭にきませんか?
北朝鮮が考え出した「無意味でむなしい事件の筋書き」の
片棒をかついで「広告塔」をやっていたのはお前らだろ・・
910:文責・名無しさん
12/04/29 13:38:29.80 pESrw0sb0
1990年代の朝日記事も最悪。
その要旨は、「日本は北朝鮮への加害者なのだから積極的に経済支援すべき」と
いうもの。
現在となっては、北朝鮮への経済支援は、北朝鮮の核開発や軍備増強に間接的に
つながるものと多くの日本人が思っているから、たぶん日本の政治家のほとんどは
経済支援にノーです。
ところが、現在は皮肉なことに豊かになった中国が北朝鮮を経済支援して
いるので北朝鮮はあまりこたえていないようです。
過去の日本の膨大な経済支援や技術協力が北朝鮮の独裁軍事体制を強化したのです。
そして、そういうテロ国家を支援することを許容するような忌まわしい世論を育成したのは
間違いなく朝日新聞等が徹底的に後押ししたためです。
911:文責・名無しさん
12/04/29 13:52:19.48 pESrw0sb0
きわめつけは、金正日が拉致を白状した翌日の記事。
ハラワタが煮えくりかえります。
朝日新聞朝刊 2002年09月18日
こんな無法者の国と国交を結ぶ必要がどこにあるのか。拉致問題暗転の衝撃
と憤りから、釈然としない思いに駆られる人も少なくないだろう。
気持ちは理解できる。けれども、冷静さを失っては歴史は後戻りするだけである。
いかなる意味でも拉致は正当化できないが、そもそも日朝の不正常な関係は、
北朝鮮ができる前、戦前、戦中の35年間にわたる日本による朝鮮半島の
植民地支配に始まる。北朝鮮との間に残された戦後処理問題を解決し、
大局的見地に立って関係を正常化することが、日本の国益にも北東アジアの安定にも資する。
どの国も「負の歴史」をおっている。過去の日本がそうなら、北朝鮮もそうである。
****
頭がおかしいのではないでしょうか。
「そもそも日朝の不正常な関係は、北朝鮮ができる前、戦前、戦中の
35年間にわたる日本による朝鮮半島の植民地支配に始まる」
・・て、お前。さかのぼり過ぎだろが。
北朝鮮が朝鮮戦争を起こしてソ連のスターリンより最悪の金日成独裁国家を
つくったのが、そもそものはじまり。
なにがなんでも日本に戦争の賠償させようと北朝鮮の史上まれにみる異様な
国家犯罪を相対化しようとしているのがみえみえ
なにが「大局的見地に立って」か。きちがい新聞め
912:文責・名無しさん
12/04/29 14:01:06.35 aknuKut00
ちなみに日本が過去に北朝鮮に膨大な資金や技術を供与したのは
朝鮮総連などを経由してのことです。
そういったルートも書籍ではいろいろと出版されていますが、
マスコミではあまりメスをいれられてないと思います。
総計ではそうとう巨大な(それこそ軍備を近代化するに足るような)資金援助
をしているはずです
913:文責・名無しさん
12/04/29 14:18:51.52 aknuKut00
今世紀になっても北朝鮮の広告塔かよと思わせるような記事。
朝日新聞朝刊 2003年5月1日
これを好機に動かせ 北朝鮮提案
北朝鮮にも、言い分はあろう。米国は93年の米朝共同声明で武力不使用
と主権尊重を約束し、3年前の米朝共同コミュニケでは実質的な「体制認知」
をうたった。それが、ブッシュ政権になっていきなり「悪の枢軸」とされ、
米朝間で積み上げた合意文書はほご同然になった。そうした不信の連鎖を解きほぐし、・・
**
「不信の連鎖」て・・。米国がアフガンやイラク攻めるより
はるか以前から核兵器製造しようとしてたのが北朝鮮ではないのか
ドあほ
914:文責・名無しさん
12/04/29 14:30:37.40 pESrw0sb0
ふざけた記事は数多く
1971年の記事
朝日新聞夕刊 1971年12月6日
一番の楽しみは、「地方を歩くこと」と首相はいった。
「大衆の中にはいり、意見をきくことによって、われわれのやっていることの
欠陥を知ることができる。平壌にすわってばかりいては、いい知恵はでて来ないものです」ともいった。
工場でも、共同農場でも、学校でも、どこでも首相の「現地指導」の回数を誇らしげに説明された。
黄海製鉄所では「二十五回の現地指導、百四十回余の指示を与えていただきました」。山奥の延豊貯水池では「
直接山を歩かれ、堤防の位置を決めていただきました」。各地できいた現地指導の日数を足すと、一年は三百六十五日
では足りないと思われるほど、全国にくまなく首相の足跡があった。
大衆に学ぶという、首相の徹底した現場主義、大衆路線が、この国の指導者と人民
の確固たる信頼関係を生んでいる、と感じた。
平壌で見た朝鮮労働党第五回大会(昨年十一月)の記録映画で、金日成首相の
演説は「トンジドル」(同志のみなさん)で始った。張りのあるバリトンだった。
そして、一斉に「マンセー」の歓声と拍手。首相が何度手を振っても、
拍手はなかなか鳴りやまなかった。
美濃部東京都知事との会談で、「ボク、一度きいてみたいと思ったんですが、
戦争の時、最初から勝つと自信もってましたか」という同知事の質問に、
「いくさというものは、相手のあるものですからなぁ、アハハハ」
いたってざっくばらんだった。