12/02/21 10:24:58.36 ivvF8Tlo0
無実の罪を着せられる可能性がまったくないということは
どんな社会でもありえない。でもそれを常日頃から警戒しながら
暮らさなければならないような国家社会の存在はごく限られる。
で、万が一無実の罪を着せられた人の思考だが、
それは実はきわめて穏やかなもので、自分にも落ち度があった
という考えにとかく頼りがちになる。自分は不運な目にあったけど
他の人がおかげで平和に過ごせるならまあいいやなどと考える。
それが赤の他人であっても、そして自分の不運が死に至るものであっても
この穏やかな諦めの境地は、しばしば激しく途切れつつも維持される。
特段異様なことじゃない。絶望的な暴行にさらされた人間が
逃避や退行で自我を守ろうとする行動と同軸線上にある。
被っている害悪が凶悪な犯罪者による絶望的な暴行ではなく
国家による断罪であることが、逆説的に、求めやすい救いを与える。
いずれにせよ、個人の人権を極大化した人間から見れば
どこまでいってもお人好しな、国家への隷従としか思えないことだ。
普通の日本人が日本に隷従するのと、>>623が中国共産党や朝鮮労働党への
隷従を日本人に強制したがるのとの違いがあるだけである。