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【産経抄】2月21日
「早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いてほしい。
私がこの手で殺します」。平成12年3月、本村洋さんは、涙を
こらえながら記者会見で言い切った。山口県光市内のアパートで
妻の弥生さんと生後11カ月の夕夏ちゃんを殺害した被告に、
山口地裁が無期判決を言い渡した直後だった。
▼本村さんはその後、東京に向かう飛行機のなかで客室乗務員から、
「がんばってください」とお守りを渡されて驚く。人を殺すと
公言した自分は、世間から憎まれて当然と思い込んでいたからだ。
▼門田隆将さんの『なぜ君は絶望と闘えたのか』(新潮社)にある
エピソードだ。あまりのつらさに、何度も自殺を考えた。そんな
本村さんを温かく見守り、懸命に支え続ける無数の人たちがいたという。
▼本村さんは、闘う相手が被告だけではないことを思い知る。
犯罪被害者より加害者の権利が優先される刑事司法、裁判官の
「事なかれ主義」、死刑廃止の目的のためには手段を選ばない
一部の弁護士たち…。本村さんは、全国を飛び回って、
犯罪被害者への支援を訴えてきた。
▼その悲痛な叫びは、最高裁判所の判断にも影響を与えたはずだ。
きのう、5度目の判決で、被告の死刑が事実上確定した。小紙を
含めて大部分のメディアが、犯行当時18歳1カ月だった被告(30)を
「元少年」から実名報道に切り替えた。実は、本村さんから「
匿名はおかしい」と指摘され続けてきた宿題でもあった。
▼「これを区切りに新しい人生を切り開いてほしい」。
こう書いたのは、4年前に死刑判決が出たときだ。事件発生から
13年、本村さんは35歳になった。司法の大変革をもたらした
闘いだったが、あまりにも長すぎる。