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【産経抄】2月8日
昭和47年秋、北京で行われた中国との国交回復交渉をめぐって、
よく知られた話がある。当時の田中角栄首相らが釣魚台迎賓館の部屋に
入ったときのことだ。室内には首相の好物のアンパンが用意されている。
朝食のミソ汁には故郷・新潟のミソが使ってあった。
▼並の政治家なら中国の「気遣い」に感激しメロメロになるところだ。
だが田中は違った。同行した大平正芳外相に「すごい国に来たな。
交渉は命がけだ」と語ったという。事実、交渉は周恩来首相らとの間で
丁々発止の主導権争いが繰り広げられる。
▼このときの日中共同声明については、いまだ日本での評価は分かれる。
しかし昨年末公表された外交文書によると、このとき中国側は声明に
日本の「軍国主義復活」への懸念を盛り込むよう、執拗(しつよう)に求めた。
これに対し田中が「それなら日本に帰る」と反発し、免れたという。
▼今、日本の国防を担う田中直紀防衛相に義父のそんな胆力を
求めるのは無理かもしれない。アンパンひとつから相手の思惑を
見抜く外交センスを持てというのもかなわぬことだろう。それにしても
防衛相としては、あまりにその資質に欠けている。
▼国会の予算委員会を抜け出しコーヒーを飲んでいたのは、
まだ謝ればいい。だが在日米軍の再編協議の内容をほとんど
把握していないというのはそれではすまない。日本の安全保障に
直結することだからだ。その自覚のなさにはあきれるしかない。
▼直紀氏は義父との違いを聞かれ「父は国会論戦の名手として
有名だった」と答えた。まるで「私は口べたなので」と弁解して
いるようにも聞こえる。もっと学ぶべきことは多かったはずだと
言いたいが、それも無理な注文のようだ。