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【産経抄】1月29日
大震災で亡くなった宮城県南三陸町の女性職員、遠藤未希さんの話が埼玉県の
道徳の教材になるそうだ。津波襲来のさい、防災放送で町民に最後まで避難を
呼びかけ、自ら犠牲となった。その使命感や社会に貢献する心を児童や生徒に
伝えたいのだという。
▼南三陸町で防災対策庁舎に残り、津波で亡くなったのは39人に上る。
放送のおかげで助かったという町民も多く、遠藤さんたちの働きはこれまでも
何度か報道された。そのとき、年配の読者から「終戦直後の真岡事件と重なって
思えた」という手紙をいただいた。
▼昭和20年8月20日、日本領だった樺太(サハリン)の真岡郵便局で
9人の女性電話交換手が集団自決した事件である。当時の電話は、郵便局で
交換手が線をつなぐ方式だった。それだけに緊急連絡が増える戦争や災害の
ときなど、交換手が極めて大きな役割を担っていた。
▼真岡町は樺太南部に位置していたが、日ソ中立条約を破って日本に
宣戦したソ連軍が間近に迫ってきた。しかし9人は他の民間日本人が本土に
引き揚げても、最後まで交換台を守り続けた。ソ連艦の艦砲射撃で町中が火に
包まれる中、自ら命を絶ったのだった。
▼むろんこちらは自決であり、津波のときと状況は違う。だが命を賭して
任務を遂行しようとしたことが共通して見えたというのだ。もっとも真岡事件の
方は、北海道稚内市の公園に「九人の乙女の碑」があるだけで、ほとんど
忘れられようとしている。
▼遠藤さんに戻れば、父親は教材となることに「娘が生きた証しになる」と
話しているそうだ。これ以上の供養はないだろう。真岡の9人についても
道徳や歴史の教材となれば、せめてもの救いになると思うが。