12/12/04 18:37:53.48 ifdRct8w BE:1289560853-2BP(0)
>>805
その意見には反対だな。
当時の日本茶はイラク戦争という保守親米、保守反米の踏み絵を迫られた時に、
結局、蓋を開けてみたら、議論ごっこが好きな人ばっかで本当の意味での議論が
出来る人がいなかった。
俺は、一部で評判のいい長谷川平蔵氏一派とかも本質的なところで違和感を感じていた。
HNは忘れたが、一人か二人だな、「こういう人は考えが違う相手とでも妥協点探れるん
だろうな」と思ったのは。
ってか、別に反米でも反原発でもそれは思想の違いだから良いんだよ。
それは飽くまで考え方の違いでしかないから。
サヨクが駄目かと言えば立派な人はいる。当然、阿呆なウヨもいる。
それよりも、小林の問題の本質は、コロコロ態度が変わって、
挙げ句それを開き直るところだろ。
で、異なる意見を聞かない理由を、価値相対主義はいかんからだという。
小林のこの「価値相対主義はいかん」はオウムの時に出て来たが、ああいう人の生死が
関わっている場面ではある種、緊急避難的に価値絶対化するのは分かる
(要するに「誰がなんといおうとオウムの価値観なんて間違ってるに決まってるだろ!
とっとと強制捜査しろよ!!」みたいなの)
でも、選挙が迫って民主主義のプロセスの中で、価値相対主義になるのは当たり前だろ。
それでも、価値絶対化じゃないといけないというのは、要するに
「俺の言う事が絶対正しい、疑問を持つな、反論するな、黙って聞け、賛美しろ」って
言ってるのと大差ないんだよな。