12/12/20 09:46:14.61 xlKzTwll
>>874
頭が混乱されておられるようですが、私は牧口氏が天皇を重んじた事をどうこう言っているのではありません。それは事実ですから。
氏が神札を拝むのを拒んだのは、あなたが妄想で描くように「誹謗正法」(872)だからではなく、
天皇崇拝が二元的になるからよろしくないと氏自身が言っているということです。
これが氏の本心でなかったとするなら、氏は氏のやり方で権力におもねっていたことになります。
877:名無しさん@お腹いっぱい。
12/12/20 09:52:11.73 xlKzTwll
>>874
あなたこそこの件では何度もいろんな方から論破されておられるようですが、何も学んでおられない。
戦前から牧口氏や創価を反戦だったかのように言うことほど事実に反したことはありません。
調べればバレるようなウソをいつまでも言い続けても創価のウソ吐き体質を上書きするだけだと思います。
878:名無しさん@お腹いっぱい。
12/12/20 10:02:02.29 mLSz74Qs
>>875
はいはい、好きに思っていなさい。
>>876-877
ウソツキにウソツキといわれると、私はほんとうのことを言っていますねww
879:名無しさん@お腹いっぱい。
12/12/20 11:23:00.10 RgMe8t6V
>>872
>>873
横レスになって申し訳ありませんが、前提条件について質問させてください。
論点を絞らないと議論を先に進めることができませんwww
873さんの言われるように、872さんも牧口先生が愛国者であり日本が負けることを望んでいなかったこと、天皇を大事に思っていたことは認めるのですか?
自分的にはこの点が重要なのです。
880:名無しさん@お腹いっぱい。
12/12/20 14:30:57.15 mLSz74Qs
>>879
>>874を読解する力がないのかね?
それでよく>>869のように他人をバカにするようなことを書けるよな。
信仰者として
牧口常三郎は信仰の対象となる神札を拒否
鈴木日恭は謗法と知りつつ神札を受けた
国民として
牧口常三郎は当時の主権者=国王=天皇を崇拝・尊敬し
日本を愛し、戦争に負けることは望んでいなかった。
「当時の主権者=国王=天皇を崇拝・尊敬し」ということを
当時の天皇=現人神であるから、信仰の対象ととらえる論調があるが
それは誤りである。もし天皇を神として「信仰」していたのなら、
神札もすんなり受けたであろう。
881:名無しさん@お腹いっぱい。
12/12/20 18:46:55.90 RgMe8t6V
>>880
お気に障ったことがあったなら、本意ではありませんので謝ります。
ただ、掲示板では相手の立ち位置等の情報をレスの内容のみで判断せざるを得ません。
そこで私は荒らしや自演の疑いを持ってしまったため、
あのようなレスになってしまいました。
遅れましたが、返答頂いたことは感謝します。
882:名無しさん@お腹いっぱい。
12/12/20 19:13:40.35 fpLv70SX
>>879
認める認めないを彼らに求めるよりも、牧口氏の主催した創価教育学会は
その会合に於いて、大東亜戦争初期の戦果を「赫々たる戦果」と褒めちぎっていますし、
当時の教員は、多くの学生を愛国的軍人になるように薦めるのは当然の行為です。
それが出来なきゃ、教員を辞めさせられているはずですが、
辞職に追い込まれていませんから、多くの子弟を戦争に送り出したはずですよ。
883:名無しさん@お腹いっぱい。
12/12/20 19:55:55.61 RgMe8t6V
>>880
そこで、
国民として
牧口常三郎は当時の主権者=国王=天皇を崇拝・尊敬し
日本を愛し、戦争に負けることは望んでいなかった。
とのことですが、
牧口先生がこういう思想を持っていたということにあなただけでなく学会としても同意見なのでしょうか?そうだとして話を進めます。
師弟不二なので、戸田先生、池田先生も同様な思想を持っていると考えてよろしいのでしょうか?
師弟不二は思想には及ばないのでしょうか?
>>882
私は逆に、戦前戦中の学会に問題があるのではなく、
戦後の学会に戦後利得者として責任があるのではないかと考えています。
884:名無しさん@お腹いっぱい。
12/12/20 21:44:58.27 oSslwTqT
>>883
>戦後の学会に戦後利得者として責任があるのではないかと考えています。
スレチの自己主張をいつまでもしてんな
885:名無しさん@お腹いっぱい。
12/12/20 21:55:54.03 RgMe8t6V
>>880
水戸光圀が遊行中に米俵に腰かけて休んでたら、
このお米は黄門様に献上する大事なお米だ。粗末にするんじゃない、
と百姓のおばあさんに怒られた(趣意)という話を通して、
このように、哲学というのは生き方の問題だと、戸田先生が説明されたそうですが、
まさにこの天皇や日本国に対する態度こそが、ここでいう哲学でなくてなんでしょうか。
師弟であれば、弟子は自然と師匠に同調し感化されていくものではないでしょうか。
もし仮に、弟子が哲学を継承しなかったとすれば、その原因はなんでしょうか。
敗戦によって変わったのであれば、師弟はパワーに負けたということにならないですか。
もしくは西洋の思想によって変わったのであれば、そちらの思想のが師弟の哲学よりも優れていたということですか。
かなり先走りましたが、一人の方だけでなくいろいろな方のご意見を伺いたいと思います。
886:名無しさん@お腹いっぱい。
12/12/20 23:26:29.74 mLSz74Qs
>>885
あなたの場合は宗教・信仰と新旧古今東西の哲学・考え方が混乱しているように
見受けられます。わざわざ別の単語になっていますから類語とはいえ別物と
考えたほうがわかりやすいかと思います。
牧口・戸田・池田
日蓮大聖人の仏法根本+新旧古今東西の哲学・考え方
あなたの場合
ある宗派乃至無宗教・無信仰+新旧古今東西の哲学・考え方
師弟不二というのはあくまで日蓮大聖人の仏法根本の部分です。
新旧古今東西の哲学の解釈・考え方は時代とともに変化しますよね?
それだけのことです。
たとえば終戦前、牧口が天皇を国主として尊敬し弟子たちにも
そのように指導していたとしても、戦後、戸田が師弟不二だからといって
あるいは池田も同じように「天皇を国主として・・・」などとやったら、
おかしいですよね?
でも日蓮大聖人の仏法根本の部分は変わりがありません。
学会員に対する指導として、たとえばカントはこう言っている、
ヘーゲルは、サルトルはなどと引き合いに出しますが、
考え方、思想に現代でも通用する部分もあるからで、
すべてカントに従えということではありません。
日蓮大聖人の仏法を現代風にわかりやすく示しているだけのことです。
それも含めて師弟不二と思う人もいれば、カントにはちょっと賛同
できないと思う人も中にはいるかもしれませんが、その人も
日蓮大聖人の仏法の部分では師弟不二でしょう。
それでも戸田や池田の考え方に合わずに学会を抜ける人もいますよ。