12/12/16 15:57:56.56 0vqzZvvr
>>732
日付が変わるとIDが変わってしまってめんどくさいですねwww
>私の宗派を教えたのなら、
これは相手の考え方を知る上で結構重要なことで馬鹿にするとかそういうつまらない事のためではありません。
今までの私のレスで納得がいくなら何も言わずとも問題はありません。
さらに突っ込みたいということであれば大体で結構ですからそれとなく伝えて
下されば
様々な疑問に対してこちらとしても答えやすいというだけのことです。
見てのとおり、からかいに来ている人も多いですからwww
さて御指摘の部分は、法華経の安楽行品第十四、所謂「髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ)の譬え」のところで、
法華経の「御利益や功徳、仏罰」について述べたものではありません。
文殊師利(もんじゅしり)、譬えば、強力(ごうりき)の天輪聖王(てんりんじょうおう)の威勢を以って、
諸国を降伏(ごうぶく)せんと欲っせんに、而(しか)も諸(もろもろ)の小王、其の命(みょう)に順(したが)わざらん。
時に天輪王、種種(しゅじゅ)の兵(つわもの)を起して、往(ゆ)いて討伐するに、
王、兵衆(ひょうしゅ)の戦うに功有る者を見て・・(中略)・・
文殊師利、天輪王の諸の兵衆(ひょうしゅ)の、大功(だいく)有る者を見ては、心甚だ歓喜(かんぎ)して、
此の難信の珠の、久しく髻中(けいちゅう)に有って、妄(みだ)りに人に与えざるを以って、
今之に与えんが如く、如来も亦復是(またまたかく)の如し。
王が功績ある者に与える「田宅(でんたく)、・・・・・、人民(にんみん)」は三乗(声聞乗・縁覚乗・菩薩乗)の教え、
「髻中(けいちゅう)の明珠(みょうしゅ)」は一仏乗、すなわち妙法を表しています。
つまり法華経やその他の教えを戦いの褒美に譬えているわけです。
「髻中明珠」は開権顕実の法華経、その文底を開けば「極果(ごくか)の宗」、すなわち妙法の曼陀羅ということになります。