12/12/15 10:54:58.34 VQeIeIFL
>>689
686です。レスサンクス
功徳、罰論は創価学会がかってどういっていたかという
ことは別として
> 昭和41年のころの大白ですか。なるほど、ちょっといきすぎですね。
> 主師親三徳は大聖人ですからね。開目抄だったかな。
> もう40年以上前ですね。
池田氏自身もこのようにいっていますね。以下、池田氏の発言です。
「私から幹部の任命を受けることは、記別を受けることです。これなくしては
法華経を持つといえども無益である」(『前進』昭和42年2月号)
「私は何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。……私は言っ
てあげて、罪業を切ってあげているのだ」(『前進』昭和41年1月号)
「なんだかんだ云っても、私とつながりがあるから福運がつく」(第40回社長
会・昭和45年11月19日)
「私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信
しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない」
(『前進』昭和45年5月号)