12/11/30 17:16:20.56 aMhsfCP0
結局、法華経の教学は既に天台によって精緻に体系化されていたし、天台は既に官許の巨大勢力で日蓮の独自色は出せなかったし出る幕もなかった。
そこで日蓮は法華経を基礎にしつつ、当時流行だった浄土系の「南無阿弥陀仏」を真似て「南無妙法蓮華経」を本仏としたのではないでしょうか。
法華経は寓話のファンタジックな寄せ集めのような経典ですから読んだところで信徒の解釈はバラバラになってまとめにくい。
それを統一しようとすれば天台教学の枠外に一歩も出られず、日蓮が口出しする余地はなくなる。そこで題目を唱えさせて独自色を打ち出す戦略に出たのだと思います。