12/12/02 14:15:30.64 m0rT1ULh
>>136続き
>>92さん
ということで、質問内容に簡潔に回答しますと、
「組織として他宗教の信仰の対象を捨てたり燃やしたりするようにという指導は、組織として存在しました。」
平成二桁台ぐらいから、「謗法払いは自分の手で」という指導が浸透してきました。
>本当に、そういう事は無かったのでしょうか?友人が嘘をつくメリットがないと思いますし…
メリットはあります。それは、
「創価学会がそんな非常識な団体、組織であると言う認識を、あなたに抱かせないようにする」=「一種の折伏」
です。
>「池田先生もそんなことを望むわけが無い」って言い切りました。
創価学会員は各自『自分の中の池田先生像』と言うものを持っています。
つまり、「池田先生ならこんな風には考えない」とか、「池田先生ならこんな風に考えるはずだ」という認識です。
しかしながら、それは「それぞれの個人が正しいと思うことを、『池田先生もそう思うはずだ』」という池田氏に対する自己投影です。
だから、複数の創価学会員が集まって、「池田先生もそんなことを望むわけが無い」ことを自由に述べたら、
矛盾する内容のことが続々と出るとおもいますし、実際そうでした。
池田氏が何を望んでいるとか、何を望まないとか、そんなことは「池田氏にしかわからないこと」ではないですか?
こんな当たり前のことがわからないんです。