12/12/15 15:49:17.93 uR/Gsn8Y
>>676
悔しいが正解。
俺は、学会活動しながら、二十代で彼女をつくっている同志を軽蔑していた。
広宣流布のことを考えたら、彼女を作ってる暇など無い、と。
活動をやりきればご本尊様がふさわしい女性を与えてくれるから、欲に溺れて女を求めるのは信心が足りない、と見なしていた。
ところがだ。
彼女がいる同志は充実した人生を送って人間的に成長している。
俺はみすぼらしい身なりで清貧を美徳として学会活動に浸りきりだったが、そこで得られたものって数少ない。
役職もらって、四者や活動家宅や後輩宅を奔走し、会合を積極的に運営して、女子部に話しかけたくても真面目を装ってじっと我慢した。
この生活を繰り返した結果、壮年部新入生のさえなくて、若い女性への接し方が分からない挙動不審独身おやじの出来上がり。
人間的に成長した部分は、「俺は真面目に創価学会活動をやっている」という自負心から生じた周囲への嫉妬心や怨執に囚われてた自分に気づいたこと。
もう手遅れ。
明らかに自分が悪い。
自分の素直な感情に従って彼女を作っていたら、愛する人から様々な大切なことを教えられたことだろう。
折伏しまくった結果、友人はいなくなり、同窓会から一切呼ばれない。
これから外部との人間関係を一から作り直しだ。
学会活動と引き換えに、一個の幸せな家庭を棄てた。