13/01/20 07:52:16.69
でも、大軍勢相手に30数年よく持ちこたえたよ
というのも、当時の戦というのは「農繁期は戦わない」って暗黙のルールがあったので
兵を出すとしたら、秋以降~初春だったため、
地の利に加えて東北の厳しい寒さが蝦夷の味方をした
大和朝廷は、ルールを破って夏に出陣を繰り返し、疲弊させたんだよな
それでも、蝦夷勢いは一度も負けなかった
ただ、長期化すると、人数的に少数の蝦夷は消耗せざるを得ず、
そのため、和睦という道を選んだのだと思う
これもあくまで「和睦」であって、「降伏」じゃなかった
和睦の使者をだまし討ちにすることで、アテルイを滅ぼした
その結果として、頼朝の奥州討伐まで
緩やかな自治を手に入れたわけだから、北に逃げず、奴隷にならず
その地で暮らし続けられるという、ある意味望んだとおりの結果になったと見ることも出来る