13/08/30 17:15:26.20
「淀の方様にだけ子供が出来るのは奇妙」
秀吉の側室松の丸殿(京極竜子@功名が辻には登場せず)は
武田元明との間に2男1女をもうけた。
秀吉の側室となってからは子ができなかった。
258:名乗る程の者ではござらん
13/08/30 18:16:26.73
>>257
武田元明は本能寺の変後、明智に味方した数少ない武将の一人ですな
259:名乗る程の者ではござらん
13/08/30 18:24:07.42
秀吉には長浜の城主時代に二児が出来た記録がある
2人とも幼少で死んだらしいが
260:名乗る程の者ではござらん
13/08/30 20:12:55.15
>>259
「二児」は初耳だけど、一人は、初代秀勝(夭逝)。
261:名乗る程の者ではござらん
13/08/30 20:15:55.43
宝厳寺の「竹生島奉加帳」には「御内方」(正室の寧々)、「大方殿」(母の仲)に続いて「石松丸」、「南殿」の名が記されており、
これは秀吉の子とその母である側室であると推定される。
また、滋賀県長浜市の妙法寺には羽柴秀勝像とされる六、七の男児を描いた肖像画が所蔵されていた。
これは焼失し現存していないが、法要用の掛け軸「本光院朝覚居士絵像」の写真が残っている。
262:名乗る程の者ではござらん
13/08/30 20:27:49.85
柄本秀吉「なぜわしらには子が出来ぬのじゃ?」
浅野寧々「私はお前様以外試したことがない」
みたいな会話があったなw
263:名乗る程の者ではござらん
13/08/30 23:24:35.38
秀吉の側室から、伊達政宗の側室になった女性(囲碁の賭けで)とかは子供が出来ていたり、
京極龍子などは側室になる前に、子供を生んでいたり、秀吉の側室を辞した前田利家の娘も
その後、貴族に嫁いだ際に子供ができたいたりするので、精子などに問題があった可能性はあります。
264:名乗る程の者ではござらん
13/08/31 01:49:06.75
江戸時代、(豊臣sageで)秀頼非実子説
明治維新(アンチ徳川)で実子説
1945年の終戦以降、両論混在
265:名乗る程の者ではござらん
13/08/31 02:35:54.17
上川隆也:「真田十勇士」で里見浩太朗とファン争奪戦
2013年08月30日
URLリンク(mainichi.jp)
266:名乗る程の者ではござらん
13/08/31 23:19:34.75 Tr9t5KZm
>>231
ということは、山内家と春日局の間に交流がありそう
267:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 14:29:37.83
土佐は9万石と思って与えてみたら検地で24万石だったという話は真実なのかな
太閤検地の立場がないが
268:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 14:35:42.07
町作りと領地経営に心血をそそいだ掛川6万石から、
プラス3万(のつもり)で離れ島四国の、しかも「敵地」への移封なら論功行賞ではなく家康の嫌がらせだろう
269:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 14:41:35.84
このドラマの本当の内助の功は六平太
270:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 14:44:57.11
三成へのインタビュー
Q.捕らえられた心境は?
A.まだ実感ないな
Q.なぜ、この時期に関が原の合戦を起こしたのか?
A.オレ流のサプライズや
Q.豊臣家の一部から批判も予想されますが?
A.言いたいことがあったら言ったらええ、人それぞれ、いろんな見方があるからな
Q.西国の大名からも失望の声が上がっていますが?
A.それぞれ判断基準があるからな。 でも、オレは豊臣家を守るだけやから
Q.最後に諸国の民に一言お願いします。
A.どんなもんじゃ~~~~い!!
271:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 14:48:51.60
小早川秀秋の死因って
1 酒の飲みすぎ
2 狂い死に
3 宇喜田の旧家臣による暗殺
4 徳川家の暗殺
とか、いろいろ説があるな。
272:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 14:53:23.74
小早川秀秋→備前(宇喜多旧領):最悪
山内一豊→土佐(長曽我部旧領):最
273:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 15:29:53.20
桶狭間で今川義元に一番槍をつけた服部小平太って秀次の奉行やってて切腹させられてるんだね
274:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 15:57:38.98
中村一氏…駿府15万石(家康の旧拠点)
池田輝政…吉田15万石
堀尾吉晴…浜松12万石(家康の旧拠点)
田中吉政…岡崎10万石(家康の旧拠点)
山内一豊…掛川6万石
有馬豊氏…横須賀3万石
275:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 16:11:40.00
26回功名の旗
主人公の「山内一豊、千代夫妻」にとっては
信長の死より、いつも側にいた吉兵衛の死は
耐え難いものに違いない。
山内家にとっては本能寺と吉兵衛の死は同程度の重みが
あると判断して2週かけて描いたのだろう。
一豊にとって「母のような存在だった」のはもちろん
千代にとっても口うるさい義母のような存在だった吉兵衛。
よねまで「吉兵衛しっかりしなさい」と母と一緒に恋愛を応援する
ところまで描いておいて、戦場で殉職。
276:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 16:18:48.30
本能寺の最大の見所は
信長が頚動脈切るまでの、異様に長い時間。
織田信長も人の子。 死は怖かった。
首を斬るまでに、躊躇していた。
鉄砲に撃たれて、「痛い」と弱音を吐いてる。
彼もただの人間だった ということを、はっきり描写した。
こういう 本能寺の信長は珍しい。
277:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 17:16:38.93
戦国期に一気にのしあがった大名は
(1)信長チルドレン 前田利家 山内一豊 豊臣秀吉
(2)秀吉チルドレン 福島正則 加藤清正 石田三成
(3)すかんぴんから下克上 斉藤道三 北条早雲
(4)マイナー大名から下克上 織田信長 徳川家康 毛利元就
(5)その他 細川藤孝 黒田如水
278:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 18:20:31.84
>>277
なんか納得しにくい
279:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 19:59:23.81
>>277-278
戦国期に一気にのしあがった大名は
(1)信長チルドレン 前田利家 豊臣秀吉
(2)秀吉チルドレン 福島正則 加藤清正 石田三成
(3)すかんぴんから下克上 斉藤道三 北条早雲
(4)マイナー大名から下克上 織田信長 徳川家康 毛利元就
(5)その他 細川藤孝 黒田如水
280:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 21:46:55.68
斉藤洋介
o 獅子の時代(1980年) - 末吉 役
o 武田信玄(1988年) - 丹波弥十郎 役
o 翔ぶが如く(1990年) - 板垣退助 役
o 炎立つ(1994年) - 九条兼実 役
o 功名が辻(2006年) - 黒田如水 役
o 龍馬伝(2010年) - 小栗忠順 役
281:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 22:12:43.60
>>271
春日局では宇喜多浪人に襲われ死亡との設定。
個人的には狂死の可能性が高いと思っています。
282:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 22:19:42.86
>>273
服部小平太
今川義元に一番槍をつける戦功をあげた。しかし、義元の反撃を受けて膝を斬られたので、首級を挙げたのは助太刀に入った毛利良勝であった。
桶狭間の戦い以降は織田氏の配下として目立った活躍は知られていない。
小田原征伐の戦功により、天正19年(1591年)に松阪城主に抜擢されて伊勢国一志郡に3万5000石を与えられ、同時に当時、尾張・北伊勢の支配した羽柴秀次に付けられた。
文禄元年(1592年)、文禄の役において漢城に従軍。文禄4年(1595年)の秀次失脚に連座して所領を没収され、上杉景勝に預けられた後、切腹を命じられた。
283:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 22:25:19.90
>>274
家康の西上を防ぐために配置された東海道の豊臣恩顧の諸侯たちが
全員、徳川(東軍、関東勢)に味方したから
秀吉は…あの世で泣いていたかもね
284:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 22:31:41.94
>>280
武田信玄(1988年) - 丹波弥十郎 役
武田信玄のときは台詞一回だけの出演だったから、出世したものだ(功名が辻で官兵衛役)
285:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 22:37:07.62
>>276
余が神である、と言っていた信長が「痛いの~」と言ったときに
信長は自分が普通の人間であることを自覚(?)した
286:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 23:42:02.76
三原じゅん子(現:参院議員)は「ファイト」で好感度アップしたよね。
おしゃべり好きで世話焼きでちょっと抜けてる気のいい奥さんのイメージが出来てる。
いい人選だと思った。
287:昔の記事
13/09/01 23:44:24.75
NHKは7日、来年の大河ドラマ「功名が辻」で降板した杉田かおるさん(40)の
代役に三原じゅん子さん(41)が決まったと発表した。
三原さんが演じるのは、山内一豊とともに織田信長や豊臣秀吉に仕える
堀尾吉晴の妻「いと」役。
三原さんは「長年の夢だった大河ドラマの出演が決まり、身の引き締まる思いです」と
コメントしている。
ソース:MSN-Mainichi INTERACTIVE 2005/10/07 18:49
URLリンク(www.mainichi-msn.co.jp)
杉田さんはNHK側と収録スケジュールをめぐり調整が付かず、9月26日に降板が発表された。
三原さんは「わたしなりの『いと』を精いっぱい演じたい」とコメントしている。
ソース:Yahoo!ニュース(時事通信) 2005/10/07 19:00 ※一部抜粋
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
288:名乗る程の者ではござらん
13/09/01 23:50:45.12
土佐藩(山内家)は関が原の西軍の大名の元家臣を多く取り立てたようだね。
289:名乗る程の者ではござらん
13/09/02 00:24:32.00
>>279
俺の尊敬する尼子経久も入れて欲しいです。
290:名乗る程の者ではござらん
13/09/02 03:36:01.25
「功名が辻」は一豊と千代をモデルにした時代小説。史実を踏まえている部分も
あるが司馬氏の新聞小説。だから六平太とかオリキャラも出ている。
逆に実在した一豊の母親が原作に出てこないので、大河では法秀尼として佐久間良子さんという大女優を起用した。
291:名乗る程の者ではござらん
13/09/02 03:39:08.74
戦国期に一気にのしあがった大名は
(1)信長チルドレン 前田利家 豊臣秀吉
(2)秀吉チルドレン 福島正則 加藤清正 石田三成
(3)すかんぴんから下克上 斉藤道三 北条早雲
(4)マイナー大名から下克上 織田信長 徳川家康 毛利元就
(5)その他 細川藤孝 黒田如水 尼子経久
292:名乗る程の者ではござらん
13/09/02 03:50:00.02
尼子経久は北条早雲と並ぶ下剋上の典型であり、毛利元就や宇喜多直家と並ぶ謀略の天才とも云われ、「謀聖(ぼうせい)」「謀将」と称された。経久、元就、直家はよく中国の三大謀将と称される。
293:名乗る程の者ではござらん
13/09/02 03:51:28.20
戦国期に一気にのしあがった大名は
(1)信長チルドレン 前田利家 豊臣秀吉
(2)秀吉チルドレン 福島正則 加藤清正 石田三成
(3)すかんぴんから下克上 斉藤道三 北条早雲
(4)マイナー大名から下克上 織田信長 徳川家康 毛利元就 尼子経久
(5)その他 細川藤孝 黒田如水
294:名乗る程の者ではござらん
13/09/02 03:55:04.24
甲賀出身の忍びの者、こりん=長澤まさみ
敵方の諜者として一豊に接近、
そうとは知らない一豊は只ならぬ関係を結び軍略上の機密事項をもらしてしまう。
一豊の裏表のない真っ直ぐな気性に惚れ込み、武士をやめて自分と逃げるよう誘ったりする。
若さと生命力で一豊を翻弄し、その登場は千代と一豊の夫婦関係にも波乱を巻き起こす。
295:名乗る程の者ではござらん
13/09/02 04:05:05.93
山内の郷士差別は、身分社会の江戸時代と言うことを差し引いて
も惨かった。
でも、郷士たちに倒幕派が多かったから、明治維新後は土佐藩は
勝ち組になれた訳で。
板垣伯は、上士ながら郷士に対する差別意識の少ない人物で、
自分の娘を二人も郷士と結婚させているよ。
同じ四国の徳島藩も土佐藩と似たような状況で。
徳島藩主蜂須賀家 外様。佐幕派。稲田家の家臣を陪臣として差別。
同藩筆頭家老稲田家 淡路島を支配。殿様も家臣も倒幕派。
蜂須賀家と稲田家の対立から、淡路島は兵庫県に編入された。
296:名乗る程の者ではござらん
13/09/02 04:11:43.34
関ヶ原本戦では目だった武勲を上げていないことが、山内家のコンプなんだが、史実を曲げて、関ヶ原で大暴れさせるくらい描いて欲しかったものだw
江~姫(ryの歪曲ぶりを思えば、それくらいやっても良かったのでは、と最近よく思う
297:名乗る程の者ではござらん
13/09/02 04:19:06.68
桶狭間 1560年基準
信長26歳(舘ひろし 55歳)
藤吉郎24歳(柄本明58歳)
帰蝶・濃姫25歳(和久井映見 35歳)
一 豊 1 5 歳(上川隆也 40歳)
お 市 1 3 歳(大地真央 49歳)
ね ね 1 1 歳(浅野ゆう子45歳)
千 代 3 歳(永井杏13歳)
298:名乗る程の者ではござらん
13/09/02 04:29:32.61
補足
秀吉とかだって実際の産まれた年はさだかじゃないんだから。ましてや一豊の実際の年齢なんてわかりようが無い
299:名乗る程の者ではござらん
13/09/02 04:35:19.31
秀吉だらけの大河ドラマ
武田鉄也 (大河 徳川家康)
西田敏行 (大河 おんな太閤記)
香川照之 (大河 としまつ)
300:名乗る程の者ではござらん
13/09/02 07:40:00.55
>>292
謀聖ってなんか凄い名称だな
邪も極めれば聖人となるみたいな感じか
301:名乗る程の者ではござらん
13/09/02 17:20:57.99
>>293
光あれば影がある
(1)あなたが踏み台になったから大名
大内(陶)氏、今川(駿河)氏、武田氏
(2)なんか残念のうちに滅亡してしまった大名
北条氏(超残念筆頭)、朝倉氏(浅井に隠れて映像化されず)、蘆名氏
(3)どこに行ってしまったの?大名他
龍造寺氏、大友氏、織田信雄、丹羽(長重)氏、柴田勝豊、石川数正、濃(姫)
302:名乗る程の者ではござらん
13/09/02 20:15:07.06
>>301
>朝倉氏(浅井に隠れて映像化されず)、
功名が辻でも朝倉の滅亡は省略されましたw
303:名乗る程の者ではござらん
13/09/02 20:42:24.15
見せ場は髑髏かな
304:名乗る程の者ではござらん
13/09/02 23:15:09.05
>>303
お市の方「喜んで盃をあおるサル!そなたが一番醜い」
305:名乗る程の者ではござらん
13/09/03 02:05:56.15
長浜城を明け渡して秀吉に降参した柴田勝豊
勝家が同じ養子の柴田勝政を優遇して自分を冷遇することと、従兄にあたる佐久間盛政と仲が悪いことなどもあって、12月に羽柴秀吉の家臣・大谷吉継の調略を受けて、長浜城ごと羽柴方に寝返った。
しかしすでに病を得ていたため、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは家臣を代理として参戦させた。賤ヶ岳の戦いの直前、京都東福寺にて病死した。享年28。勝家滅亡の8日前のことであった。
306:名乗る程の者ではござらん
13/09/03 02:10:46.92
武田鉄矢が話しているのを聞くと、
金八が説教しているようにしか聞こえない・・・orz
307:名乗る程の者ではござらん
13/09/03 02:11:37.51
秀吉は最高!としまつの香川を超えたかも
308:名乗る程の者ではござらん
13/09/03 02:13:00.32
史実の秀吉は猿というより貧相な面構え故、はげネズミだったらしいが
功名が辻の秀吉はちゃんと貧相な顔で非常に良かった
そろそろ禿ネズミと呼ばれる秀吉がみたい
309:名乗る程の者ではござらん
13/09/03 02:23:55.94
割合に堅実に作っていて好感が持てた。「戦は嫌い」という
台詞も、目の前で母親ころされたんだから納得がいく(なん
でもかんでも反戦台詞は嫌だという似非右翼の神経逆撫で
したろうけど)。
俳優の年齢がふけすぎという声もあるが、人気だけの未熟者
並べられるよりゃマシ。武田鉄矢、前田吟の家臣団も、お笑いだけ
の義経郎党よりは、ベテランだけに落ち着いて見てられる。
310:名乗る程の者ではござらん
13/09/03 02:26:37.45
としまつのときより戦国の雰囲気が良く出ていたと思う
311:名乗る程の者ではござらん
13/09/03 02:27:46.21
秀吉が猿顔なのはいいが、あまりにご高齢なので、
駆けずり回ってる姿が痛々しいやら、笑っちゃうやら。
312:名乗る程の者ではござらん
13/09/03 02:29:56.49
大地真央いいなあ。
ガキの頃、「武田信玄」の里美に密かに恋してたのを思い出しました・・
313:名乗る程の者ではござらん
13/09/03 02:39:42.12
千代の両親って3歳の時に死んだのか
大変だな
314:名乗る程の者ではござらん
13/09/03 03:05:17.65
ほんと柄本の秀吉よかった
年齢がキツイだろ、と思っていたのに途中から気にならなくなった
まさに若き日の藤吉郎のイメージそのものだった
315:名乗る程の者ではござらん
13/09/03 03:06:58.12
東海道一の弓取り1号・・・今川義元
東海道一の弓取り2号・・・徳川家康
316:名乗る程の者ではござらん
13/09/03 03:08:06.55
義元も元康も
海道一の弓取り、または
東海一の弓取りであってる
一般的には
海道一の弓取り…今川義元
東海一の弓取り…徳川家康
だけどな
317:名乗る程の者ではござらん
13/09/03 03:15:08.58
前田吟が蜂須賀小六に見えてしょうがない
香川照之が籐吉郎に見えてしょうがない
武田鉄矢が金八先生に見えてしょうがない
佐久間良子がねねに見えてしょうがない
318:名乗る程の者ではござらん
13/09/03 03:16:22.07
年齢が高い人が若い役からこなすのはしょうがないけど
和久井お濃を姉と呼ぶ大地お市はきつすぎる。
319:名乗る程の者ではござらん
13/09/03 03:17:40.84
大地真央の顔に皺がないのにビックリした。
320:名乗る程の者ではござらん
13/09/03 03:19:30.10
上川と柄本が良かった。
佐久間先生もさすが。
香川と和久井もいい味出していた。
321:名乗る程の者ではござらん
13/09/03 06:53:27.69
ムック68~69頁より抜粋
館ひろし「時代劇だからといって重々しい信長はやりたくないんですよ」
「アーサー王みたいな信長を演じてやろう、と思っています」
「本能寺のシーンをどう演じるかはまだわからないのですが、
もしかしたら信長は笑ってしまうのでは、とも思うんです」
322:名乗る程の者ではござらん
13/09/04 00:14:12.57
豊臣秀頼はどう見ても実子じゃないよなw
323:名乗る程の者ではござらん
13/09/04 03:55:33.63
よくドラマや小説で大名が「家臣、領民を『守る』ために云々」と言うけど
領民にとっては、税率が低い大名なら誰が領主でもいいんだよねwww
324:名乗る程の者ではござらん
13/09/04 04:14:57.21
天正10年の「武田攻め」がまさにそれ。
重税に苦しんでいた信濃の民は織田を解放軍として迎えた。
勝頼が重税を課したのは兵力維持の為だったけど
その兵たちが織田による武田攻めで逃亡・・・してしまった。。。
325:名乗る程の者ではござらん
13/09/04 04:22:33.36
何だかんだで何年かぶりに見続けられそうな大河だったよ。
前田吟と武田鉄也の家臣コンビが良いね。
326:名乗る程の者ではござらん
13/09/04 04:24:54.42
一豊と家臣二人のやりとりや空気がいいな
327:名乗る程の者ではござらん
13/09/04 04:26:52.90
実際死んじまったら山内家再興とか出世どころじゃないからな
ちゃんと後継ぎがいるならともかく
勝ち戦には命をかけるが
劣勢になったら結構あっさりと逃げたり裏切るのも戦国武士
「命の持ち帰りこそ功名の種」とはいい台詞だ
夫の無事を祈るは人情
328:名乗る程の者ではござらん
13/09/04 04:29:41.91
やっぱ、お市=大地、お濃=和久井、おね=浅野に違和感。
お濃=浅野、おね=和久井にしたほうがまだ良かったと思うんだけど。
329:名乗る程の者ではござらん
13/09/04 11:38:06.30
浅野のおねは見た目や背丈で違和感があったが
お濃=浅野にするのもどうかと思うな
おねはやっぱり沢口かな
沢口もイメージちょいと違うんだがな
330:名乗る程の者ではござらん
13/09/04 21:24:55.46
明智から毛利への密使は斬られるのがデフォと化してるなw@「功名が辻」「春日局」etc...
331:名乗る程の者ではござらん
13/09/06 01:53:48.69
甲斐武田家最大版図は信玄期ではなく勝頼期(120万石)
↓
長篠の戦い
↓
ドラマでは武田攻めは数秒で終わってしまったが描いて欲しかった
332:名乗る程の者ではござらん
13/09/09 23:53:09.87
我、人に媚びず
富貴を望まず
黒田官兵衛
333:名乗る程の者ではござらん
13/09/10 01:41:36.96
功名が辻は六平太が影の主人公だったと思う
334:名乗る程の者ではござらん
13/09/10 15:12:46.23
全国でも一人か二人の意見ですな
335:名乗る程の者ではござらん
13/09/11 02:58:53.85
宅麻伸と木村多江と江守の出番があれだけなんて勿体無い
336:名乗る程の者ではござらん
13/09/11 03:00:37.38
個人的には和久井が見られたのは良かった。
この人は若い頃から息の長そうな役者の匂いを感じさせてたし。
337:不破 市之丞
13/09/11 03:06:13.85
美濃の重臣といえば 「美濃三人衆」 が有名だが、それに 不破光治 を加え、「西美濃四人衆」 と称する場合もある。
つまり彼は、美濃三人衆 に並ぶ斉藤家の中心人物の一人だった。
歴史小説などでは 「不破 市之丞」 の名で登場することもある。
斉藤家の滅亡後は 織田家 に仕えるが、美濃三人衆 とは別に活動していたようで、「将軍・足利義昭」 が織田家を頼った際にはその出迎えに向かっており、礼儀作法などに長けていたと思われる。
その後、浅井・朝倉家 との戦いや、「越前(近畿地方の北方)」 の 「一向一揆」 の鎮圧戦などで活躍、越前が織田家の重臣 「柴田勝家」 の支配になるとその配下となり、同じ勝家配下の 「前田利家」 「佐々成政」 と合わせ 「府中三人衆」 と呼ばれるようになる。
「本能寺の変」 で 信長 が急死した後はそのまま 柴田勝家 に従うが、勝家 は 秀吉 と戦った 「賤ヶ岳の戦い」 に破れ自刃。
以後は 秀吉 の配下となった。
338:名乗る程の者ではござらん
13/09/11 03:10:16.82
蜂須賀小六の経歴は、
「寛永伝」という史料では1560年に信長に仕え出してすぐに桶狭間で活躍。
その前の経歴は、犬山城主織田信清→岩倉城主織田信賢→斉藤道三に仕える。
339:名乗る程の者ではござらん
13/09/11 03:13:15.43
組織の中で生きる一豊と組織に縛られない六平太の生き方の対比が作品のキモの1つ
340:名乗る程の者ではござらん
13/09/11 03:16:42.14
武田と前田吟は全く問題なし。シリアスもコミカルもはまる人たちだから
脇にはもってこい。
341:名乗る程の者ではござらん
13/09/11 03:40:04.07
桶狭間の戦い(1560年)当時
今川 義元42歳(没年42歳、江守徹62歳)
柴田 勝家39歳(没年62歳、勝野洋54歳)
蜂須賀小六35歳(没年61歳、高山善廣39歳)
織田 信長27歳(没年49歳、舘ひろし55歳)
豊臣 秀吉24歳(没年62歳、柄本明58歳)
山内 一豊16歳(没年61歳、上川隆也40歳)
濃 姫 26歳(没年??:歳、和久井映見35歳)
於 市 14歳(没年37歳、大地真央49歳)
寧 々 12歳(没年76歳、浅野ゆう子45歳)
千 代 *4歳(没年61歳、永井杏13歳・仲間由紀恵26歳)
342:名乗る程の者ではござらん
13/09/11 03:47:39.76
一豊は堀尾吉晴・中村一氏等と共に秀次の宿老
(他に田中吉政・一柳直末)。
秀次政権が確立すればおそらく政権の中枢。
ちなみにこの5人は関ヶ原では全員東軍。
343:名乗る程の者ではござらん
13/09/11 08:39:47.08
前田吟と武田鉄也が名コンビだよな、あの二人目当てで見てた。
五藤吉兵衛討死後は寂しくなった。
344:名乗る程の者ではござらん
13/09/14 17:41:09.61
あ、長篠合戦が「鉄砲による勝利」という虚構は歴史関係の人間の間では
もう誰一人信じるものがないくらい完膚なきまでに破壊された幻想。
簡単に言えばにらみ合いに持ち込みたかった武田軍を野戦に持ち込み、
先鋒同士の争いがほぼ一日続いた。そのために戦力比がほぼ三倍の数の
織田軍の方が優位になり、勝ち目がないと見た武田軍が撤退を始めたものの
地形不案内で追いつかれたり道を失ったりして多くの犠牲を出した、という
だけの合戦。ざっとポイントを挙げると
・当時織田軍は組織的な鉄砲部隊窪を持っていない。全部寄せ集め。
・したがって「組織的連射」などできていない。
・そもそも「3000丁の鉄砲」という記述は江戸時代に改竄された
資料によるいわば捏造。
・武田軍の武将で鉄砲柵近くで死んだ武将は一人だけ。あとの武将は
みな設楽原から遠く離れた山道で死んでいる。
・武田軍の死者の死因で一番多いのが川にはまっての溺死。
次が山に迷い込んで脱出できなくなっての餓死。
345:名乗る程の者ではござらん
13/09/14 17:44:38.43
信長の夫婦喧嘩の仲裁は大河版「国盗り物語」が一番説得力があった。
太地喜和子@ねねの可愛さが自然にそのエピをいかしていた。
身分の高い女性を側室にした秀吉に掴みかからんばかりに泣きながら
詰より信長に直訴する可愛さ。この手紙がなければその後の信長の
評価は違っていたであろうとナレ―ションは語っていた。
346:名乗る程の者ではござらん
13/09/14 17:54:22.05
織田は、三河は徳川にまかせて
美濃斉藤攻略して、伊勢北畠へ養子送り込みで
裕福になり、兵農分離できたんだろうな。
三河は愛知用水ができるまでは、砂漠同然の荒地。
刈谷・安城・岡崎の矢作川両岸ぐらいしか農業活動できなかった。
三河でおいしいところは、酒井氏が持っていたので
家康は苦しい立場が続いて、織田から同盟で兵を出せでは
大変だったろうな。
347:名乗る程の者ではござらん
13/09/14 23:51:32.97 gB9BxoyC
youkuで功名が辻を見てるけど中国語の字幕に誤訳がいろいろとある。
漢字だからある程度わかるんだけど、中華人はこのドラマおもしろいんかな?
348:名乗る程の者ではござらん
13/09/15 01:45:45.83
>>347
コメント欄に日本語で書いている人たちがいるけど中国人には理解できないのではないかと。
コメント欄の中国語を見ると「不快(?)」と見える文字があるので、アクセスはするけど日本の作品は不快で見ない、という意味なのかな?
349:名乗る程の者ではござらん
13/09/15 02:53:32.90
朝日姫(旭姫)
家康「いやー、あれはひどかった」TBS関ヶ原
語り「御器量芳しからず」葵徳川三代
350:名乗る程の者ではござらん
13/09/17 11:27:32.30
竹生島奉加帳に、秀勝(石松丸)と南殿の名前があることから、秀勝=秀吉の実子だと推測されてるだけじゃ?
長浜の妙法寺に秀勝の墓があることについて、小和田哲男氏は、秀勝の戒名は子供につける戒名なのか、どうか疑問視してるらしいね
351:名乗る程の者ではござらん
13/09/17 11:30:43.72
亡くなったとされる秀勝の年齢と秀吉の北近江拝領の時期を考え合わせれば
南殿の連れ子の可能性だってあるのに、ひたすらまず秀吉の子ありきなのがな
352:名乗る程の者ではござらん
13/09/18 17:54:15.91
アバンタイトルに出ていた「曲事の由、御逆鱗なされ」
信長公記 十巻(天正5年)で
八月八日、柴田修理亮、大将として、北国へ御人数出だされ侯。滝川左近、羽
柴筑前守、惟住五郎左衛門、斎藤新五、氏家左京亮、伊賀伊賀守、稲葉伊予、不
破河内守、前田叉左衛門、佐々内蔵介、原彦二郎、金森五郎八、若狭衆、賀州へ
乱入、添川・手取川打ち越え、小松村、本折村、阿多賀、富樫の所々焼き払ひ、
在陣なり。羽柴筑前、御届をも申し上げず、帰陣仕り侯段、曲事の由、御逆鱗な
され、迷惑申され侯。
353:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 10:33:19.24
堀尾忠晴
忠氏が急死して5歳で家督相続
その際に家督を奪われそうになるが祖父の吉晴が阻止
美少年だったらしく、前田利常(マッチョ)と衆道関係だった
嗣子無し断絶
中村一忠
関ヶ原の直前に一氏が死んで11歳で家督相続
讒言を信じて筆頭家老の横田村詮を誅殺して
村詮の家臣と内戦状態にまで発展(米子騒動)
堀尾吉晴の救援で鎮圧したが、その後酒に溺れて20歳で死去
嗣子無し断絶
354:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 14:35:24.79
国盗り読んでたから明智のシーンが全く同じで嬉しかった。
355:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 14:37:06.41
筒井も大河で自分の居場所を見つけたようだな。
江守・西田のように。
356:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 14:43:35.83
山内一豊の父親(岩倉織田家家老)を信長が滅ぼすシーンを何故いれなかったのか疑問。一豊の弟だって、重要なキャラなんだし。
357:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 14:47:44.34
子千代はちょっとウザかった
まあ脚本の問題なんだろうけど
358:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 14:49:25.17
清洲城のほうが清須城よりメジャーだと思うんだが、なぜ清須城というテロップなんだろう。
359:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 14:50:12.86
当時は清須だからでしょ
360:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 14:55:08.21
「おんな太閤記」は、「功名が辻」の浅野ゆう子よりも~っと若いうちから、佐久間
良子(当時50代)がやった。
361:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 14:56:58.46
佐久間は1939年生まれでおんな太閤記は1981年
362:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 15:19:34.20
>>341つづき
本能寺の変(1582年)当時の役年齢とキャストの実年齢の比較
信長48歳(舘ひろし 55歳)
藤吉郎45歳(柄本明58歳)
帰蝶・濃姫47歳(和久井映見 35歳)
一 豊 38歳(上川隆也 40歳)
お 市 35歳(大地真央 49歳)
ね ね 33歳(浅野ゆう子45歳)
千 代 26歳(仲間由紀恵 26歳)
363:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 15:25:31.40
壇ノ浦の戦い(1185年)当時の役年齢とキャストの実年齢の比較
源義経 27歳(滝沢秀明 23歳)
武蔵坊弁慶 20~30歳 (松平健 52歳)
静御前 18歳 (石原さとみ 18歳)
常盤御前 47歳(稲森いずみ 33歳)
源頼朝 38歳 (中井貴一 44歳)
北条政子 28歳(財前直見 39歳)
後白河法皇 58歳(平幹二朗 72歳)
364:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 15:29:28.02
自分を愛してくれる3人の男達(一豊、六平太、竹中半兵衛)を手玉に取り
幸せ街道まっしぐらを目指す千代が主役の「巧妙が辻」
365:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 15:39:34.50
芸術センス
利休>信長>>>>|越えられない壁|>>>>>秀吉>>>家康
366:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 15:44:05.96
柄本秀吉面白い
367:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 15:55:27.70
秀吉が主人公だったら柄本はアクが強すぎるが
脇役として良い感じ
368:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 16:19:21.29
原作通りに信長が岐阜を拠点にした頃から始めると
信長の桶狭間・美濃攻略、秀吉の墨俣・竹中説得
という戦国時代大河ドラマとしてあまりにおいしすぎる名場面を使えないからなぁ
ただでさえ原作が短いからこれらを使いたいって気持ちはわかる
でもその代わり半分「国取り物語」化してしまってるよね
一豊と千代が合間合間にチョロチョロっと出てきてる感じだ
年齢設定的にかなり無理のある二人のラブロマンスをやらなきゃいけんし
結婚するまでに4話も費やさなきゃならんし
・・・って逆か
二人のラブロマンスを描きたいから桶狭間の頃からやってんのか
やっぱり恋愛結婚じゃないと視聴者にウケないから?
369:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 16:30:16.45
2000年が葵 戦国
01年 北条時宗 鎌倉
02年 とし松 戦国
03年 武蔵 江戸初期
04年 新選組 幕末
05年 義経 平安末期
06年 功名 戦国
370:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 16:44:12.54
一豊の華々しい(?)対決
①金ヶ崎城攻め:朝倉家武将 三須崎勘右衛門、弓矢の上手。一緒に谷から転げ落ちたら三須崎は頭をぶつけ、鎧通しで突きとどめをさす。
②姉川の合戦:浅井家武将 鬼頭三郎兵衛義兼、小具足術を使う。歩卒の伊作と吉兵衛が組み付いてしとめる。
③小谷城攻め:浅井家武将 草野河内守義仲、馬術の輪乗りの名人で得物は大薙刀。馬上で組まれたとき一豊は短刀を馬に刺し、二人とも落下。新右衛門が草野の頭を槍で殴り、弱ったところを一豊がとどめ。
④備中高松城の戦い:毛利家武将 宍戸修理良近、得物は来国俊の槍。馬当てで落馬させて討ち取る。
371:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 17:05:50.93
>>366
江本の秀吉は完全に錦之助の「尻くらえ孫一」や信長映画で
中村嘉葎雄が演じている秀吉のコピーだな
本人も嘉葎雄を尊敬してるって言ってるし
372:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 17:25:53.11
>>370
>④備中高松城の戦い:毛利家武将 宍戸修理良近、得物は来国俊の槍。馬当てで落馬させて討ち取る。
黒田官兵衛「おっ、敵将落馬!」ってシーンには元ネタがあったのか。
373:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 17:32:27.95
津川がどうしても徳川将軍の誰かに見えてしまう
374:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 18:10:14.73
>>359
やるー!
375:名乗る程の者ではござらん
13/09/19 20:44:19.66
【ベスト】大河史上最高傑作と最低ドラマ4【ワースト】
スレリンク(nhkdrama板)l50
功名、意外と(?)善戦中
376:名乗る程の者ではござらん
13/09/20 10:30:40.78
秀吉&家康の「陣羽織イベント」の元ネタ
「徳川実紀」
「東照宮御実紀附録巻五」
「・・・・君(家康)その時殿下(秀吉)の召されし御羽織を某(家康)にたまわらんと宣へば、
秀吉これはわが陣羽織なり。進らすることかなわじといふ。
君御陣羽織とうけたまはるからは猶更拝受を願ふなり。
家康かくてあらんには、重ねて殿下に御物具(甲冑)着せ進らすまじと宣へば、秀吉大によろこばれ・・・」
377:名乗る程の者ではござらん
13/09/20 14:15:13.21
ドラマでは語りの一言のみの三方ヶ原の戦い。織田の援軍の将に諸説有り
信長公記 - 佐久間信盛・平手汎秀・水野信元
松平記 - 佐久間信盛・平手汎秀・水野信元・林秀貞
明智軍記 - 佐久間信盛・平手汎秀・林秀貞・滝川一益
総見記 - 佐久間信盛・平手汎秀・林秀貞・毛利秀頼・稲葉良通
378:小山評定で西軍に味方すると宣言した武将
13/09/21 09:56:18.53
田丸忠昌は美濃岩村城主。蒲生氏郷の妹婿で、秀吉政権下では氏郷の与力となっていた武将です。
氏郷没後、蒲生家は、下野宇都宮に減転封されたので、石田三成などが推挙して独立。岩村城4万石を領したそうです。
もうここまできたら、当然恩義ある三成についたとしか思えませんよね。
でも、このとき、本人は家康にこう言って軍を離脱したそうです。
「三成ごときが内府どのに刃向かうなどと笑止千万ではございますが、三成は秀頼様を擁しておりますれば、ここは内府どのにお味方は出来申さず。」
つまり、三成というより、豊臣家に恩義があるということのようです。とはいえ、家康を前にしての発言なので、ちょっと遠慮したところもあるかもしれないですが…。
しかも忠昌は、この発言を軍議の席上で堂々と言ったといいます。周りが、福島正則の言葉に同調して、「わしも」、「わしも」と言っているなか、「わしは西軍につく」と言うんですから、相当の覚悟ですね。
ちなみに、家康はそれを聞いても、まったく気を悪くすることはありませんでした。まあ自分で「西軍についたって恨みには思わないよ」と言っているのだから、
怒る方が筋違いですが、家康はむしろ忠昌のその忠義の姿勢を賞賛して、「はなむけじゃ」と言って刀を一振り与えたそうです。
忠昌は、関ヶ原の本戦に参戦していたもののあえなく敗走したそうです。
西軍についたのだから当然所領は没収。戦後の処分は越後に流罪でした。さすがに戦後は容赦なく処分されたわけですな。
忠昌は赦免されたあと、蒲生家に戻ってきて、蒲生秀行の客将として遇されたそうです。
379:名乗る程の者ではござらん
13/09/22 14:43:18.61
拾(ひろい)のエピソードは、千代が当時参詣していた妙心寺の門前で拾い、約10年間手元で養育した後に妙心寺に預けられ、
後に「湘南和尚」という高僧になった人物がモデルになっています。
千代が捨て子を拾ったのが天正15年という記録がありますので1587年になります。
正確な養育期間は定かではありませんが、10年とすると、山内家を出たのが1597年となりますが、
山内家を出て出家したのが慶長元年(1596年)という記録もあります。
関白秀次が出家し切腹に処せられたのは、文禄4年(1595年)ですから、拾の出家より、関白秀次の失脚の方が2~3年は早かったと思われます。
拾は、一豊・千代夫妻が帰依していた妙心寺の高僧南化元興国師に預けられて学僧となって湘南和尚と称します。
山内一豊が土佐に領地を与えられると、土佐に招かれて吸江寺を復興します。
一豊の死後、千代は妙心寺の近くに移り住み、余生を過ごすのですが、
この頃には、湘南和尚は妙心寺の南隣院に大通院を開山することを許されるほどの高僧となっており、晩年の千代と深く交流しました。
千代の死後は妙心寺の一豊・千代夫妻の霊廟を守ったという記録が残っています。
380:名乗る程の者ではござらん
13/09/22 14:49:25.84
記録に残る限り、山内一豊には側室はいなかったしその形跡も見当たらないです。
ただし、捨て子として門前に捨てられていた湘南宗化が山内一豊夫妻が引き取って育てるなど、捨て子とは思えないほど可愛がられ、その後の扱いも最上級の扱いだった事を考えると、彼が山内一豊が外で生ませた隠し子だったという説も完全には否定できません。
ただ、見性院は夫の一豊が死んでしまうとさっさと土佐を離れて、京の湘南宗化が居る寺の近所に引越して死ぬまで暮らしましたから、湘南宗化が一豊が一豊の隠し子であったとしても、見性院にすらばれなかったということになるのではないでしょうか。
381:名乗る程の者ではござらん
13/09/25 14:23:17.44
山内一豊は秀吉恩顧の中で家康に付いたのが池田と同じくらい早いよな。
あのまま豊臣政権に残ったところで良い事なんて一つも無いしな。
土佐一国なんて夢のまた夢。
秀次が秀吉死後も生きて豊臣政権で重きをなしてれば山内の境遇も
大きく変わってただろうけど。
382:名乗る程の者ではござらん
13/09/26 15:18:11.87
堀尾吉晴の官位は「従四位下、帯刀先生」
つまり、
堀尾帯刀先生吉晴
なんかぴんとこない名前
383:名乗る程の者ではござらん
13/09/28 09:32:04.47
ここには戦国史に詳しそうな人がいるみたいなのでお尋ねしますが
家康は何か意味があって姓を徳川に変えたのでしょうか?
384:名乗る程の者ではござらん
13/09/28 19:19:22.80
「洞ヶ峠」で日和見とか、勝敗や運命の重大な分かれ目「天王山」の戦いとか
ネーミングがいいよねー
もしもこれが逆だったら、
・天王山で日和見
・洞ヶ峠が勝負の分かれ目
・・・となってしまい後世に伝わる言葉にはならなかった
385:名乗る程の者ではござらん
13/09/28 19:21:25.50
>>383
もともとは得川と書いてトクガワでした。その後松平になり、家康が徳川を名乗りました。分家の松平氏が一向一揆の味方にまわり、大変な思いをさせられたので、うちが本家だ!ということを示すために徳川を名乗ったのです。
その後、家康は一向一揆を制圧し、分家の松平家を家臣にしました。
そのため、江戸時代にも、本家+御三家 が徳川を名乗り、分家が松平という格付けのために使い分けられました。
386:名乗る程の者ではござらん
13/09/28 19:32:48.44
徳川家康が松平姓から徳川に姓を変えたのは主君として自立性を図るためです。
今川から独立した段階では松平家は他の松平を名乗る分家の力も強く宗家の権威は弱かったのです。
朝廷に三河守任官と徳川への改姓を礼金を出してまで願ったのは権威を高め統制力をつけるためです。
もともと家康の祖父の清康やそれ以前から祖先は関東の上野の出で三河に流れてきて松平家に婿入りしたという伝承があったそうです。
その話には上野でも得川という土地が祖先でも出身地で史実でも新田氏の分家に得川氏という家があり当然、源氏の系統であったので祖先は遡れば新田氏ひいては源氏の一門であるという解釈が成されたのです。
「得川」が「徳川」に変わったのはより良い字を使いたかったからでしょう。
松平氏は本来は氏は賀茂氏でしたがそれとは別に家康も三河守任官時は藤原氏で申請しており改姓では源氏に変えたのです。
戦国時代には系図の創作がよく行われたので家康が都合よく使い分けても違和感はなかったそうです。
387:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 10:12:20.63
改姓には2つの理由があります。
理由の1つは永禄7年、家康は三河の国を事実上支配下に置いた事で、
朝廷に三河の領主である事を認めてもらい、それに相応しい官位が欲しかったと言う事です。
ですが松平家は土豪、官位は貴種(名門)しか貰う事の出来ないので、松平姓のままでは官位を得る事は難しく、
そのため近衛前久に間に入ってもらい、神祇官の吉田兼右に家康の希望に沿う姓を探してもらった結果、「徳川」と言う姓が家康の希望に適うものだったので、
それで改姓の勅許を得て同時に従五位下・三河守に叙任されました。
三河守はかつて三河を領有していた今川義元と同じ官職であり、これにより名実共に三河の領主であると示したのです。
2つ目は徳川に改姓する事で松平姓との家格の違いを表すためです。
家康が徳川に改姓した当時の松平氏は14~16家に分かれ一門衆的な同盟関係で結ばれていました。
家康が徳川に改姓する事で他の松平一族との家格の違いを示し、
松平一族との関係をそれまでの同盟関係から徳川と松平との主従関係へと変えようとしたのです。
元康から家康への改名ですが、家康は8歳から12年間を今川家の人質として駿府で過ごしました。
元康の「元」は今川義元から一字拝領したもので、それは松平家が今川家の支配下にある事を示していました。
永禄3年今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた時、家康は義元の子・氏真に「義元の弔い合戦をするように」と進言しますが氏真は動きませんでした。
氏真が一向に動かないので、家康は家臣からの進言もあり今川家と断交し、織田信長と和睦し同盟を結ぶ道を選びました。
なので家康の元康から家康への改名は、今川家との決別を意味したものと思われます。
尚、家康は「源義家」を尊敬していたそうで、「家」の字はその「義家」から採ったものとされています。
388:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 17:12:34.88
なかなかの役者揃ってる。
こうでなきゃ大河ドラマは。
389:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 17:14:14.44
平和主義は、家康にやがて仕える伏線
390:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 17:15:43.50
やっぱり、ジャニタレや学会タレを追い出すと
これほど清清しいドラマになるのか
というのを痛感したよ
391:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 17:19:24.84
舘ひろしは流石に男が光ってる!
柄本の怪しさもたまらん!
筒井、棒読みだっていいじゃないか~!
香川に男の哀愁を感じた!
仲間の演技に不安感を持っていたが、全然オッケ~!見直した。
上川も一豊のマイナーさをうまく表現出来てない?控え目で目立ってない。
武田鉄矢や前田吟もいい味だしてる!
これで恋愛ドラマ臭が弱くなればなぁ…
392:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 21:29:02.17
千代(幼少期)はお姫様じゃなく、生活力のある庶民に近い子として描かれていた。
法秀尼のところにいても常に手を動かしてる働き者の子という描写で、
ああいうたくましい雰囲気は現代の子供にはなかなか出せないと思う。
津川さんと多岐川由美の元で姫っぽく育てられて仲間になったと補完している。
393:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 21:33:52.09
子役の時期が長いと大人へのイメージついて難しいから似た子が選ばれるけど、
子役の出番がそれほどない場合はあまり似てない子でも演技力で選ばれる。
功名では、たった2回の出演だからそれほど外見の相似は重要視してないっぽい。
394:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 21:42:19.46
原作通りに信長が岐阜を拠点にした頃から始めると
信長の桶狭間・美濃攻略、秀吉の墨俣・竹中説得
という戦国時代大河ドラマとしてあまりにおいしすぎる名場面を使えないからなぁ
ただでさえ原作が短いからこれらを使いたいって気持ちはわかる
でもその代わり半分「国盗り物語」化してしまってるよね
一豊と千代が合間合間にチョロチョロっと出てきてる感じだ
年齢設定的にかなり無理のある二人のラブロマンスをやらなきゃいけんし
結婚するまでに4話も費やさなきゃならんし
・・・って逆か
二人のラブロマンスを描きたいから桶狭間の頃からやってんのか
やっぱり恋愛結婚じゃないと視聴者にウケないから?
キャストの年齢が高すぎて違和感が、と言われてるが
岐阜時代から始めれば信長も秀吉もすでに30代
舘や柄本で貫禄ある芝居をしてもいいだろう
市もねねも大人だ
大地や浅野が10代前半の娘役をするほどの違和感はなかったはず
395:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 22:00:09.17
もっと仲間に似ていて、かつ永井杏なみの演技ができる子役がいなかったのかと
いえば、いたと思う。恐らく今は子役のキャスティングも、いろんなしがらみが
あるんだよ、きっと。第1候補を他のドラマに取られたのかもしれないしね。
俺は、永井は与えられた仕事をきちんとやったと思う。それは認めてやりたいね。
396:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 22:04:38.18
別に不細工だろうと華がなかろうと
演技さえ上手ければいい役者だよ
まぁ華がない役者は所詮「名脇役」とか呼ばれるのがせいぜいで
主役にはなれないけどな
一方、仲間みたいに顔がいいだけの大根でも
人気が出、視聴率を取り、大河の主役になれるのがこの世の中
美人の仲間が演じる役の子役の最低条件は可愛くて華があること
演技力はあるにこしたことはないが仲間自体が大根だから
397:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 22:07:11.24
子役はなんじゃこりゃと思ったが、実質1回で消えたから別にどうでもよかです
398:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 22:13:32.88
土佐に元々いた長宗我部とかいうのもあるし南国土佐高知の人はどういう感じで見たのかな???
坂本竜馬とかも郷士の出だろ?
坂本マンセーな人は山内一豊けしからんなのかなとかそこらへんが気になる。
武田鉄也が密かに山内一豊実は大嫌いです、とか白状したらおもしろいけど。
399:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 22:17:01.08
>武田鉄也が密かに山内一豊実は大嫌いです、とか白状したらおもしろいけど。
>>14参照
400:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 22:23:32.98
大河では秀吉&ねねが関わる話だど見るけど、いつもどんな夫婦像なのかと楽しみにしてる自分みたいなのもいますよっと
ねねに「子を生んでくれ」なんて切ないセリフだよな…
沢口@ねねの時は流産で生めなくなった話があったが…
401:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 22:27:59.74
浅野ゆう子は昔は綺麗だったよね。
浅野温子の方が好きだったけど。
402:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 22:38:58.98
>>398-399
「山内容堂・・・郷士・・・坂本・・・」と、俺は海援隊と
名づけるくらい坂本ファンなのに、山内家の家臣なんて絶対やらない!と言ったものの、
土佐に入る前に、一豊に手柄を立てさせるために壮絶な討ち死にをする人の役なので、
というNHK説得に納得したとか。
五藤吉兵衛の子孫の人と会った時に、格好よく死んで下さいとリクエストを受けた。
なんと、以前に刑事モノのロケで後藤さんの家を借りた事があり、縁を感じたそうな。
ちなみに、その五藤さんは、吉兵衛の奮闘等でもらった土地で、今でもそこで本屋さんを
営んでいるそうだ・・・
403:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 22:43:58.09
武田はおーい竜馬の時、山内家の子孫の人から「あんまりだ」って苦情受けたんだっけ?
まあ司馬が創作した上士VS郷士の対立部分をさらに激化してたからあれは仕方ない鴨と思ったw
404:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 22:46:31.83
巧妙が辻の人間模様
千代と一豊(幼女と大人)
信長と市(兄と妹)
光秀と濃(家臣と殿様の嫁&いとこ同士)
千代と六平太(おさななじみ&ふたまた)
一豊と小りん(三角関係)
405:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 22:54:59.36
なんかさ、功名のナレってのんきじゃないか?
406:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 23:12:07.64
信長 が 信長 に見えない
秀吉 が 秀吉 に見えない
家康 が 家康 に見えない
大河経験者多すぎ
407:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 23:13:49.28
としまつのまつと義経のうつぼによる瞬間移動がとても嫌だったので、
子千代が放浪したうえ攫われて水路で尾張に入ったのはいい感じだった。
子供の足では無理だからね。
408:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 23:25:50.44
まつ(芳春院)
1617(元和3)年、7月16日に71歳で没。
千代(見性院)
1617(元和3)年、12月4日に61歳で没。
409:名乗る程の者ではござらん
13/09/29 23:27:49.04
一豊没後のエピソードとしては、京都で隠棲してた千代は、養子の忠義が御機嫌伺いの手紙を
怠ったりするとずいぶん厳しい叱責の手紙を送りつけたりしてる。
うるさい家臣もいないし、仕送りもらって悠々自適で楽しく暮らしてたんじゃないかと思われる。
410:名乗る程の者ではござらん
13/09/30 01:59:12.73
>>383
>>385-387
411:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 03:16:38.54
竹中半兵衛「私が生涯愛した女は千代殿でござった」@功名が辻
本多正信「一人の女も愛したことがなかった」@TBS関ヶ原
412:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 05:25:22.61
第21回 「開運の馬」
濃姫が街中をたった一人で歩くなんて有りえないw
413:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 07:18:36.51
濃姫の謎
1.信長と濃姫は婚約したのみで結婚していないとする説。
2.結婚したが、道三の死と共に斉藤家と戦闘状態に陥り、離縁されたか遠ざけられ早くに死去したとする説。
3.離縁はされなかったが、隠棲して暮らしたとする説。
4.本能寺で討死(記録に残る本能寺で討死した女性は能という女中頭のみなのでまちがいなく創作)
5.安土殿=濃姫であり本能寺ノ変の時は安土にあって日野に避難し、江戸初期まで生きたとする説。
414:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 08:12:01.62
>>227
>再放送では~紀行がないのが残念
無料動画サイト「youku」ならアバンタイトル&紀行付き
(視聴には中国串が必要)
415:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 14:07:08.96
>>385-387
またもや丁寧な回答をありがとうございます
秀吉の改名は別として苗字を変える大名は珍しかったので疑問に思ってました
謎がまた一つ解けて満足です
416:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 14:09:26.90
最後まで見たけど2000年以降では
葵三代、利家とまつに続いて良かった
417:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 21:29:49.16
浅野ゆう子ってトレンディドラマのイメージが強すぎて
ちょっと浮いてる?
それだけ存在感があるってことなんだろうけど・・・
418:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 21:35:44.90
一豊は、原作ではぱっとしない存在なのに、ドラマではやけに凛々し過ぎるように思う。
24万石どころか、千代いなくても、もっと上に行そうな感じなんだけども。
これは、大石が上川隆也を気に入ってるからなのだろうか?
格好良く描き過ぎのように思う。もっと、ふぬけた感じで描いて欲しかった。
419:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 21:40:17.67
葵での江守の三成なんか今までで一番よかったよ。
役者の実年齢なんて関係ない。
420:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 21:44:57.05
法秀尼が子千代に「一豊の妻にと・・・」
と言ってあわてて抱きしめる時の
法秀尼と子千代の演技にはため息がでるな。
法秀さまの慈悲に満ちた言葉とか、
優しい言葉をかけられた子千代の
切なさとか。
421:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 21:47:44.47
戦国時代は何処も兵農一致
田植え前 夏場 稲刈り後
これが毎年の戦シーズン(例外はあるよ)
戦は出稼ぎ的意味合いもあった
それを兵農分離して給料性にしたのがお舘様
戦シーズンがなくなり何時でも何処でも戦を仕掛ける
危なくなったら直ぐ逃げる そして又攻め入る
美濃は兵農一致 集まるのが遅いし全部自分持ち
なんども召集かけられると ヤッテランネーヨ
そこを狙って寝返り作戦 最少犠牲の最大戦果
ハンベイさんも味方について 斎藤龍興逝ってヨシ
422:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 21:48:57.72
堀尾吉晴って、尾張守護斯波家被官の堀尾泰晴の嫡男で、岩倉城の戦いに参加していたからその頃から一豊とは知り合いみたい
423:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 21:53:12.35
織田信長1534年~1582年(49歳没)
桶狭間の戦い1560年 織田信長26歳 館ひろし55歳
メイクでもうすこし何とかならなかったのか?モロ年相応に見えた。
424:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 21:54:36.82
一豊 1545年生まれ
千代 1557年生まれ
稲葉山城奪取 1564年
1564年当時、一豊は19歳、千代は7歳
425:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 21:58:17.49
竹中半兵衛がクーデター起こしたのに半年後には
「そろそろ反省したかな?」って元の城主に城を返して
半兵衛も隠居程度の罪で済むとかありえるのか?
この時代ってそんな呑気な時代だったのか?
426:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 22:00:44.47
大石的には
クールなカッコイイ 竹中・棒読・半兵衛
ダメだけど気になるあいつ 山内・一本気バカ・一豊
いつもそばにいる幼馴染 望月・バシリ・六平太
427:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 22:04:21.35
>>425
半兵衛は美濃三人衆の一人安藤守就の婿
安藤は三人衆の残り二人稲葉&氏家とツーカー
だから手出ししようにもできなかったんじゃないか?
428:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 22:07:02.63
役者ってカツゼツ云々じゃないよ。
雰囲気。
その点で、舘信長、筒井半兵衛はグッド
429:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 22:48:32.05
正直、武田鉄矢がここまで脇に徹してくれるとは思わなかった。前は、嫌いだったけど、今回はいい。
430:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 22:51:20.51
武田の詠んでたウタ?みたいな奴、素人だからわからないが
結構様になってる気がした。一豊の家来二人いいな。
431:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 22:54:50.11
仲間 待ってました。思ったより浮いてなくて一安心・・・結婚したらお得意のボケキャラになるらしいから頑張れよ
上川 今回出番少なかったが相変わらず安定。
千代に惚れたのはアレだな、昔は普通でなんとも思ってなかった娘が
久々に再会したらすんげえ美人になってて(しかも自分に好意があるらしい)ドキドキして頭から離れないってヤツだな
舘 台詞が聞こえた! このくらいの出番ならいいな。カッコいいし。叫ばせちゃいかんね
半兵衛 棒は棒だがなんとなくそれも味っぽく見えるこの不思議。飄々としてよし
柄本 面白い。おっさんでもいいよもう見慣れたよ。アドリブ言いまくりらしいないいよいいよ
家臣団 ナイス爺。もろにスターウォーズのあのコンビだな。もっと出番が欲しいなあ
香川 必死に甲賀で修行して一人前になり必死に千代たんを探してようやく会えたのに・・・
恋する乙女は残酷だ・・・かわいそう過ぎる。
一豊を探せといわれて一瞬顔が強張るもすぐに笑うところがもう・・・ ずっとこのままなんだろうなあ。
千代の前と半兵衛の前で顔が違うのがいい。
432:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 22:57:27.58
一豊と違って一目で千代だとわかったのに、1秒で失恋した六平太カワイソス
そして次の瞬間から伝書鳩として働きはじめる。
千代を盛んにデートに誘っていた半兵衛もキューピッドにされた。
原作だと六平太には一豊と穴兄弟になるためのセフレがいて、
半兵衛はこの時期にはすでに嫁がいたとは思うんだが。ま、いいか。
433:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 23:01:23.86
ちゃんと「汚し」をやってくれているのが嬉しいなあ。
メインキャストもスミ付けを嫌がらない人が多いんだろうな。
藤吉郎の禄高が上がるごとに、少しずつこざっぱりしてきているのがいい。
一豊の一張羅の襟が垢じみていることに、少し感動した。
434:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 23:04:21.84
主人公を大活躍させないというのは、書き手にとって我慢と勇気が必要だと思うけど
一豊を妙にクローズアップさせずに、脇に控えさせているところがいい。
それと、義輝暗殺ネタを外さなかったことと、
稲葉山城乗っ取りにわりと時間を割いてくれたことも嬉しかった。
435:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 23:17:35.50
「三日で墨俣に砦が立ち上がった」とか言ってるそばから見張り台(?)が傾いててワラタ
すげぇ姉歯建築w
436:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 23:26:43.08
香川氏はうまい役者だね。
すこしクセがあって、大河じゃそういうのが生かされたキャスティングでいい。
上川氏は、ご多分にもれず大地の子(何度目の再放送だったか)の印象強いから、
激情型の役のイメージある。
437:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 23:30:44.49
なんでお市が藤吉郎が名前変えたくらいで激怒するのかが分からない。
恋焦がれる秀吉がお市のストーカーと化し、秀吉に付きまとわれたとか風呂覗かれたとかなら分かるが、
二人の接点があまりないのになぜあそこまで怒るんだ。
ただ「身分が低いから」ってのじゃいまいち説得力にかける。
お市の秀吉嫌いは小谷での万福丸殺し以降でもよかったんじゃないのか?
438:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 23:32:17.40
秀吉はじっさいはサル顔じゃなく、ものすごく貧相な顔で小男だったそうだ
そういった、今で言えばキモイといわれるような男に好かれたら
嫌悪感抱くだろう、権力もなにも無いんだし
439:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 23:33:51.00
「猿」より、「ハゲ鼠」と呼ばれることが実際には多かった
ようだし、更に言えばフロイスの書簡を初め複数の史料
には、秀吉がある種の奇形で片方の手の指が六本あった
とも書いてある。
真偽が確定しているわけでもなく、現代のドラマでは人権
問題から描かれようはずもないが、出自が貧しく、面相も
悪く、更にハンディキャップまで持っていたとなれば、周り
からの嫌悪、差別もいかばかりかであったろうし、織田家中
にあっても辛い目に遭うことも多かったろう。
それを乗り越えての天下取りであったのだから、賞賛する
他はない。
440:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 23:38:35.40
ちなみに「織田信長家臣人名辞典」(吉川弘文館)、信長の家臣を2000人以上網羅している。
山内一豊は信長時代、少なくとも上から2000人には入ってなかったということ。
信長に公式に声をかけられることはなかったでしょう。
441:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 23:48:23.47
謙信曰く
「死なんと戦えば生き 生きんと戦えば死す 家を出るとき帰らじと思えば帰り 帰ると思えば帰らぬものなり」
功名が辻の一豊&千代の言ってる「命の持ち帰りこそ功名の種にござりまする」
だから、発想全然逆だな…と思った。まぁ、武将の性格?ってのがモロに出ていて面白いよな。
442:名乗る程の者ではござらん
13/10/01 23:51:54.07
TBS「関ヶ原」では、
山内一豊=千秋実
だった。すみずみまで豪華な配役だった。
出番は少ないが当然クレジット順の扱いはよかった。
443:名乗る程の者ではござらん
13/10/02 01:07:21.33
千代とカズ豊が好き同士になるのに、もう少しひっぱっても良かったと思う。
恋敵2人とのやりとりをもう少し入れてもよかった
2回目、けんか別れ、
3回目、再会
4回目、プロポーズ
なんて早すぎ
444:名乗る程の者ではござらん
13/10/02 01:10:11.59
多岐川裕美と木村多江は美人姉妹だね
445:名乗る程の者ではござらん
13/10/03 13:09:57.61
質問の仕方が下手で申し訳ないんだが
秀吉死後~関ヶ原前までの豊臣(秀頼)の直下兵力ていくらくらいだったのか?
一豊や福島などの独り立ちした大名は除いて
446:名乗る程の者ではござらん
13/10/03 20:07:06.37 FidA+DZY
1万石あたり兵数250人~300人。
豊臣の石高が分からない
447:名乗る程の者ではござらん
13/10/03 20:17:09.07
豊臣200万石
単純計算で6万人
448:名乗る程の者ではござらん
13/10/03 21:08:14.87
豊臣200万石、徳川250万石。
ん?天下人の秀吉のほうが家康より少ない?
↓
例:「秀吉の石高」に加藤清正の領地の石高は含まないが、「徳川の石高」には大久保忠世の石高を含む」
↓
豊臣(200万石+加藤+福島+・・・)vs徳川250万石
449:名乗る程の者ではござらん
13/10/03 21:27:17.41
徳川の石高を2倍(!)の250万石にして関東に移封させたのは秀吉の大失策。。。
450:名乗る程の者ではござらん
13/10/03 21:45:38.52
120万石の毛利や上杉の約2倍=徳川250万石
秀吉が家康に天下を与えたようなもの
451:名乗る程の者ではござらん
13/10/04 15:15:58.52
六平太は原作より、いい感じで活躍してるよなぁ。
稲葉山城陥落の際も、千代たちを助けるために、
影で活躍しまくってるし。
秀吉も、部下の為に火の海の城の中に駆け込んで
行ったりして、なんか心温まるドラマだよな。最初は
原作と違うし、糞っぽいドラマだと思ったが、細々と
したところの、人と人との触れ合いみたいな、暖かさ
を感じるドラマな気がした。
ただ、時代考証とか、原作との比較とかしたらだめだけど。
452:名乗る程の者ではござらん
13/10/04 15:17:07.14
前田吟と武田鉄矢がたまらんな。
この2人が出てる限り見るわw
453:名乗る程の者ではござらん
13/10/04 15:19:08.40
信長が岐阜城に篭城しているものは女子供まで殺せと命令。
↓
千代や不破様が殺される。
↓
信長が業を煮やして攻略方法聞きにきた。
↓
裏口教えて、そこを秀吉部隊に攻めさせて攻略。
こうして半兵衛が思っていた通り、皆殺しは回避された
わけで、「人を救う」という一番難しいことをやりとげたんだわ。
454:名乗る程の者ではござらん
13/10/04 15:21:16.53
話が遡ったり、話が飛ぶになったりして
所々に解説が付くので分かりやすい。
455:名乗る程の者ではござらん
13/10/04 15:22:31.16
半兵衛が秀吉に寝返ったのは、
千代と一豊が結婚できるように一肌脱ぎたい
↓
一豊は秀吉の家来なので、秀吉に仕えると
近くにいれる。
456:名乗る程の者ではござらん
13/10/04 15:23:55.05
姑もオジオバも絵に描いたようなイイ人。
ハンベーや忍者香川はいつでも千代の為にひと肌脱いでくれる。
気難しいお市さまともあっという間に懇意の仲に。
周り中千代の味方ばっかで敵役が誰もいないから
ホームドラマとしてもトレンデードラマとしてもイマイチ盛り上がりにかけるねw
457:名乗る程の者ではござらん
13/10/04 15:26:29.50
原作も読んでるから期待してた。
原作と違うのはしょうがないと思ってたけど、何じゃこりゃ!!!
ストーリーのつながりもめちゃくちゃ、素人が書いた脚本じゃないのか?
大物役者が多いだけに見てると痛々しい。
ドラマなんで原作に忠実にとはいわないが、大河を見る層を考えてもうちょっと
がんばって欲しい。
恋愛だけでは大河はうけんと思うよ。
458:名乗る程の者ではござらん
13/10/04 15:28:30.07
脳内で津川雅彦に白衣を着せてた。
459:名乗る程の者ではござらん
13/10/07 17:22:07.33
千代と一豊を茂みから見守る六平太に笑い
戦の中でメロドラマやって逃げない二人に笑い
それをしっかり見守っていた六平太にまた笑い
津川の頭の爆発ぶりに笑い
初夜指南を譲り合うジジイズに笑い
唐突に喀血して千代を思い寝込む半兵衛にやや同情
主役二人より脇でもってるな
460:名乗る程の者ではござらん
13/10/07 17:23:40.45
何でも千代と一豊に無理やり絡ませるのは好感が持てないな。歴史上の人物は
あくまでチョイ役にすればいいのに(前半は)。脚本で勝負できないが故か…
能無し芸人がエロネタや奇抜な格好でしか笑わせられないのと同じような感じだ
461:名乗る程の者ではござらん
13/10/07 17:25:36.78
由紀恵千代可愛かったス。
上川一豊かっこよかったス。
不破雅彦の頭なんか爆発してドリフだった。思わず笑ったし突っ込んでた。
でも、六平太カワイソス。
嫉妬だね、あの目は。
462:名乗る程の者ではござらん
13/10/07 17:34:31.73
半兵衛を無理矢理恋愛話に絡ますのは興ざめするから止めて欲しいわ。
463:名乗る程の者ではござらん
13/10/07 17:36:56.22
>>446-447
どうも
およそ6万人の兵力ですか
関ヶ原で遊ばせてたのはもったいないですな
464:名乗る程の者ではござらん
13/10/07 23:19:09.12
千代と一豊もガキの頃に数回、大人になってから会うのも2回目なのに
「わたしのために武士を捨ててくださいますか?」とか凄い強引さだ
465:名乗る程の者ではござらん
13/10/07 23:23:10.42
実は一豊が信長に召し抱えられたという記録はいっさいありません。
同時代の資料に載ってくるのは、あくまでも「秀吉の家来」としての一豊です。
まあ、現在残っている史料では実はまだ「山内一豊」は登場してきません。
第三者の史料で初めて山内一豊が登場するのは、越前朝倉滅亡の合戦のさいにに、
秀吉家来として登場してきます。
466:名乗る程の者ではござらん
13/10/07 23:24:17.52
六平太は、明らかに原作を凌駕してると思う。
観ていて、原作みたいに地味に暗躍するのかと思ったら、
意外なほどの活躍に驚き。、香川もいい役回りもらったよなぁと思った。
467:名乗る程の者ではござらん
13/10/07 23:25:11.97
義経よりは全然見れるな。
468:名乗る程の者ではござらん
13/10/07 23:26:28.14
香川照之の大河出演歴
小早川秀秋→宇喜多秀家→豊臣秀吉→六平太
戦国時代専門で個性的な良い役をもらってばかりだな
469:名乗る程の者ではござらん
13/10/07 23:28:21.22
ほんとラブ米。でも、おもろかったから良い。
千代ちゃん、がんばってたし、やっぱ気丈だね。
殿は結構凛々しくて、そいでもって子どもっぽくてカワイイよ。
470:名乗る程の者ではござらん
13/10/07 23:30:10.75
「一豊公記」に寄れば15歳で近江の山岡景隆
に仕えたとある。
恐らく織田配下に入ったのは信長の近江平定
以後じゃないのかな。
直接信長に仕官したのか、秀吉に仕えたのかは
わからないが。
471:名乗る程の者ではござらん
13/10/08 00:15:36.02
>>468
三菱忘れてる
472:名乗る程の者ではござらん
13/10/09 00:58:53.53
紀行に「山内一豊公 初所領地」が出てたけど
誰も行かないだろうw
473:名乗る程の者ではござらん
13/10/09 16:35:10.50
唐国400石の跡を見に行く人はいないんじゃない
474:名乗る程の者ではござらん
13/10/10 02:01:26.93
天正元(1573)年夏、織田信長の越前朝倉攻めに従軍した山内一豊は、近江と越前の国境刀根坂で、朝倉軍きっての強弓の士、三段崎勘右衛門と死闘を繰り広げます。
三段崎が放った矢は、一豊の左のまなじりから右の奥歯までを貫きましたが、これにひるむことなく、見事勘右衛門を討ち取りました。
そこへ家臣の五藤吉兵衛為浄が駆けつけ、一豊の顔を貫く矢を口にくわえて抜こうとしましたが、一豊が「顔を踏みつけて抜け」と命じたので、
為浄は草履を脱ごうとします。
しかし、一豊は、「そのまま踏め」と命令し、為浄は草履のまま顔を踏みつけて矢を抜き取ったといいます。
山内一豊は、この武功により、近江唐国四百石の知行を与えられました。
唐国の住宅街の南側、国道8号の西側の田園地帯の中に石碑があります。
大河ドラマ「功名が辻」の放映にあわせて建立したのか、まだ新しく立派な石碑でした。
475:名乗る程の者ではござらん
13/10/10 02:03:07.17
URLリンク(cdn.mkimg.carview.co.jp)
石碑の周囲に何もないw
476:名乗る程の者ではござらん
13/10/10 07:25:40.13
新しすぎると威厳も何もないなw
477:名乗る程の者ではござらん
13/10/10 17:59:33.71
>>475
新し過ぎてありがたみがないな
478:名乗る程の者ではござらん
13/10/11 05:08:52.76
人間模様・関ヶ原/関ヶ原の戦い - M-NETWORK
というサイトによると、関ヶ原直前の山内一豊の石高は
68,600石だそうだ
479:名乗る程の者ではござらん
13/10/13 05:00:17.75
山内家自体の家系はかなりしっかりしたものが分ってる。
一豊自身に関しても、紀行で言ってた岩倉落城から
山岡家仕官あたりの史料もある。
ただ、どうして秀吉配下にはいったかを語る史料はない。
480:名乗る程の者ではござらん
13/10/13 05:01:40.18
津川さんの頭は笑ったけど、火事にあったのでボロボロになった
不破一家の姿には結構好感が持てたよ。酷い目にあったはずなのに
髪も乱れず、顔もつるんときれいなヒロインとか増えてきたから。
特に、きたない格好乱れた髪に黒い顔した多岐川さん偉い。
481:名乗る程の者ではござらん
13/10/13 05:02:33.67
岩倉の顛末はつぎたす形で少しずつ説明してる
ただ、岩倉織田との争いを骨肉の争いと解説するのは少々無理があった
482:名乗る程の者ではござらん
13/10/13 05:08:01.35
兄弟別れて暮らしましたって、ナレで説明するなら
子ども時代から、しっかりそのへんやっていったほうが
わかりやすいに。
483:名乗る程の者ではござらん
13/10/13 05:10:59.78
地理的状況を考えても一豊は東軍に付かざるを得なかっただろう
尾張・・・福島正則
三河・・・池田輝政、田中吉政
遠江・・・堀尾吉晴、山内一豊
駿河・・・中村一氏
484:名乗る程の者ではござらん
13/10/13 05:12:42.25
ξ ⌒ ξ
(´‐ω‐`)
津川の↑この頭を見て、何か吹っ切れた。
485:名乗る程の者ではござらん
13/10/13 05:17:53.63
佐久間・前田・西田・香川・江守と、
おんな太閤記、春日局のキャストとも被るな・・・
486:名乗る程の者ではござらん
13/10/13 05:21:21.31
大河ドラマ 秀吉役
国盗り物語 火野正平
黄金の日日 緒形拳
おんな太閤記 西田敏行
徳川家康 武田鉄矢
独眼竜政宗 勝新太郎
春日局 藤岡琢也
信長 仲村トオル
秀吉 竹中直人
利家とまつ 香川照之