12/08/10 01:36:36.24 jZl+IEvD0
>>502
>>成功頻度とアルコールの害が大きくなっているだけで、
>>結局、普通の人との差というのも、程度の違いに過ぎないんじゃないでしょうか?
そこが一番肝心なところじゃないですか
改善や補正すべき何らかの問題が生じたとしてとして(問題が生じること自体は構わない)
補正の成功頻度が高ければ、だんだんあるべき方向に補正されていき、問題は縮小していきますし
補正の成功頻度が低ければ、どんどんあさっての方向にずれて、問題が拡大します。
前者がコントロールされているということであり、後者がコントロールされていないということです。
それを「程度の違いに過ぎない」というのは、あまりにも物事の本質が見えていないのではないですか
(502氏の物事の相対化の仕方は外しているというか、なんか中2病っぽい印象)
おまけに、補正できなかった時の害が甚だしいのなら、コントロールできないことの深刻さは甚大です。
「依存症で仕事もできなくなり、奥さんも出て行って、体も悪くして死線をさ迷った人が、断酒しようと思ったのに飲んでしまった」のと
「太り気味の人が、ダイエットのためにやめようと思ったビールを飲んでしまった」のとでは、問題の深刻さは同一ではないでしょう?
>>依存性薬物を「コントロールして飲む」という考え方じたい、どうなのかな
自分ひとりの問題なら、その人が飲まなければいいだけです。
社会の問題として考えるなら、アルコールが違法薬物でない以上は、コントロールして飲むという考え方は必要でしょう