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●『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
Ⅳ乳児実験とナゾの細菌戦軍医 ≪名古屋市立大学医学部 小児科乳児院大腸菌人体実験事件≫
乳児院を利用する人体実験は、親が死んだり、病気になったり、不幸な状態で保護することが不可能な乳児には、それを拒む力が全く無い。
私はこの無抵抗な乳児を、それをよいことに薬の副作用などを調べる人体実験に用いる医師たちの神経が全くわからない。
けれども医師たちにとって乳児院ほど人体実験に使いよい場はないらしい。そこは医師の天国、乳児のマルタ地獄なのだろうか?
小川透・・・・。その名前を私が記憶にとめたのは1970年代の初めのことである。おそらく1971~2年ごろのことだろう。
その頃、私は『日本の人体実験』(三笠書房刊)の取材に当たっていた。「乳幼児の大腸菌の分布に関する研究」という「日本細菌学雑誌」(1953年)に載った人体実験の論文についての調査であった。
その論文の筆者は、小川透、尾○○○子(名古屋市立大学医学部細菌学教室)、小川次郎、服○○子、山○○枝(名古屋市大医学部小児科学教室)であった。
この事件はあまりの残忍さゆえに日本弁護士連合会人権委員会によって取り上げられ告発されていた(昭和30年7月)。
私が改めてこれを1971~2年頃取り上げたのは同じ名古屋市大医学部小川教室で1971年、新生児を実験台にけいれん研究を行なったからだ。
「またしても」という思いで私は名古屋に向かったのであった。
しかし、今考えてみると不思議なことなのだが、日弁連の告発も、マスコミ報道も、告発の対象を小川兄弟(透、次郎)のうち、小児科の小川次郎に限っていることだ。
※日本の戦後は廃墟からの復興であったから、生きるのが本当に大変だったと思う。その中でこの世に生を受けた赤ちゃんも境遇によっては地獄だった。
731部隊員は戦犯免責され、また日本の医療界に何の反省をする訳でもなく今まで実践でやってきた倫理観のまま、また生体実験をしてしまった!!
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