12/07/03 15:36:36.68 25DKaFbo
>>127 関連
噂の真相 1989年11月号
■ 礼宮婚約報道の舞台裏秘話 出会いのサークルへの疑問 皇室PRのヤラセ説もあり
また、宮内庁の正式発表によれば、礼宮がはじめて紀子嬢を知ったのは、紀子嬢が
学習院大学に入学して間もない4月。大学内の書店で書店主に紹介された事になっているが、
実際には、彼女が学習院女子高時代に家族ぐるみで顔を合わせてことがあるとの証言もある。 ←★
つまり、紀子嬢の存在はかなり早い段階で礼宮や皇室・宮内庁の視野に入っていた、と
考えた方が自然なのである。
さらに、例の「自然文化研究会」なる同じサークルで顔を合わせているうちに親しく
なった、という有名なエピソードになると、全くのつくり事といわざるをえない。
紀子嬢は、それ以前に’85年6月の段階で礼宮の主宰する「パレスヒルズテニスクラブ」という
別のサークルに入部しているのだ。このサークルを知るある学習院OBによると
「この時、礼宮さまは取り巻きの女性を通じて、紀子さんを勧誘させたらしいですね。
このサークルは他にも礼宮さまのお気に入りの友達だけを集める形でつくられたようです。
当然、入部される方の身元に関しては侍従なり宮内庁なりが事前に調査はしていると思いますよ」
つまり、このサークルは、礼宮サイドが気に入った複数のお妃候補を入部させる一種のお見合い機関だった、と。
そしてその中で最終的に選ばれたのが川嶋紀子嬢であった。事実、同年の12月、礼宮がくだんの
「自然文化研究会」 を 設立した時には 、すでに二人は 交際中 であり、
紀子嬢は設立と同時に入部している。 ←★
そして、この「自然文化研究会」のほうは、どうやら二人の 交際・デート の 隠れみの として ←★
設立されたフシがあるのだ。