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東京都知事選で細川護煕元首相が、経済成長を否定する「脱成長」発言をして話題になった。
細川氏以外にも
「成長経済から成熟経済へ」「少子高齢化社会では成長はできない」
など、経済成長を否定する論調はいまだに根強くある。
こうした論を主張する人たちの思想的背景や特徴は何か。
そもそも経済成長なしで社会を持続させることは可能なのだろうか。
1970年前後、それまでの経済成長の中で種々の問題が出てきたことから、
知識人から成長に関する警告が発せられた。
例えば72年のローマクラブによる「成長の限界」である。
人口増加や環境汚染などが続けば、いずれ地球上の成長が限界になるというわけだ。
日本でも公害や環境汚染、サラリーマンの働き過ぎ、
地方の過疎化など高度経済成長の負の側面が意識され、
70年から朝日新聞によって「くたばれGNP」が連載された。
こうした警告は、成長を認めつつその弊害を除くというスタンスであれば意味があるが、
経済成長そのものを否定しがちであった。
これは社会運動でよくみられる「目標の先鋭化」という現象だ。
日本では、時の自民党政権への対抗心から革新系勢力でこうした話はよくあった。
革新系は、いわゆる「左」であるが、一定の知識人も巻き込み、
左なのだが過度な闘争心もない、いうなれば「ヘタレ左翼」になっていった。
こうした「少しだけ左」は、現体制にモノ申すが、まともな提案ではなく、ちょっと皮肉る程度だ。
だから、「脱成長」でいいのかと正面から議論すると、全く腰抜けになる。
なぜならば、経済成長で社会問題の8割方を解決できるからだ。
例えば、日本のヘタレ左翼が嫌う金融政策は、
他のどんな政策よりも雇用を創出し失業を少なくする効果がある。
「これを否定したら、あなたが失業する確率が増えますよ」
といえば、もう反論できなくなる。
福祉・社会保障でも、成長なしでは維持するのも困難になる。
福祉・社会保障は、基本的には世代内そして世代間の所得再分配である。
成長がないと、所得というパイそのものが小さくなるので、それを切り分ける再分配もできなくなるわけだ。
70年代に、福祉・社会保障が議論できたのは、成長が揺るぎないものという暗黙の前提があったからだ。
このように考えるとすぐわかるが、経済成長なしで最も損するのは、
雇用が確実でない新卒者・非正規雇用者や所得再分配の果実を受ける経済的な弱者になる。
この意味で、福祉か成長かという対立図式は成り立たず、成長がなくなれば福祉もない。
「脱成長」論者の痛いところは、これをまったく理解していないことだ。
そうした人たちは、成長できない理由にだまされやすい。
冒頭に述べた「少子高齢化社会では成長できない」はその典型だが、
本コラム読者はだまされないはずだ。
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