13/02/13 21:14:57.72 0
私が政治を志した最大のきっかけ、日米構造協議。
私の場合、日米保険協議がその主たる疑問でしたが、
「有権者に支持を得やすい改革という言葉」と戦う事は、テーマとして最大の難関であるとも感じています。
はたして「改革」によって、我が国は良くなったのでしょうか?
経済が萎縮したとしか実感出来ないのです。
すると、「改革が進んでいないからだ」と反論を頂きそうですが、
改革は次々と我が国の国益を損ねていると思います。
430兆円の公共事業という内需をもって経済成長した日本を、
アメリカの都合の良いお財布代わりとして利用する。
とりわけ米国債を買わせ下支えをする。
自分たちは日本を尻目に情報化社会へ先陣を切る。
金融ビッグバンという改革を押し付けられる。
言い訳がましくも今更ながら申し上げれば、
「コンクリートから人へ」というスローガンもそうだったのだと思います。
低成長というイデオロギーを撥ね除けるエネルギーが足りなかったと悔やんでも悔やみきれません。
日本は内需の国であるという事を今は胸を張って言い切れるだけのバックボーンを持ちましたが、遅きに喫しました。
公共事業バッシングも改革のにおいがしました。
そういえば、消費税問題の党内(民主党)議論で最も不可解であったのが、内閣府のマクロ経済モデル。
参議院、電力中央研究所、DEMIOS、日経NEEDS等の推計と全く逆の結果となる内閣府のIMF推計。
ほんと、堂々巡りで、頑として「増税をしても経済は萎縮しない」「内需拡大では経済は大きくならない」の一点張り。
緊縮財政こそ日本のあるべき姿という結論ありきの呪縛を肌で感じました。
政府による財政や税制の変更でGDPが大きく影響を受ける事を嫌っていたのでしょう。
今はどうなのでしょうか?
それを肌で感じる環境にないので何ともいえませんが、一刻も早く日銀法の改正が望まれます。
改正当時、財政と金融の分離という改革は注目を浴びました。
構造改革こそ我が国が進むべき道という呪縛があったと思います。
その後、日銀はその独立性を拡大解釈し、財務省と結託し、低成長でいいのだといわんばかりの対応。
改革は我が国を蝕みました。
小泉改革が如何に我が国経済を萎縮させたかは皆さん周知の事実です。
まだまだ、「改革という名の呪縛」が散在していることを忘れてはなりません。
安倍政権においては、内需を拡大させ、経済を成長させ、政府が日銀の舵を取り、
外国や財務省マスコミの圧力に屈せず、排除すべき美辞麗句に騙されぬ、
国益に叶う政権運営を確信しています。
お陰さまで危険を知らせる多くの警笛が鳴り響いています。
改革を叫べば国民を騙せる時代ではなくなっていると信じたいと思います。
すべては、「国益派・政治家」の情報発信力と説得力、
そして受け手である、国民側の情報を読み取る力次第だと思っています。
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