倉本聰「原発事故は『ついに天罰が来たか』と思った。『北の国から』は今思えばサムシンググレートに書かされた気がする」at DQNPLUS
倉本聰「原発事故は『ついに天罰が来たか』と思った。『北の国から』は今思えばサムシンググレートに書かされた気がする」 - 暇つぶし2ch1:ポキール星人Zφ ★
12/10/21 16:25:16.29 0
君たちの時代に:先輩からの手紙/55 「北の国から」は今も 倉本聰さん/上

◇あまりにも豊(ゆた)かになり、生活(せいかつ)にダレ切(き)ってしまった日本社会(にっぽんしゃかい)よ。
『北(きた)の国(くに)から』は、何(なに)か偉大(いだい)なモノに書(か)かされたんじゃないか。そういう気(き)がしています

北海道(ほっかいどう)のへそ、富良野市(ふらのし)に住(す)む倉本聰(くらもとそう)さん(77)は多(おお)くのテレビドラマや
芝居(しばい)を発表(はっぴょう)してきた脚本家(きゃくほんか)です。作品(さくひん)にはいつも、時代(じだい)へのメッセージが込(こ)められていました。

◇“電気(でんき)がない暮(く)らし”現実(げんじつ)に

みなさんのお父(とう)さん、お母(かあ)さんが若(わか)かったころ、「北(きた)の国(くに)から」というテレビの
人気番組(にんきばんぐみ)がありました。富良野(ふらの)の大自然(だいしぜん)の中(なか)で暮(く)らす父(ちち)、
黒板五郎(くろいたごろう)と純(じゅん)、蛍(ほたる)の親子(おやこ)の成長(せいちょう)を追(お)った家族(かぞく)ドラマです。
1981年秋(ねんあき)からの半年(はんとし)の本編(ほんぺん)(24話(わ))を終(お)えた後(あと)、大(おお)きな反響(はんきょう)を
呼(よ)び、特別編(とくべつへん)はその後(あと)、20年(ねん)にわたって続(つづ)けられました。

当初(とうしょ)、小学校(しょうがっこう)4年生(ねんせい)と2年生(ねんせい)だった純(じゅん)と蛍(ほたる)は、頼(たよ)りなげで
いながら、でもどこまでも心優(こころやさ)しい五郎(ごろう)の愛(あい)の中(なか)で、多(おお)くの挫折(ざせつ)を
味(あじ)わいながら成長(せいちょう)していきます。

第(だい)1話(わ)の中(なか)で、原野(げんや)の中(なか)の廃屋(はいおく)を直(なお)して住(す)もうという五郎(ごろう)に
純(じゅん)があきれる印象的(いんしょうてき)なシーン。

 純(じゅん)「電気(でんき)がない!? 電気(でんき)がなかったら暮(く)らせませんよ」

 五郎(ごろう)「そんなことないですよ」

 純(じゅん)「夜(よる)になったらどうするの!」

 五郎(ごろう)「夜(よる)になったら眠(ねむ)るンです」

「昨年(さくねん)の東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)で本当(ほんとう)に電気(でんき)がない暮(く)らしが
現実(げんじつ)のこととなったでしょう。別(べつ)にそれを予期(よき)していたわけではないんですが、原発事故(げんぱつじこ)が
発生(はっせい)した時(とき)は、『ついに天罰(てんばつ)が来(き)たか』と思(おも)いましたね。あまりにも豊(ゆた)かになり、
その生活(せいかつ)にダレ切(き)ってしまった日本社会(にっぽんしゃかい)よ、大丈夫(だいじょうぶ)かと。『北(きた)の国(くに)から』は、
今思(いまおも)えば何(なに)か偉大(いだい)なモノーーサムシンググレートーーに書(か)かされたんじゃないか。そういう気(き)がしています」

このドラマが書(か)かれた1979?80年(ねん)は、バブルが始(はじ)まろうとする時期(じき)でした。
高度経済成長期(こうどけいざいせいちょうき)に世界第(せかいだい)2位(い)の経済大国(けいざいたいこく)になった日本(にっぽん)には、
物(もの)があふれ、便利(べんり)が当然(とうぜん)のことになっていました。

やがてテレビは深夜放送(しんやほうそう)をはじめ、全国(ぜんこく)に24時間営業(じかんえいぎょう)のコンビニエンスストアが増(ふ)えました。
自動販売機(じどうはんばいき)が誰(だれ)も通(とお)らない夜道(よみち)を照(て)らすようになりました。

そーす 毎日小学生新聞(>>2につづく)
URLリンク(mainichi.jp)


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