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第二次世界戦争直後の日本で、RAAが米国兵に日本の若い女性を募集して
慰安婦にしていたことはよく知られているが、
あまり知られていないことだが、米国の女性兵士のために若い男性を募集し「慰安夫」にもしていた。
米国の女性兵士はなぜ「慰安」の必要があったのか?
これは、米国が「すべてにおける男女平等」を重視しており、
米軍が「国のため、戦場で一生懸命に働く女性も勝利を享受する権利もある」と考えていたからだ。
悲しい日本人慰安婦に比べ、「慰安夫」たちの環境はよかった。
日本昭和研究所が編纂、仙台大学の百瀬孝行教授が監修した
「戦後の日本を知っていますか?―占領軍の日本支配と教化」という本には、
当時のある「米国軍女性兵士用慰安夫」のストーリが記録されている。
この赳田純一という慰安夫は1946年、名古屋に駐在した米国軍女性兵士のための募集に申し込んだ。
当時、RAAは募集した民間男性に対して、まず厳しい健康検査を行った。
心臓、胃、目、皮膚、筋肉、血液、尿、性病、痔などまですべて厳格な検査を行い、
合格した若い男性に1人に1つの部屋を与えた。
赳田純一の最初の「客」は、そのときに「慰安夫」の検査を行った女性伍長だった。
この女性伍長は一目で彼が気に入り、彼を選んだ。
赳田純一は女性伍長のスタイルについてこういっている。
「乳房は2つの弁当箱(日本の弁当箱は円筒形だった)に似ており、
彼女の腰は人に故郷の牛を思い出させた」
「慰安夫」の仕事は、一日おきの「出勤」、1日の給料は3ドル。
その外、牛肉、バター、チーズなどの「体力の回復によいものはいくらでももらえた」
当時、一般の日本人はサツマイモしか食べられず、腹一杯になれなかった。
「慰安夫」の仕事は貴重でただ体力的に堪えられないものだった。
半年の間、女性伍長は必要な軍務を処理する以外、
残りのすべての時間でこの「慰安夫」の「サービス」を必要とした。
この女性伍長が米国へ戻る時には、「熱い涙が止まらなかった」という。
URLリンク(japanese.china.org.cn)