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◇自分を見直す転機に ロス暴動、黒人も差別の被害者
今年、LA・コリアタウンはロス暴動20周年を迎える。1992年4月、ロサンゼルスで発生した暴動は
コリアタウンにも襲いかかった。破壊される店舗、燃え上がる炎、飛び交う銃弾、泣き叫ぶ女性……
修羅場と化した街の光景に世界が驚がくした。
が、私は前述したように、「黒人がコリアタウンを襲撃した」という報道に強い違和感を覚えたため、
9月に現地に飛び、暴動の真相が著しく歪曲(わいきょく)されていたことを知ったのだった(詳細は拙著
『アメリカ・コリアタウン』参照。現在、電子出版化の準備中)。
では、ロス暴動とは何だったのか。
前年の91年3月、黒人青年のロドニー・キング氏が車のスピード違反で捕らわれたとき、
4人の白人警官に激しい暴行を加えられた。偶然その模様を撮影したビデオがテレビで放映されるや、
黒人の怒りが沸騰したが、辛うじて暴発するには至らなかった。
しかし翌92年4月29日、陪審員が4人に対し無罪の評決を下したため、黒人の憤怒が爆発した。
黒人集住地域であるサウスセントラルで暴動が起こると、たちまち全米に波及した。
そして30日から黒人のコリアタウン襲撃という報道が世界を駆け巡ったのだが、真相とは大差があった。
まずコリアタウンの位置を見ると、東側のダウンタウン、北側のハリウッド、南側のサウスセントラルに
囲まれた中間点に存在する。ロス市警察は暴動発生後、ただちに東、北側の白人地域で防御態勢を
固めたが、コリアタウンを放置した。そのため白人地域に行けなくなった黒人の怒りがコリアタウンに
向けられてしまったのである。
次に、「黒人が襲った」という報道にも誇張がある。実は、サウスセントラルには2組のギャング集団があり、
彼らがコリアタウンの店舗のドアを破壊した。そこへ街に住むラティーノ(ラテン系民族)たちが入り込み
略奪を行った。つまり破壊や放火を行った中心は黒人ギャングであり、また降って湧いたような
「特別無料サービスデー」に喜々として商品を持ち去ったのはラティーノたちだったのである。
当時、店主が銃を撃つシーンが繰り返し放映された。韓国人は主要メディアに「暴動を扇動するような
放送はしないでくれ」と抗議したが、無視されてしまった。街を死守する覚悟で銃を手にした青年が証言する。
「俺たちは相手に当たらないように威嚇しただけだ。もし本気で撃っていたら死体の山ができただろう」
以上に垣間見たように、元々白人による黒人差別に起因した暴動は、あたかも「韓黒葛藤」に原因があるかの
ようにすり替えられたのだった。
暴動が沈静化した5月2日、1人の女性の呼びかけをきっかけに平和集会が開かれた。参集した10万人もの
人々は、米国社会や黒人、ラティーノを非難することなく、「我々は隣人と仲良く暮らしたいだけだ」と訴えた。
街を行進しながら叫んだシュプレヒコールは「ウイ・ウォント・ピース」だった。
ロス暴動の原因に対する識者の見解はほぼ4点に集約される。(1)持たざる者の貧困
(2)作り出された「韓黒葛藤」(3)警察と市政府の怠慢と職務放棄(4)ゆがめられた報道。
その結果、韓国人社会は甚大な被害を被った。しかしこの事件は在米韓国人のアイデンティティーを
見つめ直す重要な転機となった。
被害者たちを取材した私が最も感動したのは、「黒人を憎む」という人が一人もいないことだった。
彼らは異口同音に語った。「黒人も白人による差別の犠牲者だ。これまで韓国人は白人側と思い込んでいたが、
今後はマイノリティー側に立って手を結ばなければならない」と。
ロス暴動という苛烈な体験を代償に、在米韓国人はようやく自分たちの在るべき姿を見出したのである。
そーす 毎日jp/大阪
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