12/05/06 08:49:13.73 upfCslum
>>862
それは、「です」との接続を考慮した「つもり」だったんじゃないかなあ。
自動アナウンスは、切り刻んだフレーズを切り貼りするので、接続点をどうするかは、常に問題になる。
これが難しい場合、面倒なので全部平板化させることが多かったが、
(昭和時代のSFネタの「ロボットの発話」がそうだった。今やるとなんとなくYMO臭くなるw)
最近は、もう少し複雑な接続が考えられているみたい。
平板と頭高は、東京方言(乙種の多く)だと機能の上で対概念に働く場合があり、実際に交換可能な場合がある。
そこで、大胆に交換してみた、ってところじゃないかなあ。
俺の感覚(東京ではないが保守的な乙種ネイティブ)では、田端は頭高一択なので、
その回答者の発想には同意できない(その議論だと、頭高がmarked扱いになるから)
だが、アクセント知覚が、緩くなりつつあるのは、本当の話かもしれない。
大日本帝国の最大版図の時期(昭和10年代)に、帝国標準語アクセントが曖昧化しかかったことがあった。
この時期、外地の日本人移民のアクセントが曖昧化し、それが波及したと言われる。
真珠湾攻撃の臨時ニュースのアナウンスは、どう聞いても曖昧アクセントにしか聞こえない。
本来揺らぐなら、高度成長期だったんだろうけど、これはテレビ&ラジオで乗り切った。
音韻変化は矛盾に満ちていて、マスコミによる国民言語の普及が完全に爛熟した今、
一極集中の首都の真ん中で、あり得ないような言語変化が起きることは、経験的にはそんなに変では無い。