10/08/08 00:15:58 xXIGx/pM
>>291
それらは、言挙げのしようでなんとでもなる。
「電車に遅れよった。」は、富山と愛媛では、全く意味が違う。
富山では、乗り遅れている。愛媛では、乗れている。全く正反対だ。
これはギャグではなく、時制と相に関する決定的な文法体系の違いを反映するもの。
岐阜と東京ではこのような違いは無い。
ただ、そこで挙げている「岐阜と西関東」という挙げ方が、
東海東山方言が「存在しない」ように思われていることと、深い関係があるように思う。
つまり、東京(西関東の東端の言語島)と名古屋(東海方言の特殊な西端)という、
たまたま巨大都市が両端にあって、この2つの都市の連中の声が実に大きく、
その違い(と遷移性)が際立つので、統一性が無いように見える。
実は、「う」も「べー」も、それぞれ隣接する別方言から侵入してきた外来的要素であって、
それぞれ『反対側からの外来的要素』ばかりを比較すれば、大違いになるのは当たり前。
そうではなく、声の小さい「真の中心部」の方言をよく観察すると、東海東山方言の真の姿が見えてくる。
東海東山方言の、本来の推量表現は「ずら」、さらに伝統的には「ず」(「むず」の直系の末裔)だ。
西端部(および江戸)では「う」が侵入し、(江戸市中を除く)東端部では「べ」が割り込んでいる
とみることができる。
(中央部では「ずら」は徐々に「ら」に変化しつつある)