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昭和61年(1986)2月、六甲アイランド開発のコンペに住友信託銀行を代表とした積水ハウス案が選ばれたのである。
田鍋は「今だから言えるが、コンペに入選したとき、これはえらいことになった。下手したら会社をつぶすかも知れんぞ」と思ったと述懐していた。
開発総事業費2,500億円、昭和60年の積水ハウスの売り上げの半分に相当する金額であった。田鍋は六甲開発本部長に大橋副社長を任命した。
営業の大将である。大橋は阪神間をくまなく歩き回り、神戸の特徴、阪神間の特質、人々の視線を見て歩いた。
美しい山並み、瀬戸内海の穏やかな海を背景とした山の手、六甲。神戸の人々はこの山の手、六甲、に住むのが誇りである。それならば、同じように、海の手、六甲、と決定したのである。
海をめぐらせ、六甲を望む街にふさわしいキャッチフレーズであった。
時代は折りしもアゲインストからフォローの風に変わりつつあった。大橋は「常に、街は人が主役、よって街づくりは住まいづくり」という信念を持っていた。
第1期の応募は5倍の競争率でスタートしたのである。大橋の新たな信念になっていた。「景気の波に左右されず、よいものを作れば、いつの時代にも存続し得うる」と。
この大事業の成功で、積水ハウスの評価が高まったのであった。
そしてその流れは、やがて福岡市のシーサイド百道へつながっていくのである。(文中敬称略)
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六甲アイランドシティ
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