14/07/13 10:50:47.15 Csnqxrk1
.
URLリンク(www.shinchosha.co.jp)
>私は一九七三年、大阪府南部にある更池という被差別部落に生まれた。更池という地名は、中心部に
>あった溜め池がその地名の由来になっているのだが、現在、この地名は一般的には存在しない。
>正確には旧更池村の南方が被差別部落だったのだが、現在では住民や関係者の間でのみ、象徴的に
>「更池」と呼ばれている。
>その更池では、たった五〇〇メートル四方ほどの自分たちの地区のことを、現在でも「むら」と
>呼んでいる。
>大阪の被差別部落では、自分たちの地域のことをたいてい「むら」と呼ぶのだが、その呼び名はまるで、
>一般地区から隔絶された被差別部落の歴史を物語っているかのようでもある。
>わたしが生まれた更池という「むら」は、最盛時には住民の実に八割が食肉業にたずさわっていたと
>いわれている。江戸時代から死牛馬の処理に関わっており、明治にはいってからは屠畜も行うように
>なった。わたしの父の仕事は、現在も食肉業である。
>わたしが幼い頃にはまだ大きな牛舎もあり、そこでは乳牛を飼い、酪農を営む家も存在していた。
>そんなむらの中でいつのころからか、一般地区の人々が見向きもしなかった死牛馬の肉を食べやすい
>ように、そして保存しやすいように工夫した食べ物が生まれた。
>あぶらかすは、そうした食べ物の一つである。そんな「むらの食べ物」は、道路一本隔てた他の地区に
>おいては、存在すら知られていなかった。
>しかし近くにある別の「むら」では、同じようにそれを盛んに食べていたのである。