14/01/19 23:28:56.82 gq+9Gd64
大阪人は言うなれば花より団子である、
美しく感動できるものより、財布の中身がどうなるかが心配である。
欲望を満たすものでなければその価値を評価しない、
政治や芸術というものは骨が折れる、
正しいのか間違いなのか、美しいのか美しくないのか、
ある意味、どれも結果が出ずしんきくさいものである。
そんなしんきくさく骨が折れるような、
しかも儲けとはほとんど無関係なものへは見向きもしない、
大阪人は時間がかかり結果が出ないものをとことん拒むのだ。
商業都市として栄えた大阪は長年の間、
打算的で商才を重んじる習慣ができてしまった。
商いと無関係なものへは関心が無い、
お笑い文化が育ったものの、それは即、笑えると言う欲望を満たすもので
尚且つ知性とは無縁であるから気楽なだけなのだ。
即、銭勘定と結びつかないもの、歴然と結果=利益が出ないもの以外はまったく無関心なのである、
だから都心に博物館、図書館、美術館など作る気もさらさら無く利用者も極めて少ない、
また政治談議などまったく聞こえてこないのだ、
東京とは比較にならないほど政治や文化に冷ややかでは無く、
ただ無関心なだけなのである。
食い倒れの街として栄え、セックス産業の急先鋒となり、消費者金融の走りとなった大阪は
食欲、性欲、金銭欲のみに関心が注がれ、
それは多くの銭を生み出すからなかなか辞められない、
そのために鉄火場もまた増えてゆき、無風流で心の卑しい俗物ばかりが街中に増えてゆく。
大阪の名所である海遊館でも客の反応が違う、
魚を見て美しいとか、生態学に関心を示すのではなく、
常にここの維持費はいくらかかるのか、魚一匹売ったらいくらになるのか、
寿司ネタにしたら美味そうだとか、
所詮、その程度のレベルである。
大阪人ほど学問に無関心で銭勘定にしか興味を示さない、
心に豊かさも潤いも感じられない人間らしさを失った珍種族を見ていると
一種の哀れさすら感じる。