13/12/02 03:19:45.98 LlO2sLdt
【東京奠都の本当の事情】
>>511
>昔から災害リスクが高い地域だったので、あれだけの巨大な平野があっても放置するしか無かった。
→これは真実のようだね。
<大久保利通の大坂遷都案>
幕末の京都は、大政奉還や王政復古により、政治の中心地となっていったが
京都の新政府内部から、新たに天皇親政を行なうにあたって遷都を行おうという声があがっていた。
この時点では江戸の情勢が未だ安定しておらず、主に大坂がその地として意識されていた。
しかし、遷都しなくても衰退の心配がない浪華(大坂)よりも、
帝都にしなければ市民が離散してさびれてしまう江戸のほうに遷都すべきだとする
前島密による「江戸遷都論」が大久保に届けられた。
<東京奠都(とうきょうてんと)とは......>
明治維新のとき江戸が東京とされ、都として定められたこと。
京都との東西両京としたうえで、慶応4年7月14日(1868年9月3日)に江戸が東京と改称され
同年9月に元号が明治に改められ、同年10月13日に天皇が東京に入り、明治2年(1869年)に政府が京都から東京に移された。