13/05/03 09:01:05.16 xONa0Qrs
>>509
邪魔だってんのが分からんのか?お前日本語読めんのかコラ?
いいこと教えてやるよ。
鎌倉、室町の応仁の乱まで人口が700万人から100万人しか増えなかった。
鎌倉時代から応仁の乱がおきるまでの室町幕府は暗黒時代そのものだ。
逆に応仁の乱がおきてからは人口が急上昇。
幕府が存在した意味がないわな(苦笑)。
それがお前が上で散々自慢してる時代だよ、政治的無能者の矢作土猿。
あと、お前の散々自慢してる頼朝には三河人の血が一滴も入ってないし、
立場的には足利義兼も全く同じ。
熱田大宮司家の後継者千秋家は戦国時代に三河に帰れたのに尾張に土着。
徳川家康でさえ、母方の祖母は熱田出身で祖父は知多、
よってその娘である徳川家康の母は限りなく尾張人に近いため
家康は尾張と三河のハーフだ。三河単独で何が生み出せたんだ?
三河と違って尾張氏も、秀吉も、信長も、すべて尾張人なのにな。
あと猿投窯は、高度な技術が必要とされる釉薬を用いた灰釉陶器を
日本で初めて生み出したことで有名で、今の愛知県のものつくりの
ルーツともいえるが、これは発祥は名古屋の東山で、猿投窯の
最大の特徴となっている灰釉陶器が初めて作られたのは鳴海だ。
あと、現代ではトヨタ自動車が発展した時の幹部は全て
名古屋時代の人間だけ。トヨタは一度潰れかけたがそれを救ったのは
石田退三(後述の服部兼三郎の会社で働いていた縁でトヨタに来た)。
豊田佐吉には尾張に仕事の斡旋をしてくれた三井物産の児玉一成、
数千万から百億近くの支援をしてくれた半田の石川藤八と
名古屋の服部兼三郎がいたが、三河は何もしていない。
ちなみに豊田初代社長の豊田利三郎は服部兼三郎が仲人になって、
佐吉の娘である愛子と結婚。婿養子に来て苗字が変わった。
お前が一時期必死になって否定しようとしていたトヨタと尾張の縁も
上記から分かるようにきわめて深い。
というわけで、現在愛知を豊かにしているものつくり、ハイテク文化を
生み出したのは尾張であって、三河ではない。
政治的無能で八丁味噌以外生み出せない文化不毛の矢作土猿、
お前の化けの皮すべて剥いでやるから
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文句があるなら上記スレに書き込めよ。
グダグダコピペ貼って逃げてんじゃねえ!