名古屋観光都市化計画 part4at DEVELOP名古屋観光都市化計画 part4 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト491:名無しさん@お腹いっぱい。 13/05/02 02:04:33.13 31RmRz9R 藤原季範→娘(由良御前の系図上の姉妹)→足利義兼 足利義兼は尾張生まれじゃないのか?w何故名古屋で生まれたぎゃ~と主張しないのか?w 室町幕府も名古屋だぎ~のオナニーネタは欲しくないのか?w 足利義兼(2代目足利氏当主)の年表 1153年、父:源義康(初代足利氏)、母(源頼朝の母と姉妹):藤原季範(初代藤姓熱田大宮司)の娘(実父は藤原季範の長男:藤原範忠)の間に生まれる(出生地は京都もしくは三河) 1155年、母方の祖父(血縁上は曾祖父):藤原季範死去、父方の祖父:源義国死去 1157年、父:源義康死去 1159年、母の姉:由良御前(源頼朝の母)死去 1160年、源義朝暗殺、源頼朝伊豆に配流 1160~1162年頃、母親(頼朝の母と姉妹)の三河国額田郡乙見内の所領(父親からの化粧料)に、異母兄弟2人(源義清、源義長)と共に移り住み、三河の藤姓熱田大宮司家の庇護を受ける 1161年、藤原範忠(実の祖父)周防国に配流 1167~1168年頃、八条院蔵人、三河国碧海郡碧海庄(三条女御領)の庄司に任じられる(碧海庄司時代、熱田神宮祭典の大宮司代理に補された) ・異母兄の源義清(細川氏・山名氏の祖、室に新田義重の娘)は、三河国幡豆郡矢田(皇嘉門院(崇徳天皇中宮)領)に拠を構え、矢田義清(矢田判官代)と称する 1174年、三河国碧海郡碧海庄で長男、源義純(源姓畠山氏の祖、新田義重が養育)が生まれる(その所縁か、室町時代に畠山氏流和田氏が碧海地域の奉公衆になる) 1176年、三河国碧海郡碧海庄で次男 源義助(桃井氏の祖)が生まれる 1180年、以仁王挙兵、源義清(矢田義清)、源義長、源義兼は三河国から参戦、義清と義長は源頼政(頼政死後は木曽義仲)と、義兼は源頼朝と行動を共にする 1181年、北条時政の娘を正室に迎える 1183年、異母兄2人源義清(矢田義清)と源義長は、水島の戦いで戦死 1184年、源範頼(後に三河守)軍の一員として九州平定 1185年、上総介に推挙される 1189年、源頼朝軍の一員として奥州合戦に従軍、嫡男足利義氏(後に足利氏として初めて三河守護)が産まれる 1190~1195年頃、三河国碧海郡碧海庄内に薬師寺を建立(義純、義助の母である白拍子を菩提)、三河国額田郡乙見の真福寺に法華堂を建立(母親を菩提) 1195年、東大寺で出家 1199年、死去 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch