14/08/11 08:09:45.85
ソース(ダイヤモンド・オンライン) URLリンク(diamond.jp)
日本でも大企業神話が崩壊して久しい。実際、2010年にパナソニックの完全子会社になった三洋電機は、ピーク時に10万人を数えた
従業員のうち、今もパナソニックで働いているのはわずか9000人だけだ。残る9万1000人は散り散りになった。ソニーやシャープでも
人員削減が続く。だが心ならずも会社を去った人々は敗者ではない。板切れにしがみつき、傷ついた仲間に肩を貸しながら自力で泳ぐ
彼らは「敗れざる人々」だ。リストラが続く電機大手で。会社更生法の適用を受けた日本航空(JAL)で。『会社が消えた日 三洋電機
10万人のそれから』(日経BP者)の著者、日本経済新聞編集委員・大西康之氏が敗れざる人々の闘いを追う。
■非情の金網フェンス
写真=大西康之氏
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彼らは二度売られた。
三洋電機の冷蔵庫、洗濯機事業部門。ここで働いていた人々は、パナソニックによる三洋電機の買収で一度はパナソニックの一員
になった。だがそれから3年もたたないうちに、パナソニックは両事業を中国の家電大手、ハイアール(海爾集団、本社青島)に売却した。
彼らは今、中国企業の一員として働いている。一度はライバル企業に買われ、落ち着く間もなく今中国企業に売られた。数奇な運命を
たどった彼らの「その後」を追ってみる。
群馬県大泉市。東武小泉線の終点、小泉駅からしばらく歩くと三洋電機の旧東京製作所が見えてくる。今はパナソニックの
社内カンパニーであるアプライアンス社の冷蔵庫、コールドチェーン(業務用冷凍・冷蔵装置)事業の拠点になっている。
三洋電機時代は冷蔵庫の主力生産拠点で、ピーク時には1万5000人が働いた。円高に伴う生産の海外シフトが続き、2009年に
パナソニックが三洋電機を買収したころには6000人まで減った。
工場の所有権がパナソニックに移った後、敷地内にあった半導体事業は米オン・セミコンダクターに、冷蔵庫と洗濯機事業は中国の
ハイアールに、燃料電池事業はENEOSに売却された。会社解体の痕跡がこれほどはっきりと見える場所も珍しい。
会社解体を象徴するのが2012年末に張り巡らされた金網のフェンスである。高さ2メートルほどのフェンスはパナソニックの敷地に
「それ以外の会社」の社員が入れないように敷設されている。フェンスが設置されたことを知らなかった出入りの業者の車が夜中に
激突する事故があり、その後、フェンスの上に赤いランプが灯るようになった。フェンスはいよいよ物々しさを増した。
この敷地内で働いている人のほとんどは2009年まで、三洋電機の社員だった。パナソニックがフェンスを張り巡らせた目的は、
セキュリティーの確保や知財流出を防ぐことだと思われるが、かつて同じ釜の飯を食ってきた人々を分断するフェンスはいかにも
不気味だ。元三洋の社員たちは全長数キロメールに及ぶフェンスを忌み嫌い「パナの壁」と呼んでいる。
敷地内にある共用の食堂も、食事を受け取る場所は同じだが、食べるテーブルは別々に分かれている。構内の通路で昔なじみの
仲間とすれ違うと挨拶はするが、立ち話でも仕事の話はご法度だ。すれ違いざま「よお、元気か」と声を掛け合う度に、社員は解体された
企業の悲しさを痛感する。
(>>2以降に続く)