14/02/08 17:05:52.30
>>1のつづき
首都圏の百貨店はアベノミクスの恩恵に浴しているが、大阪ではほとんどの百貨店が
売り上げ目標に届かず、「勝者なき戦い」となっている。伊勢丹新宿本店に次ぐ年間売り上げ
を誇り、関西地区売り上げトップの百貨店、阪急うめだ本店は14年3月期の売り上げ見通しを
1880億円に引き下げた。当初目標だった2130億円より12%下方修正した。部分開業した、
あべのハルカス近鉄本店も苦戦中だ。同店は3月に売り場面積10万平方メートルという国内
最大の百貨店として全面開業するが、苦しい戦いを強いられることになる。
●高島屋と伊勢丹の因縁
大阪三越の敗因について百貨店業界内では、「伊勢丹流のディスプレー(陳列)が、大阪
では受け入れられなかった」といわれている。進出を決めた05年当時は三越単体で進出の
はずだったが、経営不振の三越が伊勢丹と経営統合したことで、店づくりの主導権はファッ
ション衣料に強い伊勢丹が握った。伊勢丹のセールスポイントはテナントに頼らず、社員が
自分の目利きで商品を仕入れる自主運営であり、販売までを一貫して行う。しかし、関西では
ブランドごとに区分して売るのが主流。複数ブランドが商品別に並ぶ自主編成の売り場は、
買い物客にはわかりにくかったといわれている。
加えて、人気ブランドを集められなかったことも苦戦の大きな要因となった。梅田地区の
ライバル店が、高級ブランドのテナントに大阪三越への出店を控えるよう強く求めたのが
大きかった。先頭に立ってこの動きを進めたのが、高島屋の鈴木弘治社長だったとされる。
鈴木氏と伊勢丹の因縁は深い。長年、高島屋は百貨店業界のトップだったが、伊勢丹が
名門・三越を救済するかたちで経営統合して08年4月にできた三越伊勢丹HDに、業界トップの
座を奪われた。当初、三越救済の話が持ち込まれたのは高島屋。だが、高島屋東京店と三越
本店はともに東京・日本橋にある。重複店舗をどうするかという検討に手間取っている間に
、三越は方向転換し、伊勢丹に経営統合の話を持ちかけた。
メインバンクは三越が旧三井、伊勢丹は旧三菱で、高島屋は旧三和。最終的に三越と
伊勢丹が手を握ったのは、メインバンクである旧財閥系の金融機関同士の絆が強かったと
いうことが影響したといわれている。関西の百貨店幹部は「鈴木社長にしてみれば、トンビに
油揚げをさらわれたという心境でしょう。以来、鈴木さんにとって伊勢丹は不倶戴天の敵と
なった」と明かす。
その三越伊勢丹HDが、高島屋のホームグラウンドである関西に殴り込みをかけてきたわけだ。
当然のこととして鈴木氏は大阪三越封じ込めの実力行使に出た。阪急阪神百貨店を擁する
エイチ・ツー・オー(H2O)と11年までに経営統合するとぶち上げたのだ。高島屋は96年、
伊勢丹の聖地である東京・新宿に新宿店を開業したが、思うように売り上げが伸びなかった。
伊勢丹本店の圧力で、ファッション分野での品揃えで見劣りするという当初のつまずきが
響き、高島屋新宿店は慢性的赤字から脱却できないでいた過去を持つ。
(つづく)