13/04/30 21:36:21.63
(続き)
各週刊誌のゴールデンウィーク合併号も出揃ったが、読みごたえのある記事は少なかった。
情報の速報性でネットの後塵を拝し、さらには記事の深みやキレもかつての黄金時代とは比べるべくもない。
私自身が雑誌の現場で長く働いてきただけに、目の前の各誌の合併号を見て寂しい気がする。
何が変わったのか、そして何が読者をここまで離れさせたのだろうか。私は、各誌の合併号を眺めながら、考えてみた。
私は、その第一は「見識」ではないか、と思う。「週刊誌に“見識”なんて関係があるのか」と笑う人もいるかもしれない。
だが、告発記事や手記、スキャンダル報道……など、週刊誌には多くのジャンルがあるが、私は誌面から「見識」がなくなれば、
読む人の興(きょう)は削がれ、媒体(メディア)そのものの存在意義もなくなるのではないか、と以前から考えていた。
最も重要なその「見識」が誌面から消え、情報の速報性や深みでも見るべきものがなくなった今、
長年の読者が「週刊誌から去っていった」のも無理はない、と思う。
いうまでもなく、新聞やテレビが報じることができない告発記事や渦中の人物の手記、あるいは意外な視点や発想による
独特の記事展開が週刊誌媒体の真骨頂だった。しかし、この12年間でその肝心なものが確実に失われていった。
インターネットの普及がそれに追い打ちをかけ、やがてボディブローにように効いていき、そして週刊誌の「死命を制した」のである。
つまり、週刊誌業界は外部環境の変化に対応できず、さらには見識を失い、自壊している過程なのではないだろうか。
作り手の意欲や執念、そして見識が感じられる記事が、どの雑誌の誌面からも見られなくなっているというのは大袈裟だろうか。
ゴールデンウィーク合併号の各誌の誌面を、私はそんな寂しい思いでじっと眺めている。
(記事終)