【コラム】浜田宏一「教え子だった白川方明日銀総裁はどこで道を誤ったのか」 [13/01/18]at BIZPLUS
【コラム】浜田宏一「教え子だった白川方明日銀総裁はどこで道を誤ったのか」 [13/01/18] - 暇つぶし2ch1:依頼@@@@ハリケーン@@@φ ★
13/01/19 08:57:43.95
■白川方明という名の優秀な学生

 経済学者として長い間、教鞭をとってきた私だが、学生に「大学院に進んでみないか」と
声をかけることは少ない。本人に能力がなければ、あとから、本人にとっても、指導する
側にとっても、たいへんになるだけだからだ。いまでは就職難のため、あるいはモラトリアム
期間の延長のために大学院へ進む学生も珍しくないが、私は決して勧めようとは思わない。

 そんななかで数少ない例外の一人が、白川方明氏だった。そう、日本銀行総裁である。

 白川氏に初めて会ったのは、一九七〇年のことだ。私が東京大学経済学部で教鞭をとって
いた時代。その聡明さには、たいへんな感銘を受けた。

 経済学者には、数理的な能力と、そこで得た洞察を政策問題に適用して考える能力が
必要だ。白川氏には、その二つが兼ね備わっていた。論理的な構想力、つまり論理とその
背景を精密につかむ力にも、目を見張るものがあった。そして、真面目で努力家でもあった
。一九七二年、私が館龍一郎先生(東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授、二〇一二年
二月逝去)と『金融』を岩波書店から出版した際には、校正や事実関係のチェックを白川氏
にお願いしたこともある。

 一九八五年、私がシカゴ大学を客員教授として訪れた際にも、白川氏の存在は語り草
だった。彼は日本銀行に入行後、シカゴ大学に大学院生として留学していたのだ。

 「シラカワはよくできた。学問を続けてほしかった」

 後にイスラエル銀行の総裁となるジェーコブ・フランケル教授は、そう残念そうに語って
いたものだ。

 だから、私は白川氏が日銀総裁となったとき、心から喜んだ。「これで、真っ当な経済
論理に即した金融政策が発動されるだろう」と考えた。長い間日銀の調査研究畑のリーダー
として、銀行内で支配的だった企画畑出身者と奮闘してきた鈴木淑夫氏は、「初めて調査畑
から総裁が出た。きちんとした理論、数字の裏づけをもって、外国語で世界のリーダーと
対等に話ができる総裁が出たことは画期的なことなのです」と語ってくれた。私も白川総裁
誕生のとき、まさにそう思った。

 しかし、実際には……。

 白川総裁には、何度となく落胆させられた。彼は出世への道を進むと同時に、世界でも
異端というべき「日銀流理論」にすっかり染まってしまっていったのだろう。「日銀流理論
」とは何か? 畏友の早稲田大学若田部昌澄教授が二〇〇八年に書いた原稿から引用しよう。

〈私のみるところ、それは「一連の限定句」、平たくいうと「できない集」である。つまり
、原則として日銀は民間の資金需要に対して資金を供給しているので物価の決定についても
限定的であり、とりうる政策手段も限定的であり、政府との協調関係も限定的であるべきと
いうものである。たとえば長期国債の購入によって貨幣供給量を増やすということは、
それが財政政策の領分に入るので禁じ手であるとされる〉(「PHPビジネスオンライン衆知」)

ソース:現代ビジネス
URLリンク(gendai.ismedia.jp)

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(つづく)


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