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■ラオスと日本は古くから交流があるのだが…
日本では、ほとんど知られていないラオスだが、両国間の結びつきは意外に古い。日本の公的
機関であるJICA(国際協力機構)の海外青年協力隊が初めて派遣されたのがラオスである。
トヨタがクラウンを発売し、ラジオ東京テレビ(TBS前身)が創設される等、日本は高度
成長期の始まりでだった1955年のことだ。一方、ラオスは王制でありながらも共産党軍
(現政権)と内戦の真っ只中にあった。
ラオス人と知り合いになると、50代以上の年配からは、こんな質問がよく出る。
「ショーキチを知っているか?」
村社会に生きてきた年配ラオス人は、かつて、JICAから派遣されてきた”ショーキチさん”や、
”ケンゾーさん”たちから日本語を学んだという。
この”ショーキチさん”や”ケンゾーさん”のような人たちがプライベートの時間にボランティア活動
として”日本語教室”を開いてたという。語学学校などではなく、人々のつながりから自然に日本語
を学ぶ人が出てきたわけだ。その後、ラオスにきちんと日本語教育者が派遣されるようになった
のは1965年になってからのことだ。
だが以前、首都で活動する日本語教師から気になる話を聞いたことがある。それは、ラオスの
日本語教育がこれまでと比べて衰退しているという内容だった。
■日本語人気低下の理由
ラオスで日本語を学ぶ人は、2008年には、全国(その殆どが首都圏)で600人(全人口の
約0.00009%、首都人口の0.00085%)以上いた。だが2年後の2011年には400名ほどに減少、
徐々に注目度が低くなっているという。その理由は以下のようなものだ
(1)日系企業の進出が少ない
2011年現在、日系進出企業は60社ほどしかない。しかもラオスに進出しているのはほとんどが
中小企業で、労働者200~300人程度の工場が多い。そこでは1~3人の日本人が管理しその下に
中間管理職が配置されるが、タイから移転してきた工場ではタイ人の日本語もしくは英語レベル
が高いため、日本語ができるラオス人の必要性が低い。
(2)日本語を学習しても就職先がない
日本に留学して帰って来たラオス人たちがいる。彼らの受け皿となるのは、大使館や国際協力
機構などの公的機関や民間企業。公的機関の場合、初任給は300~500ドル程度。民間企業の場合、
700~800ドル程度だという。
だが、ラオス人によると、総じて日系よりも欧米系の給料が高い場合が多いらしい。留学生の
多くは、日本語だけでなく英語、仏語など第三、第四の言語を習得している。日本留学から
帰っても、日系機関・企業に就職するとは限らず、より良い条件で働ける欧米系を選ぶことが多い。
(3)韓国人、中国人が増加
韓国でいうと、中古車販売で財を成した企業であるKOLAOグループが有名だ。バイオディーゼル
開発や、銀行など関連会社をいくつも創立してきた。その勢いに伴って韓国人の移住が勢いを増して
いる。在住日本人600人に対し、一説では韓国人が3000人いると言われている。
※続く
●日本武道を習うラオスの少年少女たち。日本との交流は古くからある
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