【株式】『相場というもの』--北尾吉孝(SBIホールディングス株式会社代表取締役執行役員CEO) [08/11]at BIZPLUS
【株式】『相場というもの』--北尾吉孝(SBIホールディングス株式会社代表取締役執行役員CEO) [08/11] - 暇つぶし2ch1:ライトスタッフ◎φ ★
12/08/11 07:50:42.56
今の20歳ぐらいの若者達というのは、言ってみれば日本経済の悪い時しか知りません。

89年の大納会に日経平均株価が3万8915円を付け、そして翌年「12月、不動産バブルは
頂点に達する」わけですが、基調としてはそこからずっと右肩下がりが続いています。

現在61歳の私などは、あのバブルの絶頂期も知っていますし、野村證券株式会社に74年に
入社して以来退職するまで、良い時も悪い時も色々なことがありましたが、どちらかと
いえば右肩上がりの時代を経験し今日に至ります。

勿論そうした右肩上がりの状況においても上下するのがマーケットであって、当時を
振り返ってみますと兎に角様々なことを経験したように思います。

例えば、私にとって大変印象深いのは「85年9月22日、米国ニューヨーク市のプラザホテルで
行われたG5」による「プラザ合意」です。あの時、会議自体は根回しがありましたから
半時間ぐらいで終わったわけですが、その後の円高を齎す上での第一の契機になって行きました。
合意の翌日には1日で20円程度の円高進行が起こり、僅か「1年で235円/$から150円/$台
となった」わけですが、あの時「もう日本は潰れるか」とまで言われた「日本経済は、1986年
11月を景気の谷として景気回復過程に入り、1991年2月まで51ヶ月間にも及ぶバブル景気を経験」
することになりました。

あるいは87年10月19日、ダウ30種平均が1日で508ドル、22.6%も下落した、あの「ブラック
マンデー」も非常に印象的です。22.6%という下落率は、「全世界の殆どの資本主義国家を
巻き込んだ世界恐慌の始まり」の日とも言われる「ブラックサーズデー(29年10月24日)」の
それよりも約10%も高かったわけですが、私はそうした状況というのも経験してきました。

そして更には、73年に第一次オイルショック、74年の戦後初めてのマイナス成長(-1.2%)、
79年に第二次オイルショックが起こり、第一次オイルショックにおいては所謂「狂乱物価」も
重なってトイレットペーパーが無くなるなどと大騒ぎした酷い時もありました。

また第二次オイルショックの影響により「1970年代後半から1980年代初頭にかけて世界経済は
(中略)成長の停滞とインフレーションに悩まされていた」わけです。

そういう中で日本の株式市場はと言えば、89年まではずっと基調として右肩上がり、90年に
ついても前年「並みの2割前後の上昇率を予想する声がほとんど」で、評論家や市場関係者の
殆ど全てが「4万円は簡単に行くでしょう」などとコメントをしていたわけです。

しかしながら、実際の日経平均株価は1989年末の3万8915円87銭をピークに1990年に入ると
下がり、10月には暴落したわけで、約40年間に亘り株式市場、債券市場、金利市場など世界中
のマーケットを見続けてきた私の経験から言えば、相場というものは大方の人が予想するよう
には動いていないということです。(※続く)

URLリンク(www.sbi-com.jp)


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